安楽寿院 京都市 伏見区竹田中内畑町74
真言宗の寺(1137)鳥羽擘宮の東殿を寺に改めたことに始まる。開基は鳥羽上皇、覺法法親王を導師に落慶した
書院
大師堂
薬師堂
三宝荒神社 三宝荒神 (1606)の復興の際に勧請されたもの
孔雀明王
五輪塔(重要文化財) 弘安十年丁亥二月□の刻銘 3m
お寺の北西、城南ホームという老人ホームの敷地内にある
冠石は保延7年(永治元年:1141年)、鳥羽上皇が法皇になった時この石の下に冠を埋めたと伝わる
石仏 覆堂 左・薬師三尊 右・釈迦三尊 三如来石仏
平安時代の作で釈迦、弥陀、薬師三尊の3面が江戸時代に出土したと伝えられています。内の弥陀三尊像は京都国立博物館に預けています。凝灰岩でできており、昔はこの石仏のお体を削って水で練り、子供の顔に塗るとくさが直るという信仰があったため、傷んでいます。
釈迦三尊石仏(平安時代後期
阿弥陀三尊石仏(平安時代後期
薬師三尊石仏
近衛天皇陵
鳥羽離宮には3つの天皇陵があります。地下鉄竹田駅の西南、安楽寿院の南にそびえる木造の多宝塔(豊臣秀頼の再建)が近衛天皇陵 近衛天皇(1139年~1155年)は鳥羽天皇の皇子で、異母兄の崇徳天皇に代わって5歳で即位、17歳で崩御されます
修復中
修復前
鳥羽天皇陵
鳥羽天皇(1103年~1156年)は堀河天皇の第一皇子で、5歳で即位されます
白河天皇陵
新油小路通をはさんで西側の森が白河天皇陵です。白河・鳥羽天皇陵には、もともとは三重塔が建てられていました。現在の白河天皇陵は一辺33メートルの方形ですが、築造当時はさらに大規模なものでした
西行寺跡
西行(1118年~1190年)は、俗名を佐藤義清(のりきよ)と言い、北面の武士として鳥羽上皇に仕え、弓馬の技ばかりか和歌にも蹴鞠にも秀でていました。若くして出家し西行と名乗り、旅を重ね多くの和歌を残しました。ここは彼の屋敷跡を寺に改めたと伝えられ、江戸時代の『都名所図会』の挿絵に、草庵や月見の池、剃髪塔も描かれていますが、今は地蔵堂だけが残っています
城南宮 伏見区中島鳥羽離宮町7 神泉苑 600円 城南宮のご鎮座は、上古、神功皇后が、軍船にたて給う御旗八千矛 神の御霊をつけて当地に納められたことによる。そしてその御旗の、日月星の御紋章が即ち当城南宮の三光の神紋の由来である
城南鳥居
拝殿
西鳥居
本殿(改修前)
真幡寸神社(まはたき)が鎮座、真幡寸大神、品陀和気尊を祭神としている。 真幡寸神社は元々藤森神社の現社殿の隣に地に鎮座していたが、藤森神社が伏見稲荷大社の場所から遷座して来たので、西方へ遷座したと藤森神社の社伝にあるとのこと