レスが滞っております、ご心配おかけしています。
旅行などが重なり、まだ時間的な余裕がないのでレスが遅くなることをお許しください。
開設してから初めてこのブログに批判コメントがついていますが、自己紹介のないコメントにはレス致しませんのでご了承ください。
加えて当ブログは冒頭で、
>> 創価学会員の方は嫌な思いをされる発言や内容があるかもしれません、それを了承の上でご覧になる場合は過剰な苦情は控えて頂けますようお願い致します。
と明記してあります、ご一読ください。
ここは討論の場ではありません。
人の気持ちを重んじ、常識の範囲でご配慮のほどよろしくお願いします。
相互リンクは、こちらからのご挨拶が遅くなるかもしれませんが同じ悩みを持つアンチ系ブログさんでしたらいつでもご自由に貼り付けてくださいね。
少しずつレスします、苦情ではないのにレス漏れがあったらごめんなさい、教えてください^^;
急ぎの悩みでしたら私のブログの左サイドバーのブックマーク内にある方々のブログも参考になさってみてください。
慌しかったためか体を壊しがちになっているのでゆっくり、マイペースで頑張ります^^
批判コメント、見ていてどうにもやりきれない気持ちになりました。ここに来る方で同じような状態の方は皆そう思われたのではないでしょうか。
でも、チョココさんは少なくとも彼の意見を無視していないし、きちんと向かい合った上で
話をされているように思います。
私はその姿勢を見習いたいです。
お二人で力強く、様々な問題を乗り越えてゆく姿に影ながら拍手を送らせていただいております。
創価学会の事が私達非会員に理解できないように、会員さんの中には全く私達非会員の言葉を理解できず、批判のコメントを寄せられる方はどうしてもいらっしゃるようです。
時々メールにて、厳しいお言葉を頂く事はありますが、致し方ない事と思い。メールにて返事を書いております。一人でも多くの人が「創価」で悲しむ事のないよう、頑張りましょう。
しかし、チョココさんの所は過激ではないので、批判コメントが寄せられるとは思いませんでした。少し残念です。検討を祈ります。では。
読ませていただきましたが、「批判コメント」と言うほどのことでは無いように感じました。
創価系のブログを読んでいるとお互いに過剰反応では?と感じることが多いのは私だけでしょうか?
えー、ブログ主さんからのレスは あろうとなかろうとかまわないのですが、自己紹介しないカキコミが「批判」と受け取られるようなので。。
昨日コメントしていた「さーざ」の友人です。
〈ぶるぅ〉さんと同じく学会員でもなくアンチでもないです。
さーざはパソコンを持ってないのでいつも私のとこでパソコン遊びしてるんですが、どんなブログを見てもカキコなんてしたことないのに昨日はいきなりカキコしててびっくりしたんです。 さりげなく「珍しいじゃん?」と聞いてみたら…
「創価学会の批判ならいくらでもやったらいい。
自分の大事な人が間違った道を歩いてると思ったら誰だって心配するから。
でも、自分の言ってることが絶対正しいなんて それは思い込みだよ。
算数や数学みたいにわかりきった答えがあるわけじゃないんだもん。
この人は、自分のこと完全無宗教って言ってるのにクリスマスツリーを飾ろうとしたりするのはどうみてもおかしいやろ? 自分の価値観を相手に押し付けてるだけになるんじゃない?」と。
わたしは大多数の日本人がそうであるように、初詣をしたりツリーを飾ったりします。でもさーざはほんとの完全無宗教なんです。
さーざの彼とわたしの彼と4人で初詣に行ったり名所の神社へ行ったりしても、さーざは絶対お参りしないし、クリスマスのプレゼント交換なんてありえないんです。
あなたが言う「完全無宗教」は おかしい(行動が伴っていない) と言いたかったみたいですが、批判してる としか受け取ってはもらえなかったようですね。
私もぶるぅさんと同じように、さーざの話をきいて「批判」だとは感じなかったけど。。
でも、あなたはさーざが学会員だと思い込み、批判されたと過剰反応した。
なんだか 残念です。人間ってわかりあえないんでしょうね。
さといもさん、チョココさんのブログ、全部読まれました?
彼氏との会話だけでもピックアップして読んで下さい。絶対正しい!なんて言わないんですよ、彼女。後はチョココさんの人となりを見て判断なさって下さい。私は創価云々より彼女が好きでここに来ています。
批判されたと過剰反応・・・とありますが、ブログは文章の世界です。伝わらなかったとすれば、その書き方に問題があったとは思いませんか?
私はさーざさんを存じ上げませんので常日頃からそういった話し方をされる方なのかもしれません。一個人として言えばきっぱりとしていて、そういった姿勢を持っている方は好きです。
ですが、やはりいきなり自己紹介もなく書き込まれて「おかしい」と断定する事は人を傷つける恐れのある行為です。一社会人としてマナーという視点から問題があるように思えます。
さといもさん、「わかりあえないんでしょうね」、とは言わないで下さい。少なくとも、「私はこういう疑問を持ちます」と書いておられれば批判ととられることもなかったでしょうし、もしかすると貴重な意見となったかもしれません。
残念だなんて思わないで下さい。チョココさんが感じたこと、泣いたこと、必死さを読んで、それから考えてみてください。
こちらで討論はしたくありませんので、もしよろしければメールを頂ければ幸いです。
sapurikimono@yahoo.co.jp
誤解を招くかと思い追記させて頂きます。
過去のコメントにも似たようなこと書いてたと思います。
批判と書いてあった件ですが、チョココさんはブログ立ち上げ当初から関わっていたので擁護したい気持ちもあるんですけど、どちらかと言うと批判より意見という感じでしたね。
自己紹介もなくてもなんとなく創価人ではないのは分かるのでいいと思いましたし。
んで、「完全無宗教」の件ですが、
はっきり言ってしまうと、
「そんなもんない」 です。
祈りもしない、ツリーも飾らない、等等言っておられますが、それこそが宗教観なのです。
自分は無宗教だから「~しない」と言う制約を自身に課してしまうのは自分の中で作り出した宗教なのです。
つまり「自分教」です。
だから厳密に言えばチョココさんも無宗教ではないし、人間に思考・思想がある限り無宗教ではいられないのです。強いていえば「無信仰・無信心」ですかね。
クリスマスツリーの件ですが、宗教と言うものには必ず何らかの文化的要素がついてきます。
クリスマスは元々キリスト教系の大国(ローマだったかな?←覚えてない)がある民族の(←これも覚えてない)支配を円滑に進めるためにその民族固有のお祭りを残し、それを勝手に「キリストの誕生日」としただけに過ぎないものなんです。
だから宗教的文化活動と言うのは宗教教義には何の意味もないことが多々あるのです。
正直そんなこと言ってたらお茶の一杯も飲めません。赤飯も食えません。能や狂言もみれません。和泉○○どこいったです。さらに言うなら履歴書などに西暦を書けません。日本の年号も書けません。子どもたちの書初めもできません。金くれ金くれって正月のお年玉ももらえません。誕生日も祝ってもらえません。
きりがないのでこの辺で・・・
てなわけで、無理して「あれやらない これやらない」と言って文化的活動を制約するは宗教行為と見なされてしかるべきものなのです。
私たちの世界は、文化は宗教によって成り立ってると言っても過言ではありません。
何も信じない人はいません。
自分を信じ(意識するかしないかは問題ではない)、特定の宗教の信者(檀家レベルではない)にならない人が日本では多い。
そして神社へ初詣に行き、法事に寺へ行き、クリスマスにパーティーをやり・・・要するに信仰心の薄い(「ない」ではない)多神教であり、俺様教の教祖兼唯一の信者というわけです。
いちいち長ったらしく「信仰心の薄い多神教」だの「俺様教の教祖兼唯一の信者」だのと言うかわりに「無宗教」と言うことがほとんどでしょう。
徒に「完全な無宗教」などと言い出すと、言葉遊びに行ってしまいかねないと思います。
まあ「あなたのため」と言って信仰の強要をするよりは言葉遊びのほうが百万倍ましだけど^^
似たような状況になるとわかるんだけど過剰反応にもなっちゃうんだよね創価絡みの悩みは。
額面通り『相手の立場を守る』が創価が絡むとコチラの立場を放棄する事になっちゃうんだよね。創価サイドがホントに何も口出ししないでいてくれればコチラとすれば一緒に神社に行けないくらいは全然かまわないんだけどね。
ってな訳で創価風味の悩みってリアルでは誰にも相談できなかったりするから、他のサイトでもあんまり批判めいたコメントは見たくない残業中の私です♪
ここのサイトは友人に教えられ時々拝見しておりました。
私は、最初に書いた通り、3世ですから身近にいる人間(血縁関係)はほとんどが学会員です。ですが、私自身は自分の考えから学会からは距離をおいています。
アンチの方々がいることも、熱心な会員がいることも分かっています。それはそれでいいと思っています。考え方は人それぞれですから。
そして、確かにアンチの人が生まれてしまうような要因も分かります。ただ、色んな人がいるのと同じように、学会員にも色んな人がいます。創価=○○と決め付けるのはどうなんだろう?とは思いつつ、こちらのブログも読ませていただいてました。
ただ、先に書いた通り、苦情もなにも感じてませんので、今まで特に批判したこともありません。
ですが、今回少しもめられてる状況を拝見し、かねてから思っていた事を、一言言わせていただきたく思いました。
さーざさんが批判コメントをしているとは私も思いませんでしたが、そうとられるということは、自分の世界だけで物事を考えてはいませんか?
もちろん、お二人の幸せが一番大事です。
ですが、彼にもご家族があり、あなたと結婚ということがなければ、なんの問題もなく仲良くいられたのでしょう。
あなたは今の状況に満足されているのかもしれませんが、仲のよかった家族が仲たがいをしなくてはいけない状況は、結構辛いものです。住所を教えないとか、そういうのは普通聞いていておかしな話です。嫌いなら嫌いでいいかとは思いますが、少しはお互いの歩み寄りが必要です。
こういう宗教ネタにはどうしても批判コメント等もつくのかもしれませんが(今回のは批判だと思っていませんが)、ここはネットで公になっている場ですし、目にもつくかと思います。目に付いたら意見したくなる人もいるでしょう。
ただ、それを批判だから受け入れない、と自らの世界だけに閉じこまらずに、なぜそういう風に言われてしまうのかを考えるというのも大事じゃないでしょうか。
そういう考えだと、自分の価値観の強制だと言われても仕方ないかもしれませんよ?