初心者のクラシック

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「楽聖」ベートーヴェン(第3話)

2007年04月19日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第3話)です。

≪作曲家の肖像≫
ベートーヴェン : チェロ・ソナタ全集
ビルスマ(アンナー), インマゼール(ジョス・ファン), ベートーヴェン
ソニーミュージックエンタテインメント

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【Ludwig van Beethoven】

ボンでネーフェに学び、ハイドンで作品を認められたベートーヴェン。いよいよウィーンへ向かう事になります。今日はそのウィーンでの出来事です。

(第3話)【憧れのウィーンへ】
1792年11月ベートーヴェンは駅馬車でウィーンへ向かうのでした。ウィーンへ到着すると、音楽家としての活動を始めます。当時ウィーンではモーツァルトをはじめとする軽妙で歯切れの良いスタッカートの聴いたリズムが主流だったようですが、ベートーヴェンの伸びやかでレガートなフレーズがウィーン市民にも新鮮に聴こえ、人気を得ることに成功したようです。

勿論ピアノの師ネーフェの練習に鍛えられた成果もあったことでしょう。そして、ウィーンの名門貴族だったワルトシュタイン伯爵との親交がウィーンでも功を奏し、ウィーンの貴族邸で行われていたピアノ演奏会では人気を集めていくのでした。

一方、ベートーヴェンのウィーンでの目的はピアニストとして、ではなく作曲家としてハイドンに学ぶ事でした。ハイドンはベートーヴェンに課題を出して、ベートーヴェンはそれに従って曲を作り上げていくスタイルで作曲を学びますが・・・、次々と課題を提出するベートーヴェンに対して、ハイドンは自分の仕事が忙しかったせいか、単純にベートーヴェンがあまり気に食わなかったのか、ベートーヴェンの提出した課題にそれほど熱心に添削した様子が無く、実際に提出された課題に添削や訂正箇所が施された部分は半分にも満たなかったようです。

ウィーンに来て1年もすると、自分の指導に対する熱心さに欠けるハイドンが演奏旅行に出かけると、ウィーンに居る他の作曲家たちに指導を受けるようになっていくのでした。

こうして、作曲技法を身に付けていくと、それまでは貴族の私邸で行っていた演奏会から、ピアニストとしての公開演奏会を行うのでした。

1795年、3日間の演奏会では自作のピアノ協奏曲第2番とモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏していたようです。この演奏会が大成功を収めると、ベートーヴェンの名もウィーンで一躍有名になっていくのでした。

同年、ロンドンの演奏旅行から帰ったハイドンを招いてリヒノウスキー侯邸で行われた演奏会では3つのピアノソナタをハイドンに献呈します。

翌1796年、このリヒノウスキー侯と演奏旅行をしているようです。初めはプラハに向かい、2ヶ月ほど滞在すると、リヒノウスキー侯と別れて単身でドレスデンへ向かい、ザクセン選帝侯の前で演奏を披露します。さらにライプツィヒではプロイセン国王フリードリヒ・ウィルヘルム2世の下で御前演奏を行い、自らもチェロをたしなむウィルヘルム2世にチェロソナタを献呈すると、いくらかの下賜金をもらう事になります。

ライプツィヒを離れ、次にベルリンへ向かうとここでも演奏会を開催し聴衆からの支持を受ける事ができたようです。こうして半年近くヨーロッパ各地を演奏会をしながら渡り歩くと再びウィーンへ戻ってくるのでした。


ウィーンでハイドンに学びますが、その他の作曲家からも学び、その技量を身に付けると、作品と共にピアニストとしての評価をモノにするベートーヴェンですが、このつづきはまた明日。

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