週一寺社めぐり

原則として週一回 神社仏閣を訪れる

 洞泉寺(大和郡山)へゆく 2013.03.30

2013年03月31日 | インポート

                                      拝観 ¥300  要・予約 PKあるが、わからなかったので、ス-パ-「オ-クワ」に停めて歩く                                                                          本尊;木造阿弥陀如来立像(国重文・鎌倉時代)快慶作   門を入って左手にある地蔵堂に安置の閼伽かけ地蔵は境内に置かれている湯槽石と共に光明皇后が病人の治療に使用したと伝わる。   門前の洞泉寺町はかつての花町で、三階建ての旧遊郭が残っている

こすり浴槽源九郎稲荷神社 洞泉寺の横にある 
かつては伏見稲荷、豊川稲荷と並び、日本三社稲荷の一つとされていた 創建は定かではないが、現社殿は大正時代に建立された 源義経が兄頼朝との戦に際し、義経は幾度もこの稲荷に助けられ、この稲荷に源九郎の名を贈ったという伝説が、社名の由来となっている
 

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常念寺 2013.03.22

2013年03月22日 | インポート

常念寺 北葛城郡広陵町広瀬441-1  PK-あり                                                            室町時代に楽誉浄海が開基 浄海はもと箸尾城主(三代目)で、子に城主を継がせて出家し、享禄3年(1530)に一寺を建立している  本尊;阿弥陀三尊立像 (江戸時代の作) 本堂の横に箸尾氏の墓がずらっと並んでいる 山門を入った左手に弁財天堂が有る 

与楽寺  北葛城郡広陵町広瀬797 PK-あり                                                    境内前のウンの梵字池は、弘法大師が掘らせたと伝わる  創建由緒などは定かではない 客仏の十一面観音像の胎内から天平期の檀像が発見され、天平時代には寺が存在していたと推定される 中世戦国期には箸尾氏の祈願所になったと言い伝えられますが、詳しいことは不明

 

広瀬天神社 北葛城郡広陵町広瀬813 与楽寺の東、200mほどの所                                     鎮守の森を囲むように神縄がかけめぐらされている 10cmほどの太さがあり、かなり長い 毎年1月8日に張り巡らされ、今年1年の無事と豊年を祈願する  綱掛け-http://photoyamato.fc2web.com/j_festival_01/p_jpn010_01_ten.htm


 

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西国第二番 紀三井寺  2013.03.16

2013年03月17日 | インポート

紀三井寺 和歌山市紀三井寺1201  仏教寺院。正式名は紀三井山金剛宝寺護国院。  231段の石段があり、ここもしんどい

 

紀三井寺の前に「黒潮市場」で昼食 和歌山県和歌山市毛見1527番地  電話: 073-448-0008 白浜の「とれとれ」市場とよく似ている。規模はこちらのほうが大きい

 

 

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西国第四番 槇尾寺 施福寺  2013.03.16

2013年03月17日 | インポート

施福寺  和泉市槙尾山町136 Trapics バスツア- 西国三十三霊場第四番の札所で、開創以来修験者の道場として発展した古刹。役行者が法華経の最終巻をこの地に埋めたことから俗に槇尾寺とも呼ばれる。空海が剃髪、修行した寺としても知られ、ゆかりのお堂や遺跡も多い。山道を1km 30分以上登る おばちゃん連中は元気でスイスイ。わたいはあえぎあえぎ50分くらいかかって本堂へ着いた

 

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西国 第十一番 醍醐寺 2013.03.04

2013年03月04日 | インポート

下醍醐寺 醍醐寺の創建は貞観16年(874年)、空海の孫弟子にあたる理源大師聖宝が准胝観音(じゅんていかんのん)並びに如意輪観音を笠取山頂上に迎えて開山、聖宝は同山頂付近を「醍醐山」と名付けた。醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後(この場所を「上醍醐」と呼称する)、醍醐天皇は醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に大伽藍「下醍醐」が発展することになる。

今回は下醍醐だけで上醍醐はまたの機会にゆこう

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西国 第十番 三室戸寺 2013.03.04

2013年03月04日 | インポート

三室戸寺 寺伝によれば、宝亀元年(770年)光仁天皇の勅願により南都大安寺の僧行表が創建したものという。創建と本尊に関しては次のような伝承がある。天智天皇の孫にあたる白壁王(後の光仁天皇)は、毎夜宮中に達する金色の霊光の正体を知りたいと願い、右少弁(右少史とも)藤原犬養なる者に命じて、その光の元を尋ねさせた。

 

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西国第九番 興福寺 南円堂 2013.03.04

2013年03月04日 | インポート

西国巡礼の旅バスツア- trapics  43人

南円堂 藤原氏の氏寺である興福寺はもとは飛鳥にあったが、和銅3年(710年)に現在の地に移ってきたとされている。「南円堂」はその約100年後、弘仁4年(813年)に
興福寺の一堂として、藤原冬嗣が父、内麻呂の供養と一族の繁栄を願い建立したといわれている。

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