陸奥月旦抄

茶絽主が気の付いた事、世情変化への感想、自省などを述べます。
登場人物の敬称を省略させて頂きます。

天皇並びに皇后両陛下のパラオ行幸を寿ぐ

2015-04-13 15:24:21 | 皇室関係
 4月8日と9日の2日間のご予定で、天皇並びに皇后両陛下は国際親善と慰霊のためパラオ共和国へ行幸された。昭和19年(1944)9月15日のペリリュー島における米軍との闘いで、当時の日本軍パラオ守備隊(隊長:中川州男大佐)は1万人強の犠牲者を出し、玉砕した。生き残った兵士は僅か34人。米軍も1700人の戦死者があったとされ、激戦であったことが伺える。

 今上陛下は、当時11歳であられたが、先帝陛下(昭和天皇)からペリリュー島玉砕について詳しくお話を伺っておられたであろう。長年パラオで亡くなった英霊の現地慰霊を強く希望されて来られた。今回の行幸でそれが実現し、泉下の英霊も悦んでおられよう。陛下は風邪などでご体調が思わしくない中での行幸ではあったが、ご予定を滞り無く終えられ、ご無事にご帰還されたことを心から悦びたい。

 かつてパラオ諸島は、ドイツ帝国がスペインから買収した植民地であった。第一次大戦後、パラオを含めてサイパン島なども日本の委任統治領となった。日本政府は、学校を建てパラオの人々に日本語を教え、産業振興で農業技術指導を行った。道路建設、港湾改良などのインフラ整備も発展させた。パラオの人々は、日本政府に感謝し、移り住んだ日本人との草の根交流も大いに進んだ。

 第二次大戦後、パラオは米国の委任統治領となったが、1994年10月、遂に独立を果たしてパラオ共和国となる。人口約2万人、面積460平方キロメートルの小さな国である。米国による委任統治期間に英語が普及したが、パラオの人々は日本人を懐かしみ、その親日的姿勢は現在に至るも変わることはない。

 パラオの国旗は、青地に黄色い満月が描かれている。このデザインは、パラオの人々の好きな日章旗を意識したものと言う。青地は太平洋を表し、日章旗の太陽の代わりに満月を置いた。但し、満月の位置は少し左にずらし、日章旗に遠慮したと伝えられる。

 パラオ紹介の動画。

【KSM】親日国 パラオは今でも日本を愛している 「帝国軍人が貴様らごとき土人と一緒に戦えるか!」


https://www.youtube.com/watch?v=ayPz-_wQswo

 ペリリュー島の闘いの後、米軍は自国戦死者を慰霊・埋葬したが、日本軍兵士の遺骸は放置した。パラオの人々は、日本軍兵士の遺骸を埋葬し、墓碑を建てた。今なお、ペリリュー島には、数千の日本軍兵士の遺骨が残っている。遺骨収集を積極的に進め、彼らを祖国へ返してあげねばならない。

 パラオ独立の折、人々は日本人がお祝いをしてくれると考えていた。時の村山富市政権は、パラオ独立式典へ政府高官を出席させることも無ければ、祝電さえ打たずに無視をしたのである。大好きな日本からこのように無視されて、パラオの人々は寂しかったであろう。

 この行幸を機会に、パラオ共和国へ観光に出掛ける邦人も増えるであろう。願わくば、パラオの人々との交流を大いに進め、素朴な現地の人々が悲しむようなことをしないでもらいたい。

参考

井上和彦、「日本が戦ってくれて感謝しています~アジアが賞賛する日本とあの戦争」
(産経新聞出版、2013年10月)
第3章 【パラオ】打電「サクラ・サクラ」は武勇の象徴です


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