エッセイ -日々雑感-

つれづれなるままにひくらしこころにうつりゆくよしなしことをそこはかとなくかきつくればあやしゅうこそものぐるほしけれ

 今日も大文字山へ - 老いとの戦い -

2017年05月11日 | 雑感

                              2017年5月11日

 

                                          

今朝10時半にTから電話が入った、大文字山に登らないかとのことで11時半に銀閣寺電停の橋で待ち合わすことにした。

もっとも、電停(電車の停留所)という言葉はもうない。この橋の上には京都で伝説的な中華ソバ屋台“ちんまん”があった。

Tは小学校からの友達で、肺を切って体調を崩している私をケアしてくれている、そして彼も体調がもう一つなので、こちらもケアしている。

 11時半に銀閣寺の橋でTはブルースハープを吹いていた。“11時半やったね”、というと、“いや11時や”。ここで、私が間違ったことに気づいた。

 

 昔、元気な時は二人ともすんなり25分で銀閣寺の横から登れた。高校時代は走って最後まで登ったこともある。

それがしんどくなった。でもだいたい復帰したので今日はTが付き添ってくれた。

登り始めたとき、下ってきた女性二人組の一人から“あら!Iさん”と呼びかけられた。中学の同級生のEっちゃんだ、我々の同級生であるYの奥さんでもある。もう一人は高校の同級生のH氏の奥さんで、この人とは初対面だった。

 近況を語りあったあと、別れた。

 

その後、また二人組の年配の女性の一人が、“まあ!Tさん”と声をかけて来た。私の小学校のクラスメート(女性)の義理のお姉さんだ。

“おまえ、顔広いな”とTに言うと、ここで“70年以上もいたらそうなるがな”、という返事が返ってきた。

この人はOさんと云う。あとでまた出て来るから憶えていただきたい。

 

 さて、大文字に登って、弘法大師御堂に礼拝して“大”の字の右“しんにゅう”から下りる。そして銀閣寺バス停に到着すると、Oさんとまた会った。私がOさんの義理の妹と小学校同級生だと知った彼女は驚いた。

 “それじゃ、明日”とTとOさんが言い合って、別れたので、“なんや?”と聞くと、明日は二人で、Tの奥さんも含めて、子供たちのPTAで親しかった人が入院手術する。いつも食事していたから、食事に行くのだとのことだ。元気のいい話ではない。

 

大文字から帰ってきたあと、メールを開けた。

するとTから早朝メールが入っていて、“トラックの後を走っていて、信号で右折しなければならなかったが、信号がよく見えなかったので、トラックについて右折したら、ニコニコとバイクの警官から、”違反ですね“と云うことで伏見センターまで認知症検査に一か月以内に行ってください、と云われたそうだ。

 

70歳の認知症検査はいろいろ言われているが、身近では初めてのケースだ。

我々75以上は運転に関しては、すべて敵視されているとしか思えない。私が今日30分間違えたのも認知症かもしれないが、納得できない。