Ed's Slow Life

人生終盤のゆっくり生活をあれやこれやを書き連ねていきます。

視力

2009年09月30日 | Weblog

                 
飛蚊症はひどくなる一方だけれど、有り難いことにこの歳になって未だに裸眼で本が読める。流石に辞書や細かい地図などはルーペが必要だしパソコンも老眼鏡がないとひどく疲れる。

先日、モスバーガーで本を読みながらお昼を食べていたら、隣に居た50絡みのオヤジに声をかけられた。

「・・・あの~、チョッとスミマセンが・・・」
「ハイ、何でしょう?」
「その本(単行本)の字、見えるんですか?」

バカなこと訊いちゃあいけませんよ。見えるから読んでるんじゃありませんか!と心のなかで罵声を浴びせながら、「見えますよ」と愛想良く返事だけはしておいた。

「いい年寄りなのに、眼鏡もしないでよくまあ・・・」という嫌味を言外に感じながら、その後はオヤジを無視して黙って食事しながら本を読み続けた^^!

そういえば10月は運転免許の書き換えがあった。今回でゴールド免許がもらえる最後かも知れない。裸眼で大型の視力検査が受かるだろうか・・・前回は、やり直しで2回目にかろうじて通ったっけ。
日本も英国のように、一度取ったら一生書き換えなしにしてくれないかなあ・・・(笑)

               


金木犀

2009年09月29日 | Weblog

         

朝4時45分。まだ薄暗い中ウォーキングに出る。風もない畑道の何処からか木犀の淡い香りが漂ってくる。
そういえば我が家の庭の金木犀も満開だった・・・
地味で目立たない木だけれど、毎年忘れた頃に必ず香りで花が咲いたことを知らせてくれる。春先の沈丁花と同様、控えめにその存在を主張して。

ウォーキングから戻ると「もも」が玄関で散歩に連れて行ってくれるのを待っている。すぐ綱をつけて外に出してやる。今は緑カエルが遊び相手なのだけれど、セミやトンボほど面白くはないらしくて、飽きると表の歩道に出る。

通りの向かいのKさんの旦那がゴミ捨てに出た帰りに、これまで一度もお話したことがなかったのに、珍しく話しかけてきた。

「犬だと思ってたら猫ですか・・・、外国の猫ですか?」

・・んな訳ないのだけれど(笑)、可愛いい顔をしていると褒めてくれたり、前に飼っていたシーズー犬の「メイ」の話になったりで何となく話が続いてしまい、そのうち彼が「実は私この5月に入院しまして・・・」と云い出だした。
彼によると、内臓に癌が見付かり臓器をいろいろ3キロも摘出したという。入院のことは知っていたけれど、彼の奥さんの話では糖尿と軽い脳溢血で入院したと聞いていたから、話が少し食い違っていたけれど、そこは敢えて正したりはせず、「お大事に」と云っておいた^^!
Kさんの話はバイクに移り、若い頃コレダ号に乗っていたとか。私のLCを「HDですか?」とか「何ccですか?」とか「いつも颯爽として乗ってでられて・・」などと発展してしまった。
正直、もう朝の忙しい時間が迫っているし「もも」は早く帰りたがって爪をたてるし、気が気でなかったのだけれど彼の気まぐれに10分近くもお付き合いしてしまった^^b
本当はKさんは話好きな方だったんだぁ、と今日初めて知った!
ま、これからは近所付き合いを大切にしないとね・・・

どうやら金木犀の香りが人の心を柔らかに包んでいるものらしい。

        


ミニ・クラス会(Sep 2009)

2009年09月26日 | Weblog

暑気払いで計画して延び延びになっていたミニ・クラス会が、昨日(25日・金曜)ようやく実現した。今回は7人全員揃うことになり、喜び勇んで出かけた。

これまで勤め先が乃木坂だったから都心で飲む機会も多かったせいか何となく世話役を引き受けるハメになってしまい、今回もセット・アップは自分が行った。会場は銀座・松屋裏の「MisoBank」という味噌味の料理と焼酎が愉しめる、一寸珍しい店である。
予定通り6時過ぎには6名集まったのでボチボチ呑み始めた。30分ほど経って、いつも遅れることがない風子さんが来ないので心配になり、とみちゃんが携帯に連絡をいれた。

「今どのあたり?」 「・・・自宅、えっ今日なの?」

みんなビックリ! 
3日前、私がメールで全員宛てリマインダーを送り「予定通り今週の金曜日です。忘れないでね!」と念を押したら、風子さんからも折り返し了解の返事をもらったのに・・・

しかし、彼女はその返信に「26日、6時からですね」と書いたという。
私は彼女の間違いには気が付かなかったので、ああ参加できるんだな、と単純に安心してしまいそのままメールは削除してしまった。

世話人失格である。カミサンからは「それは世話役やってるアンタが悪い、世話人のくせに不注意だ!」と叱られた。スミマセン・・・
と、云っても時計はもう戻せない。残念だけど風子さんには次回の集まりに期待して頂く以外ないのだけれど・・・

一方、肝心のクラス会は大いに盛り上がり、お互い遠慮のない云いたい放だいでアッという間の3時間。料理も焼酎もことのほか美味しかった。やっぱり気の置けないこういう仲間と飲る酒は格別だぁ。
次回は忘年会かな?

         
         
         


大連

2009年09月24日 | Weblog

      
            (現在の大連中心市街)

この冬、バイク乗り(オジンライダーズ)の忘年会を中国・大連でやることになった。阪急の格安ツアーで3泊4日24,900円というのが発売され、燃料代サーチャージ、その他手数料6,480円を加えて合計31,380である。ホテル代、食事などは全て込みこみなので、基本的にはこれだけでOKである。申込書を郵送して本日代金を払い込んできた。

私のパスポートの有効期限は2010年5月だから今回はかろうじて間に合った。申し込み書の選択項目に「出入国カードは自分で書く」または「旅行会社に作成を依頼する」というのがあった。依頼したら4,200円もかかる。
今まで出張の度何度となく記入している極簡単なカードなのに・・・と思って、当然「自分で書く」にした。勤務先の同僚に日本出国時のカードのブランク・フォームを余分にもっているか尋ねた。すると彼は「・・・?今は要らないですよ」という。
自分が最後に国外に出たのは2005年だったから、失念してしまったのかもしれないが、その後手続きも大分変わって現在は日本の出入国カードは不要になっているらしい^^!

大連はその昔、日本人には馴染みのあったところで、1904年大連を主戦場とする日露戦争が勃発したが、翌年日本軍の勝利で終結し、日本が「ポーツマス条約」に基づいて植民地として約40年間(太平洋戦争終結まで)統治していた。そのため旧日本軍の統治時代の施設や建物」などが今も数多く残っているらしい。中国人にとっては思い出したくない過去の歴史かもしれないが、そういう過去も少しだけ覗いてみたい気もする。
現在、街は大きく発展し、美化運動が盛んな清潔で美しい町に生まれ変わっているとか。物価が安くて食べ物が美味しい大連の街を歩くのが今から楽しみである。

        
              (中山広場)
        
         (ライトアップされた旧い建物)


      ☆上の写真は看看大連 旅行者のための大連情報より


有毒・猫

2009年09月23日 | Weblog

         

カミサンの留守中、カミサンの知人「NGさん」という方から電話があった。
留守にしていると伝えると、仕事か、帰りは何時か、明日はどうか、といろいろ訊かれたので明日本人から電話させると言って切った。
翌日帰ってきたカミサンにその話を伝えると、早速{NGさん」に電話している様子だったが、しきりに「すみません」とか「知らなかった・・・悪かった」などと謝っている。

どうやら飼い猫の「もも」のことで謝っているのがわかった。そういえば北海道へツーリングに行っていた間に、カミサンから「NGさんが家に遊びに来て、「もも」に手を噛まれた!」という話をきいたことを思い出した。
「NGさん」の話の中身は、先日帰ってから噛まれた指が腫れて、病院に掛かり、治療費がいくらいくら掛かって、未だに指が動かない云々ということだった。カミサンが治療費の支払いのことに言及すると、払ってくれというワケでもなくて、我が家の猫にはそういう「毒」があるので気をつけたほうが良いという忠告だった。

「もも」は基本的に放し飼いしておらず家の中だけで飼っており、散歩は綱をつけて毎朝私が30分から小一時間させているし、他所の猫との接触はなく「毒」持ちのいわれは濡れ衣だ、と思った。
第一、NGさんだって自宅で猫を何匹か飼っていらっしゃるし、猫の扱いには慣れていると自負していて「もも」を抱いたらしい。「もも」は抱かれたり、しつこい事をされるのが大嫌いで、われわれでも時々噛まれることがある。しかし、我々は「もも」の顔を見ていると嫌がっている時はすぐ判るから、そこでやめる。カミサンも危ないと思ったから「NGさん」に注意したが、やられたらしい。
云わば彼女も猫の扱いには慣れていると過信していたのだろう。

NGさんのクレームに少しカチンときたカミサンは、「もも」のかかりつけの動物病院(お隣さん)へ行き、その話をしたところ院長先生は「それは単なる事故で、ももに特別な毒があるワケではない」と言下に否定してくれたらしい。自分たちも仕事柄犬や猫に時々噛まれたり、引っ掻かれたりして、悪くすると腫れて治療が必要なこともある、とのことで、やや溜飲が下がった様子だった。

やれやれ、とんだ毒もち「猫」騒動だわい^^!

        


曼珠沙華

2009年09月22日 | Weblog



別名が「彼岸花」のせいか、あるいは子供のころから墓参りの季節に見掛けているせいか、寂しげな花という先入観がある。

色鮮やかな赤(白もあるらしい・・)の花弁が茎だけ伸びた軸の先端にカールして咲いているのも、綺麗だけれどどこか華やかさに欠ける。
高麗川沿いの巾着田には群生している場所があって、観光名所になっているらしいけれど、やはり彼岸花は田圃の畦や古びた無縁仏の片隅にひっそり咲いているのがよい。

刈り入れが終わった近くの田圃でも、見通しのよくなった畦道に点々と彼岸花の赤がみえる。農家の空き地にはコスモスが咲き始めた。秋は足早に近づいている。

一ヶ月先には飛騨紅葉ツーリングが控えている。今年の紅葉は何時頃が見ごろになるのだろうか。楽しみである。


ブレーキ・パッドの慣らし走行

2009年09月21日 | Weblog

今日、明日はカミサンが泊まりで遊びに出かけたので、天気がいまいちだったけれど、昨日交換したブレーキ・パッドの慣らしとバッテリーの充電を兼ねてショート・ツーに出た。

思い立ったのが遅かったから家を出たのが既に10時過ぎ。久しぶりに真岡、矢板方面を目指してR356を走り出したが、すぐ近くの布佐大橋手前で大渋滞。国道を降りて下の県道に出たが、そこも大渋滞。
動かない道にいくら居ても仕方ない、Uターンして行き先変更、東へ向かった。仕方がない、変わり映えしないけれど銚子で昼飯でも食べて帰ろう。
こっち方面も所々渋滞はあるものの、たいしたことはない。12時過ぎに「鈴女」についたが・・・もの凄い行列。即、諦めて港沿いの食堂街に出たが、どこもかしこも人で込み合っている。一番外れにある「礁(いくり)」に行ってみたがここも一杯。丁度昼飯時に重なって具合が悪かった。

食堂は諦めて、コンビニでパンと飲み物を買い君ヶ浜に向かった。
海岸沿いに出た途端、薄っすらと白く霧がかかったように潮水の煙幕。
台風14号の影響で海は大時化。流石にサーフィンをやる人はいない。Noryiさんだったら、すぐ引き返すだろうな・・などと余計なことを思いながら駐車場にいれた。

銚子に近つくにしたがって空は晴れ、君ヶ浜では暑いくらいの日差しになった。砂浜んの石段に腰掛けて買ってきた簡単な昼を済ませた。
潮風で口のまわりが塩辛く感じる。こんなことはめったにない。長居をせず早々に引き上げることにした。
帰りは海上、多古町、成田経由で帰った。走行176Km。

ところで、リア・ブレーキの利きはよくなったものの、利き終わりにカエルのようにググッと鳴く。もう一度分解点検するのはウンザリだから、このままでいいや・・・^^!

        
        
        
        


リア・ブレーキ・パッド交換

2009年09月19日 | Weblog

        
        

北海道ツーリングから帰ったら交換しようと思っていたリアのブレーキ・パッドを今日交換した。

先日RLCミーティングで志賀高原へ行ったとき、リア・ブレーキの利きがかなり甘くなったなあ、と感じていたけれどパッドを外してみてその訳が分かった。外側のシューは限界を超えて、後端は殆どシューがなくなっていた。以前、Turboさんのシューが磨耗消滅して金属同士で接触している状態だったのを笑ったけれど、危うく同じことになるところだった^^!

自分のバイクはサイド・バッグをボルトでリア・フェンダーに固定してあり、このボルトは一旦外してしまうと再組み立てに苦労するので、半分だけ弛めた状態で作業しなければならず、最初は往生した!

しかしサイド・バッグがどうしても邪魔で作業が進まず、仕方なく前方のボルト1本だけは外してしまった。おかげで分解は割りとスムーズに行ってパッドを抜き取ったけれど、毎度のことながら新しいパッドがなかなか入らない。

適当な工具がなくて、ピストンがなかなか押し込めないのだ。仕方なく薄板のスパナをディスクに当てて無理やり押し込んだ。本当はディスクを梃子の代わりにしてはいけないのだけれど、背に腹は変えられぬ・・・ようやく収まった。やれやれ^^b

しかしパッド・ピンとクリップ、スプリングの組み立ては殆ど手探り状態だったので1時間以上かかった。心配していたサイド・バッグの取り付けボルトは1本だけだったせいか、何なく入ってくれ助かった。
今日はもう走れないので、連休中に試験走行してこよう。

フロントは少し前に交換したばかりだし、もう自分でやるパッド交換もこれで最後かな・・・^^!

        
        


時雨みち

2009年09月16日 | Weblog

友達から貰った風野真知雄の耳袋秘帖シリーズも山本周五郎の風雲海南記と彦左衛門外記も全部読んでしまったので、久しぶりに藤沢周平の文庫本を3冊買った。これまでに新潮文庫本を1番から17番まで買い集めてきたのだけれど、真ん中の9,10,11番が歯抜けになっていたので、ようやくこれで17番までは全部揃った。

             

9番は「時雨みち」で秀逸な短編集。面白くて、行き帰りの電車4日で読み終えた。読み始めるとすぐに引き込まれるのは、山本周五郎も同じだけれど、周五郎ほどズッシリとした重さがないぶん読後感はさわやかである。

どれも面白かったけれど、特に印象に残ったのは次の2つだった。

「山桜」は、現代のように女性が自由に生きられなかった時代、出戻りの娘が世間や親から押されるようにして、気にそぐわない再婚をしてしまい、ある時自分は(世間に流されるだけの)間違った道を歩いてきてしまったのだと気付き、取り返しのつかない後悔の念に涙するところで終わっている。

「亭主の仲間」は、人の良いだけでウダツの上がらない亭主が、日雇い仕事で知り合った若い男に惚れ込んで、家に連れてくるようになったところ、物事をわきまえた優しい男だとばかり思っていたのが、実はとんだ食わせ者で、乱暴でしつこく付きまとっては金をたかる恐ろしい奴だと判る。ある日留守中に金がないかと家中引っ掻き回されて呆然とするが、それがいつまで続くのか知れない不気味さに慄いているところで終わる。

時代小説が好きなのは多分、貧しさとか過酷な環境、あるいは世の中のどうしようもない理不尽のなかで健気に生きる「人」に共感を覚えてしまうからだと思う。現代人は生活が自由なあまり、時として自分勝手で他人への思いやりに欠けるひとが多い。電車に乗っていて、いつもそういった不満を感じてしまう。現代人は(自分も含めて)、少し江戸人の「たしなみ」とか「謙虚さ」を学んだほうがよい。


秋祭り

2009年09月14日 | Weblog



墓参りは遅くなるより早いほうがよいとかで、来週のお彼岸を待たずに週末(13日)実家の墓参りを済ませてきた。場所は都下の小平市と国分寺市なので、千葉からでは往復するだけでも結構な時間がかかるから、必ず実家に立ち寄ってお喋りしていくから、一日仕事になってしまう。年2回の「行事」だから、まぁ仕方ないか・・・

国分寺では、菩提寺の隣りにある本多八幡神社で秋祭りが行われていたのでチョッと覗いてみた。子供のころは、家にいても聞えてくるド~ンという大太鼓の音や神楽のお囃子に誘われて、ワクワクしながら出かけていったものである。

まだ昼少し前で、出店などもようやく準備が出来あがった頃で、賑やかになるのは夕方からだろう。それでも奉納金の張り出しやお神楽の舞台準備は終わっていて、掲示板には知っている人の名前もちらほら見えた。境内の奥まった一角では子供剣士たちの奉納試合が行われていて、小学生と思しき元気な掛け声と気合に溢れていた。

今住んでいる千葉の住宅団地では子供が少なくなって、歴史も浅い団地の夏祭りは年々盛り上がらず、今や存亡の危機にたたされている。
それから比べると、ここは規模も大きいし旧い伝統に支えられているせいか、まだまだ出店も人出も多くて賑やかだ。懐かしさにしばし時間を忘れて見入った。


初秋

2009年09月12日 | Weblog


         
         
         
         

千葉のこの辺りではもう殆どの田は刈入れが終わって、朝の散歩では籾殻を焼いた跡がところどころ黒い模様をつくり、ツンと鼻をつく焦げた臭いがする。
ついこの間田植えが終わって緑の絨毯が広がっていたと思っていたが、いつの間にかもう実りの秋を迎えてしまった。
台風の被害もなく収穫が済んで農家はホッとしていることだろう。

いつものように散歩のあと「もも」を散歩に連れ出した。大体のコースは決まっていて、先ず庭の中を歩き回ってカエルや、蝉やトカゲを追廻す。今は萩の花が満開だけれど、山法師もハナミズキも葉が枯れて落ち始めている。10分ほど動く小動物と遊んで飽きると表の歩道に出る。

最近では「もも」の散歩も板について、犬のように綱を引っ張って自分の気のむくほうへ歩いていく。とはいえ歩く距離は犬ほど長くはなく、その代わり一箇所にとどまる時間が長いので、長時間立ち続けなければならず結構くたびれる。

「もも」は同属の猫よりも犬のほうと相性がいいみたいで、特にご近所の芝犬「アイ」ちゃんはお気にいりで、「アイ」ちゃんが1メートル近くまで接近しても逃げない。カミサンは、可愛がっていた飼い犬(シーズー)「メイ」の生まれ変りだという^^!そんな馬鹿なことはないけれど、とにかく「もも」は犬の方にはあまり警戒心を表さない。変わった猫である。

         
         


リストラ

2009年09月09日 | Weblog

             

知人の勤め先の会社が、ごく最近彼の所属部門のRestructuring(リストラ)を行い、自動車関連2部門を一つに整理・統合した。
マネージメントは当然のように人員も20%カットし、合理化で経費を大幅に削減したと株主向けの説明をしているらしい。

しかしながら実態は、単なる人員整理だけで一般ヒラ従業員は突然辞めさせられたり、これまで以上に仕事が増えただけで、今のところリストラによる何のメリットも生まれてはいないという。むしろ個々の従業員にとっては、仕事が増えた重荷と将来の不安だけが残り、更に彼のいるQC部門では、折角良くなりかかった品質が急激に悪化する懸念すらあると恐れている。

この不景気・就職難の最中、まさに辞めるも地獄残るも地獄の態である。彼個人としては、今はもう従業員ではないので組織のゴタゴタに直接巻き込まれる心配はないのだけれど、一緒に働いていた(いる)同僚たちの苦悩を見るのは忍びないという。

願わくば、こういうリストラは先ずマネージメント上層部だけの合理化を進めて貰い、下々の一般従業員のリストラは新しい組織の骨格が出来上がってからにして欲しいものだ。

どうせ現存する二部門の仕事は、統合するといっても実務はこれまで通り続けていかざるを得ないのだから、ヒラ従業員の整理は一番最後にすべきなのだ。実務には要らない高給取りのマネージメントを残して有能で最も必要とされる実務者から辞めさせるようなリストラというのは、本末転倒ではないだろうか。

世の中のこと、何が正しくて何が正しくないのか、簡単には分からないのだけれど、彼の目には今のこの状態は Too many chieves, no indian!に映るらしい。困ったものだ・・・><

                


Typical my dinner

2009年09月07日 | Weblog

       

長いサラリーマン生活の中で、単身赴任の経験は一度もない。
強いていえば、技術習得のためスイスで暮らした半年がそれに当たるかもしれない。
あのときは、ベッド付き、小さい流し付きの部屋住まいで、トイレとシャワーは共同のアパートだった。洗濯は地下に全自動洗濯機(もう30年以上も前から全自動だった!)があったから、1週間に一度まとめてやればよかった。

食事は朝だけ自分で造って簡単に済ませ、昼は会社のカンティーンで、夜はセルフ・サービスの格安レストランで食べていた。そのうち外食も飽きてきて、夜もスーパーで食材を買い込み、サラダと、茹でたソーセージや卵、ピクルス、チーズなどでワインを飲みながら・・・というスタイルに落ち着いた。

今、我が家はカミサンと二人きり。彼女も不定期の仕事をもっているから、カミサンの仕事中は夕食は自分で造って一人で済ませる。
私の年代では、大抵奥さんに「飯!」とか「腹へった!」くらいしか云わないオヤジが多いと思うけれど、我が家ではそういう甘えは許されない(笑)。自分の食事の支度くらい慣れてしまえばどうということは無いが、多分、自分の原点はスイスでの経験にあるように思える。

週末には、餃子を造ったり煮魚をすることもあるけれど、手の込んだものは歳とともに次第に億劫になってきて、最近ではまたスイスにいた頃のような野菜サラダ中心の極く簡単な夕食に戻ってしまった^^!
しかし、肉類の代わりに豆腐や納豆、海草類が多くなった分、より健康食になったのではないだろうか。普段、どうせ夜は酒飲んでTV観ながら寝るだけだから、重たいものは食べなくてよいのだ。

(写真は、野菜サラダをメインに、メカブ、沢庵、コロッケ、納豆、豆腐、缶チュウハイ)


LCミーティング志賀高原

2009年09月03日 | Weblog

我ながら”好きだなぁ!”と思う。
北海道から戻って2週目、間に葬式があったりしてまだ疲れが十分とれていないのに、8月29日、30日は同じスズキ・LC1500乗りの集まりで志賀高原へツーリングに出かけた。この集まりは毎年1、2回行われているのだけれど、どういうワケか必ず雨に降られる。8月は比較的安定して良い天気が続いていたので、今回こそは・・・と期待していたのだが、日が近づくにつれて曇りや傘マークが多くなり、初日はどうやら持ったものの、2日目はやっぱり家に帰り着く直前でずぶ濡れになった^^:
ま、余程(雨に)好かれているミーティングだと思って諦めるしかない。次回は10月下旬の予定らしいが、多分また今度は台風にでも襲われるのかも・・・トホホ

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今回、下道で伊勢崎辺りまで関東平野を東西に突っ切って、北関東道の大田飯塚ICまで2時間半で着いてしまった。こんなショート・カットがあるなんて些か驚きである。MOMOさんの新ルート探求心には改めて敬意を表します^^!

上信越道・松代SAで関西組の4人と合流(Vienaさん、Noryiさん、Tobiuoさん、D51さん)。昼食後、やや天候が持ち直して青空が覗き始めたので、とりあえず野尻湖まで行くことにした。しかし野尻湖に到着したらまたもや厚い雲。グルッと一周したけれど一向に晴れる気配なし!
早々に引き上げて、早めに今夜の宿Sun Shane Hotel ShigaKougenへ。温泉に浸かり疲れを癒してゆっくり夕食。酒が美味いこと!天気が悪くても、これだけは何時も変わらず楽しい。
部屋に戻って、バイク談義。旧いバイクのことでも、皆さんの何と詳しいこと!暫く一緒に談義に加わっていたのだけれど、私は疲れていたのか、話の途中でいつの間にか転寝してしまい、誰かに起こされてベッドにもぐりこんだ。やっぱり歳だわい・・・><!

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山道走行では、あまり前車に離されないように走らないと、後から追いつこうとして速度が上がり、却って危険が増すことがある。最後尾をマイペースで走るか、あんこにされたら前車に付けるのがよい。私は降りではエンジン・ブレーキを多用するので燃費は悪くなるけれど、安全には代えられない。
MOMOさんは、やはり年季が入っているせいか山道でも早い。登りも降りも実にスムースで、後から真似て走るけれど、どこか違う。必ず置いていかれる^^!
今回はステップを2、3度擦ったけれど、そこそこついていけた。急カーブが少なかったせいもあるけれど、前車をトレースできたのが良かったのかもしれない。

       *******************

   Tobiuoさん:C90

   Vienaさん:C90

   Noryiさん:LC

   D51さん:LC

   Ed:LC

   MOMOさん:LC

   

   

   


セレモニー

2009年09月01日 | Weblog


                
北海道ツーリングから帰って3日目、若い頃お世話になった義兄が亡くなった。享年79歳だった。

肺がんで1年半ほど病院の入退院を繰り返していたが、つい先日までは元気で、見たところ「本当に病気かしらん・・・」と思わせるほど。
この5月には我が家に泊りがけで遊びにきて、近くの姉夫婦と一緒に楽しく呑んで一晩過ごしたばかりだった。
亡くなる2日前に具合が悪くなって入院したが、医者の見立てからは、まさかそんなに急に逝ってしまうほど差し迫った状態とは思ってもいなかった義姉は、相当大きなショックをうけたらしい。
癌は身体のあちこちに転移し、急速に進行してしまったようである。

葬式の朝、納棺のまえに清めが行われた。毛布に包まれた遺体に親族で清めの水をかけたあと、男女二人の清め師(?)が手際よく遺体を洗っていく。先ず足と頭、そして全身を2回毛布の下で石鹸をつけ、まるでお風呂に入ったときのように丁寧に洗う。顔はひげもあたる。
終わるとつぎはタオルで全身を拭き清め、顔には死化粧を施し、最後に黄泉の国へ旅立ちのため死装束をつける。
昔の旅装束そのままに、手甲、脚絆、草鞋、5文銭をいれた肩掛けの袋、なども持たせて納棺する。
これまで私が見てきた親兄弟の葬儀の時より、随分手の込んだセレモニーだ。ヒットした映画の影響だろうか・・・

この手の込んだ納棺のセレモ二ーのわりには、お経をあげる坊さんも説教も重々しさに欠け、アリガタミに欠ける。それにいつものことながら、焼香は一度に3人も並べて流れ作業みたいにしてしまうから、何だか皆急かされて焼香している風でぎこちない。
結局は、葬儀屋が如何にもったいをつけて遺族に金をかけさせ、儲けようとしているか、という商業主義に毒されているからだろう。

死は特別なことではない。誰でもいずれその時を迎える。私のときは親しい友人と身近な親族だけでひっそりと送って欲しいものだ。