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「哲学科に毎年一〇〇〇人以上の学生が入学するような施設」(by 池内恵氏)

2015-03-06 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 3月 6日(金)21時48分59秒

>筆綾丸さん
父親・井筒信太郎の話が出てくるのは『意識と本質』ではなく、若い頃の『神秘哲学』でした。
慶應義塾大学出版会の『井筒俊彦全集』第二巻に井筒信太郎の写真が載っていますね。

http://www.kinokuniya.co.jp/03f/book/9784766420722.pdf

『中東 危機の震源を読む』(新潮選書、2009年)の「『絶対の真理』への傾斜で薄れゆく『知の共通項』」を見ると、国際日本文化研究センターがカイロ大学文学部と共催で行ったシンポジウムには正式報告書には書けない事情が色々あったようですね。
もともとカイロ大学文学部に日本語・日本文学科が開設されたのは石油危機後、対アラブ文化交流の拠点として日本側が働きかけたためで、「日本から常時教授や教員を送り込み、卒業生に奨学金を与えて日本に招き学位をとらせてカイロ大の教員にして戻すなど、国際交流基金など日本側が丸抱えのようにして育ててきた」ものの、「成果は砂漠に如雨露で水をやるようなもの」だそうです。

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 そもそもエジプトに日本学科を作ったところで、ペルシア湾岸の産油国に直接影響は及ばない。かといって七〇年代の湾岸諸国では初・中等教育すら整備の途中で、高等教育機関などほとんど存在していなかった。二〇世紀を通じて、アラブ諸国の中で他に先んじて、どうにか国民教育を整備しようとしてきたエジプトは、アラブ世界との文化交流の受け皿としてはほぼ唯一の選択肢である。
 しかしエジプトのような非産油国では、教育機関が大衆化して膨れ上がり、質が低下している。カイロ大学は学生総数が三〇万人以上といわれる。文学部だけで二万五〇〇〇人。哲学科に毎年一〇〇〇人以上の学生が入学するような施設を「大学」と呼ぶことが適切かどうか、私には分からない。
(中略)
 二日間の研究大会の間、カイロ大学では処々に横断幕が張り巡らされていた。一行目から、「学長、文学部長・・・・」と延々と有力者の名前が大書され、それらの「庇護の下に」、日本研究の大会が開催されると記されている。これはアラブ諸国の定型で、イベントはどれも有力者の「庇護の下に」行われる。日本側が求めているのは、エジプトとアラブ諸国の日本研究の水準を示し、発展させるための研究発表の場なのだが、エジプト側の関心事はいかに「有力者」の名前をそろえるかにあり、発表の準備はそっちのけである。最近はムバーラク大統領夫人の「庇護の下に」行われる行事がむやみに多い。国民を啓蒙するという「読書週間」が長期間(ほとんど一年中)宣伝され、政府が補助金を出して廉価で大量に配布する書物の背表紙にはもれなく大統領夫人の写真がつく。
 これは中東の政治文化の自然な帰結である。何事もトップとまず話をつけなければ、学会すら開けない。そのためにトップとの「仲介者」が暗躍し、互いに足を引っ張り合うのでトラブルも多い。人物と人間関係相関図を見分ける眼力が必要となる。
 無事に学長と学部長がオープニング・セレモニーに現われて挨拶をし、それに合わせて著名な教授陣や有力者が来場し、それを目当てに観客が詰め掛けたことで、エジプト側にとって大会は大成功となった。
 その後の研究発表については、ここで記すのは適当ではないと思われる。(後略)
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ということで、エジプト側の発表は相当低いレベルのものだったようですね。
Karam Khalil 氏の発表も、あるいは死にたくなるほど退屈だったのかもしれません。

※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
「jokingly confessing・・・」
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/7716
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