元!4級審判員の日記 

2002年9月より始めたブログもはや21年〜
2005年からのJFA3級は今も維持、今は元!と名乗っています。

☆Why are we attracted to that music?

2024-02-27 09:30:00 | social

●宇多田ヒカルさん

がメジャーデビューした1998年のころの私は、会社決算のお仕事も7回ほど潜り抜け、いわゆる管理職一歩手前の、脂乗り切った経理マンだったと思う。

お仕えする経理課長は3人目、井上さんだった。 宇多田ヒカルのデビューのときだからね、ほんとうに彼が上司であったと鮮明に覚えています。

なんせ、宇多田ヒカルの存在を知ったのは、彼のCD プレーヤーから流れる、衝撃的な音楽を耳にしたからだ、、、、 

It's Automatic   ・・・ 「この子すごいんだよ・・・」 とまさか、あの、競馬とパチンコのおっさんが、うれしそうに紹介するとは思わなかったなぁ・・・というのもあった。 ま、こっちももう、会社経理の主たらんとしていたときだったから、余計にそんな感じだったのだろう・・・

ん?なんでこんな話を書いているのかって・・・

いや、なんか、いま私が、(私にとって突然現れた歌手) アイナ・ジ・エンドさんが、なんとなく、その井上さん のときの、宇多田ヒカルさんのようだな・・・と思ったからだ。

あえて、すこしちがうのは、アイナさんのほうは、主題歌となった、アニメやら、ドラマやらが、もれなく、くっついてきているからかもしれないな。

しかし、これも、しっかりその業界、音楽屋さんの策略にまんまと嵌められているからなんだろうか?、あ、またSNS に書いたのと同じことを言ってしまった。

ありがとう 宝者  か

 

冒頭の動画は CDポータブルプレーヤーでググッて、拝借しました。元上司がこれを使ってたかどうかは記憶にありませんがね。


☆I am the 3rd grade referee in Japan Football Association.

2024-02-26 09:30:00 | social

●またやってしまいました

ん?いや、なにか失敗した、、、とかいうんではありません。

このブログのタイトルは、「元!4級審判員の日記」です。 はい、なぜか最近、このブログへのアクセスが少し増えているような気がするので、書きますが、私、ただの経理マンです。

ですが、このブログ、もう20年以上にもなります。そうその時から、審判員の資格はありました。審判員、アンパイア、ではなくレフェリー 、はい、FOOTBALL  サッカーの審判員です。でも、その20年にと同じ年数ほどに、ペーパードライバー、、、ならぬ、ペーパーレフェリー(実戦経験なしの審判員)です。

なおかつ、あろうことか、4級審判員のひとつ、うえのランクの3級審判員として、ペーパーです。

3級審判員はたしか、あわよくば、J3の線審などはできたんではないかと思います。それなりにオフィシャルな審判なんです。 いいのかな・・・

というので、毎年更新の案内が夏ごろにくると、「(やってもいないのに)今年はどうしようか」なんて考えながら、先送り、そして翌年3月の更新締め切りが近づいてきて、えーい、ドタバタ更新をするわけです。

それでもって、ご多分にもれず今年はどうしようかと考えたのですが、

ひょっとしたら、あともう5年もしたら、孫がサッカーをやるかもなんて考えて、また、更新をしてしまいましたわ・・・6千円近くお支払いして・・・ウェブ講習とテストを受けて・・・・

えーい、やはりやってしまった・・・しかし、まぁ、酒飲み話用でもありますからな

わたし、現役3級審判のときに、 木梨憲武さんの息子さんのチームの笛をふいたんだぜ、、、試合観戦には、安田成美さんが来てて、審判どころではなかったけどな・・・あの息子(10番背負っていたな)には「次やったらイエロー出すよ」ぐらいはいったかな・・・ 

元日本代表、いま解説者の北澤豪さんの息子さんのチームの試合も線審やったぜ

とかね・・・

しかし、いまさら、線審でさえも・・・走れんだろうな 小学生の試合でも・・・・(;^_^A

 

冒頭の画像は JFA審判員でググリ 3級審判員のワッペンの画像を拝借しました。


☆You are someone who I truly admire.

2024-02-22 12:38:54 | social

●またまた、ずいぶんと不精をして、ブログから

遠ざかってしまいました。

 

今日はまた、会社部署のMTGでのアイスブレーク話です。お題を出したのは私、まぁいままで、何とはなしに現実にあるものや、考えに関連してなにかを述べるというお題が多かったので

今回思い切って、空想の世界へ ということで、「歴史上の人物もしくは有名人と食事に行ったとしたら」で語ろう いうお題にしてみました。

で、まずは言い出しっぺの私ですが、そのお題から3つ

どれも幼いころから、30代そして40代ぐらいまでの経験をも包含してのものでした。

其の1

場所は「モスクワ」、で有名レストランの「カフェプーシキン」 お相手は、映画『ロシアより愛をこめて』のボンドガール 「ダニエラ・ビアンキ」  いい雰囲気でしょう・・・はい、それでもってもう日本に帰らなくてもいいやってなもんで・・・ という夢 

其の2

場所は「おおさか」、これまた、30年近く昔の 大衆食堂「食いだおれ」 くいだおれ太郎君(人形)そっくりのおかみさんの いた時代 で、お相手は 落語家の「桂枝雀」師匠 亡き父とも同窓でもあった、そして私は落っこちた 神戸大学のお話しなどしながら、 落語演目は 西宮市内中学校を集めて演じられた 「時うどん」 中学生のときの衝撃をいまいちど味わう  (ちなみに くいだおれは2008年7月閉店してるんですね)

其の3

場所は「ニューヨーク」 ちょっとネットサーフィンしてわかった、有名ピアノバー「Don't Tell Mama」でのバーボン  ピアノを弾いているのは、「ビリージョエル」 曲目は「This Night」 ・・・やはりこの間の東京ドームコンサートで、演奏されなかったのが効いたか・・・うーむニューヨークにいきたい。

そんな感じでした、

そうねぇ会社同僚のこのお題目でのお話で、印象に残ったのは、「あこがれの対象ではないが、食事をしながら、いったいあの時は何だったんですと会話をしたい、小保方晴子さん」でした。

いやぁ、、、いったい私のいる会社、何をやっているんだか・・・まぁ、四半期決算も終わったところですし、まぁご容赦くださいな。

ということで、またゆるゆると書いていくことにいたしましょう。


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