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0089 「直常危機一髪、刺客に襲撃される」(by 松山充宏氏)

2024-05-13 | 鈴木小太郎チャンネル「学問空間」
第89回配信です。


『桃井直常とその一族 鬼神の如き堅忍不抜の勇将』(戎光祥出版、2023)
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/700/

貞和四年(1348)
 正月 高師直、四条畷の戦いで楠木正行を破る
貞和五年(1349)
 閏六月 足利直義、高師直の暗殺を謀るも失敗
     師直、執事を解任される
 八月  尊氏邸に逃げ込んだ直義を師直が包囲(御所巻)
     直義引退、師直は執事に復帰
 十二月 直義出家、上杉重能・畠山直宗、配流先の越前国で殺害される
観応元年(1350)
 十月  直義、京都を脱出
 十一月 直義、南朝に降伏
 十二月 桃井直常、越中国から出陣
観応二年(1351)
 正月  義詮、京都を脱出し、尊氏・師直軍と合流。
     反転して桃井直常軍と京都市街戦を行い、直常軍を駆逐
     しかし、尊氏・師直軍は丹波に撤退
     直義派への寝返り続出
 二月  摂津国打出浜の戦いで師直・師泰負傷、尊氏軍大敗
     尊氏、講和を請う
     師直以下高一族、殺害される
     尊氏帰京
 三月  二十九日、斎藤利泰、深夜帰宅途中に暗殺される
 五月  四日、桃井直常、襲撃される
 七月  直義、京都を脱出して北陸へ下向
文和元年(1352)
 正月  直義、尊氏に降伏する
 二月  直義、鎌倉にて死去

p89以下
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直常危機一髪、刺客に襲撃される

 三月三日、幕府では先の戦で尊氏に随行した武士への恩賞を優先して与えることが定められ、尊氏と直義の関係に早くも不協和音が生じている。同日、直冬を九州の管理者にあたる「鎮西探題」とすることが定められた。三十日、直義の側近であった奉行人の斎藤利泰が、夜道で襲われて刺されて死去している。要人を狙う事件はその後も続く。
【中略】
 五月四日夕刻、直義の邸から退出した直常は、帰り道で襲撃された。「一人の勇士」が直常を襲い、刺し殺そうとした。直常は服の下に鎧を着用していたため、刺客は刃物で刺し通すことができず、逆に捕らえられた。この事件は公家の洞院公賢の日記『園太暦』に見える。公賢は事件のあらましを書いた後、「彼女性等所支度歟」と記して筆をおいている(『園太暦』同日条)。この記述については、古くから二通りの解釈があった。一つは「彼」を刺客と理解し、刺客が女装していたとする説である。もう一つは、彼を直常と理解し、直常の妻女が夫の危難を想定して鎧を付けさせていたとする説である。
 刺客変装説であるが、変装した刺客は勇士か、という疑問が浮かぶ。直常妻女説も、日記を書いている公賢が面識も無く関心も持っていないであろう直常の妻を、わざわざ称賛する必要はない。また、公賢は低い身分の者の妻を「妻女」と記している(『園太暦』観応二年六月二十七日条)ことから、「彼の女性」は直常の妻女でもないだろう。
 改めて注目したい言葉は「支度(仕度)」である。南北朝時代までの用例を見ると、計算すること、見積もること、計画に従って準備すること、あらかじめ計画を立てること、などがある。服装を整えるという用例は、江戸時代以降によく使われる。同時代の公家の日記である『後愚昧記』では「心づもり」という意味、『神明鏡』では「計画」という意味で使用されている。こうした用例を使うと、「彼の女性」が「仕度」したことは、直常の暗殺である。つまり「彼の女性ら」という記述は、公賢が暗殺計画の主体として特定の女性を想定していたことを伝えている。
 直常に殺意を抱く「彼の女性」の第一候補は、尊氏の正室である赤橋登子をおいて他にはいない。登子にとって、実子の義詮と義弟の直義の対立は日を追って大きくなっていた。また直義の養子となった庶子直冬の活躍は、義詮が将軍家を継承する際の不安材料になる。
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桃井直常(?‐1376?)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E4%BA%95%E7%9B%B4%E5%B8%B8
洞院公賢(1291‐1360)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%9E%E9%99%A2%E5%85%AC%E8%B3%A2

亀田俊和「桃井直常─一貫して忠誠を尽くした熱烈な直義党」(『南北朝武将列伝 北朝編』)p145

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反尊氏の最右翼に
 結局、観応の擾乱の第一幕は直義の圧勝に終わった。二十六日には師直一族が粛清され、その後直義が主導する幕府政治が復活する。【中略】
 だが、情勢は安定しない。五月四日夕方、直義邸を訪問した直常は帰宅途中、女装した武士に襲撃された。幸い負傷を免れて襲撃犯は逮捕されたが、このとき直常はあらかじめ武装していたという。きわめて危険な情勢であった。
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亀田俊和・杉山一弥編『南北朝武将列伝 北朝編』(戎光祥出版、2021)
https://www.ebisukosyo.co.jp/item/595/
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