娯楽と仕事と四方山話

徒然なるままに興味のあること、仕事など日常を綴っています。

哀しい歌姫。

2012-02-13 23:38:18 | Weblog

それは昨日、日曜日の午前。

さる会計のチェックをしていたら・・・・

テレビで信じられない訃報を速報でやっていました。

ケビンコスナーは、もう一つかなあと

当時思っていたけど、あのスクリーンの中で

輝いていたあの人が、まさかこんなに早く他界とは。

本当に、アメリカの匂いのする”スター”で”歌姫”だったと・・・。

「だった」と言うも、何か信じられないような。

「婿さんが、ろくでもない人物や」とか

「麻薬浸けらしい」とは報道で聞いていましたが

こんな形で暗い影を落としていたようで・・・・。

麻薬はどんな言い訳しても、あきません。

そんなあかんもんに、こんな大人物が染まって

揚句に命も持って行かれたゆうて。

成功や富も名声を掴んでも、こんなに早くに最期を

迎えて、幸せだったのかな?

しばらく、歌声を聴くたびに涙が滲んできそうです。

 

 


運命とか宿命とか。

2012-02-04 01:38:24 | Weblog

お気楽な内容のこれまでとは少し違った

やや重いテーマで書いてみたいと思います。

先月、事例検討会の発表を前に事例をまとめていたら

CMになりはや2年9か月が経っていることに驚いて

昨年大みそかには、いつぞや書いたさる利用者さんが急死。

その喪失感の穴を埋めるように、同じ要支援の方からの計画作成の

依頼が2件。要介護に認定される見込みの方からのオファーもあり。

日中は、なんか感傷に浸る気になれない

安産や産後ケアを主に取り組みたいと、あはき師としては

学習の1年が過ぎ、知識の蓄えやいろんなセラピストの見識に

目から鱗な期間だったな・・・・と。

仕事的には、そういう人生の繁忙期的なママさんと接するのは

ごく1割で、残りの9割は余命宣告されているターミナルの方もいれば

パーキンソン症候群・他の現在医学では進行性の持病のある方も

受け持ち、支援を続けている。

その中でも「あの時、もっと回数多く訪問していれば、こうならなかった」

「もっと念押ししておけば、転倒は防げたのでは」

という「たられば」に後から縛られることも少なくなかった。

CM業務について9年目の主任CMとそのことについて、よく話していたが

「悔やむことはあっても、死亡による終結でも、その人の運命だったと

思うようにしてる。訪問看護の当たりが病変発生とかち合って

ギリギリで診察して今も支援が続いている人もたくさんいるから」

という経験からの悟りともいえるような返答をしていた。

利用者さんが亡くなった後、落ち着いてからごあいさつに来られる

家族さんの表情もまさに「運命を受け入れた」そういう強さと

穏やかさが感じられる。

「その時に、本当に初めて支援が終結した」と勝手に考えている。

あはき師では、症状の軽減に絞ってアプローチしていくという

患者さん(あはきでは、通常利用者さんとは呼ばれない)の

生き方や生活の質までは、なかなか考慮できなかったが

どうもやはり、私は経絡云々よりもCM目線から入ってしまう。

全国で兼務のケアマネージャーであり、あはき師である人は

どれくらいいるだろう?

安産灸ネットワークにも研修させていただいているが

ナース鍼灸師もおってのようだが、ケアマネ鍼灸師であり現役でプラン

作ってるのは私だけのよう

研修中も感じているが、知熱灸アプローチはほかのみなさんは

場馴れして素晴らしいタイミングとテクニックである。

が、これは自分で練習し、先輩方や上手な方から看取り稽古で

上達を目指すのもできないこともない目標だ。

医師との連携し、患者さんにベストの体調で安産・健康を

していただくのには、腕だけではもひとつ弱いような気がするのだ。

安産灸の研修に申し込む前、県外でも勉強会があったが

やはりすでにあはき師として開設し、活動している人ともグループで

一緒になったが、施術方法オンリーをかなりな勢い

(「あんた、そら失礼やで。講師の方も他の受講者もひいとるやん」

と思うくらい)で講師の先輩方に質問していたセラピストもいて

他にも自分の物差し優先に、今風の言い方をすると”上から目線”に

なりがちなセラピストもみられる。

当然、利用者さんや家族さんの目線に立てていないケアマネも

残念ながらいるらしく、噂になったり。

(私もそうなってないやんなあ? ”板挟みぢゃ~"としょっちゅう

悶えて周囲をビビらせることも多いねんけど)

もしかしたら、あはき師だけで開設していたら、私もあんな感じに

なっていたのか?

と、振り返ることがある。

CMであって思い悩むこともないわけではない。

でも、この経験は、社会では立場の弱い子持ちの母親であること同様

人間性や社会性の向上になると信じている。

家族にも「はりとケアマネ、どっちかひとつにしたら?」などと

言われたこともないのが、これも社会資源にも恵まれていると

いうことなのだろう。

さるセラピストの方に、前振りは忘れたが「早く開設できたらいいですね」

と言われたことがある。

そのあと、ケアマネになり現在までに4・5年ほど経っている。

今なら「そうですね、開設だけでなく私が持ってるすべてが活かせる

ことができる仕事や役割を果たしたいです」と返答するだろう。

なのでCMは辞められない。

これも前述の主任CMさんの話の中の

「その人の運命」≒「私の運命」であろう、と勝手に思い込んでいる。

いや、運命は変えられるから、変えられない宿命と置き換えるべきか?

とにかく、困難を乗り越えるだけでなくてすり抜けなく

怒りも哀しみも自分の肥しにしていきたい

こう思うすら運命なのかもな・・・

と、節分の夜は更け、4日は立春、灘の水仙郷は見頃

そしてもうじき、八木のしだれ梅が咲き、正式に年齢を重ねるのでありました