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愛媛玉串料訴訟の原告について

2016-06-09 | ライシテと「国家神道」
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2016年 6月 9日(木)08時30分7秒

昨日の投稿で、愛媛玉串料訴訟の原告の「歴史は人民大衆が創造するという、一つのテーゼがありますが、判決は、日本の現代史に新たな『民衆の意志』による記念碑をうち立てたともいえるでしょう」というコメントを紹介した後、「私は共産党関係者が主導し、「リベラル」な憲法学者たちが追随する日本の政教分離原則論議がそれほど面白くはなくて」と書いてしまったのですが、少なくとも愛媛玉串料訴訟の場合、原告が「共産党関係者」と言えるかは問題なので、若干の補充をするとともに「共産党関係者」を「思想的にかなり偏った人々」に変更しました。

阪口正二郎氏の「愛媛玉串料訴訟判決を振りかえる」の上記原告コメントには、

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2)名田隆司「おわりに」「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集刊行編集委員会編『「愛媛玉串料違憲訴訟」記録集』(1997年)458頁。
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との注記があり、名田隆司氏の名前で検索したところ、最初に「愛媛現代朝鮮問題研究所」ブログが出てきました。
そのブログによると、名田隆司氏は「愛媛現代朝鮮問題研究所」代表で、「2012年4月15日/朝鮮民主主義人民共和国国際文芸作品コンクールで、最優秀賞を受賞」したという『強盛大国へ向かう挑戦』の著者であり、「2012年4月15日に朝鮮民主主義人民共和国から、「名誉博士」号(政治社会部門)を授与された」人だそうです。
また、ウィキペディア情報ですが、名田氏は「えひめ高齢者協同組合専務理事や愛媛チュチェ思想研究連絡会代表も務める。「さらむ・さらん社」という出版社を運営し、そこから朝鮮民主主義人民共和国を賛美する書籍を出版している」そうですね。


国会図書館で名田氏の名前で検索すると北朝鮮関係を中心に24件ヒットしますが、1936年生まれの名田氏の最初の著作は『偉大な愛の讃歌金正日書記と人民』(幸洋出版、1983)という「金正日書記生誕41周年を祝して」発行された「金正日の肖像」付の本だそうです。
また、1992年には『人民の子、金正日 : 金正日書記生誕五十周年を祝して』(さらむ・さらん社)、1995年には『 ノンナムは見ていた : 四国朝鮮初中級学校50年』(さらむ・さらん社)を出版し、愛媛玉串料訴訟大法廷判決の翌1998年には『マスコミ市民』という雑誌に「「拉致疑惑」歴史をねつ造するな! 」という論文を寄稿しているそうです。
以上の名田隆司氏の経歴・著作を見ると、日本共産党の党員ではなく、もう少し極端な思想の持ち主のようですね。
私は愛媛玉串料訴訟は日本共産党系の自由法曹団が手掛けた案件だとずっと思っていて、そのためついつい「共産党関係者が主導」みたいな表現を用いてしまったのですが、あるいは若干の誤解があったのかもしれません。
少し検索したところ、自由法曹団編『憲法判例をつくる─自由法曹団が選んだ50の判例』(日本評論社、1998)という本に愛媛玉串料訴訟も載っているそうなので、事実関係を確認してみるつもりです。

>筆綾丸さん
>「悪の芽」

可部反対意見は面白いですね。
ご指摘の「悪の芽」の前に出てくる「憲法論議としての自殺行為」云々も筋の通った議論です。

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一二 憲法89条についての戦後の論議は、実り豊かなものではなかった(旧帝国議会での審議当時、宗教関係者が最も怖れたのは、明治政府によって国有化された、名義上の国有財産である神社・寺院の境内地等が、この規定を根拠にして全面的に取り上げられるのではないか、ということであった)。そして、その条文は、その規定に該当する限り一銭一厘の支出も許されないかの如き体裁となっている。そこで忽ち問題となるのが、津地鎮祭大法廷判決の判文にも現れる「特定宗教と関係のある私立学校に対し一般の私立学校と同様な助成を」することは、憲法八九条に違反することにならないか、ということである。
 この点は、他の私学への助成金(公金)の支出が許されるのに、特定宗教と関係のある私学への助成金(公金)の支出が許されないとすれば、平等原則の要請に反するから……と説明されるのが通常である。しかし、憲法解釈上の難問に遭遇したとき、安易に平等原則を引いて問題を一挙にクリヤーしようとするのは、実は、憲法論議としての自殺行為にほかならないのではあるまいか。
 一方において、宗教関係学校法人に対する億単位、否、十億単位をもってする巨額の公金の支出が平等原則の故に是認され得るとすれば、そして、もしそれが許されないとすれば即信教の自由の侵害になると論断されるのであれば、その論理は同時に、他の戦没者慰霊施設に対する公金の支出が許されるとすれば、同じく戦没者慰霊施設としての基本的性質を有する神社への、五千円、七千円、八千円、一万という微々たる公金の支出が許されないわけがない、もし神社が「宗教上の組織又は団体」に当たるとの理由でそれが許されないとすれば、即信教の自由の侵害になる、との結論を導き出すものでなければならない。宗教関係学校法人への巨額の助成を許容しながら微細な玉串料等の支出を違憲として、何故、論者は矛盾を感じないのであろうか。すべて、戦前・戦中の神社崇拝強制の歴史を背景とする、神道批判の結論が先行するが故である。
 戦前・戦中における国家権力による宗教に対する弾圧・干渉をいうならば、苛酷な迫害を受けたものとして、神道系宗教の一派である大本教等があったことが指摘されなければならない。


※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。

悪の芽 2016/06/08(水) 12:29:15
小太郎さん
ご引用の『愛媛玉串料訴訟上告審判決』における「裁判官可部恒雄の反対意見」の[49]は面白いですね。玉串料の如き些末なものはどうでもよく、ほかに存在するであろう「悪の芽」を摘んだほうがよい、と。最高裁判決の中で、反対意見とはいえ、「悪の芽」という表現はかなり異質な感じがしました。
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悪の芽は小さな中に摘みとるのがよく、憲法の理想とするところを実現するための環境を整える努力を怠ってはならない。しかし、国家神道が消滅してすでに久しい現在、我々の目の前に小さな悪の芽以上のものは存在しないのであろうか。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%AF%E9%83%A8%E6%81%92%E9%9B%84
最高裁判所首席調査官というのは大変なエリートだと仄聞していますが、可部氏には可部氏なりの言うに言われぬ鬱屈があったのでしょうね。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Manifestations_des_10_et_11_janvier_2015
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 首都パリを西から東へ横断したこの百万人デモの集結点がナシオン広場つまり「国民広場」であり、そこに通じる最後のブルヴァールが「ヴォルテール大通り」であったのは、偶然とはいえまことに象徴的である。反教権的フランスを象徴する思想家ヴォルテールと国民との結合、あたかも「ヴォルテール的フランス」そのものを表現しているかにみえる。(『十字架と三色旗』14頁)
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これは1994年1月16日のデモの進路ですが、約20年後のデモ(2015年1月11日)の進路の一つも、レピュブリック広場からヴォルテール大通りを経由してナシオン広場へと至っていて(Le cortège parisien va de la place de la République en direction de la place de la Nation, via le boulevard Voltaire.)、この進路は谷川氏の言われるように偶然ではなく必然です。

https://fr.wikipedia.org/wiki/Boulevard_Voltaire
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・・・il prend le nom de boulevard Voltaire le 25 octobre 1870. Il relie la place de la République et la place de la Nation. Très rapidement, le boulevard Voltaire est devenu une voie qu'empruntent de nombreux défilés de partis politiques de gauche, de syndicats ou de mouvements de contestation.
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ウィキの説明によれば、偶然ではないことがよくわかります。共和国広場と国民広場を結ぶのはヴォルテール以外ありえず、左派・労働組合・抗議運動など様々なデモの進路となる聖地のようです。命名の翌年のパリ・コミューンが、このブルヴァールの性格を決定づけたのでしょうね。
1962年2月8日広場というのがヴォルテール大通りとシャロンヌ通りとの交叉点にあって、アルジェリア戦争反対のデモで9名の死者が出た、ともありますね。

谷川氏のアパルトマンがあったスールト大通り(Boulevard Soult)は、パリ12区の東端、ヴァンセンヌの森に近く、「全共闘世代の歴史家」らしい選択だと思いました。今時の学生や研究者は、意識的か無意識的かはともかく、パリの西側に住むはずですね。つまり、大統領府や首相官邸に近い方です。セーヌの右岸と左岸、東側と西側では、パリは何かが決定的に違います。

https://en.wikipedia.org/wiki/Jean-de-Dieu_Soult
スルトは大通りの名に相応しい顕官ですね。
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