初心者のクラシック

有名な曲からおすすめの曲まで、できるだけ初心者にも分かり易く紹介します。

「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第1話)

2007年04月17日 | 作曲家の生涯
たまには、作曲家の生涯にふれてみてはいかがですか?

有名な作曲家にはその真偽はともかくとして、たくさんの興味深いエピソードがあります。
そんな興味深いエピソードを中心に作曲家の生涯をたどっていきます。

今日は「楽聖」ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(第1話)です。

「運命」「第九」「田園」など多くの有名な交響曲を生み出し、現在ではクラシック音楽の代名詞的な存在ともされるベートーヴェン。没年からすると、実は何気に今年は「没後180年」のようですが、さほど騒がれてはいないような気もするベートーヴェンはどんな生涯を送ったんでしょうか?

≪作曲家の肖像≫
500円クラシック(1)ベートーヴェン
オムニバス(クラシック), ニコラウス・エステルハージ・シンフォニア, ドラホシュ(ベーラ), ベートーヴェン, ソコライ(バラーシュ), ヤンドー(イェネ)
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【Ludwig van Beethoven】

【ドイツ】
【1770~1827】
【古典派】

(第1話)【宮廷楽師の息子】
1770年12月ベートーヴェンはドイツのボンに生まれます。父親は宮廷音楽家でテノール歌手を務めるヨハンで、母親は料理人の娘マリア・マグダレーナでした。

ベートーヴェンの祖父も宮廷音楽家で、楽長を務めていた事もあって、ベートーヴェンが音楽に接するのも当然の環境となっていたようです。そして、父ヨハンも息子ベートーヴェンに才能があると見たのか、宮廷音楽家の息子なら当然と思ったのかベートーヴェンにクラヴィア(ピアノの前身の楽器)を教え込むのでした。

父ヨハンのクラヴィアの教え方は、かなりスパルタだったらしくベートーヴェンが泣きながら練習をする姿を見たという話も残っているようです。また、アルコール中毒であったとされる父ヨハンは酔っ払って帰宅すると、寝ているベートーヴェンを起こして朝まで練習をさせるという話まであるようですから、相当過酷な練習をさせられていたようです。

そんな苦労の練習の成果を披露しようと父ヨハンは演奏会を開催するのでした。1778年ベートーヴェンは既に7歳になっていましたが、当時はモーツァルトが既に「神童」として世間を賑わしていたいた事もあって、年齢を偽って6歳としてケルンの演奏会にデビューさせるのでした。

しかし、モーツァルトが大喝采を受けてその後、演奏旅行を行ったのに対してベートーヴェンはさすがに「神童」とまで呼べるほどの評価は受けられず、その後特に演奏旅行という事にはならなかったようです。

しかし、その後も父の所属する宮廷楽団のメンバーから指導を受けクラヴィアの技術を磨いていくのでした。更に国民劇場の音楽監督だったクリスチャン・ネーフェがボンに訪れると、父ヨハンも当然これに目を付けて息子ベートーヴェンへの指導を依頼するのでした。

ネーフェはベートーヴェンへの課題としてバッハの「平均率クラヴィア曲集」を課していたようですが、ベートーヴェンはこれを見事に弾きこなしていたようです。更に宮廷オルガニストも務めていたネーフェは、自分が留守にした際にオルガン演奏をベートーヴェンに任せるなど、ネーフェの指導の下にめきめきとその実力を発揮していくのでした。

更に成長するベートーヴェンの才能を見抜いたネーフェはベートーヴェンの作曲したピアノソナタ「3つの選帝侯ソナタ」などの出版の面倒を見るのでした。

1784年選帝侯が他界し、マックス・フランツが新しい選帝侯に着任すると、財政再建のため宮廷楽師たちにも大規模なリストラが行われますが、ネーフェの指導の甲斐もあってベートーヴェンは見事に宮廷楽師として第2オルガニストとして任命されて、初めて俸給を受ける身分になるのでした。こうして14歳の少年ベートーヴェンの音楽家としての人生が始っていくのでした。



宮廷音楽師の一家に生まれ、音楽家になることは半ば運命付けられていたような生い立ちですが、早くから厳しい父親の指導を受け、ネーフェ氏と出会ってからはその実力を開花させてきたようですが、その後はどうなるのでしょうか?このつづきはまた明日。

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