LE REGARD D'ALAIN DELON

アラン・ドロンさんの魅力を探ります。

Visconti a guide ma vie (1)

2010-05-15 | INTERVIEW
5月14日のカンヌに華々しく登場したドロンさんの画像がいろいろなサイトで紹介されていますが
フィガロ誌にはこの『山猫』の記念上映に関する最新のインタビューが掲載されていました。

http://www.lefigaro.fr/festival-de-cannes/2010/05/14/03011-20100514ARTFIG00586-alain-delon-visconti-a-guide-ma-vie.php

一部翻訳しましたのでご紹介します。

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LE FIGARO誌(以下LF)-ヴィスコンティにオマージュを捧げるこの階段を登る
あなたのお気持ちをお聞かせください。

アラン・ドロン(以下AD)–とても胸が締め付けられる思いですが、ノスタルジックな気持ちはありません。
私は『山猫』を自分の娘と共演者のクラウディア・カルディナーレと共に再び観ることができてとても幸せです。
クラウディアとは1960年のヴィスコンティの別の作品『若者のすべて』で 既に共演していました。

LF-今日のあなたにとってヴィスコンティ監督はどのような存在でしょうか?

AD-全ての模範です。そしてマリア・カラスの偉大なオペラの監督をも務めた優れたアーティストです。
彼は私に多くのことを教えてくれました。カンヌ映画祭で私がここにいるのも彼のおかげです。
私の人生をここに導いてくれたのです。他にもたくさんのことを私にもたらしてくれました。

LF-あなたはどうやって彼に出会ったのでしょうか?

AD-私は1950年代の終わりの頃にロンドンで彼に初めて会いました。
彼はロイヤル・オペラハウスで『ドン・カルロ』の公演中でした。
当時私やミシェル・モルガンのエージェントだったOlga Orstig、
彼はもう亡くなってしまったのですが、がある日私にこう言ってきたのです。
"ヴィスコンティがあなたに会いたいと言っている。" 
ルネ クレマン監督作でモーリス・ロネと共演した『太陽がいっぱい』を観て私を注目していたようで、
彼から”アランを見たとき私は彼がロッコだと思った。"との言葉をいただきました。
想像できますか?100%イタリア語の映画のカラブリア州出身の主人公の役柄に
私のような生意気なフランスの若造を起用するという約束を彼はしたのですよ。
私は未だにこのイタリアでの期間の思い出が本当に好きです。

LF-ご自身の映画はご覧になりますか?

AD-いや普段は見ません。今回は例外です。私は自分の映画は観ないのです。
なぜならそこにはあまりにもたくさんの亡くなっていった友人たちの姿が映っているからです。
私が最後の生き残りになってしまいました。
私はかつて好きだった人たちが生き返ってくるのを見るのはいやなのです。
私はバート・ランカスター、セルジュ・レジアニ、ジャック・ドレー、ヴィスコンティ、
そしてもちろんチーフ・オペレイターのアルドのことを考えてしまいます。
彼らは私の人生の一部です。
『太陽が知っている』の中でロミー・シュナイダーやモーリス・ロネの姿を観るのは耐え難いこと、
あまりにつらいことなのです。

LF-『山猫』がこのように技術の魔法で復活したことは、
あなたにとってどのような意味がありますか?

AD- 傑作であり、その時代と映画のシンボルが若返りました。
これは今の時代でなければ不可能だったことでしょう。


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