津軽森林鉄道 今泉~蟹田方面 その①
からの続きです。
今泉から蟹田方面へと現県道を進んでいます。
しかし、今日は特に暑い。
橋がある。
最近改修工事がされたばかりのようだ。
周囲を見渡すも、何も変わったものは見つけられなかった。
先へと進みます。
ここまで、いくつか橋があるたび周囲を確認するが、何も変わったものは見つからなかった。
車は道路脇ではなく、駐車スペースを必ず見つけて停めておきます。
気を付けて見ると、車一台、十分停められる舗装された箇所があるものです。
道幅が狭く、歩道スペースも少ない、ブラインドコーナーになっているところが多い。
事故を誘発することの無いように配慮をしています。
車を停めたところに、野いちごの実がなっていました。
葉っぱが、良く見るイチゴのと似ていますね。
これは、甘くて美味しい種類のはず。
はず・・・、ちょっと自信がないので食べませんでした。(´▽`*)アハハ
気になる橋を見つけた。
小さい橋ではあるが、周囲を見渡してみると・・・
古いコンクリート製(の構造物だ。
なんでこんなところに・・・!?
暗渠のボックスカルバート!?
現・県道より高さは低いが土砂が載っていて同じくらいの高さになっている感じだ。
暗渠化しているということは、この上を何かの目的で使っていたことになる。
その上には木まで生えている。
これは、使われなくなって相当古いもののようだ。
裏側に行ってみたら何か違って見えるかもしれない。
この構造物の裏手に回れる箇所に勇気を振り絞って突入です。
今日は、こんなことをしないつもりだったのに・・・(´▽`*)アハハ
構造物の裏手です。
幅はそんなにありませんでした。
車の道路用ではないですね。
それにしても構造物の上部は厚さが薄い印象だ。
なんとなく、この左手の行く先を見てみると・・・
ほえぇ~!?
杭!?
\ __ /
_ (m) _ ピコーン
|ミ|
/ `´ \
( ゜∀゜) 軌道の土留めだね
ノヽノ |
< <
あのコンクリートの構造物は津軽森林鉄道の本線がこの川を渡る為の暗渠と思われる。
ここは川沿いを進む軌道なので、土留めをして川に侵食されないようにしていた跡のようだ。
使われなくなってから、かなりの年数が経つわけです。
なので、川の浸食で軌道跡がかなり崩壊しているのは納得のいく光景である。
ということは、周囲の状況からここから先の起点方向には、
現・県道から左側にズレたラインを軌道は進んでいたことが確認できた。
ここを「①の暗渠」とします。
この場をあとにし、先へと進んでみた。
確認したラインを進んできました。
次の橋のところに現・県道の橋台のコンクリートの構造物とは世代の異なるコンクリートの構造物が不自然にある。
橋台だと思われます。
これは、川の右岸側です。
川の左岸側になります。
こちらのほうが台形になっていて橋台だと解りやすい。
この左岸側の橋台の下側を注意深く見てみたら、短い杭が2本見受けられました。
木製の橋だった頃の名残でしょうか!?
だとすると、コンクリート製の鏡台にプレートガーター製の橋桁になったのは、
この場所については、比較的新しいのかもしれませんね。
コンクリートの質感からもそれがうかがえる。
ここは、「②の橋跡」とします。
軌道跡は、まだ現・県道の左側に沿って起点方向へと向かって進んでいるようだ。
この先にも進んで行きます。
とにかく、車に跳ねられてはいけません。
通り過ぎる車に意識をしながら、十分な注意を払い、調査をしています。
車が来たと思ったら、さっと道路脇に寄って、目立たないようにしています。
こんなところに人がうろちょろしている時点で、
ドライバーからしてみるとかなりビックリすると思いますので・・・(汗)
さらに進んだ先は、少し広くなっていた。
この林の中から、軌道はこの場へと現れる感じだ。
それで進んできた方向のその先は・・・
公共の施設がありました。
ゲートがあって、入っていけません。
ゲートの先は旧・県道のようだ。
その先に行けそうなので、現・県道をそのまま歩いて進んでみた。
回り込んでみたら、橋があった。
旧・県道上に施設があるようだ。
廃道のスペースを上手く利用しているんですね。
それにしても川の上流側がどうなっているか解らない、不思議な場所でもある。
そう思い、周辺を確認してみると・・・
台形の橋台だ。
「②の橋跡」のところと同じ構造だ。
しかし、プレートガーターがはめ込まれるくぼみ部分は、
コンクリートできれいに埋められている。
対岸側です。
ことらもプレートガーターがはめ込まれるくぼみ部分がコンクリートで埋められている。
プレートガーターが外されたままだと、雨水の流れ込む溝となってしまうのではないでしょうか!?
橋台のとの境目の土を洗い流してしまい、橋台が倒れてしまうとか、
コンクリートで埋めておかないと、色々と不都合が発生してしまうのだと思われます。
ここは「③の橋跡」とします。
最初は空中写真で見つけた妙なものを確認するだけのつもりだったのだが、
この津軽森林鉄道、本線の森林鉄道1級の今泉~蟹田方面へと軌道跡をたどってきてしまった。
記事をまとめながら調べて解ったが、ここの区間は明治41年度に開設されている。
森林鉄道1級の本線なので、コンクリートの橋台を持つプレートガーター製の橋桁で川を渡っていたところも数箇所確認できた。
「津軽森林鉄道 今泉~蟹田方面 その①」の記事中に出てくる大きな川を渡っていたであろう、その橋の形態は、どのようなものであったのだろうか!?
今までの流れから、コンクリート製の橋台、橋脚、プレートガーター製の橋桁の橋であったことが濃厚なのではと予想させる。
まだこの先はあるのだが、予定外の行動もしているので、ここでタイムリミットだ。
今回は遺構探しには適さない時期としりつつ、気になってしょうがないのもあった。
当初の目的は達成された。
しかし、続きを調査をするとすれば、時期を改めて行いたいと思う。
今回、進んだ 津軽森林鉄道 本線 今泉~蟹田方面 その② の軌道跡です。
赤の実線が実際にオイラが進んだところです。
赤の点線が確認できなかった軌道跡と思われるところです。
=へばまんだのぉ~=