クールジャパン★Cool Japan

今、日本のポップカルチャーが世界でどのように受け入られ影響を広げているのか。WEB等で探ってその最新情報を紹介。

クールジャパンに何を学ぶか

2009年05月31日 | クールジャパンを考える
最近、比較的こまめに更新するようになったこともあって、このブログへのアクセス数も増えています。こちらでコンスタントに毎日350前後のアクセス。昨日は422のアクセスでした。同じ内容のミラー・ブログでも、毎日250前後のアクセスがあるます。このブログのテーマそのものに多くの人々が関心をもっているからだと思います。

私自身、日本のポップカルチャーを中心とした様々な日本文化に世界中の関心が集まっているのがうれしく、また意外でもあり、もっと情報を集めたいと思ってはじめました。一方で、最近、このような情報を集めて少しでも多くの方に知ってもらうことには、もう少し別の意味もあるなと思い始めました。

そう思うようになったのは、齋藤孝の『なぜ日本人は学ばなくなったのか (講談社現代新書 1943) 』を読んだこともひとつのきっかけでした。

1980年代以降、「勉強」がむしろ「生きる力」を阻害するものという愚かな誤解が横行した。実際は、生命力は、努力して学び、身につけた技によって養われる。どこかでこの時代の流れを変え、日本に「積極的な学ぶ構え」の大切さを復権したい――著者・齋藤孝は、そんな願いに20年突き動かされてきたといいます。その熱や危機感が充分に伝わる、読み応えのある本です。

日本人はなぜ学ばなくなったのか。それは「リスペクト」を失ったからだ。努力しなくなったのも、勉強しなくなったのも、社会が様々に崩れつつあるのも、根本は、知性教養や人格への敬意が失われたからではないか。彼は、大学の教授として学生に接しての様々な体験やいくつかのデータなどから、現在の若者の間に起っている変化を、深い洞察力とともにとらえています。

日本の良さが崩れつつある原因のひとつを彼は、多くの日本人が「自分たちがどのような自己形成をすべきかというモデルをすでに喪失している」ところに見ます。戦後の日本の社会では、日本の社会や文化がもっていた良さをすなおに肯定したり、はっきりと語ったりすることが、悪いことのように見なされてきました。おかげで、日本を讃えたり、日本人であることに誇りを持つといったアイデンティティがつくりにくくなっていたのです。

自分たちの社会や文化を否定的にしか教えない教育をずっと受けてきたのです。それもあって、自分を自己形成する「核」すらも見失ってしまった。しかし、自分たちの文化を否定的に見てきたのは日本人だけで、今、世界中の人々が日本文化の素晴らしさに気づき、憧れをもっている。

それを知ることは、自分たちの文化を否定的にしか見れなくなっていた色眼鏡を一度はずし、もういちど客観的に日本文化の良さを見直すことにつながる。自分たちが守るべき大切な「核」が何であるかを再発見することにつながる。――最近、私はそのためにも、何がクールジャパンなのか、色々な角度から調べていくことが大切だと思うようになりました。

日本発のアニメやマンガ、Jポップなどの何がクールと受けとめられているのか。そこに表現されている日本人の感性や世界観のどのようなところがクールだと評価されているのか。あるいは、日本を旅行したり、日本で生活したりした外国人たちが、日本の社会や文化のどのようなところに驚き、賞賛しているのか。それは、日本人が無自覚のうちにまだ維持している、日本の良さであり、私たちが守っていくべき大切な何かでしょう。

無自覚に維持していたもの(もしかしたら失われつつあるもの)をはっきりと自覚化し、それをもっと磨きあげる。それが日本の社会全体に必要とされているし、個人の自己形成のモデルや「核」としてもはっきりと自覚化して再構築していく必要があるのでしょう。

クールジャパンというテーマに、これほど関心がもたれる背後には、自分たちの社会や文化を否定的に見ることしか教えられてこなかった日本人が、自分たちの良さを再発見し、何を守り磨いていかなければならないのかを、必死で探し求める情熱が隠されているような気がします。
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