学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

高野山親王院

2008-03-07 | 勝軍地蔵と良助法親王
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2008年 3月 7日(金)01時36分53秒

今日は大原嘉豊氏の「高野山親王院所蔵『勝軍地蔵』画像に関する考察」(『尭榮文庫研究紀要』6,2005)の冒頭を紹介します。
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 筆者は、親王院御住職・安田弘仁氏から同院所蔵の尊格不明の仏画を調査するべく委嘱を受け、二〇〇三年五月二十七日、同院において標題仏画の調査を行い得た(口絵1)。
 その結果は、誠に驚くべきことで、「勝軍地蔵」という極めて特殊な図像であり、且つその制作年代も鎌倉末期に遡り得る該尊の別尊著色仏画としては最古作に位置づけうるものであることが判明した。筆者自身も未だ信じかねるものがある。
 前例がないだけに充分な研究は未だ行い得ていないが、調査の結果と判明したことを以下に論じ、向後の斯界の研究に資したい。
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この口絵1というのを見ると、愛宕系のずんぐりむっくりした騎馬武者姿の勝軍地蔵とは似ても似つかない優美な双身像なので、ちょっとびっくりしました。
ちなみに親王院は平城天皇皇子の真如親王が開基だそうで、高野山なのに「本尊不動明王は、智証大師の作」というのも妙なものですね。
『尭榮文庫研究紀要』は親王院が出しているそうです。

http://www.shinnouin.jp/shinnouin.html
http://www.iwata-shoin.co.jp/bookdata/za0005.html

>筆綾丸さん
>5月28日の調伏の記述が六月条にある
いや、これは単なる記載ミスじゃないですかね。
いろいろレスしたいのですが、また後で。

>阿哈馬江さん
亀山上皇の皇子を並べてみると、恒明親王だけに自分の幼名である「恒仁」から「恒」の字を与えて、また「仁」4人「良」3人とは別に一人だけ「明」を用いているので、やっぱり別格扱いだなあと感じます。
最晩年の子に向けられた異常な愛情ですね。
http://www015.upp.so-net.ne.jp/gofukakusa/miura-hiroyuki-ryotomondaino-ichiharan.htm

>NAO4@吟遊詩人さん
赤い鳥居が怖いです。
夢に出てきそう。

>うえんつさん
これですかな。
http://www2.ocn.ne.jp/~heiryu/sub.html
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