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『日本中世の仏教と東アジア』

2010-05-10 | 中世・近世史
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 5月10日(月)01時01分6秒

今日は横内裕人氏の『日本中世の仏教と東アジア』(塙書房、2008)を少し読んでみました。
「はじめに」の冒頭で、黒田俊雄氏の顕密体制論について「顕密体制論が提供する視点によって、研究対象領域の拡がりと、日本宗教史の政治的・経済的・文化的・社会的背景の考察の深まりが獲得された」ことを高く評価しつつ、「顕密体制論が提供するレンズに傷や曇りがないか、顕密体制論そのものを批判的に検討する作業」の必要性を強調し、実際に極めて厳しい批判をされていますね。

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 顕密体制論の提唱以前に黒田氏は日本中世文化論を公けにしている。黒田氏は、日本中世文化を「国内的文化圏」の成立と捉え、階級的矛盾の対立とその統一から「日本民族」の共通の文化基盤が「形成」されたと理解した。黒田氏は、近代的国民成立の歴史的前段階に民族の形成を置いた。その「民族の最重要な紐帯であり所産である」民族的文化は、全階層に「共通にアピールしうる特色をもつような種々の素材・形式・主題」があるとし、それは中世において初めて形成されたとした。論文の末尾では、丸山眞男氏の「日本文化の型」論に言及し、それを非歴史的なものとして退け、あくまで歴史的展開を究明するという意図をもっていたことが知られる。
(中略)
 顕密体制論の形成を叙述するにあたり、黒田氏はその歴史的展開を明示する意図を強調した。そして黒田氏のいう共通基盤は、解放願望→鎮魂呪術→密教→天台本覚論→神国思想へとかたちを変えて登場し歴史的変遷を叙述するかにみえる。だが、黒田氏はそれらの相互関係(因果関係)を十分に説明しているわけではなく、黒田氏以後の諸研究においても、共通基盤の実態が実証されたわけではない。黒田氏の顕密体制論は、古代から中世にいたる各時代において諸宗教の共通項を選び出し、それを時代ごとに細い糸でつなぎあわせ、歴史的展開と称している、といったら言い過ぎであろうか。顕密仏教が従来の日本民族文化論の枠内で議論される限り、歴史的には無関係な共通項探しが繰り返されるわけで、それはかつて黒田氏が丸山説に向けた「非歴史的」という批判がそのまま当てはまるのではないか。
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横内氏の個別の論文はある程度読んでいるのですが、こうして一冊にまとまったものを見ると、本物の学者というものは若い時からがっしりした構想をもって着実に業績を積み上げて行くのだなあと思いますね。
実はこの本を買ったのは、第二章の「仁和寺と大覚寺─御流の継承と後宇多院」に続く時期、即ち後醍醐天皇の時代の宗教と政治の関係についての新稿があるのではないかと期待したからなのですが、残念ながらそれはありませんでした。
第二章の「第四節 『異形の王権』の歴史的前提ーむすびにかえて」を見ると、「文観と後醍醐天皇の関係は網野善彦氏らが詳細に論じており、ここで繰り返す必要はないであろう。彼も後宇多院が大成した大覚寺流真言密教集団の生み出した一人の僧なのであった」といった記述があり、黒田俊雄氏を厳しく批判される一方で、横内氏は網野善彦氏に対しては随分甘いようですね。
第二章の元となる論文の初出は1998年なので、その時点なら理解できなくはないのですが、文観にしても真言立川流にしても、それなりに研究が進展しているはずなので、横内氏が10年たってもこのような認識であるのは少し意外でした。

http://www.hanawashobo.co.jp/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=978-4-8273-1217-1
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