Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

近畿一丸の全国高校サッカー 準決勝第2試合から

2011-01-20 | 五輪 U-20, U-17

準決勝第2試合 滝川第二高校 0-0 ( PK 7-6 ) 立正大淞南

両チーム得点機は多かった。決定機第1試合よりもずっと多くあった。しかし第1試合では4ゴールも決まったのに第2試合は共に無得点のままPK戦に縺れ込んだ。

PK戦は共に譲らない。“先攻”の滝川第二は樋口君、濱田君、香川君、谷口君と4人連続で決める。
一方の立正大淞南は池田君、徳永君、加藤君が決めた後の4人目小田君が左上に外してしまう。1番手池田君のシュートがポストに当てて失敗したかに見えたがGK下出君が池田君が蹴る前に先に前に出たとのことで蹴りなおしとなった幸運があったのだけど…
次に蹴る土師君が決めると滝川第二が勝利を収め関西対決が実現する。そう胸算用しているとGK三上君が左に倒れ込んで土師君のショットをストップする。
こうなると次の滝川第二5人目中村君に多大なプレッシャーがかかるがその中を中村君は右上に決め、6人目、サドンデスに入る。 滝川第二 本城君、立正大淞南
竹内君、共に決めた後、白岩君のシュートは左ポストを直撃して滝川第二が一転大ピンチに陥る。 
しかし今度は滝川第二GK下出君が稲葉君のシュートを右に倒れ込んでナイスセーブでチームを救う。こうなって来るとPK戦で勝敗をつけるのは酷だなぁ…再試合…出来ないかぁ…と思いを巡らせる。
滝川第二8人目高原君が決め、続く福島君がボールをセットしている時、テレビ画面は急に“この番組は…”と何と中継終了を告げ出したではないか…

    おいおいこんな良いところで…

こういう経験、高校サッカーの中継では何度かあったなぁ…
昭和51年に開催された時の準決勝戦、浦和南対帝京….昭和55年に行われた1回戦の旭対北陽…. あの時は(何十年前や…)今の様にインターネット等無い時代。結果は夕方のスポーツニュースまで待たねばならなかった。
私は慌ててIモード(今はこう言わないか??)とPCのスイッチを入れた。 ネットを繋いで…. YAHOO に繋いで速報を見ると“滝川第二がPK戦を制す”という文字が… あぁこれで関西対決が決まった…と思った直後、今度はテレビ画面から最後のシーンが伝えられる。 椎屋君のシュートが入らんかったんやなぁ……

    

それにしても日本テレビ、( 関西に居た時は読売テレビ ) ええかげんにせぇよ….

と私は呟かざるを得なかった…

嫌韓流本が世間に出まわった頃韓国ではこれに対抗して反嫌韓流本が発行され日本語版も日本で発売された。
そこには当然竹島(獨島)問題の事も取り上げられており、“竹島”が自分の県に属していると主張する日本の島根県は 2005年に県議会が“竹島の日”条例を可決したのは日本の都道府県の中でも最も財政の苦しい県の一つである島根県が国から“竹島”絡みで補助を受ける為の一環である….てなとんでも解説が述べられていた。 

この本は他にも昭和天皇が極東軍事裁判に召喚され発言した等まったく出鱈目な事を並べている笑える本であり素人の私でもいくらでも論破できる事がつづられていた。そ

れにしても島根県の財政と竹島を結びつけるとは…こういう発想も必要なんかいな??? 
そして竹島問題に就いて静観を続けている日本政府にも領土奪還の“発想”をはやく持ってもしいものだけど…

   

今年の選手権は関西勢もそうだけど島根県代表の立正大淞南の躍進も後世に語り継がれるのではと思う。
島根県はかつて西中国地区代表として山口県代表と選手権の代表を競っていた。だけどどちらかと言えば山口県の高校が優勢だった記憶がある。
1都道府県1代表制となった第62回大会以降、初戦の壁は厚くしかも大量得点差で敗れた年も何度かあった。そして第67回大会、ようやく大社高校が真岡高校(栃木県)を破り悲願の初戦突破を成し遂げた…
それだけに今大会は立正大淞南が勝つたびに、野洲高校を破り新潟西高校を破って島根県勢初のベスト8に残り更に準々決勝戦で西武台高校をPK戦で破り国立の舞台に勝ち進み、勝つたびに地元では大いに沸いたに違いない。

個人的には久御山高校が勝ったので関西対決実現の為に滝川第二に勝ってほしいと思っていたんだけど、ここ10年はここまで来たらどっちにも負けて欲しくないし、負けても国立のピッチに立てたから満足かなぁ…と思う様になった。そして今年も… この試合の見所は両チームの得点力。立正大淞南の加藤君は7得点。滝川第二の樋口君は6得点、浜口君が5得点。点の取り合いになれば面白いかなぁ….第一試合では合計4得点入ったのだからこの試合はもっと入るかな…と思った。スタメンを見ると立正大淞南は前の西武台戦と同じスタメン。 
滝川第二はDFを2人替えて左SBに島君CBに高橋君が左SHには恵君がそれぞれスタメンに起用された。そして樋口君と浜口君の強力2トップはこの日も健在だった。

立ち上がりは立正大淞南が攻勢に出てくる。
3分57秒には右から池田君が切れ込み入れたクロスにわずかに加藤君が届かない7分27秒には右SB椎名君がドリブルで上がり池田君に送りシュートを演出するがDFに当たる。9分40秒には加藤君がドリブルで切れ込み恵君と島君をマークに引きつけ中に入れると池田君と新里君がなだれ込むがシュートは打てない。
だが10分を過ぎたあたりから滝川第二はボランチの谷口、香川両君が高い位置に出て来る様になり前線へのボールが繋がるようになる。12分には椎屋君がヘッドでクリアーをしたところをボランチの谷口君が拾って放ったミドルが立正大淞南を襲うがGK 三山君がナイスセーブで防ぐ。
その直後にも後方からのロビングを浜口君が椎屋君と競りながら落としたところを竹内君を上手く抑えた香川君がシュートに持ち込むがここも三山君が好セーブ。
滝川第二は守っても左SHの恵君とボランチの谷口君が巧みな連携で相対する立正大淞南のこれまで7得点の加藤君をマークする。
それでも時折逆サイドの池田君がドリブルで突破を図る。だけどシュートになかなか持ち込めない。 37分恵君が左サイドを上がり入れたクロスにCB竹内君と競りながら樋口君がヘッドを放つがまたもGK三山君がナイスセーブを見せる。

“樋口君は右足首をねん挫している…プロ志望だけどまだ進路が決まっていない。”てなことをアナウンサーが云っていた。ならば是非京都サンガに….と思っていたけど大会後清水エスパルスと仮契約をかわしたとの記事を見つけた…あぁ残念。

滝川第二は35分から中盤を飛ばして一気に前線にボールを入れる様になって来た。しかしそのロング、ミドルのパスも正確だ。最近は本当にパスのレンジも長くなって来たなぁ…

45分17秒には左からの樋口君のクロスに香川君がフリーでヘッドを放ったがクロスバーを越えてしまった。そして2分あったロスタイムも終えて両チーム無得点のまま前半が終わった。立正大淞南の南監督は引き上げて来る選手達に向かって控室に入る前になにやらカツを入れていた。 
前半を終わってシュート数は滝川第二が9本に対して立正大淞南は4本、CKは滝川第二6に対して立正大淞南は1つも取れなかった。

   

専門誌を見てみると立正大淞南の選手達の前の所属先はほとんどが大阪を始め関西地区。2009年に野球部が全国大会に出場をした時も山陰地区出身の選手がいないと話題にされたけど山陰地方の私立高校はこういう事は今更珍しくないだろう。私は悪いとは思わない。高校生たちが充実した学園生活を送れるのであるならば…

後半に入っても早々に滝川第二が攻勢に出る。
21秒には浜口がミドルを放つが弾道はクロスバーを越え、46分25秒には左SB島君がゴール前に入れたハイボールを浜口君が頭で落とし拾った本城君が中央から左に寄りながらドリブルシュートを放つが中村謙吾君がクリアー。
後半立ち上がりはロングボールをどんどん入れて来る。

劣勢の立正大淞南ベンチは現状打破を図る為に52分新里君を下げて福島君を準々決勝同様投入し、右SHに入り加藤君をFWに置き池田君と2トップを組む。
そしてそれが功を奏したか一気に立正大淞南が攻勢に出て来る。52分51秒には左サイドを上がった加藤君がスルーパスを送ると池田君が相手CBの間に走り込んで放ったシュートはわずかに左に外れる。 56分22秒には再び加藤君が相手のパスをカットし左の小田君に送ると小田君はドリブルで持ち込みクロスを入れるとそこに走り込んだ加藤君がダイレクトでショットを放つ。しかしここは相手DFに当たりゴールには至らない。
58分34秒にはサインプレーを見せる。池田君のCKから徳永君に送るが徳永君はスルーして後方で受けた小田君がヒールで戻したところを中村謙吾君がシュートを放つここは相手DFに当たりこぼれ球を前線に上がっていた右SB濱田君が中に入れる竹内君を走らせるがその前にGK下出君が掴む。立正大淞南のサインプレーというよりもトリックプレーは定評があるらしい。
滝川第二とは練習試合をした事があったらしいがそこで見せなければよかったなぁ…と南監督は試合前に報道陣に語っていたらしい…

今度は劣勢続きになった滝川第二は60分過ぎから本城君(右)と谷口君(左)両サイドいっぱいに開く様になった。62分49秒には本城君福島君からボールを奪ってドリブルで上がり相手選手3人に囲まれながら谷口君に戻してシュートを撃たせるがポストを叩く。66分には浜口君がヘッドで落としたところを谷口君が拾って放ったシュートはバーを越えた。谷口君は紫光クラブでプレーしていたらしい。
ならば将来はサンガに入ってくれぃ。 

67分スローンを受けた浜口君が右サイドから入れたクロスに樋口君がGK三山君と競りながらヘッドで落としたところを浜口君がフォローに入るがここも決まらない。
71分竹内君が浜口君を倒したプレーにイエローカードが出される。そして得たFKに樋口君が胸でトラップをして放ったシュートは相手DFに当たりリバウンドを浜口君が撃つが決まらない。 75分には右サイド本城君が上がり後方から走り込んだ濱田君に戻し上げられたクロスに樋口君が椎屋君と競りながらヘッドを放つがゴールをとらえられない。78分30秒にはセットプレーから樋口君が中央をドリブルで上がり右サイドの本城君に送りファーサイドの恵君に送るがそこから放たれたショットはGK三山君がファインセーブでストップ。 今日の三山君は何失点防いだのだろう…

再び攻勢に出て来た滝川第二ベンチは80分にFW浜口君を下げて常峰君を投入し83分には恵君に替って鹿島学園戦でゴールを決めた白岩君をピッチに送る。浜口君は怪我の状態が心配だ…
だが残り時間10分を切ってから立正大淞南が猛攻を見せる。対戦相手のストライカー浜口君が下がった事が選手達に勇気を与えたのだろうか…
85分加藤君が中央でボールを奪い左前方の小田君に送る。そして上げられたクロスにドンピシャのタイミングでFW池田君がヘッドで合わせるが僅かにクロスバーを越える。 フリーだったのに….
しかし2分後更に決定的なシーンが立正大淞南に訪れる。白石君のシュートが相手DFに当たって跳ね返ったところを池田君が拾ってドリブルで中央突破をはかる。 そして滝川第二DF陣の裏に走り込んだ加藤君に絶妙のスルーが通る。そして左サイドからドリブルで滝川第二ゴールに迫る加藤君はGK下出君も振り切り無人のゴールに左足でボールを流し込む….が、無情にもボールはポストの左を通過していく。

このシーン、しばらく両校の選手達の脳裏に残るだろうなぁ…
今大会7得点の加藤君、8得点目を決めていれば立正大淞南が今大会優勝していたかもなぁ…

その後4分あったロスタイムに両校1度ずつチャンスを掴んだが得点は生まれず勝敗はPK戦で決められる事になった… PK 戦は8人目まで縺れ込んだ….

エースの加藤君は卒業後プロには進まず大学に進学してから自分に足らないものを身に付けてからプロを目指すらしい…ならば京都に来てくれ。

大学も関西方面らしいから…       決勝戦に続く 

  


近畿一丸の全国高校サッカー 準決勝第一試合から

2011-01-20 | 五輪 U-20, U-17
後半は47分になっていた。1点差とされた滝川第二高校は坂本君がドリブルで左サイドを上がり倒され得たFKを足立君が中に入れる久御山ゴール前に上がったCB山本君のヘッドはGK中尾君の正面に。ロスタイムは5分と表示されたが滝川第二GK中尾君が89分に久御山MF坂本君と交錯した際に負った負傷を治療していた時間があったのでもっと時間があると思った。久御山が同点に追い付くチャンスも時間もまだまだある、同点になれば歴史的な試合になるぞ…と思った。
51分に滝川第二ベンチは本城君を下げて3年生の田中君が投入される。最後に一瞬でも卒業前に決勝のピッチに立てて良かったなぁ…とおもっていると滝川第二が攻撃に転じ、久御山CB松下君がクリアーをしたボールが樋口君にあたりそのまま大きく久御山ゴール前に弾む。そのボールに追い付いた樋口君が久御山ゴールに流し込み滝川第二がリードを広げた。そして主審の試合終了のホイッスルが鳴り激闘に終止符が打たれた。 時計は51分56秒を示していた…

準決勝第1試合 久御山高校 2-2 ( PK 3-2 ) 流通経済大柏

今年の選手権は関西勢がなかなか調子よく、準々決勝には3校が関西から残りその中からに久御山高校(京都 ) と滝川第二高校(兵庫)の2校が準決勝に残った。
昨年は大阪代表の関大一高が準決勝まで残り私を初め多くのファンを沸かせた。 その関大一高は準々決勝で敗れたが、その相手が京都府代表の久御山高校。
3年振り5回目の選手権出場だ。1980年に創設された京都府立高校、所謂公立高校だ。そう紹介されるのを聞いて自分の記憶を手繰り寄せてみた。
久御山高校が創設された時、私はまだ高校生だった。当時サッカー部には友人が多く確かインターハイ予選だったと思うけど友人から
“1回戦で当たるところは出来たばかりの学校で1年生ばかりだからうちが勝てそうや。観にきぃへんか?(観に来ないか?:解説しなくても解るか??) ”
こう誘われどこかの高校のグランドで行われたこの試合を観に出掛けた。
そして確か母校が勝ったと記憶している….あれから30年、母校のサッカー部はまだ選手権出場は無いが久御山は既に5回目の出場となっている。

準決勝の組み合わせが決まった時、真っ先に“関西対決が決勝で実現しないかなぁ….”と思った。高校野球では関西勢が上位を占める年は何度もあったが首都圏開催となった高校サッカーはまだまだ関東勢に押されっぱなし…そういう印象が残っている。
関西対決が実現するためには準決勝戦を勝ち抜かねばならないが(当たり前か…) どちらかと云うと準々決勝で昨年覇者山梨学院大付属を破った流通経済大柏高校を相手にする久御山の方が苦戦するのでは…逆に久御山が勝てば大きく一歩関西対決に前進する…と思った。
流通経済大柏高校は3年前に全国制覇を果たした強豪。激戦の千葉県大会をインターハイ王者の市立船橋高校を決勝戦で破り全国選手権に進出して来た。今年は公式戦37勝4敗。そのうち高校サッカー部に敗れたのは1度だけ。この年齢で日本国内最高の大会と言われている全日本ユース大会ではベスト8に残った。
そして全国制覇した年に初戦で対戦したのが久御山高校だった。そして久御山を 2-1 で破った。 久御山としては雪辱戦ともいえる準決勝戦だった。だけど本当に苦戦するだろうなぁ….と不安に思った(俺が不安になってどうする?)

久御山はCB山本君が累積警告で出場出来ずスタンドからの観戦。1年生の東松君がCBに入った。だけど流経大柏は大会に入って怪我をしてしまった右SBの中西君だけでなくCB増田君そしてMF吉田君を怪我で欠く。ボランチだった熊田君をCBに入れアンカー古波津君の前には富田君の1ボランチにし、前の試合では途中出場だった田宮君がFWに入り宮本君と2トップを組んだ。選手権も日程が深まるとレギュラー選手だけでなく総合力が問われて来る。

試合開始から劣勢が危惧された久御山が攻勢に出てくる。流経大柏のマンツーマンマークを上手く外すシーンが続いた。そして11分、東松君のスルーパスに上手く相手DF陣の間に走り込んだ安川君がドリブルシュートを決めて久御山が先制点を挙げた。安川君のボールの受け方というよりもDFラインの間には入り込む走り方も素晴らしかったが1年生CB東松君のスルーパスも見事だった。

    

先制を許した流経大柏ベンチは早くも右SB鈴木君に替えて2年生の竹原君を投入する。久御山にDFラインとボランチの間の両サイドに侵入を許していたせいかMF川本君をボランチに下げ古波津君と組ませた。そして富田君が2列目右に入りゾーンでプレスを掛ける様にした。流経大柏の本田監督は準決勝戦でも先制を許すと21分、31分に選手を入れ替え、逆転勝利を呼び込んだ。そしてこの試合もこの選手交替を機に序盤の劣勢を挽回して行った。
25分には古波津君が右サイドを上がり川本君に出しそこからクロスが上がる。一旦はCBがクリアーするもその跳ね返りをFW宮本君がボレーで叩き相手DFに当たってCKを得る。そのCKには本橋君と竹原君が上がって来る。そして竹原君の放ったヘッドは僅かに右に外れた。
31分12秒には宮本君にドリブルを右SB山田君がファールで止めてイエローが出され、与えられたFKをから富田君がシュートに持ち込むがクロスバーを越えた。
中盤での支配権を奪われた久御山はそれでも坂本君、林君のドリブル突破が顕著であるがトップの安川君になかなかボールが回らない。37分には宮本君が左サイドをドリブルで上がり真ん中で富田君が囮となりDFを引きつけ逆サイドに走り込んだ新藤君がヘッドを放つがGK絹傘君の正面だった。 
同点ゴールがなかなか訪れない流経大柏ベンチは41分、名古屋入りが決まっている吉田君を川本君に替えて右サイドハーフに投入する。早くも2人目の交替だ。
吉田君は千葉県大会の決勝戦では決勝ゴールを決めた選手。選手権では左足小指を骨折したが前の試合に続いて前半から途中投入された。トーナメント方式そして準決勝ならではの選手交替だろう。前半は終了間際に進藤君がミドルを放つなどしたが久御山リードのまま終えた。

   

後半、開始早々に久御山のボランチ足立君がドリブルで持ち込み竹原君をかわして放ったショットは僅かに外れる。そしてその後はまた流経大柏が主導権を握る。特に左サイドハーフの進藤君の突破からチャンスが生まれる。そして富田君の攻撃参加が顕著になり、熊田君も中盤まで押し上げ数的優位を作る。
古波津君もよく前線にからむ。そして何より縦パスが繋がりだす。それだけ前線に張り出す選手が増えたのだろう。
それでもゴールが生まれない流経大柏ベンチは53分にFW宮本君を下げてFW杉山君を入れる。これで流経大柏の布陣は田宮君のワントップに杉山君がトップ下。
2列目左に進藤君。右に吉田君が入りボランチに富田君と古波津君が組む。

劣勢の久御山は56分に右サイドハーフの鍋野君を下げて177cmの塩田君を投入し彼を前線入れターゲットとするのか..と思うもポジションはそのままの様だった。今時177cmじゃそれほど長身とは云わないか??
だが流経大柏の攻勢は続き72分遂に同点ゴールが生まれる。
交替出場の吉田君がドリブルでPA付近に迫る塚本君と松下君がマークに入ったところを左にはたくとそこに杉山君が走り込み東松君がマークに入る前に久御山ゴールに流し込んだ。
それにしても吉田君のドリブルとパスは素晴らしかった。グランパスが狙ったその片鱗を見せつけた。

これで一気に流経大柏が勢いに乗り逆転ゴールも….と思うも同点ゴール直後、CKを得た久御山は一旦はクリアーされるが二上君がこぼれ球を中にゴール前に入れそれを受けた坂本君が八角君をかわして放ったシュートが流経大柏ゴールに突き刺さり再びリードを奪った。
八角君は一瞬塚本君の動きに惑わされマークを僅かに外してしまった。流経大柏は再びリードを許したが失点前同様攻撃に転ずるシーンを演出する。
82分には富田君からスルーパスが進藤君に亘るがCB塚本君がシュートを撃たせない。86分熊田君の放ったミドルはGK絹傘君の正面に。87分には杉山君から右サイドに開いた吉田君を経由して中央の田宮君に渡りシュートを撃つがここもGK正面に。
久御山は81分に途中出場の塩田君を下げて準々決勝戦でも途中から投入された沼田君を入れたがこれは中盤の運動量を高める為か?そして88分古波津君がスルーパスを送るとこの日流経大柏で最も活躍していた進藤君が走り込みそのまま同点ゴールを叩きこんだ。 
さすが3年前の覇者だ。 こういう流れになると一気に逆転されそうな気がした。
89分ナイスクロスが杉山君に入るが叩きつけ過ぎたか大きくワンバウンドして弾んでクロスバーを越えた。 
そしてロスタイム4分と表示された。観客席からはどよめきが沸き上がったが共にゴールは挙げられず勝負はPK戦に委ねられる事になった。

流経大柏の“先攻”で始まったPK戦は共に1人目の吉田君、山田君のPKを緒方、絹傘両GKがストップするスタート。その後流経大柏は富田君、杉山君が、久御山は足立君、坂本君が決め流経大柏4人目田宮君のショットはきに絹傘君が再びセーブ。 絹傘君は中学時代空手で活躍したらしいがそこで培われた反射神経が準々決勝戦に続いて威力を発揮しているのか。

            

久御山4人目二上が右下隅に決め、外せば万事休すの流経大柏5人目田宮君のPKは左ポストを直撃し京都府勢としては第72回大会の山城高校以来の決勝進出を決めた。

試合後のインタビューでは松本悟久御山高校が部員達に感謝をしたい…と答えていた。 京都商業高校出身らしい。おそらく元日本代表の柱谷幸一の先輩として一緒にプレーしたのではないかな… あの時は京商が強かったんとちゃうかなぁ….

スタンドではメンバー入り出来なかった流経大柏の3年生部員達が涙にくれている。 君達も MF 富田君同様流通経済大に進学するのか?だったら競技を続けろよ、そうでなくても続けられるなら続けろよ…、18歳で辞める理由なんてどこにもない高校で頑張ったんだからこれからもがんばれるはずだ….

そんな事を思いながら彼らを眺めていた…..

そして何とか関西対決が実現する事を祈った….

うつむくなよ背番号9番…

2011-01-06 | 五輪 U-20, U-17
謹賀新年。
昨年末は大変な忙しさだった。それでもクリスマス前には仕事が大方片付いた。
だけど寄る年波に完全に飲まれてしまい帰宅したら全く何もする気が起きなかった。とは云うものの新たにはまりだした WikiLeaks だけは毎晩夜更かしをしながらその電文を追い掛けていいたけど…

年明け(その前からだけど)も冬季スポーツテレビ観戦に明け暮れた。天皇杯、ニューイヤー駅伝、箱根駅伝、大学ラグビー、ライスボールに高校サッカー、高校ラグビー。今年から春高バレーが1月開催となり3年生も参加できるようになった。(と、いうよりも何故3月に“春高バレー”が開催されるのかずっと不思議に思っていた….. ) 

“長期間”に亘りテレビ中継が続くのは高校ラグビーと高校サッカー。
開催地も手伝ってか(ラグビーは大阪開催。サッカーは関東圏開催)ラグビーは関西を中心とした西日本勢。サッカーは関東勢が例年優位に立っていた印象があったが、ここ数年はその優位性も平均化している。要するに都道府県名だけで優劣をつける時代はとっくに終わっているということか…
今年の全国高校サッカーは例年になく関西勢が勝ち進み、準々決勝戦には関東勢は流経大柏、西武台の2校が残ったけど関西から3校(久御山、滝川第二、関西第一)が進出した。
昨年も関東勢は上位に残ってこなかった気がしたけど昔は関東勢が優勝を独占し続けていた年が続いていたので本当に隔世の思いだ…

今大会は前評判の高かった優勝候補高が比較的早く消えて行った。 
静岡学園は3回戦で日章学園(宮崎)にPK戦で。
昨年活躍をした柴崎君を擁した青森山田高校も3回戦で滝川第二に敗れた。

   

そしてその滝川第二は準決勝に進出を果たした。考えてみれば滝川第二は夏のインターハイで準優勝しているのでこの快進撃は充分に予想されたものだった。

そして前回覇者の山梨学院大付属は2回戦で強豪国見高校を 3-1 で降す好スタートを切ったが準々決勝戦では流通経済大柏に逆転で敗れてしまった。 
    
    

そしてArsenal への入団が決まっている屈指の逸材、宮市君を擁する中京高校は1回戦で京都の久御山高校に 2-4 で敗れた…

    

強豪が消えゆく中、私が大いに期待したのは昨年大阪勢としては22年ぶりに準決勝に進出した関西大学第一高校だった。2回戦では山形県代表の羽黒高校を 3-1 で破り、3回戦では福島県代表の尚志高校をロスタイムに浅井君のゴールで 1-0 で降し2年連続ベスト8に進出した。昨年の準決勝戦で残り2分間の連続ゴールで同点に追い付いた様に、今年も関大一高のスローガン“月まで走れ”は健在。 
尚志高校を破った試合等はまさに日頃の走り込みが功を奏した試合結果だった。
陸上競技経験者としては関大一高の様に走り込みを重視する高校は好きだ。
それが大阪代表だと言う事が何とも言えない。 選手達は、そしてスタンドで応援していた部員達も随分走り込んだんだろうなぁ……
そして昨年、選手権に出場した選手達の名前も。 梅鉢君、井村君、浅井君、濱野君….2年生だった彼らがまた全国の舞台に戻ってきた。でも1年経つのは早かったなぁ…

   

準々決勝は同じ関西勢の久御山高校との対戦となった。京都府代表高との対戦が決まった時にまず最初に思ったのは“これで昨年に続いて関西勢がベスト4進出を決めた….” と云う事だった。自分も高校は京都の高校に通っていたのでどちらが勝っても…という気持ちはあった。しかしこの試合はテレビ中継は無かった。 
あぁこれが地元だったらなぁ….. 昨年は準々決勝から関大一高戦の試合中継があり、彼らの戦いを堪能できた。
しかしどうも今年は…この試合に限らず3回戦の滝川第二 vs 青森山田等私の見たかった試合がなかなか中継されなかった…… 結果は久御山高校のPK勝。
関大一高5人目のキッカーは梅鉢君だった。昨年も最後彼のPKが止められ決勝進出を阻まれた。 そして今年も最後に蹴ったのが彼だった。
“昨年、自分のPKが止められ、先輩たちが泣き崩れて行く姿が忘れられない….”
今大会中に高校サッカーのテレビ番組で彼はこう語っていた。
卒業後、彼は鹿島アントラーズへの入団が内定しているらしい。これからも競技人生は続くだろうけどチームメイト、スタンドで声援を送り続けた同級生達の事を思い出してほろ苦い思い出がよみがえってくると思う。
その頻度は年が経つにつれて減っていくだろうけど…
関大一高の登録メンバー25人中14人が1,2年生。来年度に向けても大いにチャンスは有るだろうけど、卒業生の事を思うと……

そして私はこう言いたい。 うつむくなよ背番号9番….( 誰も聞いてないか??)

   
    

日韓対決 ようやく勝利 関東大学選抜 4-0 韓国大学選抜

2010-12-12 | 五輪 U-20, U-17
今年のスポーツシーンはずいぶん韓国に打ち負かされてきた印象がある。
自分が観戦したサッカーの日韓戦は2連敗、バンクーバー五輪で真央ちゃんはユナちゃんに敗れ、スピードスケートも。世界選手権の女子バスケに AFC U-20 。日本ツァーの賞金王は男女ともに韓国人ゴルファー。
一矢報いたのは準決勝戦で歴史的な勝利を挙げた女子ハンドボール。
それから世界選手権の女子バレー、アジア大会での男子バレーボールも。
師走に入りサッカーでようやく韓国から白星をあげるシーンを見る事が出来た。

かつて学生選抜は代表以上に韓国には歯が立たなかった。1972年に始まった日韓定期戦ではその“前座試合”として学生選抜同士の試合も組まれていた。だがその“定期戦”では勝った事は無かったんじゃないかな…
1984年ソウルで行われた日韓定期戦は代表戦では日本代表がソウルで初勝利を収めたけど学生選抜戦では“ユニバーシアード代表候補”チームで臨んだ日本が負けたと言う記憶がある…
だが90年代後半に入り日本学生選抜はユニバーシアードで優勝を続け“急速の進歩”を見せており、韓国学生選抜チームとの対戦でもかなり優位な戦績を収めている。忘れられないのが1995年福岡で行われたユニバーシアード決勝戦。かつて日本を苦しめた李栄武が監督として率いる韓国を日本は破り優勝をした試合だ。学生アスリートにとってユニバーシアードで優勝するのは一つの夢だ…と私の時代は思われていたから本当に素晴らしい勝利だと思った…

晴天そして暖かな12月初旬に行われた日本・韓国大学選抜サッカーフェスティバルの第一戦。関東大学選抜チームが韓国大学選抜チームと対戦した。
学生選手と云えば、永井(福岡大)比嘉(流通経大) らが大活躍し優勝したアジア大会のメンバーには7人の学生選手が含まれていた。
中国のメディアでは“中国の超級(プロ選手)達は日本の学生選手達に完敗した。”と報道していた。

そして来年のユニバーシアードに向けて(だと思う)12月には台湾で全日本大学選抜チャイニーズタイペイキャンプが組まれ18名の学生選抜選手が台湾に向かう前に日韓戦に臨むのだけど台湾と公式に表さずに“ チャイニーズタイペイ ”と表記する事がここでも中国を気にする世相が…この中に含まれる関西学連の選手は DF の寺岡君(関西大)1人だけ。関西勢の更なる前進を祈る…

この日韓国学生選抜と対戦した関東学生選抜チームは秋のリーグ戦で優勝した明治から4人そして中央大から5人国士舘、筑波から3人ずつ選ばれていた。
一方の韓国学生選抜は10月にAFC U-19 での日韓戦に出場していいた GK 盧東建 ( 高麗大 )  MF キムギョンジュン(高麗大)イギジェ(東国大)CBチャンヒョンス(延世大 )そしてボランチの崔成根 ( 高麗大 ) らは含まれていなかった。
ベストメンバーでは無いんだろうなぁ…と思いながら体格はさすがに日本選手よりも一回り大きな選手が多いと言う第一印象であった。

関東選抜キックオフで始まり50秒には左SB ソ・デウォン(韓国国際)がクロスを入れるがそれ以降は以降は関東選抜(全関東)が主導権を握り優位に試合を進める。
3分、FW林(中央)がボランチ中里(流通経)とのパス交換で抜け出すがオフサイド。
4分には 2列目左の三田(明治)が右SBファンソコ(大邱)を振り切りクロスを入れるが惜しくも 184cm 長身のFW瀬沼(筑波)に合わない。
その直後には右SB不老(筑波)がソデウォンを振り切り入れたクロスに三田が飛び込むがここの惜しくも合わない。16分林が中央からドリブル突破しシュートを放つがGKチョンンハンソプ( 青州 )の正面。20分二列目右の田中(明治)が入れたクロスに高い打点から瀬沼がヘッドを放つがこれもGK正面。
全関東は選手がボールを持つと2人目3人目 の選手が連動して動き出してパスコースを作るので良くボールが繋がる。韓国選手は身体がでかくいけど全関東の選手はそれをテクニックで上手くかわしてしまう。特にMF田中は高い技術を見せ、韓国選手は対応できなかった。そして全関東に受け手を塞がれパスが全く繋がらなかった。かつてなら1対1では必ず韓国の選手が競り勝つので日本選手は複数でマークに着かねばず、マークの空いた選手が出て来てそこに繋がれては更にピンチを招くというシーンの繰り返しであったがこの試合では1対1で韓国選手に勝ち目がある様には思わせられなかった。
22分、 SBのファン・ソコがベンチに下がってしまった。開始早々に三田と交錯した時に左足首を痛めた様でベンチに戻って氷で患部を冷やしていいた。これで韓国はボランチのパク・ヒソン(韓国国際)が右SBに入り中盤右だったチョ・ヨンヒュン ( 東亜 ) がキム・ウチョル( 東亜 ) とボランチを組みチョ・ヨンヒュンのいたポジションに替って投入されたキムソンミンが入った。
28分久々に日本ゴール前に攻め上がった韓国は FW ホンジュビン ( 東儀 ) が倒されFKを得てキムウチョルが入れたFKを長身FWイムドンミン( 麟蹄 ) がヘッドで合わせるがGK上福元(順天堂)の正面に。良いと言う訳ではないのだけどこの試合は全関東の当たりの方がきつく倒される韓国選手が多かった。かつては全く逆であったのだけど。

    

キムソンミンが入ってから全関東は2列目の田中と三田の位置が変わったが32分頃からまた元のポジションに戻った。
34分ホンビュヨンミンがチョ・ヨンヒュンからの縦パスを上手く抜け出し受け一瞬GKと1対1になったが戻ってきたCB松岡 ( 明治 ) がカバーに間に合いシュートが撃てない。38分にはチョ・ヨンヒュンが全関東の横パスをインターセプトし前線に繋いでイムドンミンが中央からフリーでシュートを放つがゴール枠を外してくれた。完全な1点ものでこれが入っていれば試合はもっと面白くなっていただろう。
35分過ぎから交替選手のキム・ソンミンが前線に出て来て前での起点が出来た事から韓国が攻勢に出てくる時間が続いた。39分にホンジュビンがシュートを放つがCB 谷口 ( 筑波 ) がブロック。41分にはキム・ソンミンのパスを受けたホン・ジュビンがDF2人を背負ってシュートに持ち込むがポストのわずか右に外れる。
全関東の神川監督(明治)からは中盤が間延びしているのでコンパクトに…との指示が飛んでいた。

    

その後全関東はポジションを修正したのか試合終了間際には2度ほどチャンスを作りロスタイム2分を過ぎて両者スコアレスのまま前半が終わった。

      

前々日に日本に到着したばかりの韓国学生選抜は35分過ぎから攻勢に出て来たが、1985年ワールドカップメキシコ大会予選の韓国の様に30分まで日本に攻めさせて日本が疲れはじめた時間に攻め込んで前半に2点を奪い勝利を収めたがこの韓国学生選抜もそれを考えていたのか…でも前半に得点出来なかったからな…

後半全関東は FW瀬沼に替って吉野( 国士舘 ) を入れる。立ち上がりから韓国が攻勢に出るだろうか..と思っていた48分やや左、中里からの浮球パスを受けた三田が放ったシュートを GK チョンハンソプが弾きこぼれたところを詰めていた林が押し込んで全関東が先制点を挙げた。
韓国ゴール裏には近所の養護学校の生徒さん達が陣取って応援しており大きな拍手が送られた。そしてしばらく熱心な応援が続いた。本当に今日は良い天気で寒くなくて良かった…とこの時ほのぼのと思った…

    

先制を許した韓国は失点直後左サイドから上がったクロスをイムドンミンがヘッドで落としてホンジュビンがシュートを放つがポストの右に僅かに外れて行った。
このナイスクロスを上げたのがイ・ギソン ( 又石 ) 後半開始からキムソンミンに替って投入されていた。ここから韓国は反撃に転じてくるかと思ったが全関東の更なる攻勢が続く。53分には林が中盤からドリブルで突破し最後は強引にシュートに持ち込み外れてしまったが右に田中がフリーで上がっていた。
劣勢の韓国ベンチは55分に DF パクヒソン ( 圓光 ) MF チョ・ヨンヒュンが下がり MF チョ・ミヌ ( 草堂 ) FW チャ・ジョンヒュッ ( 全州 ) を入れる。そしてフォーメーションも替えて来た。 2列目右だったション・ドンジン ( 朝鮮 ) を右サイドバックに下げ、後半から投入されたイ・ギソンは2列目左に入り右にはチョ・ミヌ、投入されたばかりのチャ・ジョンヒョッがキムウチョルと組むもう1人のボランチとなった。
しかし次に得点を決めたのも全関東。58分に中央からボランチ佐々木( 神奈川 )から左の三田に繋がれ入ったクロスを受けた林がそのままドリブルシュートを決めた。韓国はボランチの2人とDFラインが下がり過ぎの様に見えた。DFが下がってしまうのは全関東の個人テクニックに前で対応出来ない為か…

   

61分全関東はボランチ佐々木を下げて MF磯部 ( 中央 ) を入れて2列目左に入り三田がボランチに入った。
62分には林から右サイドを上がった三田が入れたクロスに磯部が放ったショットはゴールポストの当たってGKチョン・ハンソプの手中に収まる。
韓国はMFからのサポートが乏しくFWの2人が完全に孤立してしまっていた。
72分には後半途中から MFに下がっていた FWイム・ドンミンがベンチに下がり ソ・ホンミンが入る。しかし得点の匂いは感じられず。次第にフラストレーションが溜まって来たか中盤のボールの奪い合いでファールが増えて来た。
77分に CB アンヨンギュ ( 蔚山 ) がイエローカードを受け79分にはイ・ハンセムと吉野が小競り合いを始めた。
ベンチの神川監督からは“良いプレーなのに勿体ないぞ..” との声がとぶ。
韓国ベンチからも指示が送られているが何て言っているのだろう…

81分には交替で入ったばかりの安柄峻 ( 中央 ) が吉野からのボールを受けドリブルシュートを決め3点差となった。韓国はトップに入ったソ・ソンミン ( 耽羅 ) のドリブルキープしか攻撃の武器がなくなり全関東は91分にも三田の右からのクロスに安が再びヘッドで合わせて遂に4点目を奪った。

  

韓国相手に4点を奪うなんて 1974年の日韓定期戦と 1999年の五輪候補チーム同士の親善試合くらいしか記憶にないなぁ….. 4分のロスタイムの間にも全関東は得点チャンスがあり振り返れば 5-0, 6-0 となってもおかしくない試合内容だった……

   

2日後同じ競技場で日韓学生選抜戦が行われた。韓国学生選抜は関東大学選抜戦のスタメンから2人選手を替えて臨んだ。韓国学生選抜は22分に FWホン・ジュビンのゴールで先制したが日本学生選抜が34分に富山 ( 早稲田 ) 68分に山本 ( 駒沢 ) そしてロスタイムに石津 ( 福岡 ) のゴールで韓国学生選抜に 3-1 で勝利を収めた。
全日本学生選抜には GK 増田 DF 比嘉 MF 山村 ( ともに流通経 ) そしてFW富田らアジア大会メンバーが含まれていた。
勝ったから云う訳ではないけど、今回の全韓国大学選抜チーム…ベストメンバーだと何人残るのだろう..
韓国学生選抜では定番の延世大、高麗大の選手が含まれていなかった…

競技場からの帰途、赤羽スポーツの森公園競技場内にある屋根付の陸上競技用のトラックを見て自分の現役時代は遠い昔になってしまったんだなぁ…と思った。
そして自分はこういうところで走る機会は無かった、お呼びでなかったのか…と苦笑いをしてしまった。

でも一生懸命やっていたんだぞ…と自分1人で心の中でいきがってしまった…

    

全国高校サッカー選手権大会 隔世の思い

2010-01-24 | 五輪 U-20, U-17

録画していた決勝戦のビデオをようやく再生する事が出来た。この選手権が終わると3学期が始まってしまう…. 高校の時のそういう思いがよみがえる。

今年の選手権の決勝戦は青森山田高校と山梨学院大学付属高校。共に勝てば初優勝だ。関大一高との激戦を制して決勝戦に進出した青森山田は2年生ながら“超高校生”のボランチ柴崎君を始めGK櫛引君、CB中山君, 右サイドバック中島君、柴崎君とボランチを組む椎名君 FW 野間君の6人が昨年もレギュラー。柴崎君だけでなくGK 櫛引君の1年生からレギュラーだったのか、これじゃぁPK 戦でも苦戦するわけだわ.....
一方の山梨学院大付属は初出場。初出場で初優勝となれば1986年度の東海第一以来となるが青森山田相手に苦戦は免れまい、厳しい戦いとなった準決勝を勝ち抜き、昨年からの経験者が多いので青森山田の有利と私は予想していた。しかし山梨学院を引き入るのは67歳名匠横森監督。 韮崎高校等の監督を歴任した大ベテラン。晴れの舞台に選手の力を引き出す術は充分に持ち合わせた監督だ。
山梨学院、青森山田の校歌に続いていよいよ山梨学院のキックオフで決勝戦が始まった…

全国高校サッカーと云うと、関西人の私はいつも不公平を感じていた。
昭和51年度大会から首都圏開催となったこの大会、それ自体はいいのだけど、試合は首都圏各県で分散して行われるのだが常に東京都の代表校が入ったブロックは駒沢や西が丘で試合が行われ、埼玉県代表が入ったブロックは大宮競技場や駒場で行われ、神奈川県の代表校が入ったブロックが三ッ沢競技場で行われる等圧倒的に関東の高校に有利な会場の割り振り。千葉県の代表校が三ッ沢や駒場で試合を、東京の代表校が入ったブロックが大宮や西が丘で試合をしてもいいのではないか?と思って来たがそれは未だに変わっていない。 ある時専門誌がその件に就いて大会当局に問い合わせをした記事を読んだがその際の回答は“試合で使われる競技場は県営だから地元の県の為に使うのが原則…と云う回答にならない回答だったらしい。そのせいか、首都圏開催となってから6年連続で優勝校は関東の代表校( 1976 浦和南、77,79帝京、78,80 古河一、81 武南)だった。
それをストップしたのが1982年度あの“三羽ガラス”を擁した清水東高校だった。その時の決勝戦の相手が山梨県代表の韮崎高校で横山監督が指揮していた。
この時の大会を私は憶えている。大阪代表は摂津高校で、近所に住んでいた2学年下の同じ中学に通っていたサッカー部員が2人出場していた。摂津高校は残念ながらPK戦で神奈川県の旭高校に敗れたが関西の代表校では京滋(京都府と滋賀県)地区代表の守山高校が準決勝に進出。そこで当たった韮崎高校との一戦はまさに激戦。試合は1-1 ですすみ終了直前に韮崎高校はPKを得るがこの絶体絶命のピンチに守山のGKはこのPKを見事にストップし勝負は PK 戦にもつれ込んだ。残念ながら守山高校はPK戦で涙をのんだが、個人的には話題の多かった大会と覚えている。守山高校には後に大商大、日本鋼管、浦和レッズそして京都サンガで活躍し代表入りも果たした望月聡がいた。 私が大学時代、当時の守山高校のレギュラーの1人が入学して来て、結構色々話をしてくれた。
この大会で決勝進出を果たした韮崎高校はそれが4年間で3度目 ( 1979, 1981, 1982 ) の準優勝となった。

試合は私が劣勢を予想した山梨学院が開始から押す展開。横森監督は最初から飛ばして主導権を握れと指示したらしい。1分21秒には左SB伊東君がドリブルで突破しCKのチャンスを得るとショートコーナーで繋いで主将の碓井君がミドルを放つ。4分29秒にもボランチ宮本君がミドルを放つなど積極性を見せる。
青森山田も7分59秒野間君が左サイドを抉り中に入れるが走り込んだ柴崎君にわずかに合わない。9分40秒には相手のクリアーをそのまま成田君がミドルを放つがこれはバーの上。そろそろエンジンがかかり出すかと思うも 10分13秒には山梨学院、伊東君の素晴らしいスルーに走り込んだ佐野君がフリーで撃つがGK櫛引君がナイスブロック。そして11分、青森山田、遠藤君のドリブルを奪ったMF鈴木君がそのままふわりと相手ペナルティーエリア内にボールを入れるとそこに伊東君が走り込む。伊東君が横濱君がマークに入る前に後ろに戻すと碓井君がワントラップし椎名君と横濱君がマークに入る前に放ったショットがゴール右上隅に決まり先制点を挙げた。

    

開始から山梨学院、は中盤とDFラインの縦の動きが早くこの得点シーンも相手のカウンター攻撃に移るところを奪ったところから。そして再三見せいていた左からのサイド攻撃であった。両チームともこれまで今大会は常に先制ゴールを奪い試合の主導権を握って来た。青森山田は初めてリードを許す展開。しかも準決勝の関大一戦から3連続失点となった。
しかしこれで試合は面白くなると思った。だが相手ゴール前に迫るのは山梨学院ばかり20分には鈴木君から素晴らしいスルーが佐野君に通るがここはシュートまで持ち込めない。その直後青森山田はゴール正面で野間君にボールが渡るがあっという間に3人のDFに囲まれ後ろに下げられる。 山梨学院は一歩が早い上に少々距離があってもどんどんシュートを撃ってくる。 そして DF陣が前に出て来たところを2トップの伊東君、佐野君が裏を突いてくる。青森山田は相手左サイドの押し上げが良いので相対する遠藤君がなかなか前に出られない。関大一戦ではあれだけ出てこれたのに。椎名君は足の調子がいまいちなのか、この日は少しおとなし気味。
25分には左サイドの三田君からのクロスに野間君がDF関君と競りながら撃つがポストの左に外れて行く。 28分には中島君のドリブルから柴崎君が撃つがこれは相手DFに当たりGK松田君の正面に。さすがU-17 コンビだ。 
30分、山梨学院にアクシデントが。右サイドバックの井上君が怪我でベンチに下がらざるを得なく。 替って入ったのは3年生の渡辺君だった。 この時間を過ぎたあたりからようやく青森山田の攻撃が目立つようになる。MFの三田君と渡邉君が左右ワイドに開き更に両サイドバックのフォローが早くなった。 43分には中田君と競り合いながら走り込んだ野間君が突破しようとするところをGK松田君がエリアから大きく飛びだしスライディングを入れたプレーがファールそしてイエローカードが出され、いい位置で青森山田がFKを得る。 これを椎名君がゴール前に入れるが走り込んだ野間君と赤坂君にわずかに届かない。山梨学院がリードのまま前半が終わった。青森山田の同点ゴールは生まれるのだろうか….

  

後半に入って立ち上がりの48分、相手ボールを奪って繋ぎ三田君が粘って柴崎君に送りミドルを引き出すがボールはバーを越えて行った。後半は開始から青森山田が攻勢に出るかと思うが53分山梨学院、藤巻君のシュートがクロスバーを直撃する。 54分は佐野君のドリブル突破を中山君がたまらずファールで止めてFKを献上する。このFKを碓井君が直接狙うがGK櫛引君の正面に。56分、今度は青森山田がFKのチャンスを掴むが柴崎君のFKは壁に当たりそこから一気にカウンターを許す。最後は右サイドから平塚君がクロスを入れるが中島君が目いっぱいに伸ばした足に当たり中には入らなかった。 ゴール前には2トップの伊東、佐野の両君が迫っていた。

スタンドからは両校のサッカー部員を中心とした応援団からの大きな声援が飛ぶ。青森山田のこの日のスタメンは5人が2年生だが、スタンドには多くの3年生部員もいたと思う。それは山梨学院も同じだろう。高校野球やサッカー等の中継を見ていつも思うのだが学校に100人近くも部員がいる事は決していい事ではないと思う。最近はクラブチームに行く選手が急増するが、中高一貫の選手育成が出来る事ys指導者の事もさることながら部員数が適正であるということももう一つの理由かもしれない。 そして高校サッカーを取り巻く環境も激変していると聞く。 一昔前は高校選抜、大学生がユース代表、今のU-20 代表の中心だった。そこに日本リーグの20歳以下の選手が何人か混ざる程度だったが、当時の“会社事情”からなかなか社業を離れられない選手も多かった。 Jリーグがスタートし、Jリーグの下部組織が充実しそこから殆どの代表メンバーが選ばれる様になった。
ある時協会と少し関係のある人に“こう言った選手は学校生活をどうやって両立させているんでしょうか?”と訊いたが、返って来た答えは

 “行ってないんじゃないですか?” 

だった。訊けば通信課程を履修し高校卒業の“資格”を得る選手が多いそうだ。 そして“高校サッカー部員”でありながらその学校の通信課程を履修して単位をとらせる学校もあるらしい。 
矢板中央高校の様に高校総体が終わって受験に専念するために引退するのか、選手権の為に部活を続けるのか... という悩みや議論の方がずっと健全だと思う。
最近は体育課やスポーツ課を持つ私立そして公立高校が増えたが子を持つ親としてはちょっと心配になる話だった。 

青森山田はなかなかシュートチャンスが掴めない 68分 山梨学院は相手ゴール前でDF2人を引き連れヒールで戻したとところを碓井君がそのままミドルで狙うがGK櫛引君が防ぐ。 70分、リードしている山梨学院は佐野君を下げて U-18 代表の187cm2年生の加部君を投入する。 加部君はこれで全て途中出場を果たした事に。 その直後ゴール正面をドリブルで上がった加部君が右サイドの平塚君に送り再び中の伊東君に送られるが惜しくも合わない。 73分柴崎君のCKをGK松田君が弾くがこぼれ球を野間君が撃つがその強烈なショットは再び松田君がブロック。惜しい決定機だった。
73分青森山田ベンチは最初の交替選手星君を遠藤君に替えて投入する。これを機に青森山田が右サイドからの攻撃が活性化され攻勢に出る時間が続くが、ゴールが遠い。刻一刻と時間が過ぎる中、89分13秒、山梨学院は3年生の羽東を鈴木君に替えて投入する。羽東君は今大会2試合目の起用だが最後に3年生が入って私は“あぁ良かった。”と思った。 
45分を過ぎてロスタイムが4分と記される。この4分、両チーム感じ方は違うだろうなぁ…. 45分48秒後方から送られたボールが跳ねて長身の加部君が赤坂君と中山君の間を上手く長身の身体を使ってコントロールし最後は至近距離からシュートに持ち込むがここは櫛引君がファインセーブでストップ。同点ゴールの夢を繋ぐ。 
青森山田はボランチを椎名君の一枚にし柴崎君を前線に上げるが2人、3人と囲まれ中々ボールを出せない….. そして49分11秒、試合終了を告げるホイッスルが鳴り山梨学院が初出場初優勝を果たした。



青森山田は優勝へのプレッシャーが少しあったか….しかし上記した通りレギュラー選手5人が2年生。来年もチャンスは大いにあると思う。 

サッカーを続ける3年生もいれば辞める卒業生もいるだろうと思う。しかしベンチ入りできなかった選手こそ続けて欲しいと思う。 
柴崎君は鹿島アントラーズ入りが発表されたが高校はどうなるのだろう? 

多くの青森山田の選手達はロッカールームで悔し涙を流すだろう。そしてこのメンバーで戦える機会が終わった事を思うともっと涙が出るだろう。他校の選手達と同様に。
しかし全国優勝を果たした山梨学院の選手達も卒業時はそう思うのだ。

だが彼らに言いたい。 そう思える機会があったことが素晴らしいことだ。

これからの人生の方がずっと長い。だからこの日が君たちの支えになるのだ。

   

 

 


残念。決勝進出ならず。しかし最後は走り勝ったぞ……. 青森山田対関大一高

2010-01-19 | 五輪 U-20, U-17
1月9日 青森山田高校 2-2 ( PK 3-2 ) 関大一高

快進撃を続けてくれる関大一高の決勝進出の最後の関門は13年連続15回目の出場となる青森県代表の青森山田高校だった。
青森県代表と云うと最近は青森山田高の活躍がもう定番となりつつある。
昭和41年度に高校スポーツ界は色々改革があった。夏に全国高校総体、いわゆるインターハイが開催される事となり高体連の要請でサッカーもその中に入る事となった。文部省次官通達で高校生の全国大会は国体を除き年1回とされた事から冬の選手権は“選抜方式”となり参加チームも16に減り、総体の1位2位、国体ベスト4、各地区の推薦チームが出場する事となった。そしてそれまで50年近くに亘り大会を主催してきた毎日新聞が手を引く事となった。
しかし5年後昭和46年度、都道府県、地区予選制が復活し文字通り全国高校選手権大会が復活した。だが昭和59年度、第62回大会以前は今の様に各都道府県に1校出場枠が与えられておらず、大阪府こそ1校割り当てがあったが北奥羽地区に入れられた青森県は岩手県と出場枠1を競っていた。
北奥羽地区は、五戸高校(青森県,昭和 46~49 年度 54,55,57年度)と遠野高校(岩手県 50~53年度)そして盛岡商(昭和57,58 年度)の3校で出場権を分け合っていた。( 昭和57年度は記念大会だったので各県1校ずつ出場。)昭和61年度大会、青森県代表の五戸高校がベスト8に進出した時、少しセンセーショナルだったのを覚えている。そして今や各都道府県の力が均一化された事により県名で強弱を判断できる時代では無くなった。

青森山田高校は今大会優勝候補の一つ(と、私も思っていた。)ボランチの柴崎君と左サイドバックの中島君は10月にナイジェリアで開催されたFIFA U-17 大会のメンバーに選ばれまだ2年生の柴崎君は3試合全てに出場を果たした。そしてもう一人のボランチ、椎名君は 2011年 FIFA U-20 コロンビア大会に向けた現在の U-18 に選ばれている。だが最も注目されるのはやはり柴崎君だろう。1学年上の椎名君とのボランチは今大会の出場校の中でも群を抜いていると言われている。今年の AFC U-19, 来年の FIFA U-20 さらに2年後のロンドン五輪に向けて日の丸を背負う選手の一人ではと思われる。
そして2トップも得点力があり野間君が2得点、成田君が3得点、それぞれ今大会決めている。準々決勝えでは強豪の神村学園を 4-0 で粉砕した相手に北陽高校以来の大阪勢36年ぶり決勝進出を目指すには何とも厳しい相手。これだけタレントの揃ったチームにどうやって戦いを挑むのだろう….. と準々決勝戦に続いてまたも悲観的になってしまった。 

前半  序盤のチャンスを生かせず 連続失点を喫する 

スタメンは両チームとも準々決勝戦と同じメンバー。 関大一高が勝てるとすれば準決勝から試合時間が45分ハーフとなり、相手よりいかに走り続けられるか…と思った。しかし立ち上がりは関大一高の走力を警戒したか、青森山田は相手の出方を伺っているような気がした。 2分23秒、右サイドで梅鉢君が粘りを見せCKを得た関大一は、そのCKがファーサイドに流れフリーの小谷君に。しかしこれ以上ない決定機に驚いたのか?小谷君のヘッドはポストの左に外れてしまう。 ただ1メートル弱前の無人のゴールに流し込めば先制ゴールだったのに、本当に惜しいチャンスだった。ビッグチャンスを逸した関大一だったがその後も青森山田ゴールに迫りシーンが続く。8分43秒に得たCKから攻撃参加した右サイドバックの横川君が青森山田DF中島君とGK櫛引君の間からヘッドで落とし小谷君が再びシュートに持ち込むが得点には至らない。関大一高は準々決勝まで7得点のうち5得点がセットプレーから。ゴールエリア近くからの久保開立君のロングスローにも期待が掛かる。
15分50秒、小島君からボールを受けたエース久保綾佑君が放ったシュートはGK櫛引君がパンチでクリアー。そのこぼれ球を拾った久保開立君がGKの位置を見てループ気味にシュートを放つが惜しくもクロスバーを越えた。16分55秒今度は2列目の三浦君が右サイドを上がった濱野君に送りそのままドリブルシュートを放つがここもGK櫛引君がファインセーブでCKに。そのCK、ファーサイドの小谷君が中に折り返し横川君からパスを受けた久保綾佑君が放ったショットはまたもGK櫛引君がストップ。 立ち上がり、劣勢が予想された関大一だったが、小島(右)、横川(左)の両サイドの両君の上がりが早く良いリズムで攻撃を続けた。 
何とかこういう時間帯に先制点が欲しいなぁ…と思うも、優勝候補の青森山田は20分過ぎから徐々に押し返す。 2列目右サイドの遠藤君のドリブル突破から起点となり、成田、野間の2トップの両君のボールキープが目立つ。そして椎名君、柴崎君のボランチの2人が徐々に高い位置でボールを受ける様になって来た。 特に柴崎君は完全に別格といった感じで彼のところにボールが入ると何か決定的な事が起こりそうな雰囲気だった。関大一高MF陣の位置が徐々に下げられて来た。
そして30分24秒、成田君が右サイドからペナルティーエリア内にドリブルで切れ込んで来る所を、マークに入った小谷君のタックルがバックチャージと取られPKを与えてしまった。 納得のいかない表情の小谷君だったが、成田君のドルブルの加速が早く結果的にバックチャージとなってしまった。そのPKを野間君が右隅に決められ先制を許してしまった。 ここまで関大一は5本のシュートを放っていたが青森山田はこのPKが2本目のシュートだった。

   


この先制点で青森山田は一気に優位に立つ。 中盤の人数が多くなり関大一はどうしてもロングボールが増えてくる。ワントップの久保綾佑君はCBの中山君か赤坂君にしっかりとマークされている。何とかこのまま持ち堪えてくれよ、と思う中39分29秒、中盤で梅鉢君からのパスをインターセプトした椎名君がそのままドリブルで上がってくる。そして右サイドの方にボールを出すがそれが関大一高DFに当たり自分のところに戻って来て再びドリブルで上がってくる。小谷君がマークに入る直前に撃ったミドルがそのまま関大一高ゴールに吸い込まれ追加点を奪われてしまった。
自ら出したパスが相手DFに当たり良い位置にこぼれてきた幸運はあったが、やや前に出ていたGK堅根君の位置をよく見ての技ありのミドルだった。 

     

藤枝明誠戦では30分過ぎからの連続ゴールで主導権を握った関大一だが、この試合では連続失点を喫してしまった。目の前でミドルを撃たれた小谷君の悔しそうな表情が映し出される。 先制となるPKを献上したプレー、そして開始早々のビッグチャンスを逸したシーンを思い出したのかもしれない。 しかし、まだ試合は終わっていない、最後に走り勝ってくれ、と呟いた。
完全に主導権を握った青森山田は大きくサイドチェンジを見せる様になる。40分には遠藤君が濱野君と横川君をかわしてドリブルシュートを見せる。そのプレーぶりに解説の都並氏が“まさにリトルガンバの遠藤ですね。”と称賛。
よしわかった。卒業後は京都サンガに入団してくれ。(関係ないか??)

44分濱野君が右サイドで相手選手と交錯して倒れて立ち上がれない。 結局そのまま井村君と交代することに。スタンドから声が飛んだが軽く手を振ってベンチに向かう井村君は悔しそう。だが仲間の挽回を祈った事だろう。関大一高にとってはまさに弱り目に祟り目の展開となり前半が終わった。 

終了直前怒涛の猛攻 そしてPK戦  ほんまにようやった、おおきにやでぇ

2点のビハインドを追掛けるべく後半が始まった。 テレビのレポーターによると関大一高の佐野監督は選手達に

“これで負けたと思った奴は今すぐ青森山田ベンチに行って負けましたと頭を下げてこい!!まだ終わっていないぞ!!”と檄を飛ばしてピッチに送りだしたそうだ。 

そうだ、まだ時間は45分もある。時が経てば経つほど走力に勝る関大一高の有利になるのだ、と勝手に私も勇気づけられていた。

関大一は交代出場の井村君を2列目右に置き、三浦君は負傷退場した濱野君のポジションだった真中に入った。エースの久保綾佑君を含めばんばん攻撃に絡んでくれよ、と願う。
しかし、試合巧者の青森山田は後半ワンタッチでボールをスペースに出し関大一の運動量をかわす様な動きを。49分には成田君からボールを受けた野間君がミドルを放ち、51分には中島君からのパスを受け成田君が水田君、横川君がマークに入る前にドリブルシュートを撃つ。なかなかシュートに持ち込めない関大一ベンチは三浦君を下げ2年生の浅井君を入れて久保綾佑君と2トップにするが、それでも相手ペナルティーエリアが遠い。 58分には柴崎君が成田君とのワンツーで抜け出て三田君にスルーを通す。三田君はDFを引きつけ中に送ると野間君がフリーでスライディングシュート体勢に入る。 あぁ !! やられた!! と思うがシュートはジャストミートせずゴールには至らなかった。 
前半は攻撃面で目立った青森山田自慢のボランチ、柴崎、椎名の両君は後半は守備面でその威力を発揮し関大一の攻撃を分断する。 攻守に渡り効果的な動きをするこの二人にオーストラリア代表のボランチ、 Jason Culina と Vince Grella の2人を思い出した。( 関係ないか??)
走力があるとはいえ、2点のビハインドがあっては相手も“余裕を持って” 守備に人数をかける。青森山田のワンタッチ、ツータッチのパス回しに関大一はボールが奪えない。 このパス回しに見られる“阿吽の呼吸”は現在のピッチ上5人の選手を含めた登録メンバー9人が青森山田中学出身という“中高一貫教育”の恩恵かもしれない。関大一高も“中高一貫”だけど、青森山田とはその趣は異なる….
早く1点返してくれ、1点差になると大きく展開は変わる..と切実に願う。 75分に浅井君がようやく中島君と競りながらドルブルシュートを見せてくれたがゴールネットには届かない。 あぁ、ゴールが遠いなぁ…と思った直後の76分、青森山田ベンチは散々手を焼かせてくれたMF遠藤君を下げてくれた。 確かに後半は彼が目立つシーンは減ったが。
替って投入されたのは2年生の橘君。前の所属が野洲高校となっていた。何か事情があったのかな…
81分関大一高ベンチはCBの水田君を下げて3バックにし2年生の小畑君を投入し井村君との2トップに替え、久保綾佑君はトップ下のポジションに。 残り時間10分を切り最後の走力を振り絞って..と思った矢先、三田君に右サイドを突破され中に入れられたところを野間君にダイレクトで撃たれた。しかしその弾道はポストの左に外れて胸をなでおろす。 時間は刻々と過ぎるが関大一高のゴールシーンがなかなか生まれない。せめて1点返してくれよ、と思いだした89分、右サイドを久保開理君が上がり中の久保綾佑君に送るがシュートを撃てずにボールがこぼれそのこぼれ球を拾った久保綾佑君が横川君とのワンツーで抜け出ても一度中に入れる、そこに三浦君が入るが相手DFともつれる様に倒れてボールがこぼれる。それを拾った久保綾佑君がマークに入った中山君と椎名君の間を縫って放ったシュートがゴール右隅に決まり、関大一高が1点を返した。久保綾佑君のこれぞエースと思わせる強引なシュートだった。 

     


ワールドカップを前に今日本代表の攻撃陣に欲しいのは彼の様なゴールまでのプレー、シュートだ。かつては釜本邦茂氏が見せた様に。そしてKAZU 、ゴン中山、全盛期の高原。 関大一が一矢を報い、これで彼らも大阪に胸を張って帰れるだろうなぁ…( そうでなくても充分に堂々と帰阪出来るのだけど。) と思ったが、選手達はそうではなかった。 
俄然トップギアーに入った様にまさに押せ押せの展開となった。青森山田の選手達はリードしているのに明らかに動揺をしているのがわかる。そして焦りからファールが目立つ。そこで得たFKはGK 堅根君が蹴り、フィールド選手のほぼ全員がペナルティーエリア内に入る。 
そして91分22秒ドラマが起こった。 相手のファールで得たFKを堅根君が放り込む、それを拾った浅井君のシュートはCB 中山君に当たりこぼれ球を拾った小島君が放った低いライナーのシュートはファイサイドのサイドネットの内側を揺らし関大一が同点に追いついた。 
国立競技場に何とも形容しがたい歓声が湧き上がる。最後まで足が止まらなかった関大一高イレブンのその労が報いられた瞬間だった。

こうなりゃぁ、36年ぶりの決勝進出じゃ、大阪に優勝旗を持って帰ったれぇぇぇ っと叫んだ………

共にGKが2年生同士のPK戦は見応えあった。残念ながら36年ぶりの偉業は達成できなかった。 

    


だけど関大一高の選手、関係者達の御蔭で久々に熱のこもった高校サッカーテレビ観戦となった。私の中では何年経っても忘れられない劇的な試合だったと思う。 

スタンドで応援する選手達を含めた全ての部員、高校生達にこの試合を糧に素晴らしい未来が開けてくることを願った。

無念… 36年振り決勝進出ならず。しかし胸を張って帰阪してくれぃ !!

2010-01-18 | 五輪 U-20, U-17

終了直前、怒涛の攻撃で奇跡の同点劇を演じ、PK戦に持ち込んだ大阪代表の関西大学付属第一高等学校。しかしPK戦はファインセーブを連発する青森山田高校GK櫛引君の前にゴールネットが遠い。4人目を終わって2人のPKが止められ 2-3 とリードを許していた。
そして青森山田5人目赤坂君がボールをセットする。彼が決めれば関大一高の敗退が決まる。しかし長い助走から赤坂君が撃ったボールはゴールポストに当たりそのまま左に外れて行った。関大一高応援団から大歓声が上がる。私も拳を握った。
しかし次に蹴る梅鉢君が外せば青森山田の決勝進出となる。だが決めれば反対にこのPK戦で関大一高が優位に立てると思った。
梅鉢君がアップになる。ちょっと不安そうな表情。気になったなぁ…目がゴールの左側を何度か見る。こっちに蹴るのかなぁ…. 前の横川君は右側に蹴って決めた。しかし最初の小島君と2番目の久保君は左に蹴って止められている。PKはまず入るものと素人は思うのだけどこういう舞台では難しいだろうなぁ…梅鉢君が助走から蹴った方向は左側。すると櫛引君がまたもドンピシャのタイミングで右側に横っ跳びでライナーの弾道をブロック。この瞬間青森山田高校の決勝進出が決まり、大阪勢36年振りの決勝進出の夢が潰えた。

しかし大阪出身の私は本当に久し振りに地元高校がここまで躍進してくれて例年以上に大会を大いに楽しめた。関大一高サッカー部そして関係者に本当に感謝しなければならない。

1月5日 関西大第一 4-1 藤枝明誠 

関大一高が勝って大阪代表校が全国高校サッカー選手権大会で準決勝に進出するのは私が中学生の時以来32何年振りになるのかぁ…試合前にこう思った。
32年前、病院に入院中だった私は北陽高校が準決勝で東京代表の帝京高校と激戦を演じていた試合を当時入院中だった私は病室のベッドの上で他の入院患者さん達と共にテレビ観戦していた。
北陽は優勝した帝京高校に 0-2 で敗れた。帝京には後に日本ユース代表、そして日本代表にも入った宮内聡がおり、同様にユース代表とフル代表にも選ばれた浦和レッズでもプレーした名取篤が1年生で出場していた。余談だがとんねるずの木梨憲武氏も当時帝京サッカー部1年生だったらしい。
北陽高校には後に読売クラブに入団したGK 中村和哉がいたと思う。野球では何度も全国優勝しているのに何故かサッカーで勝てない大阪代表校…毎年比較的早く姿を消していたなぁ….

今大会、大阪代表は関西大学第一高等学校。私の高校時代は偏差値の高い男子校と云うのが印象。付属中学から入学した友人もいた。大学時代、関西では屈指の長距離選手が関西大学にいて彼は付属の関大一高出身だった。しかしサッカーの強豪と云う印象は無かった。だが今大会で出場は既に3回目。時代は流れているんだなぁ…と思った。

首都圏開催になって以来、大阪勢は特に関東勢には弱かった。1979年度大会から4大会中3大会、初戦で神奈川県代表の旭高校と当たり1敗( 1981年度 清風 )2PK負( 1979年度北陽、1982年度摂津 ) 。北陽高校は帝京高校に5連敗 ( 1977, 1984, 1985, 1987,1994 ) 我が故郷から参戦した高槻南高校は浦和市立 ( 1983 ) 古河一 ( 1986 ) に連敗。だが1993年度に2回戦で強豪市立船橋を“アウェー”でPK戦の末に降した時は非常に嬉しかった。
関大一高も神奈川県代表の逗葉高校と田中達也を擁した帝京高校の関東勢に連敗中だった。しかし今大会は2回戦で茨城県の鹿島高校、3回戦では優勝候補の千葉県、八千代高校の関東勢を連破しての準々決勝進出。関大一高が大阪代表の存在感を見せてくれて嬉しかった。

続く準決勝進出を賭けた対戦相手は静岡県代表の藤枝明誠高校。静岡県代表と云うよりも藤枝と言えば一昨年の大会で準優勝を果たし、かつては中山雅史が在籍した藤枝東高校が有名。
1973年度、大阪代表の北陽高校が藤枝東高校を破り全国優勝を果たしたが、この試合は藤枝東高のゴールがオフサイドで取り消されれた判定が疑惑の判定と言われ大会後物議を醸した。

http://blog.goo.ne.jp/conty1ban/e/59b0b663e5f1131c5ce40325ab94aa63

それ以来、大阪勢が全国大会で好成績を納められないのは藤枝東の呪い、と私は勝手に決め付けている。

藤枝明誠は2回戦で強豪国見高校を 4-1 と圧倒している。サッカー処の静岡代表。しかも藤枝から、そして国見を破っている…..大阪代表の快進撃もここまでか….と試合前には勝手に悲観的な思いしか描いていなかった……

前半 関大一高先制!!

藤枝明誠のスタメン2日前に行われた3回戦の岐阜工業戦と同じメンバー。
今大会は1回戦からの登場なので6日間で4試合目となるがDF 増田君以外は全選手が4試合連続スタメン。そろそろ疲労が出てくる頃。それが関大一のつけどころか?だが静岡県大会の決勝戦で負傷し、選手権ではまだ出番のない藤枝明誠のエース小川君がようやくベンチ入りを果たす。エースがどこで投入されるか….
3回戦で優勝候補の八千代を破った関大一もメンバーを替えずにこの試合に臨んだ。だが関大一は2回戦からの登場なのでこの試合が3試合目。

開始45秒、藤枝明誠 MFの飯塚君が右からクロスを入れるがこれは2年生GK樫根君がキャッチ。さすが全日本ユースベスト8。関大一はインターハイ大阪府予選ではベスト32で敗れたので選手権の大阪府大会ではシードされずそこから勝上がって来た。だが関大一は特徴である豊富な運動量を生かす。両サイドで相手選手が持つと素早く2人、3人で囲みこんだり、素早い1歩の出だしで藤枝明誠にボールを上手く持たせなかったり繋げさせなくする。 4分には久保綾祐君が左サイドでドリブル突破し入れたクロスにMF濱野君がシュートを放つ。12分41秒には久保開立君の得意のロングスローから放たれたシュートは GK 甲斐君の正面。17分30秒には久保綾佑君がエースらしくドリブルシュートを見せる。テレビ解説によると静岡と大阪の選手権での対戦はこれまで9試合あり静岡の5勝4敗らしいが最後の対決は何と32年前、大阪勢が最後にベスト4に進出した北陽高校が初戦で浜名高校にPK戦で勝利を収めた試合。この30年間の戦績を見て大阪勢が静岡勢と対戦する前に敗れて直接対決が実現しなかったと言えるだろう。
22分藤枝明誠MF 辻君のドリブルを梅鉢君がフォールで止めてFKを与える。そのFKを右に流し藤原君が放ったミドルはわずかにバーの上を越えたがこれが藤枝明誠最初のシュートだった。ここから藤枝明誠はワントップの安東君への寄せが早くなり関大一ゴール前に迫るシーンが続く。 28分には安藤君がヘッドで落としたころを大山君がDF2人の間から放ったシュートはGK樫根君が右に倒れ込んでセーブ。29分には左サイド鈴木君がドリブル突破、三浦君のマークを振り切り入れたクロスは僅かにゴール前の安東君に合わなかった。これが合っていれば周りに2人のフリーの藤枝明誠の選手がいたので決定機となるところであった。
主導権を奪われそうな関大一であったが、30分に待望の先制ゴールが決まる。
濱野君からボールを受けた久保綾佑君がスルーを出し三浦君が撃つがここはGK甲斐君がクリアーしCKに。そのCKを中央から小島君がヘッドで藤枝明誠ゴールに捻じ込んだ。久保綾佑君の動きにDF2人がつられ小島君をフリーにしてしまった。 

     

先制ゴールの興奮が残るなか32分、関大一が追加点を挙げる。久保開立君のロングスローを三浦君がヘッドで藤枝明誠ゴールに押し込んだ。その前に関大一小島君と競った藤枝明誠 DF増田の頭に当たったボールが三浦君の前に弾んだという幸運にも恵まれた。関大一にとっては願っても無い展開となった。

35分藤枝明誠ベンチはMF飯塚君に替えて2年生の松村君を投入する。1回戦の徳島商戦以来の出場だ。それでも関大一は三浦君、梅鉢君が連続でミドルを放つなど主導権を渡さない。中盤で相手ボールをよく奪うシーンが目立つ。だが終了直前、藤枝明誠はFKのチャンスを得る。このFKは相手DFに当たるが、こぼれ球をカウンターに持ち込まれそうになる前に辻君がインターセプトしそのまま約40mの位置から放ったロングシュートが関大一ゴールの右上隅に決まり1点差とした。
そしてそれと同時に、前半終了のホイッスルが鳴った。
リードされているとは言え藤枝明誠にとっては最高の時間帯でのゴール。関大一にとってはリードしているという実感が吹き飛ばされた瞬間だっただろう。

走り勝って 32年ぶりの大阪勢 Semi Finalist !!

後半、両軍ベンチは選手交替は無かったが、42分入ったばかりの松村君が下がりスピードで定評のある阿部君が入った。松村君は39分、クリアーボールを顔面に受けそのまま目を痛めてしまったらしぃ。 この交替は藤枝明誠ベンチにとっては誤算だっただろう。この時間で交代枠が1人となってしまった。いつエースの小川君が投入されるのだろう…
こういう展開だと次の1点をどちらが奪うかによって戦局は大きく左右されると思った。立ち上がりこそ藤枝明誠がボールを支配するが43分にスローインから繋いで久保開立君がシュートに持ち込んでからは関大一高の攻勢が続く。 44分には久保綾佑君がロビングボールをCB藤原君と競りながら放ったシュートはGK甲斐君がストップ。48分には久保開立君がドリブルシュートを放つがこれはサイドネットを直撃。55分にはカウンターから左サイドでスルーパスを受けた久保綾佑君が中に入れ梅鉢君が撃つがここはDFがブロック。そのこぼれ球を拾った小島君が中の和田君に送るがその前にDF山本君がヘッドでクリアー。 
藤枝明誠は時間が経つにつれ球離れが悪くなるがそれは関大一高の選手の戻りやマークが早くボールの出しどころがなかなか見つからない為。交代出場の阿部君が右サイドを何度も突破するが関大一DF陣の戻りが速く充分なフォローが出来ない。それに足に不安のあるFW安東君の動きに切れが無くなって来た。相当足が痛いんだろうなぁ….. 関大一高より1試合多く戦ったその疲労が徐々にのしかかってくる時間だったのかもしれない。 
そして62分、関大一が欲しかった追加点を挙げる。左CKに囮となった横川君が飛び込みそして久保綾佑君がDF2人を引きつけファーサイドにフリーでいた小島君にそのまま渡り頭で押し込んだ。

         

これで関大一のベスト4が一気に近づいた、と思うも相手は王国静岡県の代表校。まだ18分残っているので次に失点し1点差にされると… そしてベンチに控える小川君がいつ投入されるか気になった…
しかし70分、大山君に替って最後に投入されたのはDF登録の長身の向田君だった。最前線においてターゲットとなるのだろう。しかし中々関大一DF陣を破れない。77分には少し位置を下げた安東君が右サイドからミドルを放つがゴールには至らない。このまま関大一が逃げ切りかと思った78分右サイドからの崩しに最後はエース久保綾佑君が正面から今大会初ゴールを決め、勝利を決定付けた。 73分と74分には連続でシュートを放ちDF八木君、GK甲斐君に止められたエースがついに決めたゴールだった。

     

藤枝明誠の選手達の落胆は隠せない。時間はまだ残っているが得点差の方が多い。奇跡が起こってもここから追い付く事は考えられない。だが選手達は最後まで必死にボールを負う、中には涙をこらえながら走る選手も。その姿が印象的だった。 

そしてホイッスルが鳴った。勝って32年振りの大阪勢ベスト4進出を決めてくれた関大一高には本当に感謝の気持ちで一杯だった。藤枝明誠のエース安東君が倒れこんで立てない。相当脚が痛いのだろう。関大一高の選手何人かが彼に肩を貸す。
素晴らしいシーンだった。感動した。

スタンドには多くの部員や生徒達ら応援団が陣取る。
3年生もたくさんいるんだろうなぁ….と思った。彼らの為にも頑張っているのはどこのチームの選手も同じだ。

そしてチァーガール達の姿も。あぁ男子校だった関大一高も共学になっているのか。俺の母校も男子校から共学になっている。何でもっとはやく共学にならんかったんやろう….( 関係無いか??)

この次は36年振りの決勝進出を果たしてほしいと思った。 準決勝戦に続く…… 

   


うつむくなよ 振り向くなよ…….

2008-01-20 | 五輪 U-20, U-17
 第86回全国高校サッカー選手権大会は流通経済大学柏高等学校の優勝で幕を閉じた。下馬評通りといえばそうかもしれないが、予想以上に得点差がついたなぁと言うのが感想。と、言うよりも決勝戦こそ流経は最高のパフォーマンスを披露したと思う。
敗れた藤枝東高校が決勝戦に勝ちあがって来た時に思い出したのは24年前の全国高校サッカーの決勝戦だ。当時小学生だった私は地元大阪代表の初出場校、北陽高校に山野兄弟という双子の選手らがおり優勝候補であると言う新聞記事を見て、その行方に注目していた。この年の北陽と言えばの夏には高校野球ででも北陽高校が大阪府大会を勝ち抜き甲子園に出場しベスト8まで進み、“北陽って野球だけでなくサッカーもやっているんや….” と思ったのを憶えている。その時の北陽には現阪神タイガース監督の岡田氏が1年生ながら出場していた。そして作新学院には怪物江川卓がいた。 
サッカーの全国大会でも北陽高校は山野兄弟の活躍で決勝戦に進出をした。そして決勝戦の対戦相手が藤枝東高校だった。藤枝東は前年度も決勝戦に進出しその時は浦和市立高校に延長戦で敗れたていたので、この決勝戦には彼らも相当な意気込みで臨んできたと思う。そして前年度に決勝戦に出た選手が4名いた。
試合は開始2分に藤枝東が内藤のゴールで先制するが前半27分に山野弟、後半8分にも山野弟がチャンスを作り加藤のゴールで逆転をする。そして後半17分、藤枝東はこの大会随一の選手と言われた中村一義が同点ゴールを決めた、かに見えたがオフサイドの判定で取り消され試合内容では押されていた北陽がそのまま逃げ切り初出場、初優勝を飾った。
しかし、このオフサイドの判定がその後かなり物議を醸していた事を後に知った。この判定については専門誌でも大きく取り上げられ、当時のサッカーファンの間で随分議論されたらしい。家庭用のビデオが皆無の時代だった。この時の中村選手のシュートは先制ゴールを挙げた内藤選手が放ったシュートを北陽GK田中選手が弾いたこぼれ球を押し込んだもので、中村選手のポジションはどうみてもオフサイドではなかったと言うのが大方の証言。しかも線審が一度中村選手の位置に対してオフサイドの判定を下す旗を挙げながら、その直後の中村選手のシュートがゴールに入った途端旗を下げてセンターサークルの方を指すゴールインのゼスチャーをしてしまい、それを見た主審が線審に駆け寄りオフサイドの確認を取りゴールを取り消したと言う行為が大変な誤解を招く原因の一つとなった。しかもその線審は大阪府の審判員で本来起用される線審が風邪で起用できなかった為予備審判として登録されていた審判らしく、大会を通じて高度なサッカーを展開していた藤枝東高校のファンのみならず多くのサッカーファンから “地元の優勝 ( 当時の全国高校サッカーは大阪開催)に肩入れした判定”と非難を浴びるもう一つの原因ともなったらしい。
この大会以降、我が地元大阪代表の高校は優勝どころか決勝にも進出した事もなく、昭和52年度の大会で北陽高校がベスト4に進出したのが最高の成績だったと思う。 これを私は“藤枝東の呪い”と勝手に思っている。 それでなくても関西勢はこの大会は振るわずようやく最近になって滋賀県代表の野洲高校がセクシーフットボールの名のもとに全国制覇を成し遂げてくれた。
この疑惑のオフサイドゴールを放った中村一義選手は大会直後に開催された朝日国際サッカーの日本選抜メンバーに招集され決勝戦の8日後に行われたブラジルのジュベントス戦の82分から交替で出場するなど将来を非常に嘱望されたらしい。そしてこの決勝戦から5年後の1979年3月に国立競技場で開催された日韓定期戦で代表デビューを飾り先制ゴールを決め5年振りの対韓国戦勝利に貢献した。またこのオフサイドゴールのチャンスとなるべくロングパスを入れたのが藤枝東高校の現監督として指揮を執っておられる服部康雄氏であった。

前半 個々の能力と組織力の高さで圧倒

前年と異なり寒さが厳しかった東京国立競技場。準決勝戦から中1週間空いた事が両校にどう影響したのだろう。こうなると“地元”の流経大柏が有利だったか…….それでなくても地力でも勝っていたのだろうが…..
しかし藤枝から150台以上のバスを連ねてやってきた大応援団の後押しを受けて王国を代表する藤枝東こそこの大会で流経大柏が相対する最も厳しい相手であったはずだ。流経大柏は初戦の久御山高校戦で負傷した上條君が復帰して来た。そして累積警告で準決勝戦出場停止だった沖縄出身の比嘉君も戻って来て左SBに入りこれにより海老原君がボランチに。村瀬君が左MFにそして大前君がFWに上がり上條君と2トップを組むことになった。これが流経大柏、本田祐一郎監督の描くベストな布陣だったのかもしれない。ただ個人的には初戦の久御山戦の前半でベンチに下がり、以降出番の回ってこない、全日本ユース選手権で決勝ゴールを決めた小島聖矢君がこの決勝戦で出番が回ってこないか….との点でもあった。一方の藤枝東は準決勝、高川学園戦とまったく同じ布陣。注目のトップ下の河井君がこの試合でもゴールを決めて対戦相手の大前君の得点数に並ぶ事が出来るだろうか…. それにしても大会得点ランクの1位、2位の選手が相対する決勝戦なんてここ数年あっただろうか….. 俺が知らないだけか??
流経大柏のキックオフで始まった決勝戦。開始21秒、いきなり大前君が右サイドからペナルティーエリア内に相手DF二人をかわしてドリブルで切り込む。ここはシュートを撃つ前にクリアーされたがまず彼の能力を相手DFに示す先制攻撃の効果は充分にあっただろう。1分53秒には右サイドで得たFKを中里君がゴール前ファーサイドの大前君を狙うがGK木村君がその前にキャッチ。その直後には藤枝東が平井君の右サイド突破から流経大柏ゴールに迫り連続してクロスを入れる。4分にはまたも同じ様な位置でFKを得た流経大柏が再び中里君がファーサイドに蹴り込み上條君のヘッドが飛ぶがこれも木村君の正面。5分34秒には藤枝東松田君がペナルティーエリアのやや外から倒れこむようにボレーシュートを放つ。立ち上がりは両校共に相手ゴール前に迫るチャンスを得る。試合を面白くする為にも藤枝東の先制ゴールが見たかったが、その直後に先制ゴールを挙げたのは流経大柏。立ち上がりと同じように右サイドから中へドリブルで切れ込み藤枝東の鳥羽君、小関君、小林君に囲まれながらもここしかないと言う様なパスコースで走り込んだ村瀬君に繋ぐとフリーの村瀬君はそれを難なく藤枝東ゴールに押し込んだ。流石大前君と言えるボールキープとパスそしてそのタイミングであった。

   

先制点した流経大柏は尚も藤枝東ゴールに迫る。13分には左からのクロスから上條君が放ったシュートは何とかGK木村君がブロック。17分には海老原君がミドルを放ち、20分、25分には右MFの名雪君が連続してシュートを撃つ。26分には村瀬君が左から中に切れ込み再び左サイドを上がった比嘉君に絶妙のパスを送り、30分には中里君からのFKにCBの秋山君がヘッドを撃つがゴールポストを越える。秋山君は全日本ユース決勝戦では出場停止だっただけに選手権の決勝進出は嬉しかっただろう。34分にミドルシュートを放った村瀬君が37分にはスルーパスを村瀬君に通し、中里君のシュートを引き出す。40分、名雪君が右サイドから逆サイドの村瀬君に送り、藤枝東DF村松君を外してシュートを撃つがここは戻った小関君がブロック。42分はゴール前右サイドで相手DFに囲まれた大前君がノールックで中にいた村瀬君に繋ぎ村瀬君が放ったシュートはGK木村君が何とかパンチングで防ぐ、そのこぼれ球を上條君が拾って中の大前君に送るがおしくもタイミングは合わなかった。流経大柏は全ての選手が決定的なラストパスを出したりシュートを放ったりと多彩な能力を披露。ショートパス、サイドチェンジのロングパスも効果的に回り前半だけで11本のシュートを放ったが藤枝東1年生GK木村君の連発するファインプレーもあり得点は1点に終わった。攻撃面だけでなく守備でも海老原君が相手の要注意選手河井君をタイトにマーク。河井君がボールを持てば海老原君だけでなく二人、三人とマークが付き彼のパスコースを塞ぐ。また4バックのDFラインは高い位置をキープし相手の攻撃を鈍らせ、藤枝東の選手が迫って来ても1対1での強さを見せシュートを撃たせない。結局藤枝東が放ったシュートは前半1本のみであった。
藤枝東は平井君が一人気をはき、彼の左サイド突破からのみチャンスが数度生まれた。立ち上がりからタイトなマークに苦しんだ河井君ではあったが35分過ぎから相手のマークをかわすようになる。41分には中央やや右から左に絶妙のクロスを送りCKを得たが、右側に岡崎君がフリーで流経大柏ゴール前にフリー出ようとしていたのでそちらにボールを渡せば……と言うシーンがあった。 王国を代表する藤枝東が後半“タンレント軍団”流経大柏から同点ゴールを奪えるのだろうか…

   

後半 ゴールラッシュ でもうつむくなよ…..

両校ともメンバーチェンジが無いまま藤枝東のキックオフで始まった後半は立ち上がりからショートパスをリズムよく繋ぎ右サイドから藤田君のライナーのクロスから岡崎君が惜しいシュートを撃つなど藤枝東が主導権を握るかの様に見えた。しかし48分、大前君の大会6得点目で流経大柏が追加点を挙げる。上條君が小関君を背負いながら走り込んだ大前君にヒールパスを送りそこから放たれた強烈なショットはGK佐藤君が何とか弾いたが左サイドに流れたそのこぼれ球を名雪君がファーポストの大前君に戻すと大前君はそのままボレーでシュートを叩き込んだ。後半立ち上がりに出鼻を挫かれた2失点目に藤枝東の何人か選手は落胆の色を隠せない。ここで藤枝東ベンチはまず1点とばかりにFW中村君を投入する。 だが連続して流経大柏のあわやのシーンが続く。53分には上條君が正面から惜しいシュートを放ち、56分には左サイドから村瀬君がドリブルで持ち込みファーサイドの大前君に繋ぎそこから撃たれたシュートはゴールネットを揺さぶるがこれはオフサイド。まだ幸運は藤枝東に残っていたか...61分、この日藤枝東では“敢闘賞”クラスのパフォーマンスを披露し続けた平井君がまたも左サイドを突破し中の河井君に入れてすばらしいミドルシュートを引き出すが惜しくもバーを越える。 やはり藤枝は左サイドの平井君と河井君にボールが回ればチャンスが….. と思った62分、左サイドを村瀬君がドリブルで突破し上條君に、そこからワンタッチで比嘉君に渡りそのままドリブルで持ち込み小関君をかわしてペナルティーエリアに深く侵入。そこへGK佐藤君がセーブに入ろうとすると後方から走り込んだ上條君に戻す。上條君に藤枝東の鳥羽君と石神君が滑り込んでマークに入り3人が重なる様に潰れるがボールだけが後方に流れそこをフリーで走り込んだ大前君が難なくゴールにけり込んで試合を決定づける3点目が入ってしまった。初戦の久御山戦では怪我で34分にベンチに下がってしまった上條君は今大会2試合目の登場であったが、上條君もFW選手。選手権でのゴールを狙いたくなる気持ちを抑えての見事な“潰れ役”に徹したその心意気に“何とか彼にゴールを決めさせてあげたい。”と思ったが69分、海老原君と共にベンチに下がる事に。もう足の調子が限界だったのかな……
こうなると今度は藤枝東が1点を還すかどうかに興味が。71分流経大柏は大前君のCKを村瀬君がヘッドですらし走り込んだ田口君が見事なボレーシュートを叩き込み4点目が入る。GK木村君は思わずゴールポストを蹴飛ばして悔しがる。気持はわかるけどなぁ…試合後服部監督に怒られんかったかな…..
4年前に国見高校が優勝した時は決勝戦で6点差がついたがこの試合はどうなるかとも思った。
しかし満員の国立競技場は一般客の人でも家路に就こうとする人は(恐らく)少なく、残りの20分最後まで声援を送る事を辞めない。そして藤枝東の選手達も懸命にボールを追う。観客の殆どが彼らのゴールを願ったのではないかな….. 81分には河井君のスルーパスが流経大柏のゴール前に通るが稲葉君はわずかに追い付かない。83分には河井君のCKを流経大柏MF保戸田君がヘッドでクリアーしたこぼれ球を拾った石神君がミドルを放つが惜しくもゴール枠を外れる。88分のCKのチャンスには6人の藤枝東の選手がペナルティーエリア内に入って1点を還そうと必死になる。
しかし3分あったロスタイムも過ぎ最後のホイッスルが鳴り響き今年の選手権は幕を閉じた。 流経大柏の見事な優勝だった。選手個々を見てもエスパルス入りが決まっている大前君だけでなく村瀬君や上條君等レベルの高い選手が揃っていた。それはシュートまで持ち込むだけでなく鋭いパスを通したり、次のポジショニング取りが絶妙だったり速かったり。さすがに沖縄出身の比嘉君を例に挙げられる通り全国から集められる私学と思ったが、中学での代表クラスは田口君くらいで、むしろ藤枝東の小関君、鳥羽君そして小林君が中学代表経験者と言う事実をみれば特別 “超中学生クラス”を収集したわけでは無い。むしろ大前君の様に流経大柏で育てて史上初のインターハイ、全日本ユースそして選手権の“3大会得点王”選手を造り上げた。大前君は足首を何度か痛めたらしいがそれが彼の将来の発展の妨げにならない事を祈る。
  
   

中里君、村瀬君そして比嘉君らは流通経済大に進学とか。これでまた関西学連が苦戦を強いられるなぁ….中島聖矢君の2試合目の出番はとうとうなかったけど、卒業後もサッカーを続ける事だろう…… だが初戦の久御山戦、先制ゴールを許し前半ロスタイムに村瀬君の同点ゴールが生まれなかったらどうなっていただろう…..
敗れた藤枝東。スタンドのゴン中山の応援も及ばず静岡学園以来12年振りに優勝を静岡に持ち帰る事が出来なかった。でもむしろ静岡県の高校がそんなに優勝から遠ざかっていたとは驚きだった。単独優勝となると19年前の清水市商以来、あの大喪の礼をはさんだ大会以来か……。決勝戦の相手は千葉県の市立船橋だった。ゴン中山のみならず、REDSの山田、長谷部( Wolfsburg か…) 磐田の成岡そしてメキシコ五輪では山口、富沢の2選手が藤枝東の出身との事。だがこの高校のモットーは文武両道。河井君は慶応大学に進学するらしい。私からみればこう言う選手がいちばん羨ましいなぁ…..
選手権で優勝したからと言って将来が保証されるわけでは無いがこれを糧に頑張れるはずだ。日本テレビの中継アナウンサーが最後に言っていた

これからは人生の国立競技場を目指して下さい  

と言う言葉が今も耳に残る。 がんばれ高校生。うつむくな、そしてふりむくな。

   

バンコクにて 吉報 五輪出場決定 やれやれ....

2007-11-22 | 五輪 U-20, U-17
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11月17日。ハノイの My Dihn Stadium に入りパンとコーラを買って試合前の腹ごしらえをしようとテーブルに座るとそこには若い白人男性の二人連れが。一人はヴェトナム代表の赤いユニフォームを着ている。訊けば二人は英国人でバックパッカー。 偶然にこの試合が行われる事を知ってここに来たそうだ。ヴェトナム代表のレプリカ(と言ってもUS$2.00 で買ったコピー商品らしいけど)を着ていたお兄ちゃんはBlackburn Rovers そしてもう一人は Arsenal のサポーターとの事。しばし Premiership の話題に花が咲く。特に Arsenal サポのお兄ちゃんは今シーズンの好調ぶりに機嫌が良い。Rovers サポの方も今シーズンは開幕から上位につけているので来季の UEFA Champions League 出場を期待しているとの事。実現したらシアラーらを擁して Premiership のタイトルを勝ち取った 1994-95 シーズンの翌年以来では無いか…てな具合にどんどん話題が進む。英国人にとってはアジアでの五輪予選の熱狂ぶりはいまひとつピンとこない様だ。この試合もフル代表のゲームと思っていたらしく この日の日本代表に中村俊輔が入っていない事を少しがっかりしていた。しかし今年開催されたアジアカップでイラクが優勝した事は知っていた。彼らのもう一つの関心は17日と21日に欧州でも開催される欧州選手権の予選。 Rovers のお兄ちゃんの方は母親が Scotland 系なので久々に Scotland がメジャーな大会に出られそうだと言っていた。だが前節は Georgia 共和国にまさかの 0-3 での敗退。フランスにホーム&アウェーで勝っていながら何故 Georgia に敗れるのか??ってな話も。 (そしてイタリアに敗れてその夢も潰えた。)そして England のことも.....
そんな話をしていると時間が過ぎ共に着席に向かう事になったが彼らからは最後まで五輪の話は出なかった。 欧州人にとって五輪サッカーとはそんなものだろう。既に北京五輪予選にあたるU-21欧州選手権は終わっており上位4カ国に与えられる出場権もオランダ、ベルギー、セルビア、イタリアの4カ国が得ている。本当は England が4位であったが England としては出場権が無いのでポルトガルをPK戦で降し5位になったイタリアに出場権が与えられた。しかしこのU-21欧州選手権もエントリーしたのが先述の6カ国にイスラエルとチェコを合わせた8カ国のみ。欧州にしては寂しい限りか?国威掲揚の為に五輪出場権を旧共産圏諸国が競っていた時代がレベルが高かったかも知れない。

南米や欧州の様に所属クラブで地域レベルのハイレベルな争いが無いアジアでは五輪予選は大切な大会だ。昔、“アジア諸国の中では、殆どの競技種目はアジア大会に焦点を置くがサッカーは五輪を目指している国が多い”と著名な解説者が語っていた。いよいよ大詰めに入ったアジア地区予選。他の地域ではどうだったのだろう?

Group A
Australia が Sydney FC のMF Mark=Milligan のゴールで北朝鮮と引き分け五輪出場を決めた。 17日に Gosford の Central Coast Mariners の Bluetong Stadium で行われたイラクとの一戦を Adrian= Leijer, Mark=Milligan の2ゴールでものにした豪州五輪チ-ム, Olyroos は21日、平壌で行われた北朝鮮戦では引き分けで五輪出場が決まり所であった。北朝鮮とは9月の Newcastle の試合では 1-0 で降しているがこの試合での得点者も Mark=Milligan 。五輪予選では常に重要なゴールを決めて来た Milligan がここでも貴重な同点ゴールを決めてソウル五輪以来6大会連続の出場を決めた。イラクとの激戦を制した翌18日、Olyroos 一行は北京に向けて出発。同地で二日間滞在し北朝鮮対策を講じた後試合前日の20日に現地入りしたとの事。その北朝鮮対策とは金日成競技場の人工芝ピッチと平壌の寒さ。何しろ南半球はこれから夏を迎える上に人工芝の上でプレーをした選手は何名いたのだろう? Olyroos のスタメンは Arnold 監督が試合前日に語った通りイラク戦と同じスタメン。しかし試合は開始10分にロビングボールを上手くトラップした Pak Chol Min がGK Vukovic の頭上を越すゴールで北朝鮮が先制。 Pak Chol Min は9月の Newcastle でのオーストラリア戦には出場していない選手だった。 Olyroos が先制点を喫したのは五輪最終予選では初めて。北朝鮮はPal Chol Min の先制ゴール後も何度かチャンスを掴んだが追加点を挙げられず、70分に Kristian=Sarkies のFKに Mark=Milligan がヘッドで合わせた弾道がループ気味に北朝鮮ゴールに飛び込み同点。そのまま気温5度そして前日の豪雪により部分的に凍結した人工芝のピッチに悩ませられながらも引き分けに持ち込み五輪出場を決めた。ただ Milligan のシュートがゴールネットに吸い込まれる前にゴール前に詰めた Adrian=Leijer の手がボールに触れたように見え、北朝鮮の選手達もハンドをアピールしたがシリア人の Muhsen 主審はゴールを認めた。もしハンドを取られていたらどうなっていただろう…… この試合のダイジェストを私は今いるバンコックで ESPN の Football Asia の番組で観る事が出来た。 Olyroos はこの五輪予選8カ国相手に14試合無敗で日程を終了。見事に“アジア代表”として五輪出場を決めた。

Hero .. Mark Milligan scored the all-important equaliser.


Group B
韓国が安山で行われた最終戦のバーレーン戦を引き分け6大会連続の出場を決めた。17日、タシュケントで行われたウズベキスタン戦を 0-0 で引き分けたが同日バーレーンがマナマにシリアを迎えたホームゲームを 1-1 で引き分けてしまい、韓国はバーレーンとのホームでの最終戦を引き分けても五輪出場を決められた。 
この予選突破に朴成華監督の胸中はどうなのだろう。1980年マレーシアで行われたモスクワ五輪予選。下馬評では圧倒的な予選突破の本命とされながらマレーシアに敗れて出場権を逃した苦い思い出がある。(結局マレーシアも西側諸国に同調しモスクワ五輪をボイコット)現役選手時代、随分日本を苦しめてくれたが五輪、ワールドカップ予選は突破出来ず、指導者になってからはUAE で開催された2003年のFIFA U-20 の決勝トーナメント1回戦で日本に敗れるなどそれほど良い思いはなかっただろう。それだけに、今回の五輪出場には喜びもひとしおだろう。しかし韓国は最終予選3連勝のあと3試合連続のスコアレスドロー。朴成華監督も喜びに浸ってばかりはいられないだろう。

 

Group C
日本がサウジアラビアと引き分けた吉報を受けたのはこちらで代理店の方との食事中。二人でシンハビールで乾杯をした。ホテルに帰ってから ESPN で試合のダイジェストを観た。開始9分のユーセフのシュートをGK西川が弾きそのこぼれ球を詰めて来たアルゴワイニムに撃たれた絶対絶命のシュートを青山敏弘がブロックしたシーンを見た時は結果が判ってたとは言え背筋が凍りそうだった。

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その後は李忠成、細貝そして岡崎が決定的なチャンスをものに出来なかったシーンが続き、

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最後はフェースガードをした水本の感涙を流すシーンが映し出された。

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最終戦を勝利で飾れなかったが無事に予選を突破してくれて本当に良かったと思った。なにしろ28年間も五輪予選で敗れ続けたのを見て来たから。
これで五輪チームも一回りも2回りも強くなってくれただろう。そしてこれから北京五輪までの260日間で更に成長してくれる事を願っている。

それにしても今回の五輪予選で中近東、西アジア勢は全滅であった。1984年のロス五輪はイラク、カタール、サウジアラビアと中近東、西アジア勢で独占されて以来、今回からオーストラリアのAFC加盟もあったが、これまで考えられなかった事だ。

イラクフットボール協会は20日、3人の選手の海外移籍を認めない方針を発表した。この3人の選手は17日のオーストラリア戦の1時間後にホテルを抜け出し、大使館の庇護を求めた、要するに亡命を企てているとの事。その3選手の中には今年のアジアカップ優勝メンバーでもあった Ali Abbas が含まれており、他には Ali Mansur, Ali Khadher がおり、そしてSadi Toma アシスタントコーチの姿もないとの事。 Ahmed Abbas 協会事務局長は“ FIFA に3選手の移籍許可を発行しない様に求めた。この許可書が無いと海外へ移籍が出来ないらしい。 ロイター通信の電話インタビューで Abbas 氏は”3人が帰国して今の所属チームとの契約を履行し終えるまで許可証の発行を認めない。“と語ったらしい。また Kevin Andrews 豪州移民省大臣のスポークスウーマンは選手達と Toma コーチは3か月の豪州滞在ヴィザを持っていると語っており、 Toma はイラクチームの関係者に“自分はここに亡命しているイラク人で構成されたアマチュアクラブのコーチを務め、他の3選手もここに亡命を希望していると語ったとされている。オーストラリアの北朝鮮戦の結果いかんではまだ五輪への可能性も残されていたのにその前に選手達が亡命するとは……. でも彼らの気持は充分に理解できる。何しろイラクでは今年将来の五輪候補であるジュニア世代のアスリート達が約20人が合宿に向かう時にさらわれて全員が死体で発見されたらしいから。

改めて平和の有難さを感じるよ…. 明日からはマレーシアだ。 

 
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バンコックにてロンドン世代発進 !!

2007-11-21 | 五輪 U-20, U-17

五輪チームが北京行きに大きく1歩前進した地、ハノイからヴェトナム航空機でやく2時間弱。予定より10分程遅れてバンコックの Suvarnabh 空港に到着した。前に来たのはアジアカップ期間中の7月でジャカルタからのバンコック入り。今回はハノイから。ヴェトナム訪問は今回が初めてでインドネシアも数回足を運んだだけなので8年間に渡って何度も来ているバンコックは空港に到着した時から“ホームゲーム”に向かうような感覚だ。最近は世界中からこの地を目指す観光客が爆発的に増えているのでパスポートコントロールでの待ち時間が長くなった。ようやく入国スタンプを押して貰い現地通貨に両替をと思うも受付のお姉さんに “ ドン!ノー !、タイランド、ドン!ノー!“と言われてしまった。アララ知らなかった、Vietnam Don がここでは両替できないのか?まだ日本円で数千円分残っていたのだけど。次のマレーシアで替えられるかなぁ…...

ホテルにチェックインをしてから AFC U-19 予選の行われている Thai Japanese Stadium に向かおうとするが一抹の不安が。タクシーの運転手が解るかな?? ホテルの受付のお姉さんにタイ語で行き先を書いてもらおうと頼んだが、彼女がこの競技場を全く知らない上に英語も少し怪しいので全く通じなかった。しかしホテルの前にいたタクシーの運転手はすぐにわかってくれた。訊けば彼もサッカーが好きでアジアカップは観にいったらしい。競技場は繁華街のスックンビットから約20分程度のところ。日曜日のせいか幸運にも交通渋滞には捕まらなかった。
なぜ Thai-Japanese Stadium と言うのだろう? 日本が資金援助をしたのかな?もしそうだとしたらさすがタイと褒めてあげたい。中国政府なんてあれだけ日本にたかっていながら何一つ“日本の援助で”とは国民に教えない。ある時中国人に言われた。“日本は中国を侵略したのに戦後補償は何もしていない。インドネシアやフィリピンには資金援助しているのに。” “はい。おめでとう。貴方のとこの最近完成した空港は日本の援助なしでは建てられなかったのですよ。他にも沢山あるよ。” 彼の信じられないと言った硬直した表情が印象的だった。

競技場はあまり大規模でなく競技場の外ではジョギングをする人やバドミントンそして遊んでいる子供達も。50バーツの入場券を購入して中に入る、西ヶ丘競技場に陸上競技場のトラックが付いているって感じ。試合は既に始まっている。熱心に太鼓を叩いて応援するサポーター達も。ハノイから今朝入って来たのかな?在留邦人らしき人々も。この予選では既に日タイ両国共に来年サウジアラビアで開催されるアジアユース(U-19 )選手権への進出を決めているが両国共に勝利を目指しての一戦と期待をしていた。着席した時は既に試合が始まっていた。両チームのフォーメーションは…とピッチ上を目で追っているとタイのカウンター攻撃が始まり最後は14番の Jaroensuk が左サイドからドリブルシュートを決めてタイが先制点を挙げた。開始11分の事であった。タイの2トップは10番のK.Thawikan と24番の S.Ramkularbsk 。Ramkularbsk は長身で彼がボールを持つと2人、3人掛でなければ容易に止められない。 14分には左サイドを先制ゴールの Jaroensuk に突破され入れられたクロスをK.Thawikan に押し込まれ追加点を喫する。 GK 権田修一も一旦は手に当てたのだが弾き出す事が出来なかった。



地元サポーターからは歓声と拍手が。しかし日本のサポーターも声援を送り選手達を鼓舞する。日本のスタメンはGK権田修一(FC東京)DFは4バックで左サイドが中田健太郎(名古屋U-18) CB が鈴木大輔(星稜)須崎恭平(磐田Y)右サイドバックが金井貢史(横浜FM Y )。ボランチには山本康祐(磐田 Y ) と金崎夢生(大分)。2列目左が鈴木惇(福岡U-18 ) 右が 比嘉厚平(柏U-18 ) そして2トップが白谷建人( 国見 ) と宮澤裕樹(室蘭大谷 ) 。立ち上がりのタイの攻勢に気圧されているのを見ると日本代表とは言え彼らは19歳以下で高校生が多く、現地入りして10日以上が経っているので子を持つ親の立場としては“現地で飯はきちんと食えているか?替わった気候で体調は崩していないか?洗濯はどうしているのか?”などと心配をしてしまう。 
タイの出だしが良いので日本はボールがつながらずなかなかタイゴールに迫れない。FKのチャンスも壁に当たってしまう。一方でJaroensuk, Thawikan そしてSrichaloung らに右サイドを崩されてピンチを招く。



25分には長身の Ramkularbsuk が強烈なミドルを放ち、その直後には Jaroensuk の左からのクロスから Ramkularbsuk がゴールを狙うがマークに入った鈴木を倒したとホイッスルが鳴り助かる。29分には Srichaloung に左サイド突破を許し、須崎がマークに入るがゴール前のシュート気味のクロスは鈴木の足に当たって正面でフリーの Ramkularbuk に。危ない!!と思わず立ち上がるが、金井が身を挺して Ramkularbuk のシュートコースに入ってブロック。3点目が先に入ってしまえば本当に苦しくなるだけに金井のナイスブロックであった。
劣勢の日本は37分にようやく宮澤が右サイドをドリブルで上がってクロスを入れるが中にいた白谷の前でクリアーされる。そしてそこからカウンターをくらい Srichaloung にシュートまで持ち込まれるがゴールには至らなかった。何とか現状を打開したい日本は37分に宮澤が Kaewsookate に倒されてPAの右側でFKを得る。鈴木惇がファーサイドに上げたFKを金井がダイビングヘッドでタイゴールを割り1点を返した。



相手の攻勢を凌いぎ追加点を決められる前に得点を挙げたのでこれから同点、逆点が期待されそうな展開となった。40分にはその右サイドバックの金井が逆サイドの金崎に大きく振り、金崎はクロスを入れるが僅かに宮澤には届かない。金崎が左サイドによって鈴木惇が中に入って来た。
しばし攻撃の手が緩んでいたタイだが、41分には Ramkularbsuk から Srichalong に渡りチャンスとなりかけるがマークに入った須崎を倒してファール。42分には日本ゴール前で Thawikan が倒されるがノ-ファール。そいてロスタイムに入った46分には比嘉がJaroensuk にタイゴール前で倒されたがこれもPKにはならずに前半が終わった。立ちあがり、タイは攻勢を見せたが同じ選手で攻撃を形成していたでの日本ベンチもそれに対する指示がハーフタイム中に出されるであろう。

ロスタイム中にすぐ後ろに座っていた人と話す。訊けばバンコックの日本人学校の先生とか。私が持参していた専門誌を見せてあげると喜んでくれた。福岡出身との事でアビスパのサポーターらしい。今シーズンは昇格出来なかったけど福岡は若手選手の育成に力を入れているのでよしとしているとの事だった。横断幕も福岡のサポーターらしき人が掲げたものがあった。前半途中から増えて来た在留邦人の少年達の為にもこの試合を勝利で終わってほしい、と節に思った。



そしてこの試合のメンバーリストを求めて競技場内をうろつく。タイ人報道関係者らしき人がメンバーリストを持っていたので英語で書き写させてほしいと頼むと彼は2枚持っているのでと、気前よくリストをくれた。これは助かり有難かった。英語が話せたのでしばしサッカー談議を。先日 Manchester City とタイの3選手が契約した事を話すと“あれは選挙の為だ。”と。12月に選挙があるのだがタクシン前首相がいた政党の人気取りのためだ、と冷ややかに思う人が多いらしい。彼も日本のサッカーは素晴らしいと言ってくれたけど..

後半に入っても両チームメンバー交代は無かった。開始20秒。Srichaloung が右サイドを突破してシュートを放つがGK権田がパンチングで弾き出す。タイ側席に移って来て分かったのだが、熱心に声援を送るのは女の子達だった。羨ましいなぁ…



51分には Srichaliong が鈴木大輔を交わして日本ゴールに迫る。女の子達の声援が飛ぶ、そしてPA内で倒されたがノーホイッスル。彼女達が一斉に立ち上がってなにか審判に叫んでいた。53分に左サイドから何度から突破して来た Jaroensuk が下がってDF登録のSrisaiが投入され、右サイドバックに入った。これは左サイドに回って来た金崎への対策か?しかし金崎が左サイドに入ってから日本のチャンスが増えだしたのだ。その金崎は56分に Madputeh を交わしてゴール前に迫ったところをCB の Cumsokcheak に倒されてFKを得る。そのFKから金崎が飛び込むがGK Cunnigham がブロック。おしいチャンスだったが63分、金井のスルーパスが宮澤に通り、更に鈴木惇へ。鈴木惇はやや距離があったがそのまま放ったシュートがタイゴールネットを揺らし、同点ゴールが生まれた。この右からの崩しは見事だった。



“アウェー”で2点のビハインドを追い付くあたりは日本サッカーの成長の証明だろう。残り時間はまだ30分弱。引き分けでも1位通過だけど、来年のアジアユースを勝ち抜いて再来年のFIFA U-20を考えればやはり逆転勝利は収めてほしいところだ。それはタイも同じだろう。特にホームであるので。
66分には CB Kaewsookate が強烈なミドルを放つ。最近では東南アジアの選手のシュートレンジも長くなって来た。そして周囲が暗くなって来たので照明に明かりが灯り出した。タイはボールキープの出来る Thawikan にボールを集める様になる。日本は70分宮澤に替えて福岡大の永井建祐が投入される。がんばれ大学生。そう言えばこの試合には出ていないがGKの松本拓也も順天堂大学生だ。バンコックに来てお金足りているかな???
タイベンチも72分。運動量の落ちた巨漢FW Ramkularsuk を下げて Namuengrak を投入し Srichaloung と2トップを組む。11月のタイは4月の地獄の様な高温多湿では無く過ごしやすいほうだがそれでもピッチの選手達の消耗も止められない。試合が中断するたびに水分補給にいそしむ選手が少なくない。 77分にはタイの2トップ Namuengrak とSrichaloung で左サイドを突破してくるが金井、須崎が踏ん張る。女の子達は“ Thailand !! Thailand !! “ の大声援を送る。日本のサポーター達も負けていない。金崎が下がって山崎亮平(磐田)が投入される。しかし、その直前に比嘉が相手選手のチャージにあって立てない。牧内監督も山崎に一旦下がる様に命じるが、結局最初の届出通りに金崎が下がり山崎が入った。その直後に水沼がピッチサイドに出て来る。水沼と言えば私はむしろユース、日本代表で活躍した彼の父親の方を思い出す。もし彼が FIFA U-20 でゴールを決めるような事になれば親子2代に渡っての得点者となる。あぁなんて親孝行なのだろう…. その前に私がもっと家族の事を考えないとなぁ…. メンバー表をくれた地元の記者に、“あの28番の父親は有名で日本代表でもプレーをした。20年前には日本代表メンバーとしてバンコックに来てタイ代表と五輪予選の試合に出場した。その試合は 0-0 だったけど、後日東京で行われたタイ戦でゴールを決めた。”と教えてあげたら頷きながら何かメモっていたけど活字になったかな?
その水沼が痛んだ比嘉に替ってピッチにはいる。時間が少なくなり、どちらも負けて失うものは何もないので勝利を目指してプレーが激しくなる。87分 Thanwikan が鈴木大輔を振り切りシュートに持ち込むが枠を捉えられない。ロスタイムの表示が4分と出る。まだまだ両チームにチャンスはある。91分には途中出場の Namueangrak が下がってDF登録のSompittayanurak が投入される。
時間が過ぎ、このまま引き分けかと思われた93分にドラマが起こった。右サイドで水沼からボールを受けた永井が中にクロスを入れる。そのまま逆サイドに流れたところには山崎がおり、山崎が持ち込んで放ったシュートはタイゴールに突き刺さりこの試合日本が初めてリードを奪った。
狂喜するピッチの選手達。そして観客席の日本人達。しかしタイの選手達は諦めてはいない様に見えた。すぐにボールをセットしキックオフに備える。そのリスタート後にFKを得るがそれを巡って日本選手と小競り合いを。日本ゴール前に一旦は迫るがそこでタイムアップ。観客席では在留邦人を始め、日本人が勝利の拍手を送るが、ピッチ上では文字通り激しい乱闘が始まった。



日本が逆転ゴールを決めた時にすでにブチ切れていたのだろう。GK権田が頭を叩かれたりしたらしい。 しかし選手達が自軍ベンチ前に戻って来るとそこで歓喜の輪が広がり、スタンドからは再び大きな拍手が彼らに送られる。

“アウェーゲーム”で2点のビハインドを引っくり返した事は今後の自信に繋がるだろう。しかし来年のアジアユースではタイよりも強い相手と戦わねばならない。彼らが更にレベルアップし、5年後のロンドン五輪にも出場してくれる事を祈っている。
帰りにメンバー表をくれた記者と握手をして別れ、タイサポーターの女の子達に声をかける。最後の乱闘を表現すると彼女達は “ムエタイ!タイボクシング!!”と言ってファイティングポーズを取った。ポンサクレックを破ったのは日本の内藤だぞ、とタイ語が話せれば言い返したのだけど…..




この試合は著名なサポーターやジャーナリストも観戦していたらしい。あぁ、良く見てあいさつしとけば良かったなぁ..

そして私は競技場の外に小走りで出た。タクシーがすぐに拾えることを祈りながら……


日本快勝。五輪に王手.... vs ヴェトナム戦 後半

2007-11-20 | 五輪 U-20, U-17

21日の最終戦と言うよりも数時間後に試合を行うサウジアラビア、カタールにプレッシャーをかける意味でもあと何得点入れても多すぎはしない。前半の展開から後半は大いに期待できそう…であった…
しかし立ちあがりからゴール前に迫るのは赤いユニフォームのヴェトナム。開始早々に水野のクロスに岡崎が飛び込むチャンスがあったが(結局岡崎のファール)、以降はヴェトナムの攻撃シーンが続く。48分にはLe Cong Vinhが左から入れたクロスにPhan Thanh Binhが狙うがヘッドが合わない。その直後にもLe Cong Vinhがまた左サイドを突破し入れたクロスはPhan Thanh Binhの頭上を越すがそとから走り込んだフリーのNguyen Vu Phongがそれを空振り。56分には本田圭祐がDoan Viet Cong を倒してFKを与え、そのFKから Doan Viet Cong がクロスをゴール前に上げるとLe Cong Vinhがヘッド。しかしこれは西川のファインセーブに阻まれる。59分にはLe Cong Vinh が、61分にはVo Nhuat Than がそれぞれ強烈なミドルを放つ。前半は静かに終わったヴェトナムサポーター達が俄然活気着いて来た。
後半のヴェトナムはLe Cong Vinh、Phan Thanh Binhの2トップそしてサイドのポジションの選手がワイドに開く様になり、空いた所に後列から味方がどんどん上がって来るので前線に人が増えて日本を防戦に追いこむ。64分には Nguyen Vu Phong が下がり Chau Phong Hoa が入る。 Nguyen Vu Phong は怪我が回復しなかったのか?それとも SEA Games に向けて温存か? Chau Phong Hoa が右のサイドバックに入り、Doang Viet Cuong が前に出て来て2列目の右にそしてPhan Thanh Binhのワントップにし、左にLe Cong Vinh、 最中にVo Duy Nam を置く布陣に替えて来た。65分には右から Phong Cong Minh が低い弾道のライナーのクロスを入れ Doang Viet Cong がゴールを狙うがコーナーに。



ここで失点するとヴェトナムも調子付いてしまうのでしっかりと凌いでほしい..と思う68分。リードル監督は何故かLe Cong Vinhを下げてNguyen Minh Chuyenを投入する。Le Cong Vinhは間違いなく ASEAN 地域で今 Number 1 のFWに違いない。そして今後日本と対戦する事があったら更に厄介な選手になるだろう。Le Cong Vinhの交替は SEA Games の為の温存か??膝の故障があったNguyen Minh Chuyen は8月の日本戦以来の五輪予選出場だ。
その直後日本ベンチは伊野波を下げて梅崎を入れる。この五輪予選初登場だ。Le Cong Vinhを下げてPhan Thanh BinhとNguyen Minh Chuyen の2トップに戻したせいか、中盤で梅崎が効いたのかヴェトナムの攻勢はぱったり止まってしまった。 74分には梅崎が放った強烈なミドルがポストを直撃する、そのこぼれ球を完全にフリーな岡崎がコントロールするもヴェトナムDF陣が必死に守ってゴールを割らしてくれない。完全に1点ものだったのだけど…..多くの日本人サポが立ちあがったが落胆の着席を…すると地元サポーター達から歓声が上がる。
75分には青山敏弘に入って細貝が入る。そしてヴェトナムは中盤の Vo Duy Nam を下げて FW のNguyen Anh Duc ( グェン・アン・ドク) を入れて右の前線に張らせる。 Nguyen Anh Duc は8月の日本戦のスタメン選手だった。日本は3人目の交替選手興梠が投入された。平山の登場はこれで無くなったなぁ……. 85分にはNguyen Anh Duc の突破を青山直晃がファールで止めてFKを。Nguyen Anh Duc がそのFKをゴール前に入れ、こぼれ球をPhan Thanh Binhが狙ったがそのシュートは外れた。これがこの試合ヴェトナム最後のチャンスであった。
87分に梅崎が Chau Phong Hoa のファールを受けてFKを。水野が蹴ったFKに細貝がヘッドで合わせてゴールイン。ようやく日本が4点目を奪った。日本サポーターからは安堵の歓声があがる。



するとタイミングよく前の英語を話すヴェトナム人から“このチームでウラワレッズの選手はいるか?”と訊かれたので“今決めた2番の選手が URAWA REDS の選手だ。”と教えた。でも細貝は五輪予選遠征もあってACLの決勝戦は2試合とも出ていないんだけど…..その欝憤を晴らせたか… さらにその直後Vo Nhuat Than のファールでPKを得る。日本人サポーター達は大歓声だ。ゴールは多くても多すぎる事は全くない。 しかし本田圭祐の蹴ったPKを GK T.D.Cuong が右に倒れこんでナイスセーブ。この日一番の大歓声が地元サポーター達から沸き上がった。おいおいこれぐらい決めてくれよ….と溜息が洩れる… 89分には左からのCKに興梠が飛び込むがその強烈なヘッドはポストの左を通過した。そして2分あったロスタイムも過ぎてホイッスルが鳴る。
日越両国のサポーター達の拍手の中両国の選手達が握手を交わしている…良い風景だ。 得点力不足を指摘される日本はカタール、サウジアラビアが勝てなかったハノイで4点差で勝利を納めた事で少し優位に立てたと思った。まぁ世界中で得点が入って仕方がないと言う代表は数が本当に少ないのだけど….

ヴェトナム代表のリードル監督は SEA Games に向けてこの試合に収穫は得られただろうか…..でも彼らのサイド攻撃そして2トップの強さは2014年のワールドカップに向けて期待できるかも知れない。八百長などの不祥事がなくてASEAN 以外の地域のクラブでプレーする選手が増えれば….A-League を目指せ !! そしてその次は J-League だ。K-League は東南アジア蔑視がすごいから辞めた方がいいけど……

この勝利は特に在留邦人の人々にとって良いエネルギーになったに違いない。試合終了後はヴェトナムサポーター達と何度も握手し記念撮影をした。すると警備員達に早くでろとばかりに追い立てられる。同様に記念撮影をしていた日本人サポーターの人まで。早く照明を消したいのかな?????

翌朝、サウジアラビアがカタールを破ってくれたのでカタールの予選突破はこれで無くなった。 21日、東京でのサウジアラビア戦に引き分ければ日本の北京行きは決まる。 20年前のソウル五輪予選の最終戦。五輪に王手をかけた日本は最後の東京での中国戦に引き分ければ20年振りの五輪出場が決まるところだったが雨の中の試合は 0-2 で完敗してしまった。あの10月26日だった。しかし今の五輪チームはあの時と違う。日本も積み重ねがある。そして試合は11月だ…..関係ないか??

11月21日は吉報が届けられる事を祈るよ。 

そして私は翌日次の訪問地タイのバンコックに向かった…..

 


日本快勝。五輪に近づいたか?? vs ヴェトナム戦 前半

2007-11-20 | 五輪 U-20, U-17
雨が降らない限り17日の My Dinh Stadium での日本戦は満員になるであろう…. 専門誌に書かれてあったヴェトナム代表、リードル監督の言葉を“信じて” My Dinh Stadium にはキックオフ1時間前に競技場入りした。チケットを購入してスタジアム内に入ると広いロビーが。そこでサンドイッチとコーラを買って腹ごしらえを。勘定は VND30,000 日本円で約200円。競技場の最も高いチケット代金が VND100,000 約670円。物価は隣国タイよりもまだ下だ。試合開始約20分前に席に向かう。2003年の SEA Games のメイン競技場として建てられたこのモダンな巨大なそして立派な競技場に集った人は….まばらであった。それでも数はここに訪れた在留の邦人、日本から応援に来た人々と合わせたくらいだけど地元ヴェトナムのサポーター達は試合前から熱心に声援を送る。陸上競技用のトラックがあるのでピッチ上の選手の表情は解らないが日本は誰がスタメンなのだろう…
昼間の蒸し暑さと異なりキックオフ時間の午後7時15分頃には気温も下がり観戦し易い気候であった。やがて歓声の中両チームの選手達が入場して来る。そして国歌。昨年のワールドカップ以来の君が代を競技場で斉唱させてもらい、続いて私の後方に陣取った地元ヴェトナムのサポーター達のヴェトナム国家の大合唱が始まった。現在のヴェトナムの国家は昔北ヴェトナムと言われていたヴェトナム民主共和国の国家なのだろうか….. スクリーンに両チームのスタメンが映し出されるが小さすぎて見えない。背番号で確認しようにも日本と異なり試合のプログラムなど販売されていないのでその場では確認できなかった。




ヴェトナム五輪チームは GKがこの五輪予選ずっとゴールを守るTran Duc Cong。DFは Centre Back がNguyen Thanh Long Giang ( グェン・タイン・ロン・ザン) とMai Xuan Hop(マイ・スアン・ホップ)。M.X.Hopはスタメン入りしないのではと新聞に書かれていたが…。左サイドバックが Vo Nhat Tan ( ボー・ニャット・タン ) 右サイドバックが CB に入ると思われたDoan Viet Cong (ドゥアン・ヴェト・クォン) 。結局8月の東京での試合と同じDFラインであった。その試合の日本の2トップは李忠成と平山相太であった。中盤の二人は結局膝の故障の回復が報道されていたゲームメーカーの Nguyen Minh Chuyen ( グェン・ミン・チュェン ) はベンチスタートでVo Duy Nam ( ボ・ズィ・ナム ) と中盤を組んだのは 8月の日本戦でもスタメン出場したPhung Cong Minh ( フン・コン・ミン)。2列目の左サイドはサイドバックも出来るMai Tien Thanh ( マイ・ティエン・タン) 左にはふくらはぎの怪我から回復せず欠場かと報道されていた五輪予選で通算5ゴールを決めている Nguyen Vu Phong ( グェン・ブー・フォン ) 。8月の東京での試合で終了直前に強烈なFK放ち我々を震撼させたまた7月のアジアカップでも堂々のレギュラー入りを果たし日本戦を含め4試合全てにスタメン出場した選手だ。そして2トップはLe Cong Vinh ( レ・コン・ビン) Phan Thanh Binh (ファン・タン・ビン ) 。 Le Cong Vinh はオーバーワークで欠場かと言われが出て来た。数日前には結婚(婚約?)をしたとの事。11人中9人が8月の日本戦のスタメン選手。
一方我らが日本五輪代表は、注目のFWは李忠成と清水エスパルズの岡崎慎二。噂されたカレン・ロバート、はベンチ入り出来ず、平山相太はベンチスタート。岡崎の調子が良かったのだろう。DF陣は内田、青山直晃、水本、伊野波とカタール戦のスタメンがそのまま入った。特にカタール戦では痛恨のハンドをロスタイムに犯してしまった伊野波には奮起して欲しかった。中盤はボランチに青山敏弘と柏木。伊野波のボランチも試されたらしいが….2列目の右サイドには怪我が心配された水野。左サイドには本田圭祐。この2人のサイド攻撃に期待がかかる。そしてGKは最終予選初登場の西川周作。背番号41番がなんだか初々しく見えるが2次予選では3試合ゴールを守り、出場停止となったマレーシア戦以降、最終予選でも怪我があったりで出番がなくようやく前節のカタール戦でベンチ入りを果たしこの試合でスタメンに復帰した。しかし、西川が活躍するシーンは少ない方が有難いのだけど….
試合開始前から私のすぐ後ろに陣取るヴェトナムサポーター達は“ヴィェトナム!! XXXX !! “ と熱心に大声援を送っている。そのXXXX の部分は何と言っているのかと後で英語を話すヴェトナム人の一人に尋ねると、”Vietnam !! 2-0 !! “ とのことだった。東京で 0-1 で負け たのでハノイでは 2-0 でリベンジと言う事か??ヴェトナムボールのキックオフで始まる。



開始2分、いきなり Le Cong Vinh の右サイド突破からCKのチャンスを迎え、ハイボールを入れるがもう一度コーナーへ。Nguyen Vu Phongが次のCKをライナーで入れLe Cong Vinhに頭で合わせられるが枠を外れた。最初のゴールチャンスに後方の地元サポーター達からは大歓声が。
しかし以降は日本がゴール前に迫る。4分には岡崎がクロスを6分には内田がスルーをPA内に入れてチャンスを作るがヴェトナムDFがクリアー。そして7分30秒、岡崎がPA外側左で倒されてFKを得る。水野と柏木がボールの後ろに立ったが水野がFKをゴール前に高く上げると走りこんで来た李忠成が頭で合わせて先制ゴールを奪った。今度は邦人の応援団が大歓声を上げる番だ。FW陣の得点力不足が指摘されていたが早い時間に先制ゴールを挙げてくれた。これで試合展開が楽になると思ったが、地元の歓声を受けるヴェトナムがゴール前に迫るシーンが続く。
Phan Thanh Binh,、Le Cong Vinhの強引なドリブル突破、そして左サイドから Vo Nhat Than , Mai Tien Than が攻め上がる。20分には Doan Viet Cong が右サイドから入れたクロスからPhan Thanh Binh,にジャンピングボレーを撃たれるがGK西川が何とかセーブ。 ヴェトナムがショート、ロングパスを繋ぎだしリズムをつかもうとしていた。23分には伊野波がNguyen Vu Phongを倒して警告を受ける。Nguyen Vu Phongはすぐには立てず外に出されるがそのFKからCB のMai Xuan Hopが日本ゴール前に鋭いクロスを入れるがPhan Thanh Binh,が合わせる前にGK西川がキャッチ。ここで同点に追い付かれるとこの勝負の行方が大きく傾くと思われた。
しかし25分に追加点が入る左サイドを本田圭祐が突破し入れたクロスをまたも走りこんできた李忠成が頭でGK Tran Duc Congの前で合わせてこの試合2点目を決めた。この五輪予選1試合で2点を挙げたのが初めて。得点力不足とマスコミが指摘し続けたその欝憤を晴らすかの様な見事なシュート練習の様なゴールであった。
試合開始前から Vietnam !! 2-0 !! と叫んでいたサポーター達は先に 2-0 とされてすっかり大人しくなってしまった。そしてこれから日本のテンポの良い攻撃が続いた。27分には内田の右からのクロスを水野がヘッドを放つがポストの右に外れる。31分には水野が入れた右からのクロスに青山直晃が走りこむがGKT.D.Cuong が青山と激突しながらセーブ。34分には右サイドからまたも水野がクロスを入れるが岡崎が空振り。37分、ワンツーから抜け出した本田圭祐が撃つがこれもGK T.D. Cuong がブロック。39分にも右の本田圭祐から逆サイドの内田にボールが送られそのまま中の李忠成に渡るがまたもT.D. Cuong がセーブ。GKのT.D.Cuong はこの14分間で3度の決定機を防いだ。その度のヴェトナムサポーターから歓声が上がる。しかし、40分ゴール前でダイレクトパスをつなぎ最後は本田圭祐からボールを受けた岡崎が Mai Xuan Hop に倒されてPKを得る。そしてこれまで好セーブを連発していた T.D. Cuong ではあったがこの本田圭祐のPKの前にはなす術無く日本がリードを3点に広げた。



私を含めた日本からのサポーター達そして現地在留であろう、熱心な声援を送る子供たちも大喜びだ。後ろのヴェトナムサポーター達は更に静寂してしまった。ヴェトナムも悪い展開をしていなかった。時折日本のパスをインターセプトし逆襲に転じようとするがその次、または次の次のパスが簡単に日本の網に引っ掛かってしまい日本ゴールに迫れない。そして日本は願ってもないゲーム展開に後半更なるゴールラッシュを期待するところであった。



後半に続く.....

ヴェトナム戦。対戦相手のスタメンは….

2007-11-17 | 五輪 U-20, U-17
ヴェトナム入りして4日目。この日は My Dinh National Stadium に日本五輪チームが乗り込んで北京行きを賭けた大事な試合に臨む。
こちらは乾季で湿度が低くて過ごしやすいと言われていたが何の何の、夜でもホテルの部屋に帰れば空調は点けっ放し。とてもこれ無しでは過ごせない。外にでれば時折心地よい涼風は吹くけど……
Ho Chi Minh から Hanoi に移動するとさすがに街の人は17日の日本戦の事を口にする。顧客の所に寄った帰りに歩いていると新聞と雑誌を売っているスタンドがあったのでふと足を止めた。ヴェトナムにも当然スポーツ新聞はいくつかあり、一面はサッカーの記事だ。つい先日まで Ho Chi Minh ではU-18の1次予選が行われていた。残念ながら地元ヴェトナム U-18はオーストラリア、韓国の後塵を拝して来年サウジアラビアで開催されるアジアユース(言い方古いか?)に進出出来なかった。そして10月末から11月初旬にかけてインドネシアのジャカルタで開催された U-16 アジアユースの決勝大会進出を賭けた U-15 予選でも最終戦のインドネシアに 4-0 で敗れるなど次戦へ駒を進める事が出来なかった。こうなって来るといよいよ地元のサッカーファンは11月末からバンコックで開催される SEA Games での金メダル獲得に期待がかかる。そう言う意味で、この日本戦はどうとらられているのだろう?

地元紙によると11月12日のヴェトナム五輪チームの練習ではサイド攻撃とペナルティーエリア内からのシュート練習を行ったらしい。 Alfred Riedl 監督によるとゲームメーカーの Nguyen Minh Chuyen ( グェン・ミン・チュェン ) の膝の故障回復が大きいらしく Vo Duy Nam ( ボ・ズィ・ナム ) と中盤を組ませるらいい。Nguyen Minh Chuyenはこの五輪予選では初戦の日本戦に71分間プレーした以外は出場出来なかった選手だ。そしてアジアカップでも代表入りしており日本戦ではスタメン出場を果たしている。厄介な選手が回復してきた。

しかし、この五輪予選で通算5ゴールを決めている Nguyen Vu Phong ( グェン・ブー・フォン ) は痛めたふくらはぎが回復せず日本戦は欠場すると思われる。まぁSEA Games に出られれば良しとされているのかもしれない。Nguyen Vu Phongと言えば8月の東京での試合で終了直前に強烈なFK放ち我々を震撼させた選手。 7月のアジアカップでも堂々のレギュラー入りを果たし日本戦を含め4試合全てにスタメン出場。この選手の欠場は日本にとっては吉報だ。

そしてDF陣がヴェトナムチームのアキレス腱となっている。センターバックの Nguyen Thanh Long Giang ( グェン・タイン・ロン・ザン) と今回コンビを組むのは数試合コンビを組んだ Mai Xuan Hop(マイ・スアン・ホップ)ではなく、Doan Viet Cuong ( ドゥアン・ヴェト・クォン)か Nguyen Dai Dong ( グェン・ダイ・ドン ) のどちらかになるが ドゥアン・ヴェト・クォン はサイドバックの選手だ。そして Nguyen Dai Dong が出場したの10月17日のサウジアラビア戦のみ。おそらく Doan Viet Cuong がCBに入るのではないか? 2トップは日本でも御馴染のLe Cong Vinh ( レ・コン・ビン) Phan Thanh Binh (ファン・タン・ビン ) で決まりだが、サイドを張る選手もタレントぞろいだ。2列目左のLe Tan Tai ( レ・タン・タイ ) そして2列目右のグェン・ブー・フォンの代役を務めるHuynh Quang Thanh, (フィン・クアン・タン) 左サイドバック候補のChau Phong Hoa ( チョー・フォン・フォア), Vo Nhat Tan(ボー・ニィェッ・タン)そして 右サイドバックのMai Tien Thanh ( マイ・ティエン・タン) 。日本の両サイドは誰が務めるのか… 右は水野晃樹、内田篤人、左は本田圭祐、安田理大となるのだろうか?足先が起用で攻守の切り替えが早いサイド攻撃を抑えられれば日本の勝機も見えて来ると思われる。ただ Phan Thanh Binh は東京での試合は後半26分から約20分程度の出場。今度スタメンで来られるとどうだろう…
そしてもう一人のFW Le Cong Vinh はアジアカップでも代表レギュラーで4試合すべてスタメン出場。UAE戦ではゴールも決めている。
そして Le Tan Tai はアジアカップで4試合スタメン出場を果たしながら五輪最終予選にはまだ出場がなかった。怪我でもしたのか?しかしこの日本戦には出場して来るらしい。う~ん厄介な選手だ。
また地元紙では平山、水野、細貝と言った東京でのヴェトナム戦で“活躍”した選手に注意を払っている。東京でのヴェトナム戦で出場しなかった李忠成の怪我も伝えられている。










SEA Games target

日本でも知られている通りヴェトナムサッカーファンの関心は SEA Game のタイトル奪取。優勝ボーナスとして11月14日Sai Gon Shopping Centre がUS$100,000 を支払う事を発表。そして優秀選手にはベンツも用意されているとか。 SEA Games では Group B に入りマレーシア、ラオス、シンガポールと対戦する。そして初戦のマレーシア戦は12月1日だ。
ヴェトナムチームが本格的に強化され出したのは2003年に地元で開催された SEA Games への強化がきっかけだ。この大会では決勝戦では激戦に末にタイに 1-2 で敗れたがその熱狂ぶりは当時この試合をテレビで見ていてひしひしと感じられた。その地元開催された大会で活躍したのが今年の五輪チームと言うよりもヴェトナム代表のエース Phan Tan Binh 。当時はまだ18歳だった。他にもLe Quoc Vuong, Phan Van Tai Em, Phan Thanh Binh, Nguyen Huy Hoang そして Phan Van Quyen ら前日のタイの英字新聞では “ DANGERMEN “ と指摘された選手達のプレーを楽しめた。特に当時19歳であった Van Quyen の動きは大変に目立っており、彼がボールを持てばタイのDF数人を擁しないと彼の動きは止められず、今後の成長が楽しみであった。実際に彼は2か月前の10月にオマーンの首都マスカットで開催されたアジアカップ予選では韓国相手に決勝ゴールを決めている。そして2005年にはヴェトナム遠征をしたジュビロ磐田がヴェトナム代表との間で親善試合を行ったが、名波、服部、藤田、崔龍朱を擁した磐田は Phan Van Quyen のゴールなどで 1-2 で敗れている。そして横浜FCが Van Quyen に入団のオファーを出したとの事….. 私はホスト国となる事が既に決まっていたアジア大会で Phan Van Quyen が見れる事を大いに楽しみにしていた。しかし、激震がヴェトナムサッカー界を襲う。今年の1月、代表チーム選手を含む7名のヴェトナム選手が八百長事件に連座していたとの事で処分されてしまう。Le Quoc Vuong, Thulong Thanh Hai, Phnoc Vinh, Phunoc Vinh, Hai Lam, Le Bat Hiem そして Phan Van Quyen の名前も含まれていた。 2003年の SEA Games で後半終了直前に退場となった Le Quoc Vuong には7年の重い実刑判決が下されThanh Hai には3年の実刑判決が、そしてVan Quyen も残りの他の選手同様執行猶予付きの判決が下された。

地元スポーツ紙には過去2大会のメンバーと今年のメンバーの比較が当時のフォーメーションを元に書かれている。2003年の SEA Games の話やら新聞の選手の名前を指さしてスタンドのおばさんとおじさんとした。勿論言葉は通じない。でも新聞を手に話す私を見て二人は私が何を言おうとするかよく判ってくれた。驚いた事にタイのキャティサックの発音が一発で通じた。タイでは何度も訊き直されるのに。そうだった。彼はヴェトナムのホアンアイン・ジャーライでプレーしていたっけ。
そして日本の選手もよく知っている。ナカムラ、ナカタ、タカハラ….
あぁそうか、アジアカップで日本はここで戦ったんだな。あの時ハノイだけは来れなかったんだ。 中田は引退していたけど……
言葉は通じなくとも….サッカーは世界の言葉。昨日11月16日は10年前ジョホール・バルで日本がワールドカップ出場を決めた記念すべき日だった。その翌日の今日、五輪チームの健闘を願うよ。  オシム監督の為にも……..

 写真

アジア中で激戦が…..

2007-10-24 | 五輪 U-20, U-17
先日日本U-22 はカタール・ドーハで残念ながら惜敗をし五輪予選の厳しさが増しているが、それは日本の所属する Group C だけでなく他の Group も同じだ。五輪予選にかけるアジア諸国の思いの強さは他の大陸では見られない。AFC のWEBサイトでも五輪予選のページがあるくらいだ。ワールドカップでは出場枠の拡大により昔は1つしかなかった出場枠が今は最大5カ国まで門が広がったが、五輪はまだ昔と同様アジア枠は3のまま。今回は五輪が北京で開催されるので中国を含めてアジアから4カ国の出場枠が確保されている。前回アジアで五輪が開催されたソウル五輪時は開催国の韓国を含めて出場枠は3つのままだった。それに今回はオーストラリアが編入してきた。日本、韓国をはじめサウジアラビア、イラン、イラク……これだけで出場枠の2倍の国名が挙がって来る。日本だけでなく他国のサポーター達も試合ごとに激しく一喜一憂しているのだ………

Group A
イラク             2勝 2分 0敗 7得点 0失点 8勝点 +8
オーストラリア  2勝 2分 0敗 4得点 0失点 8勝点 +4
レバノン        1勝 1分  2敗 1得点 8失点 4勝点 -7
北朝鮮          0勝 1分  3敗  0得点 4失点 1勝点 +4

10月17日、オーストラリア五輪代表はレバノンの首都ベイルートに乗り込んだ。9月にホームで行われた北朝鮮、レバノンとの2連戦に連勝を飾った五輪代表こと Olyroo 。ホームで 3-0 と一蹴したレバノンをアウェーで叩けばアジア代表として五輪切符を掴むチャンスでもあった。しかしベイルートのMunicipal Stadium ではゴールを奪えず勝点は1止まり。幸い当面のライバルイラクが平壌で北朝鮮と0-0 で引き分けた為勝点では並んだまま、しかしオーストラリア関係者は平壌で北朝鮮が勝つ事を見込んでいたのではないか….. 確かに Olyroo はAdelaide United striker の FW Bruce Djite そしてNewcastle Jets の MF Stuart Musialik の中心選手を欠いていた。それでも試合を支配していたのは Olyroo だった。 27分にはJets の中心選手 Mark Bridge が7mの距離から決定的なヘッドを放ったがレバノンGK Hassan Moghnieh. の台ンセーブに阻まれた。前半終了直前には James Troisi が Bridge とのワンツーから抜け出しGK と1対1になるこの日最大のチャンスを掴んだが僅かに右に外してしまった。レバノンも後半エースストライカーの Akram Moghabi がGK Danny Vukovich のいない無人のゴールにシュートを放つチャンスがあったがNewcastle Jets のAdam D'Apuzzo がブロックし失点を逃れた。その後も Olyroo の攻撃は止む事がなかったが最後までゴールは奪えなかった。9月8日にイラクはベイルートでレバノンを 5-0 で一蹴している。そのレバノンをアウェーでオーストラリアは得点を挙げられずに引き分けに終わってしまった。これが現在の得失点差そして星勘定でイラクが優位立っている分岐点だ。Olyroo は ホームでのレバノン戦でもゴールを挙げたDjite の欠場が痛かったか….. それにしてもイラクの攻撃力は恐れ威入る。中でもレバノン戦で2得点,北朝鮮戦で1得点の Khashen Alaa は次代のイラクのエースストライカー候補だ。そして同じくレバノン戦でもゴールを決めた Muhamed Karrar はアジア大会そしてアジアカップのメンバーでもあった。イラクの実力は政情不安な為ホームゲームをイラク国外で行っているにも関わらずグループの首位にいる事でも証明される。次節11月17日 オーストラリアのGosford、 Central Cost Mariners のホームグラウンドにイラクが乗り込みオーストラリアと対戦する。8月22日ドーハでのイラクの“ホームゲーム”では0-0 であった。イラクの攻撃力が Olyrooのゴールを割る事が出来るだろうか。イラクとオーストラリアは前回のアテネ五輪では準々決勝で対決。その時はイラクが1-0 で勝っておりベスト4進出を決めた。この組には前回のベスト8とベスト4が入っている最も厳しいグループと言えよう。この組で注目していた北朝鮮であるが、これまでわずか勝点1、そして無得点。9月8日 Newcastle でのオーストラリア戦を観戦したが、中盤では時折早いボール回しを見せるがゴール前で決定的な仕事が乏しかった。それは日本も一緒か……

Group B
韓国         3勝 1分 0敗 4得点 1失点 10勝点  +3
バーレーン       3勝 0分 1敗 6得点 3失点  9勝点  +3
シリア          0勝 2分 2敗 1得点 3失点  2勝点  -2
ウズベキスタン  0勝  1分 3敗 2得点 6失点   1勝点  -4

10月17日シリアの首都ダマスカスで行われたアウェーでのシリア戦。ひと月前のホームでのシリア戦には 1-0 で勝利を収めている。韓国の関係者達は当然この試合も勝ち、4連勝を飾るものと思っていただろう。そして北京行きをより現実的に出来るものと思っていただろう。9月12日のホームでのシリア戦は金勝龍のゴールで手堅く勝利をしている。しかしよく考えればホームで 1-0 の勝利であればアウェーでも勝利とは胸算用出来なかっただろう….ダマスカスでのシリア戦の前には UAE で調整合宿を行いその際には日本との試合で0-3 で敗れたとの事。GK鄭成龍を含めて5人の9月のシリア戦でスタメンでなかった選手を入れて臨んでアウェーのシリア戦は朴主永と金勝龍をツートップとして起用したがMFの白智勲と呉章銀が引き気味のプレーに徹したため、普段の攻撃とは違い、迫力が感じられなかった。朴主永は、前半13分に左足からシュートを放ち、29分にはペナルティーエリア左からFKのチャンスをつかむも、ともにゴールポストを大きく外した。前半のポイントは、19分に放った李相湖のヘディング・シュートがゴールポストに阻まれたところ。これが前半最大の見せ場だった。後半に入り、朴成華監督は、李青龍と徐東鉉を投入したことにより前半に比べてパスワークが良くなり、試合の主導権を握るようにはなったものの、今度はシュートが決まらなかった。後半20分、李根鍋が決定的なシュートを放つも、ゴールキーパーのファインプレーに阻まれ、その後も徐東鉉や朴主永がシリアゴールを狙ったが、結局得点に結びつけることはできなかった。むしろ試合終了間際にシリア選手の放ったシュートがゴールポストに当たるなど、冷や冷やさせる場面もあった。

次戦、韓国はタシュケントに遠征しウズベキスタン戦に臨むが、最終戦はトップ争いをするバーレーン戦をホームで行う。韓国の予選突破は堅いと思う。 今大会はまだ終わっていないが、韓国のアジアでの勝負強さは脱帽だ。1986年のメキシコワールドカップに出場以来20年間でワールドカップ6大会、五輪5大会連続出場中だ。(地元開催も含む)五輪予選では前回はイラン、中国と同じ組でありながらその両国を寄せ付けずアテネ行きを決めてアテネ五輪ではベスト8に進出している。シドニー五輪予選も中国、バーレーンをものともせずに予選突破を果たしている。
しかし、韓国とてメキシコワールドカップ前までは1964年東京五輪以来20年以上に渡ってアジアの壁を突破出来なかった。特に現五輪チームの朴成華監督が現役時代であったモスクワ五輪予選はアジア中の誰もがと言って良いほど韓国の予選突破が予想されていたが、マレーシアでセントラル開催であった予選が始まって見れば地元マレーシアに予選リーグ、決勝戦で連敗、関係者の落胆ぶりは大変なものであったらしい。マレーシアには1971年ソウルで開催されたミュンヘン五輪予選でも苦杯をなめている。

11月17日、21日アジア中で開催される五輪予選。 最後に3カ国が笑うのだがその中に我々が含まれている事を祈るよ…….


ドーハの悲劇?いやまだ優位だと思うけど…..

2007-10-20 | 五輪 U-20, U-17
10月17日、いや日本時間の18日深夜カタールの首都ドーハで行われた北京五輪アジア地区予選 Group C の大一番、日本はカタールに痛恨の逆転負けを喫してしまった。勝てば大きく一歩五輪に、しかし引き分けでもかなりの前進となるはずであったが、勝負事は相手があっての事、簡単に勝点を積ましてはくれなかった。
それにしても負けるにしても負け方がいけなかった。前半43分に欲しかった先制点が入り、後半時間が経つにつれて劣勢になる時間が増える中で同点にされ、さらにピンチを何度か招くも何とか耐え、これで引き分けと思ったロスタイムと言うよりのも終了数十秒前に伊野波が痛恨のハンドを犯しPKを取られ、時間を追って勝点が減って行く内容。久々に夜中に起きてテレビ観戦をした私はゴール前に入れられたボールが伊野波の前で弾んだ瞬間に “あっ” と叫んだが、主審は本当に良く見ていたと思う。しっかりとハンドを取りPKを与えると言う公平は判断を降した。

この日のスタメンはカタールが前節の東京での日本戦に累積警告で出場出来なかったFWのサイードと左ボランチのムバラクが新たに起用された以外は同じメンバー。一方の日本は前節で警告2枚で退場となった本田拓を筆頭に4人の選手を入れ替えてこの大一番に臨んだ。それが良かったのかどうかはわからないが…..

カタールの事を最近力をつけてきた…..と言う表現をするマスコミがあるが、それは正しいとは思えない。ワールドカップ出場こそないが、ロス五輪、バルセロナ五輪にはアジア代表で出場を果たしバルセロナ五輪ではベスト8。FIFA U-20では1981年大会で準優勝を収め, FIFA U-17大会でも 1985, 1987,1991, 1993, 1995,2001 と5大会出場を果たし1991 年大会では3位、1987年大会でも ベスト8に入っている。また1995年は FIFA U-20 大会のホスト国となったがベスト8に進出出来なかった。そしてその大会には日本のU-20 チームも奥、松田直樹、森岡そして中田英寿らを擁してアジアの壁を突破し、メキシコ五輪以来初めてアジアの壁を突破して世界の舞台に出場した大会であった。まぁ、年齢別の大会でしか成果を上げていないのは年齢詐称の疑惑もあるが…… 一つ言えるのは日本がアジアの中でも埋没していた80年代からカタールの方が既に成果を上げていたのだ。

FIFA World Youth Championship Australia 1981

そして昨年の地元開催のアジア大会では若手主体で遂に優勝を収めた。今年7月のアジアカップでも10人の五輪候補世代を含んでいる。(ヴェトナムは12人)  右サイドバックのメサド、FWワリードはアジアカップの日本戦ではスタメンでボランチのマジディ、FWハッサンが途中出場、FWヤハヤ, DFイブラヒムも出場は無かったがアジアカップメンバー。特にイブラヒムは怪我さえ無ければアジアカップでもレギュラーメンバー間違いなしの中心選手。 試合内容は前半は先月の東京での試合よりかは内容がいい様に見えた。そして前半終了前の良い時間に先制する事が出来た。後半に入って最初からホームのカタールが押してくる展開に。それでも日本はカウンター気味にサイド攻撃を、特に後半から登場した家長が何度かチャンスを作るが追加点を奪えない。そして次第にカタールがチャンスを作り出す。特に日本の左サイドをFWザイード、MFマジディそしてサイドバックのメサドがどんどん突いてくる。それでも2列目の柏木が豊富な運動量で守備に貢献し失点を食いとめたが77分にCKからのこぼれ球が交替出場のアルヘイドスの後ろに転がりそのままヒールで決められてしまった。こぼれたところがあと数十センチずれていたら…. そしてCK直前のワリードのFKをGK山本がナイスセーブをした後だけに…..それでもまだ同点。日本も得点のチャンスがあるだろうし、このまま押し切れば五輪は近づく。79分には攻撃力のあるワリードを下げてくれた。85分には交替出場の森島に警告が出されるが、ちょっと厳しいなぁ…と思う。そして87分には柏木が下がった。残り時間を考えても最後まで守備で貢献していた柏木が下がった事でカタールは生き返ったのではないか…….. そして時間が過ぎ、あと30秒足らずを耐えれば勝点1だったのだが……

届かなかったGK山本 

マスコミはドーハの悲劇再び…. と表現するが、あの時はそれが最後の試合だった。そしてこの五輪予選はまだ2試合が残されている。そして今や五輪予選はワールドカップ予選よりも厳しい戦いと言う事を忘れてはならない。出場国枠の拡大でアジアから4カ国そして最大5カ国がワールドカップに出場出来るが、五輪はアジアから3カ国しか出場出来ない。今回は開催国がアジアの中国であったので合計4カ国確保できたがソウル五輪では開催国の韓国を含めても3カ国(他に中国とイラク)であった。それほど今や五輪予選はワールドカップよりも厳しい戦いなのだ。

これでカタールに同勝点ながら総得点で1位の座を譲った日本だが、まだまだ星勘定では有利だと思う。日本は次節ハノイでヴェトナムと戦うが、この試合に勝てば最終戦を前にかなり優位な立場に立てる。カタールに敗れたとはいえ、直接対決では1勝1敗。そしてサウジアラビアもカタールもアウェーのヴェトナム戦は引き分けている。次節日本が勝利を挙げられればその分ライバル達に勝点2の差をつける事が出来る。そして…….

サウジアラビア対カタールが引き分けの場合
同日11月17日、カタールはアウェーでサウジアラビアと戦うが、ここで引き分けてくれるのがベストだ。そうすればサウジアラビアは圏外に落ちる事となり、最終戦を日本と東京で戦うサウジアラビアのモチベーションは一気に下がる。それでなくてもこう言う状況になればサウジアラビアはほぼ絶対的にベストメンバーを派遣しない。そうなると日本は勝利を計算でき、カタールの最終戦の結果にかかわらず五輪切符を手にする事が出来る。

サウジアラビアが勝った場合
サウジアラビアがカタールを抜き日本との最終戦に臨むこととなり、その直接対決が雌雄を決するが、そこは日本のホームゲーム。そして11月21日はかなり気温が下がっておりサウジアラビアはアウェーの厳しい戦いを強いられる。9月のアウェーでのサウジアラビア戦を見る限りホームでは日本に勝機が断然なると考えるのは容易だ。

カタールが勝った場合
少し厄介な事になる。サウジアラビアは圏外に落ちて、日本とカタールだけに可能性が残されることになる。最終戦はホームにヴェトナムを迎える。そしてこのヴェトナム相手に大量得点を奪われるとカタールが何点差でサウジアラビアに勝利するかが観点になるが、日本も可能性のなくなったサウジアラビアを相手とは言え大量点は期待できない。そしてカタールの攻撃力だと可能性の無くなったヴェトナム相手にホームとで大量得点勝利は非現実的では無い。

しかし、カタールとてアウェーでサウジアラビアに勝利を収めるのは容易ではない。サウジアラビアの勝利か引き分けが妥当な予想ではないか….

上記の星勘定はあくまでも日本が次節のヴェトナム戦に勝利を収めることが前提であるが、既にほぼ可能性の潰えたヴェトナム相手にアウェーとはいえ勝てないようではもう五輪もなにもあったものではない。サウジアラビア、カタールが引き分けたのはまだ予選突破レースに乗っていたという状況下での事だ。家長、森島の出場停止は痛いが本田拓の出場停止が解け、今度こそ平山が本来の実力を発揮すると思う。 DF陣の高さに難のあるヴェトナム相手に平山の高さは効果的だ。そして何よりも平山の奮起に期待したい….. それと水野の怪我の回復も....

アトランタ五輪予選の激闘を憶えている人は少なくないだろう。その後シドニー五輪最終予選ではカザフスタンとタイ、次のアテネ五輪最終予選では UAE, バーレーン、レバノン。こうして見ると過去2大会は比較的容易な国を相手にしていた。今回はサウジアラビア、カタール、ヴェトナムが最終予選を戦っているがこれが本当のアジア予選だ。それだけにこの予選を勝ち抜けばこの世代の自信になると思う。その為にも次節のヴェトナム戦でしっかりと結果を出して我々を喜ばせてほしいものだ.

顔をしかめる平山