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苅部直『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』

2017-06-29 | 渡辺浩『東アジアの王権と思想』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2017年 6月29日(木)10時28分50秒

慶大教授の細谷雄一氏が苅部直氏の『「維新革命」への道─「文明」を求めた十九世紀日本』(新潮社、2017)を絶賛していたので、細谷氏のような優秀な学者がそこまで言うなら読んでみるかな、と思って購入してみました。

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明治維新で文明開化が始まったのではない。すでに江戸後期に日本近代はその萌芽を迎えていたのだ――。荻生徂徠、本居宣長、頼山陽、福澤諭吉ら、徳川時代から明治時代にいたる思想家たちを通観し、十九世紀の日本が自らの「文明」観を成熟させていく過程を描く。日本近代史を「和魂洋才」などの通説から解放する意欲作。

http://www.shinchosha.co.jp/book/603803/

細谷氏は、

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 なんという著作であろうか。本書は、「文明」という言葉を軸として、時間と空間を越えたスケール大きな知的な冒険へとわれわれを誘ってくれる。読者は本書を読むことで、心地よい知的驚きを得ると同時に、目の前に広大な地平が開け、21世紀の世界を生きる上での「諸文明の衝突」を回避するための重要な示唆を得ることであろう。
 苅部直東京大学教授は、現代の日本でもっとも想像力溢れ、もっとも独創的な思考を提示してくれる政治思想史研究者だ。しかもそれを平易な文章と卓越したレトリックやアナロジーを用いることで、ほかにはない魅力溢れる文章に昇華させている。政治思想史という学問領域が持つ内在的な魅力と威力を、雄弁に語ることができる数少ない日本人研究者である。そして私は何を隠そう、長年苅部氏の著作のファンである。
 その苅部氏の著作の中でも、今回の著作はそのスケールの大きさと思索の奥行きの深さにおいて、前例がない。著者は、従来の一般的な明治維新論を解体し、この時代を生きた思想家や知識人、そして市井の人々の言葉を巧みに紡ぎあわせることで、新鮮な日本産の文明論を提唱する。いわば、かつて福沢諭吉が書いた文明論の著作に匹敵する壮大な視野を持つ『新・文明論之概略』を作りあげてしまった。
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という具合に熱烈に賛美されるのですが、決して悪い本ではないものの、まあ、<福沢諭吉が書いた文明論の著作に匹敵する壮大な視野を持つ『新・文明論之概略』>はさすがに言い過ぎではないですかね。
おそらく細谷氏は日本近世史の一般的な研究動向をあまり知らないのでしょうが、苅部氏は近年の近世史研究の成果を非常に巧みに纏めていて、その手際の良さは見事です。
しかし、苅部氏個人の独創的な成果があるかというと、それほどはないように思えます。
冒頭のハンチントン批判にしても、従来からハンチントンに対してなされている批判を分かりやすく整理している点は良いと思いますが、そこから<21世紀の世界を生きる上での「諸文明の衝突」を回避するための重要な示唆を得ること>ができるかというと、具体的な回避策の提案など特にないので、ちょっと無理じゃないですかね。
同書「あとがき」には、

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これまでの論文や著書と同じように、渡辺浩先生をはじめとする─『東アジアの王権と思想』(英語の表題は Confusianism and After)による問いかけを受けながら本書ができあがっていることは一目瞭然だろう─多くの先生方、研究仲間、大学院生・学部学生と交流するなかで、構想ができあがった。
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とありますが(p272)、苅部氏は渡辺浩氏の弟子なんですね。
ま、つい最近、『東アジアの王権と思想』を少し検討して、渡辺浩先生もそれほどたいした学者ではないのではないか、という不遜な感想を抱いた私としては、苅部氏が渡辺氏の弟子であろうがなかろうが、別にどうでもいいことではありますが。

苅部直(1965-)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%85%E9%83%A8%E7%9B%B4
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