武蔵野線に最近(と言っても3月)新駅が開業した。駅名を「吉川美南」という。単純に”南吉川”とか
しなかったのはJRにしては上出来だ(笑)。
何しろ”浦和”に東西南北を付けただけの紛らわしいバカな駅名がゾロゾロと完璧に揃っていて、慣
れないうちは途中で何度か下車しそうになったものだ^^!
まだ出来立てだから駅前は広いロータリーがあるだけで周りに商店も住宅も見当たらない。唯一
やや離れたところにK’s電気がポツンと見えるだけ。区画整理された道路と商店、住宅用の敷地
の他、目につくのは電柱だけ。
しかし、以前も書いたけれど日本の空を覆う蜘蛛の巣のような電線と、唯でさえ狭い道路をさらに
狭めている電柱はおぞましい限りだ。
今時新しい街を造ったり、古い町を再開発する際、相変わらず電線を頭上に張り巡らしている国な
んて先進国はおろか発展途上国だって少ないよ。政府も東電も、原発と自分たちの金儲けにばっ
かりシャカリキにならないで、もっと街の美観とインフラ整備に目を向けたらどうじゃい!
戦後の我々日本人はダメになったのだろうか。美しいものには素直に感動し、自分だけのもので
なくとも大切にする、という先人達の気風は最早一般的ではなくなってしまった。
自然の景観とか街並みの美しさとか、そこに住んでいる人たち全部に共通の”財産”には、あまり
関心がないか価値を認めなくなってしまったような気がする。
要は自分の財産だけ大事にしておけば、残りの共用部分はどうでもよい・・・ということなんだろう
なあ・・・
新しい街がこれから生まれ育ってゆくのだろうに、またぞろ悍ましい蜘蛛の巣と電柱に景観が壊さ
れていくと思えば、残念を通り越して”後進国”日本が恥ずかしいわい・・・
久しぶりに今朝電車を乗り過ごした^^!もう何遍同じ失敗をやったことだろう・・・
手前の駅を発車するとき、次は降りるのだから・・・と本を閉じ、ちゃんと意識して目を瞑った。
にも拘らず、ハッと目を開けたら武蔵浦和に着いている。
慌てて席を立ったが、時既に遅くドアは閉まっていて電車は動き出していた。
”囚われの身”で次の西浦和まで連れていかれ、戻ってくるまでの10分の間に、いつも乗る
55分発川越行は行ってしまった。チェッ・・だなあ。
スッカリ眠りこけてしまい、気が付いて「・・・ここはどこだろう?・・・」というようなことも偶には
あるけれど、大抵は今日のように数十秒もしくは数秒という極短い間のことなのだが・・・
最近は持病の飛蚊症が進行したり老眼が進んだせいか、PCや細かい字の本は目が疲れる。
明るい場所ならまだしも、少しうす暗いところでは字が読みづらくなってきた。
この年になって、まだメガネをかけないで新聞や本が読めるのだから、視力は長持ちした方な
のではないだろうか。
運転免許更新(大型は深視力検査がある)のために随分むかし作ったメガネも普段ほとんど
かけることがなく、同時に作った老眼用は大して用をなさない。そろそろメガネを作り替える時
期かな・・・
浦島太郎ではないけれど、気が付けばアッという間に人生が終盤を迎えている^^!
過去がみんな昨日のことのように思えるけれど、それらは全て遥か遠いむかしに過ぎ去った
こと。振り返れば、まさに夢か現か・・・といった心境である。
今はまだそこそこ元気で、ごく普通に毎日送っているわけだけれど、当たり前と思っている
生活がいつまでも続く保証はない。
あるときフッと転寝から目覚めたら、誰もいない部屋のベッドの上で身動きもならず、天井を
見つめているだけの病身の自分がいるのかも・・・
今日27日は地域の一斉清掃日、我が班の担当場所は西側プロムナード(遊歩道)
のはずれ20mほど。草や低木が一斉に背丈を伸ばしはじめている。
朝9時、鎌、剪定ハサミ、熊手、自治会から配布されたゴミ袋をかかえて現場へ。
世話役につき、一応一番乗りした^^!
歩道側の一番雑草が伸びている部分から手をいれた。少しすると班の皆さんが集
まり始め、略全戸から参加してくれた。我が班は真面目な方が揃っていて頼もしい。
我々の受け持ち場所は木陰の遊歩道だから恵まれている。今日のように日差しの
強い日に車道沿いの歩道が担当の隣班の人たちは大汗をかいていた。
予定では2時間だったのだけれど実際には1時間で終わった。ゴミは専用の袋に
詰めて一般ゴミとは異なる公園脇の指定場所へ集めておく。後で町が収拾して
いく。
集会所へ行き、人数分の飲み物を貰って皆さんに配り、本日の清掃はお終い。
草ぼうぼうだったプロムナードは散髪したみたいで、サッパリした。
道具を片付けてシャワーを浴び、スッキリ。清掃後の写真を撮りにプロムナードに
戻ったら、オバサン達が4人まだその場に残って”会議中”だった^^!
次回は8月に、地域で一番大きな公園を2班で協同清掃。夏場は参加者が少な
くなるので、結構時間がかかるかも・・・
前回は12年前だったから、そろそろ家の外壁を塗り替えないとならない。壁にはまだ
さほどカビが生えていないけれど、屋根は目に見えて塗装が痛んできている。
家自体はセキスイ系なので、初回の塗り替えは建てた会社にやってもらった。
今回は口込みで紹介してもらった業者が、安価で丁寧な仕事をしてくれるとのことで
見積もりをお願いした。
梅雨時なら更にディスカウント価格になるらしいが、生憎予定が詰まってしまったので
わが家は梅雨明け、8月以降の工事になる。それでも大手(セキスイなど)より大幅に
安価である。
前回、色の選択に失敗した。オリジナル・カラーは深みのある淡い茶系グレーだった
のに、近いと思って選んだ色は実際に塗ってみたら薄いクリーム色で全然イメージが
変ってしまい、ガッカリした。
今回は業者と相談のうえ慎重にサンプルを選んで、オリジナルに近い色に戻す積もり
である。
わが家は二階南面が全部ベランダになっているので、防水加工もやり直さなくては
ならない。業者の話では、ウレタンの2度塗りかゴム・シートを加えた3度塗りがある
らしい。こちらの費用は大してかからないので、外壁の工事中に現状を調べた上で
どちらにするか決める。
近く、東南海巨大地震や東京直下型の起きる恐れがあるとされる今ではあるけれ
ど、家屋の老化も放っておくわけにはいかない。
先のことは誰にも分からない。万一無駄になったとしても、そのときは、そのときで
ある。
この夏の楽しみはお盆休みに3人の孫たち逢いにゆくことで、今からワクワクしている。
去年は震災があって福島の原発事故が起きたから、孫たちがこちらへ遊びにくる予定
だったのに中止になってしまった。
千葉だって放射能で汚染されたままで放置されてるわけだから、小さい子供たちには
なるたけこちらに近づけさせたくない。だからG・Baが逢いにゆくことにした。
前回行ったのは、末の孫が生まれた時だったから、もう3年も前のことだ。その末の孫
も今では電話でBaちゃんとイッパシの会話をするまでになった。子供の成長は早いも
のだ。
真ん中が幼稚園の3年生で来年は小学生になる。長男は12歳だからまだ小学6年生
だとばっかり思っていたら、昨日の息子からの電話で今年中学生になったと聞かされて
びっくりした。
そうだ、考えてみたらあの子は早生まれ(2月)だから、今13歳の子供たちと同学年だ
ったのだ。GもBaもうっかりして入学祝いをしていなかった。ゴメンな^^!
一寸遅くなっちゃったけど、行ってから皆で盛大にお祝いしよう。
上の孫は今サッカーに夢中で、将来プロのサッカー選手になることを夢見ている^^!
「僕、サッカー選手になるんだから勉強できなくてもいいや・・」というので、息子(父親)
が「プロになってヨーロッパ行くんだったら外国語だって喋れなくちゃあダメだぞ!」と嗜
めると、自分でもそうだと思ったらしく、最近は勉強を自発的にやるようになったとか(笑)
可愛いもんだ^^)。何事につけ一生懸命やるってのはいいことだ。
子供でも孫でも相性があるらしい。カミサンは上の孫より真ん中の孫の方が気が合うと
いう。どちらかというと、Edは上の方と気が合う。真ん中は性格がキツくてやや扱い辛い
ところがある。
前回行ったとき、まだ3歳だった真ん中がGの飲んでいたビールを欲しがる。どうせ呑みは
しまいと思って少しだけ与えた。ところがとんだ呑み助で、呑み終わってからもっと欲しがる。
また少し注いであげたらそれも平らげた。
面白半分でやるんじゃなかった、と思いながら「もう止めなさい、沢山は毒だから・・・!」と
言ってジョッキを取り上げたら、暫くコワイ目でGを睨んでいたが、そのうち「ワ~~~ン」と
大声で泣き出した。ビールを取り上げられたのがよほど気にいらなかったらしい。反省!
しかし、この子はEdの血筋を引いて、大酒のみになりそうだな・・・
上の孫は初めてだったせいもあり、オモチャやゲームなど欲しがるものは大抵買ってあげ
たから、BaよりGの方が好きになったのかもしれない。これまでのところ、Gの”買収”が功を
奏した形か。
しかし今はもう大分”大人”になったから買収は効かないな。今度逢ったら彼の本音を確か
めなくっちゃあ・・・(笑)
「・・・オイ、Gちゃんにそっと教えてくれ。ホントはGとBaとどっちが好きなんだ?」
ニヒルで優しいところがある奴のことだから、きっと”優等生”な返事が返ってくるな・・・^^!
今はいろいろなところで「ID」とか「パスワード・暗証番号」を求められる。
普段頻繁に利用しているものなら忘れないが、極く稀にしか使わないものの場合忘れ
てしまうことが多い。
3年ないし5年に一度の免許証の書き換えにだって暗証番号を設定させられるのだ!
そんなもの憶えていられるわけないよ。当局も承知してるから小さい紙切れを渡して
免許証と別の場所に大切に保管しておいてください、なんて云う。
ナンセンスだよ。免許の書き換えにホントに暗証番号設定する必要あるのかえ・・・?
カミサンは先日郵便貯金口座の暗証番号を忘れてしまい、3回入力ミスしたためカード
が使えなくなってしまった^^;
何処かに番号をメモしておけば・・・と勧めたのに、変にセキュリティーに慎重になって
どこにも書き残しておかなかったのが裏目になった。
お金が下ろせなくなって困っていたけれど、暗証番号の更新には1週間から10日もか
かるそうで、面倒なことである。
実をいうと、Edもカミサンのことを笑えないのである。
以前、同じく銀行カードの暗証番号を間違えて入力し、焦って更に2回失敗してカードが
使えなくなったことがある。
まだ50代半ばだったから、それほど老化していたわけではないのに・・・だ!
以来、暗証番号やパスワードは何種類も持たないことにした。財産があるわけじゃなし、
心配することなんて何もありゃしないのだった。ハハハ・・・
歳をとれば大抵誰でも忘れっぽくなる。若いころから大ボケだったEdは、歳とったらさぞ
かし困ることになるだろうと心配だったけれど、今のところ目立ったトラブルがない^^!
最初からボケてるから、変化に気付かないだけかもナ・・・(笑)
その日は、朝からよく晴れてお昼ころの日差しは暑いくらいだった。
午後から予定がなければEdもツーリング出掛けたくなるような、爽やかな5月の
風を切ってツーリングのバイクが沢山走っている。
コンビニ軒下のベンチに座って、待ち合わせた「いち」さんの到着を待っていた。
すると、目の前にピカピカの大型クルーザーが入ってきて停まった。
綺麗なブルーメタリックで、ギア・ボックスからドライブ・ベルトにかけての形状が
ハーレーに少し似ているけれど、車体デザインは違う。
強面の若い人だったけれど、隣のベンチに座ったから声を掛けてみた。
ー どこのバイクですか?
「ヤマハです」
ー 大きいですね、排気量は?
「1900です」
ー ブルーってあまり見かけない色ですけど綺麗ですね^^)
価格はどれくらいするんですか?
「190万です」
ー そうすると諸経費加えると二百数十万ですか?
「ええ、まあ・・・」
と、笑いながら答えてくれた。
この手の大型クルーザーは、近頃では排気量1800ccが普通になってしまった。
ヤマハは更に100cc増やして競争力を高めたつもりなのだろうが、益々デカく重く
なって非力な老人にはとても取り回しができない。
ま、今更もう新しいバイクを買う積りはないのだけれど、欲しくても新車に手が出せ
なくなった現実は、残念ではあるな・・・- -;
20日(日曜日)は薄曇りで気温は一寸高めだったけれど、空気は湿っぽく
なかったから久しぶりに自転車に乗った。
近頃は若い人たちのロード・バイク姿は欧米に倣ったスタイルで恰好よい。
カラフルなパンツ、ウェアーにヘルメットをつけ、自転車も安いスポーツ車
とは雲泥の差、10万、20万の高価なメーカー品だ。
Edのような実用車に毛の生えたようなスポーツ車に乗ってる人は見かけない。
ま、自転車相応にジーンズとTシャツを着て、いつもの印旛沼サイクリング・
ロードへ向かった。
暫く走ってなかったから弱った足腰と相談しながらゆっくり走行。
何か少しペダルが重い感じがするが、気のせいか・・・と思いつつ後のタイヤを
見たら接地面の変形がやや大きい。
止まって調べたら・・・あちゃ~!空気減ってる。もうかなり走っちゃったから今更
家へ引き返すのも業腹なので、エイッ・・ままよ、とそのまま走り続けた。
サイクリング専用道路入口についたら、なんと入口閉鎖!
山田橋下の地盤崩落の危険・・・とか。ここにも震災の影響及んだのだ。
山田橋まではここから7、8キロはある。車道を走るのはヤだったから、自転車を
押して土手をよじ登った。草が踏みしだかれて小路になっているから皆そうやって
いるに違いない
2キロほど走ったところで、崩れた土手の工事中。直ぐ車道に降ろされてしまった。
仕方なく、またしばらく車道を走り、専用道路に戻ったけれど今度は吉高揚排水機
場の前で車道へ。
結局、車道と専用道を出たり入ったりしながら最後R464を車にヒヤヒヤしながら
1キロ半走行、ようやく北総線のガード下あたりから双子公園までは専用道路を走
れた。
行き交うサイクリストは老若半々といったところだけれど、老は還暦過ぎかEdと近
い年齢と思しきオジサンばっかりだった^^!
帰りは左の膝が痛くなり、途中休み休みしながらそれでも往復約35キロ走った。
いい運動にはなったけれど、帰宅したらヘロヘロだった。
偶には鍛えておかないと、そのうち自転車にも乗れなくなっちゃうな・・・
昨日、自宅のPCを開いたら、勤め先の会社の元先輩だったKKさんの名前で
メールが入っていた。
しかし読んでみたら彼の娘さんからで、何とKKさんご本人の訃報だった!
2月にJinさんが亡くなったとき、KKさんにも連絡しようと思い何度かご自宅へ
電話を入れたのだが、テープが廻るだけで結局連絡できなかった。
それもその筈、そのとき既に彼は脳梗塞で入院していたのだった。
知らなかったけれど、彼の奥さんも一昨年他界していたと娘さんからのメール
に書かれていた。
KKさんは良きにつけ悪しきにつけユニークな人で、時として常識はずれなこと
を言ったりやったりするから顰蹙(ひんしゅく)を買うこともあったが、どこか憎め
ない人だった。
Edが入社したのは、まだ会社設立後間もないころで、売れていたのは2スピード
のアクスル・ヘッドと呼ばれる差動ギア装置だけで、トランスミッションは売り込み
を開始したばかりで、実績は殆どゼロだった。トランスミッションが販売の中心と
なっている現在とは隔世の感がある。
KKさんはアル中に近い大の酒好きだったから、仕事が5時半で終わるや否や机
の引き出しに隠しておいたウィスキーの瓶を持ち出して飲み始める^^!
Edも嫌いじゃないほうだから、「いいのかなあ・・・」と思いつつ参加してたのだけ
れど、あるとき副社長のアメリカ人TDさんが嫌がって、「終業後と云えども会社内
で酒盛りしちゃいかん!」と苦言を呈したため、以後止めて外で飲むようになった。
彼はとにかく安い場所が好きで、酒屋の立ち飲み、駅ホームの立ち飲み、ガード下
の赤提灯くらいしか行かないけれど、毎日だったから結構な飲み代になった。
彼は古いタイプの”営業マン”だったから、顧客(メーカー)の担当者と飲んで注文を
とるのが上手かった(好きでもあった^^)。
更に、本当はワランティー・クレーム処理で儲けてはならないのだけれど、転んでも
只では起きないとばかり、何でも会社の利益に繋げてしまう貪欲なところもあった。
かなりいい加減なことをする営業責任者ではあったけれど、その後会社の業績は右
肩上がりを続け、現在の基盤を築いた人であることも事実である。
胃の薬をのみながら酒を呑み続け、呑めば楽しい人だった。
ご冥福をお祈りします。
銀行口座からの引き落とし通知が来ていた。開封済みで既にカミサンが見てるのだ。
・・・れれれ、25000円も!
Edは最近カード使ってないから全部カミサンの使用分にちがいない。デパートで
昼飯数回、女性下着、ショッピング・バッグetc・・・
敵も考えてるなあ。月々の小遣いは貯めておいて見えないところで、一寸した支払い
はカード決済してる^^!
そういえば、毎週末の食糧買い出しで、最近は余ったお金は全部没収されてしまう。
Edの小遣いがだんだん少なくなるわけだ!
何か対策を立てなければ・・・(笑)
サラリーマンでなくなってから早5年になる。収入は給料ではなく、毎月の売り上げだ。
ボーナスもなければ値上げもなく、休んだら売上が減るだけ。
それでも健康でありさえすれば当面はそのまま続けられそうである。この年になって
働き続けていられるなんて、本当に有難いことである。
こうしてみると、天は案外公平なのかもしれない。
貧乏に生まれ育ち、財産もなく優れた頭脳も持ち合わせなかった自分には、唯一健康
な体が授けられた。お蔭で20歳からづ~っと休みなく50年間も働き続けてこられた。
宝くじにも当たらなかった代りに交通事故にも遭わなかった^^!
精々死ぬまで働き続けなさい、という天のお告げだと信じよう・・・(笑)
今から丁度2年前、普段履きに安い靴を2足買った。両方とも格安品だったせいか
靴底の減りが早く、一方は型崩れしてしまって、もう通勤用には使えない。
もう一方はそれでも未だもう少し履けそうだけれど、底のパターンが殆ど磨滅して
しまったので、雨の日はスリップしやすい。
これから雨の季節を迎えるのに、ボロ靴のせいで滑って転んでは形無しである。
勤め先の近くにあるSCで探したら、同じようなのが4000円であったから一足購入。
なので、型崩れしたほうは捨てた。
「・・・またかよっ!」と云われそうだけれど、どうせ1、2年履ければいいのだし、先が
永いわけではないから、高価なものを買うつもりはない・・・^^!
今回はパターンの刻み目が粗くて深いので、濡れたタイルの上でもグリップは良い。
以前は雨靴として踝(くるぶし)まで被さるブーツが流行ったのだけれど、今はあまり
見かけなくなった。確か2年前にも探したけれど適当なものがなかった。
ああいう靴は、今の若い人たちには受けないのかも・・・
勤めが事務所から現場仕事に変わってから、上着はネクタイにスーツというスタイル
からジーンズとブレザーになり、靴も短靴から楽なウォーキング・シューズになった。
毎朝、通勤着は作業衣に着替え、靴は作業靴に履き替えるから、どうしても「楽な方」
を選んでしまう。
今となっては、堅苦しいスーツや黒の革靴はほとんど着用する機会が無くなったので、
古いものは捨てた。
残しておいても仕方がないものはEdの周りにはまだまだある。
小まめに捨てていかないとなかなか身軽になれない・・・
先日、部屋の模様替えで足繁く階段を上り下りしていたら、へたり加減だったスリッパの
つま先を階段の縁に引っかけてよろけ、左手小指をしたたか何処かにぶっつけた。
痛くて暫くその場を動けなかったけれど、指は動かせたから大事あるまいとそのまま放っ
ておいた。翌日から指の付け根が少し腫れて熱を持ってきた。
もう若くないのだから回復力は衰え、あちこち具合が悪くなるのは当たり前。2,3日で治
るとは思っていなかったけれど、まる二週間経ってようやく痛みが薄れた。
最近は体の不具合は数え上げたら限がないので、「ま、こんなもんだろう・・・」となるべく
口には出さないようにしているが、時々カミサンにポロッと漏らしたりすると途端に嗜(たし
な)められる^^!
「打撲傷だって、2週間くらいじゃあ治らないわよ!」
「もし骨にひびが入ったとしたって、治るまで我慢するしかないのよ!」
ご尤もで・・・と引き下がるほかない。
カミサンはオヤジがいつまでも元気で留守がいいのだった・・・(笑)
そういえば、去年もバイクには数えるほどしか乗らなかった。今年も未だたったの2度しか
跨っていない。少し前までは、天気のよい休日になると何処か行きたくてウズウズしていた
のが嘘のようだ。
最近では、偶には走らなくちゃあ・・・と半ば仕方なく走るという風だから、あまり遠くまで足
を延ばすこともなくなった。
バイク仲間のオジンライダーさんは相変わらず元気いっぱいで、先週から今週にかけて
九州一周のロング・ツーリングへ出ている。Edにも声をかけてくれたのだが、自分は長い
休みは取れないし、先立つものも無いから断念したけれど、参加できなくて残念だった・・・
体力だけでなく精神面の衰えも、本人の気づかぬ間に確実に忍び寄ってきている。
気が付けば、高尾山へ行く回数が減り、バイクに乗らなくなり、ウォーキングの距離が短く
なり、そうやって徐々に老いていくのだろう。
これからは無理はできないけれど、いろいろなことに興味を失わないために、敢えて努力
しなければならないなんて・・・
ヤだねえ・・・^^;
今年も草むしりや垣根の剪定に忙しくなる季節が廻ってきた。
日本では外国に比して庭が狭いから庭木の手入れといったって多寡が知れている
けれど、アメリカの友人はリタイアしたあと戸建からフラット(集合住宅)に引っ越して
芝生刈りから解放され、ホッとしたと大喜びしていた^^!
日本ではそれほどのことではないけれど、やはり草むしりは骨が折れる。
歳とったせいですぐ腰が痛くなり、長く続けられないから休み休み時間をかけてやる
しかない。
ホントは毎週、草がまだ育ちあがらないうちに小まめに抜いておけばいいのだけれど、
一端終わるとホッとしてしまい、次にやる頃はまた草茫々となってしまう。
まさに、何遍繰り返しても懲りない自分なのだ。
家を建てたとき、兄から庭に芝は植えないほうがいいと忠告してくれたのだけれど、芝
生の庭に憧れていたから忠告を無視して芝を張った。
最初のうちは小まめに雑草も抜いていたし、芝刈りも頻繁にやっていたから芝も綺麗
だった。
やがて5年経ち10年経ちするうちに芝生は雑草に浸食されて芝生のようでなくなり、
おまけに芝の根はあらぬ方へどんどん伸びていって今では収拾がつかなくなってし
まった- -:/
”先人”のいうことを聴いておけばよかった。後悔先に立たずである。
表通りのイチョウの街路樹は去年無残に枝を切り落とされてしまい、折角葉を茂ら
せる季節になったのに、可哀そうに幹から葉をびっしり繁茂させている。
我が家の前の一本だけは、カミサンが頑強に剪定を拒んだおかげで、本来の木の
姿で残っているから、周囲のトーテム・ポールみたいな街路樹とは一線を画している。
道路向かい側のKさん宅は植物学者だけあって庭木は手入れが行き届いて綺麗だ
けれど、お宅の前にある街路樹のイチョウはやはり無残なスタイルにされてしまった。
奥さんは我が家の前のイチョウを眺めては、ホッとすると仰る。
この夏は我が家の前の街路樹しか大きな木陰は作ってくれないだろう・・・
そろそろ石油ストーブは仕舞おうと準備していたのに、昨晩から今朝に
かけてこの涼しさ!
まだ片付けてしまわなかったホット・カーペットのスイッチを入れた^^!
今朝のウォーキングは5時に出発、空気がひんやりして気持ちよかった。
利根川の土手まで、あと100mほどしかないけれど、国道を横切らないと
行けないので普段は手前の農道を歩く。
1、2週間前から堤の上にブルやショベルの土木機械が見えていたので、
何か工事をしているのは分かっていた。今朝近くまで行ってみたら、去年
震災で壊れた堤防の補修工事だった。
そういえば、長いこと土手が数キロに亘ってブルーシートで覆われていたが、
いつの間にか取り払われていた。
Edの住む栄町ではR356沿いに利根川の堤防に大きなひび割れが出来て、
国道が半年ほど通行止めになった。ひび割れは数キロに亘り、堤防をすっぽり
覆うブルーシートが延々と続いていた。
通行止めの柵の脇をすり抜けて土手に上がってみた。
頂面のサイクリング・ロードと一段下がった車道は既にローラーで踏み固め
られ、仕上げのアスファルト舗装を待つばかりになっている。
のり面には略全面芝生が張り付けられて工事は間もなく終わる段階だった。
大きな被害を受けた被災地ではまだまだ瓦礫の撤去すら進んでいない。
官僚に牛耳られて政治が機能していない日本、復興は遅々として捗らず、
被災地の苦しみはなかなか解消されそうもない・・・
震災で、思い出すのが被災地への義捐金である。
まだ募金の呼びかけは続いているし、未だに毎月お金を送り続けている
Edの知人もいる。
しかし一向に聞こえてこないのは、集めてる義捐金の現況報告である。
一体何時、どの位のお金が集まり、どのように配分されているのか、一般
の国民には全く伝わってこない。
少なくとも、集めている赤十字と中央募金会はNHKやマスメディアを通じて
中間報告を毎月するべきではないのか?
真偽のほどは定かでないが、NETで流された情報には、義捐金の配分に際
して高額の手数料(25%?)が差引かれているとか・・・
何故、義捐金の収支にもっと透明性を持たせられないのだろうか?
呼びかけして後は知らん顔しているNHK他マスコミも無責任だ!
先週の「久米宏ラジオなんですけど」を聴いた。
評判の焼き鳥屋「とり重(?)」を長年続けてきた女将さんが、今年いっぱいで
店を閉めるというので話を聞かせてもらったらしい。
久米さんの”店を辞めたあと、何をしたいですか?”という質問に、女将さんは
「先ず身の周りの始末をしたいです」と言った。
身辺整理はEdもそろそろやらなくては・・・と思っていたことだし、昨日仕事は
休みをもらって、持ち物の整理を始めた。
押入れの奥にしまい込んであったバイク関連のガラクタ、PCラック、スケッチの
道具、事務用品、着ることのなくなった衣類・・・全部引っ張りだして捨てた。
衣類と組み立てラックは廃棄するのも手間だからハードオフで引き取ってもらっ
た。先日部屋の住み替えと家具の移動をしたばかりだったから、ゴミはかなり減
ったのだが、それでも沢山出てくる。
普段いかに不要なゴミに埋もれて生活しているものか・・・と、改めて感じた。
これからは、「買う」より「捨てる」ことを優先して生活しないと、直ぐまたガラクタ
に囲まれてしまいそうな気がする^^!
生きて生活をしている限り、今すぐあらゆるものを捨てるわけにも行かない。
残された家族に、なるべく迷惑をかけないようにするには、生活スタイルをこれ
まで以上に質素にして、要るものは旧くなっても使い続けるようにしよう。
身軽になったら気分が楽になった。
それと同時に、いよいよ人生も終わりだな、という一区切りの気持ちも・・・