ケパとドルカス

『肝心なことは目では見えない』これは星の王子さまの友達になったきつねの言葉。

映画「ハクソーリッジ」に見る彼我の戦いの違い

2017年07月22日 | 映画•映像
「ハクソーリッジ」は最初のロードショーを観に行き、そしてまた昨夜はこれで終演という、最後の上映の機会に《たまたま》観に行けた。

今回は、映画の内容そのものについてより、若い世代に向けて、かつて父の属した日本軍の戦い方について、少しばかりの弁明をしたいと思う。なぜなら、あまりにもこのままでは旧日本軍が、「卑怯」「残酷」の恥さらしレッテルが貼られそうだからだ。アメリカ人とかつての日本人の、戦いと死生観について違いが、映画に忠実に現れているからである。

◎どうして戦場に横たわる負傷兵たちを、ひとりひとり殺して回っているのか?
→映画の主人公が、敵味方の別なく一人でも多くの命を救おうとする衛生兵なので、これは人道に反するとてつもない残虐行為に見える。果たしてそうだろうか? 私が想像するに、これは「トドメを刺す」と言うのが正しく、死にきれない苦しみから早く楽にさせてあげようという、「武士の情け」ではなかったか。切腹の場における介錯(かいしゃく)もこれと同様である。日本側からすれば、これも人道なのだ。(下の絵は主人公への手榴弾攻撃シーン)

◎降伏しているポーズから、手榴弾攻撃したことについて
→これについては「卑怯」としか思えないかも知れない。主人公のドスもこれで負傷した。しかしよくよく考えてもらいたいことに、旧日本兵とは出征にあたっては「お国のために(父母や家族のために)死んで帰ります」と言うのが前提だった。生還を期せず、死にに行くことだった。それは特攻とかバンザイ攻撃になり、俘虜となるより最後は自決という軍人精神であった。だから南方の島々で圧倒的な敵軍に対しては、勝敗より自分たちが日本の犠牲となって、降伏するより少しでも敵軍に損害を与え、食い止めたい。最後の一兵卒まで、つまり玉砕するまで戦ったのだ。
これはアメリカ人や、西洋人の精神文化とは全く異なるもので、到底理解できないものだった。正直なところアメリカ軍の最大の敵は、自分たちより優れた武器を持ったドイツ軍ではなく、自分たちより装備も兵站(物量)もはるかに劣った日本軍だったと言われている。
この日本軍の視点でいくと、自決するより敵を油断させて、 隠し持っていた手榴弾で敵の一兵でも道連れにしようというのは、あっぱれな軍人精神であったのではないだろうか。
映画で投降シーンが再度あったが、そのシーンには全員褌(ふんどし)だけにされていて、アメリカ軍が即座に手榴弾攻撃を防ぐ対応をしていたのがわかる。
恐らくアメリカ軍を中心とする西欧連合軍にとって、近代的な組織と規律を持って立ち向かってきた、初めて経験する異文化戦争だったのではないだろうか?



ケパ






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