学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

「札幌番外地」(by義江彰夫)

2014-03-16 | 石母田正の父とその周辺
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2014年 3月16日(日)10時04分23秒

「石母田先生と札幌」に関する練習問題の解答は、

[設問1] 札幌番外地
[設問2] (2)仙台
[設問3] (1)義江彰夫氏は軽薄である。
     (2)義江彰夫氏の「冗談」は全然面白くない。

ですね。
佐伯有清氏は1925年生まれ。
石母田正氏よりは13歳下、義江彰夫氏より18歳上で、石母田氏への敬愛の念は義江彰夫氏より相当強い感じがしますね。

佐伯有清
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E4%BC%AF%E6%9C%89%E6%B8%85

「札幌番外地」に「小躍り」している義江彰夫氏を見つめる佐伯有清氏の視線はシベリアの永久凍土並みに冷たいものだったでしょうが、何も著作集の月報間でバトルを繰り広げなくてもよいのではないか、佐伯氏もちょっと大人気ないのではないか、という感じもしますね。
ま、それはともかく、佐伯氏が引用されている「母についての手紙─魯迅と許南麒によせて─」と石母田五人兄弟の末っ子、石母田達氏の『激動を走り抜けた八十年』(私家版、2006年)を読み比べると、達氏の「母はたまりかねて、次兄を生まれ故郷の北海道につれて行き、その心をひるがえさせようとしたが、成功せず、ついに青函連絡船で兄を海につきおとして自殺しようと決心した。しかし母にはそれができなかった」との記述は聊か信頼性に欠けるな、という私の評価に納得してくれる人も多いのではないかと思います。

http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7201

共産主義運動に走った息子の母が死を選ぶというストーリーは、武装共産党の指導者・田中清玄(1906-93)の母が、代々会津藩の家老という家門の名誉を傷つけた息子を諌めるために自決した話を思い出させますが、これは息子がピストル2丁を常時携帯して、逮捕しようとする警官から逃げるために東大空手部で鍛えた空手の技を駆使していたような、戦前の共産党史の中でも特に殺伐としていた時期の状況を前提としている話ですね。
石母田正氏が母と札幌に行ったのは、確かに「和歌浦事件」と同年の出来事ですが、当時の石母田氏はまだ18歳で、別に暴力的な事件を起こした訳ではなく単に反体制的な思想団体に加入した疑いがあるだけ、それも初犯ですから、親としても殺して自分も死のう、などと思い詰めるほどの状況ではないですね。
そして石母田達説は、なにより「保守的で、情がこまやかで、学校の通信簿などは一度もみようともせず、出世するよりは、まめでたっしゃに生きることが大事だと考えていた庶民的な母」(「父と子と」)という石母田まつ子氏の人柄と結びつきません。
石母田達氏の話の出典は<一九六八・十二発行「この道」>なので、意図的な創作とまではいいませんが、政治家である達氏が選挙民向けに自己の人物像をアピールする際に、ついつい大げさに話を盛り上げてしまった程度のことではないかと思います。

※筆綾丸さんの2008年12月20日の投稿、「自決」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/4853
田中清玄
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E4%B8%AD%E6%B8%85%E7%8E%84

※追記 更に考えた結果、「これは記憶の混乱ではなく、政治家である達氏が選挙目当てに作った格好良い物語の一部であって、自殺云々は意図的な創作と捉える方が自然」、というのが私の最終的結論です。
「緩募─仙台・江厳寺の石母田家墓地について」
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/f08b4cad02e087ba2b82da9e3792cf2d
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