雑木帖

 ─ メディアウオッチ他 ─

ノーム・チョムスキー

2006-06-04 02:52:25 | 政治/社会
 畏れ多くも「踊る新聞屋」さんのブログで、
共謀罪関連では、<フジの民主党パッシング>とか<『”与党の皆様”のNHK』はもういらない?>
 同じ事実であっても、事実の断面の組み合わせによって読者や視聴者をいかようにも誘導できるという点で見本のようなケースだ。
 もちろん、上記媒体に限らず、あらゆるメディアには主観が入りバイアスがかかっている。その奥には、表に出てこない事実が無数にあるという事実がある。
[情報統制はない。選択の結果、情報が表に出てこない■本棚「メディア・コントロール」(集英社新書) 踊る新聞屋-。Blog]
 とエントリーを二つ取り上げてもらった。
 ちょうど、”Google ニュースの画面──作為なしが表示するもの”をアップした後、そういえば、作為のない、という状態を意識的に追求しているのが「踊る新聞屋」さんだろう、と顔が浮かんだ──いや、僕はまだ一度も会ったことはないので(笑)、ブログの数々の記事が浮かんだのだった──あとだった。
 余談であるけれど、「踊る新聞屋」さんは自らの業界(新聞業界)の批判記事も、傍からみて心配になるほど(精神的に)取りあげる。そういう行動を見ていると、新聞に対する文句も、いい加減な気持ちや態度ではできないな、と流石に鈍い僕も反省してしまう。
( 追記。
 実はこのとりあげてもらったものも
「自分が行うmedia批判は、むしろ自戒の意味が強い(つもり)です。時々筆が滑ってしまうのですが」(踊る新聞屋さん談)
 というものです。)

 その「踊る新聞屋」さんのブログ記事でノーム・チョムスキー氏が出ているので、これ幸いにとその稀有な人物、言語学者チョムスキー氏も紹介したいと思う。
 たとえば、こんな記事が2日にあった。

 宇宙の軍事利用を可能に 自民が基本法案骨子 [共同通信社] 2006/06/02

 自民党宇宙開発特別委員会は2日までに、自衛権の範囲であれば宇宙の軍事利用も可能とする「宇宙基本法」(仮称)の骨子案をまとめた。

 与党内の議論を経て8月中に正式な法案をまとめ、秋の臨時国会への提出を目指す方針。審議では従来の宇宙平和利用の原則を見直すことの是非が議論になりそうだ。

 同日、日本経済団体連合会の宇宙開発利用推進会議で提示した。

 研究開発を中心としてきた宇宙開発を見直し、安全保障や産業振興にも予算を振り向けるのが狙い。高解像度の偵察衛星の開発や、弾道ミサイルの発射を検知する衛星の開発も可能にする。

 省庁を横断的に統括する組織として、内閣に首相を本部長とする宇宙開発戦略本部を設置。副本部長に担当相を置き、有識者も加えて基本計画を策定する。
 多くの人はこれを読んでもその危険性などには思いが至らないはずだ。
 2002年にノーム・チョムスキー氏は日本へメッセージを送っている。

 希望の道を捨ててはならない
 ノーム・チョムスキー(Noam Chomsky 言語学者・マサチューセッツ工科大学教授)

 この半世紀の間、人類は「バランス」ゆえにその存在を保ちえたといっても過言ではありません。40年前にアイゼンハワー大統領は核戦争によって北半球が壊滅することもありうると指摘しましたが、それはごくあたりまえな知恵を言い表したにすぎません。現在の宇宙軍事プログラム、そしてさらなる破壊力をもった兵器の開発と配備によって、その滅亡の脅威はごく身近な危険として私たちに迫り、しかも増大しつつあります。ちがった道を歩もうという日本の決断はそれまでとは全く異なった未来への展望を与え、世界の人々の大多数に希望と励ましを与えました。もしも日本がその道を捨てて別の道を辿るなら、それは、その希望を大きくくじき、人類の生存の可能性に深刻な打撃を与えることになるでしょう。それは致命的な決定となるでしょう。このともしびを翳らせてはならないと叫ぶ人々に、私も自分自身の声を重ねたいと思います。
(『月刊世界』 2002年07月号より)
 この文面の中の「バランスを崩す」ものというのが他ならぬ宇宙の軍事基地化なのだが、チョムスキー氏の言っているのはアメリカのそれであった。このアメリカの宇宙の軍事基地化を「SDI構想」として提唱、推進したのはレーガン大統領であったが、民間でこの構想を手繰ってきたのが、政府御用達業者として宇宙兵器産業にも数多く関わってきたベクテル社だった。レーガン政権にはベクテル社は3人の大臣を送り、国防省、国務省、エネルギー省、原子力委員会等を押さえ、レーガン政権は「ベクテルのリモコン政権」とも言われた。また次のパパブッシュ政権でも「アメリカの陰の内閣」と言われた、”経済マフィア””巨大政商”の異名を持つ世界最大の商社である。
 この「ベクテル」は、イラク戦争でも巨額の復興事業を請け負った企業としてその名前を聞いた人も多いだろう。ちなみに、そのイラク戦争を強力に支持したジョージ・シュルツ氏は、レーガン政権で国務長官を務めた、元ベクテル社社長であり、レーガン大統領のスローガンの「強いアメリカ」を考え出したのは彼だと言われている人物である。
 このベクテル社はまた世界の原発の6割を建設してきた企業でもある。元CIA長官で原子力委員会(AEC)の委員長でもあったジョン・マッコーン氏、またリチャード・ヘルムズ元CIA長官も、このベクテル社顧問を務めていた。今のブッシュ政権になって、アメリカが急に原子力発電所建設を推進することになったのも偶然ではない。
 ともあれ、アメリカの宇宙の軍事基地化の危険性をチョムスキー氏は次の対談記事でも語っている。

「知識人とマスメディアに疑いの目を」 ノ-ム・チョムスキ-(Noam Chomsky) VS 辺見庸 対談 『月刊PLAY BOY』 2002/06月号 より

チョムスキ- …「核兵器は不可欠だ」と彼らは言い、これを作戦の中核に据えています。なぜなら、化学兵器や生物兵器は効果が薄く、あまり劇的でもない。それに引きかえ、核兵器は非常に不気味です。だからこそ、作戦の中核に必要なのです。
 核兵器を常に背後においておかなければならない。背後にあることがわかっている限り、恐れられるからです。実際には使われなかったとしても、外交に影響を及ぼすことはできる。だから作戦の中核に核兵器がなければ困るわけです。(ブッシュ政権の軍事政策は)クリントンの構想といくらか違っているところもあるが、大差はありません。ブッシュのまわりの人間たちはクリントンの取り巻きよりもやや攻撃的で好戦的かもしれない。しかし肝心なのは、作戦面で大きな違いがないことです。そのうえなんと、いままで話してきたことは全部、戦略全体から見たら副次的なものなのです。作戦の主要部分、最も危険な部分は宇宙の軍事化です。

辺見 宇宙の軍事化。それについてもっと説明していただけますか。

チョムスキ- ここ数年の、国連総会を見てみましょう。1999年以来毎年、総会で外宇宙条約が再確認されています。これは1967年に結ばれた条約で、宇宙の軍備を禁止しています。なぜ国連がこの条約を再確認することになったのか? それは、世界中の人が、アメリカが条約を侵そうとしているのを知っているからです。だから毎年投票が行われ、満場一致で可決されるのですが、アメリカとイスラエルだけは棄権しています。アメリカが棄権するということは、条約はおしまいだということです。アメリカ国内はもとより、他の国でも報道されていないかもしれないが、アメリカ合衆国は宇宙の軍備を計画していて、それは極めて危険なことです。
 迎撃ミサイルを備えるというのは、ほんの手始めに過ぎません。政府が思い描いていること……ちなみにこの情報は完全に公開されています。クリントン政権時代の文書があるのです……それは破壊能力が高く、攻撃的な兵器を宇宙に配備することです。例えば大量殺傷力のあるレーザー兵器で、おそらく小型原子炉を載せている。そして精密な警報装置、つまり自動操縦で発射されることもある。制御は自動です。人間が行う必要はありません。すべてにおいて相当な迅速さが要求されるからです。地球的規模の破壊を保証したも同じです。
 工学の文献には、「標準事故」という用語がある。「標準事故」にはうまく対処しなければならない。複雑系のなかでは必ず起こる類の事故です。いつ起こるかはわからない。しかし起こります。コンピューターを持っていたらそのうち必ず標準事故が起こります。突然何も動かなくなる。複雑系とはそういうものです。
 宇宙の軍備も極めて複雑なシステムなので、標準事故は起こります。標準事故が人類を破滅させる。しかし、これは非常に重要な計画で、スペースコマンドという公開されている文書を読めば、計画の理由が書かれています。「アメリカ産業の利益と投資を守るために、宇宙という新たな場へ向かわなければならない」と。かつて海軍が創設されたのと同じ理由です。海軍は産業の利益と投資を守るために作られた。そしていま、我々はまたしても開拓しなければならない。宇宙を。
 ところがことは同じようにはいきません。イギリスが海軍を創設したときは、ドイツや日本が反撃することができた。しかしアメリカが宇宙を占有すると、これに反撃するところがないのです。宇宙開発にかけてはアメリカが独走しているからです。ということは、圧倒的な力をもって、利益と投資を守ることができるのです。極めて危険です。いろいろな問題はあるが、とにかくまず第一に、とても危険です。
 その人類の「バランス」を崩すという宇宙の軍事基地化を日本もこれからアメリカの下でおこなう、というのが先にあげた共同通信社の記事だったのだ。
 実は時々言っていることなのだが、今の日本に必要なのは、このノ-ム・チョムスキ-氏のような、様々な事実を時系列でこと細かく分析、把握し、淡々と静かに、権力者たちの言い分に対し世の中に提示していくような人々なのだ。とくに、小泉政権のような現実をねじまげる劇場型政治には特に必要だ。ニーチェも言った。「政治家の一番恐いもの。それは事実」

 『アメリカの「人道的」軍事主義』 ノーム・チョムスキー著から

 文明国家、特にその指導者である米国の賛意と援助のもとで行われる国家テロと、文明国家の要求に合わないために悪逆とされ厳重に処罰されるべき国家テロとを、より広い範囲にわたって見るならば、その相違はいっそう明確になる。そして特に新しいことが起きているわけではないことがわかる。例えば数年前にワシントン・ポスト紙の社説は、米国政府に対し、「ニカラグアを中米の作法に戻し」、「地域の基準に従った妥当な振舞い」を強制するためのより効果的な方法を提案していた。ニカラグアをワシントンが後押しする虐殺テロ国家の作法に引き戻し、ニカラグアにいるワシントンの敵が行ったいかなる犯罪をもはるかに越える虐殺を行ってきた中米諸国の「地域の基準」を受け入れさせる方法である。米国にとって、ニカラグアの最大の犯罪は、西半球の指導者に従わないことであった。
 こうした態度は実際、文明国家の指導者たちにとってのみでなく、その敵たちにとってもありふれたものである。…(略)…

 世界人口のかなりの部分を占めると思われるより広い範囲を考えるならば、人びとの多くは、著名で影響力の強い急進的平和主義者A・J・ミュストの、次のような言葉に同意するであろう。
 戦争後の問題は勝者の側にある。勝者は戦争と暴力がコストに見合うことをまさに証明したと思いがちである。そのとき誰が勝者に教訓を与えるのだろうか。

 ノ-ム・チョムスキ-氏の記事の邦訳ものは”寺島研究室「別館」”で多く読むことができる。
 あと『チョムスキー 9.11 Power and Terror』もおすすめ(こちらはDVDの製品)。彼の講演風景などが出てくるが、ユーモアもあり、勉強になるドキュメンタリー作品。

 参考:
 『アメリカの「人道的」軍事主義』ノ-ム・チョムスキ-著:訳者あとがき (益岡賢のページ)

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4 コメント

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Unknown (ゆりかりん)
2006-06-05 13:49:21
1998年に取り壊されたMITの「第20ビル」出身の学者達は、アメリカ最先端の戦争技術を極めて後押ししてきましたが、その一員であった筈の言語学者ノーム・チョムスキー氏は、そうした好戦的イメージとかけ離れた理論を持っている人なのですね。確かに、こういう人が日本にもいてくれると、そして世論を席巻してくれると、平和ボケ大将みたいな指導者達も多少はマシな方向に舵取りせざるを得なくなるでしょうね。

「第20ビル」に関しては、「大学は国家に貢献すべき組織であり、戦争が国家の大事業である以上、大学が戦争に協力することは悪いこととはいえない」という人もいますが、戦争を国家の大事業と言わしめてしまう到底マトモとは思えない神経しか持たない魑魅魍魎達が、国家を楯に権力を行使しようとするためだけの論理でしかないと思いますし、戦争という大事業に勝つことだけを大前提に国家の存在を定義しようとすること自体、余りに稚拙な気もします。

いずれにしても、「宇宙から地球上の標的に向けて僅か数メートルの誤差でピンポイント攻撃できる核搭載ミサイルを、アメリカは既に装備できる技術に到達した・・・」とかなんとか言われていますが、湾岸戦争でアレほどまでに精度の低さを露呈したパトリオットミサイルを装備した時に、「パトリオットの命中率は90%以上」と国防総省が豪語していた国のすることですからね~。

それだけに、怖いですね。「標準事故」・・・。
返信する
戦争中毒アメリカ (雑木帖@管理人)
2006-06-05 22:57:04
> それだけに、怖いですね。



イラクでも同じで、米軍高官の一人が、クルーズミサイルが着弾して、その地点で宙に舞っていたのが、ターゲットのイラク軍人ではなく民間人だったことを憤懣やるかたないというふうに語っていたことがあります。



「標準事故」も恐いですが、チョムスキー氏がもう一つ指摘している、テクノロジーとそれを実現する予算において追随できる国は他にないという意味での、「アメリカの独走=軍事的絶対優位=世界の脅威」は大問題ですね。日本で語られるのはいつのことになるのでしょうか。



MITについては、ちょうどよいノーム・チョムスキー氏自身の記事があるので、ちょっと長い引用ですが紹介します。



”『冷戦と大学──米国の知識人はどのように生きてきたか、今後はどのように生きるべきか』ノーム・チョムスキー”

http://terasima.gooside.com/essay1cold2war3university4japanese.htm

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一九六〇年代半ばになって、やっと大学での抗議運動に人が集まるようになりました。しかし勿論、その時ですら、反戦意識と抗議活動の水準は大学によって随分の違いがありました。その当時、私はハーバードとMITの両方で働いていましたから、私は実際この違いを自分の目で直接に見る機会を持っていました。



 MITはペンタゴンとのつながりにもかかわらず、ハーバードでよりも、実際のところ、キャンパスでの反対運動はより活動的であり、異議申し立てにたいする敵意も少なかったのです。ベトナム戦争反対の地域での努力は、ほとんどMIT中心に行われました。サルバドール・ルリア[1912-91: イタリア生まれの分子生物学者;細胞遺伝学の研究によりノーベル生理・医学賞1969]は、MITにいましたが、ファシスト政権イタリアからの亡命者で、依然として献身的で戦闘的な左翼でした。彼は多くの活動を創始しました。



もし『ニューヨークタイムズ』に載せられた大学教授の全国的な意見広告を見れば、そのほとんどをMITが始めたということが分かるでしょう。ハーバードの教授も少しは参加しましたが、取るに足りない数でした。普通の基準から見れば、その当時のハーバードの教授陣がMITの教授陣よりリベラルだったということは間違いありませんが、オープンで、率直で、反骨的で、知的でかつ政治的な活動家は、私の経験ではハーバードよりもこのMITに多かったのです。



そういうわけで、平和活動だけでなく他の活動においても、教授陣の活動は通常、MITに集中していました。現下の諸問題に関する公開ミーティングでさえそうでしたし、少なくとも草の根運動を創始し参加した人々もまたMITでした。たとえば1967年あたりに始まった、様々な活動を支援するための全国的資金調達集団「レジスト」(抵抗せよ)も、その一例です。



そのような集団の大部分はMITから成長していったのです。もし運動に直接的に関わっている人のリストを見れば、その多くがMITの人であることを発見したでしょう。運動の当初から今日に至るまで、その集団の中にハーバードの教授陣はほとんどいませんでした。それが明らかに一貫した違いでした。もちろん百パーセントではありませんが、そのような傾向は確実に存在していたのです。



 MITとハーバードの一般的違いは、おそらくMITが科学に基礎をおいた大学だった、という事実によるものです。イデオロギー的な制約が非常に少なかったのです。私はハーバードでは生き残れなかったと思います。



私は、MITでは何の問題もありませんでした。たとえ私が非常に目に付いたとしても何の問題ありませんでした。確かに私は問題をたくさん引き起こしました。抗議運動にも関わっていましたし、刑務所も出たり入ったりしましたし、その他の諸々の問題に関わりましたが、問題はなかったのです。 



MITは実質的にはペンタゴン大学でした。ペンタゴンが経営していた二つの軍の実験室は別としても、予算の約九〇パーセントはペンタゴンから来ていました。しかし学問の自由の記録からすれば、標準よりはかなり良かったのです。その点に関して私は苦情を聞いたことがありませんでした。



たとえ政府がどこかから圧力をかけていたとしても、私はそれを聞いたことがありませんでした。そして他の人に聞いてみても同じでした。それが完全だったとは言いませんが、国中で最高に自由な大学のひとつだったのです。私の知る他の大学よりは遙かに自由でした。



他大学では多くの活動家や左翼の人々にたいする抑圧や迫害がありました。MITでも、起こるべきでないことがありましたが、概してそれらの記録は全く良いもので、現在でも自由な雰囲気が残っています。



 私が一九五五年にMITに来たときは、MITはひどく軍事的でした。私が働く建物は電子工学研究棟で、それは三つの軍事部局から資金提供を受けていました。すべてのひとは慣例的に機密取り扱いの人物調査を受けていました。私は調査を拒否しました。私は、その当時それを行ったたった一人の人物だったそうですが、でも誰もそんなことは気にしませんでした。そんなことは皆がほとんど馬鹿げたことだと考えていたのです。



私がやっていたことは、軍用輸送機とか他の娯楽施設での無料扱いを拒絶するだけだったのです。私はただ単に、許可証を受け取ることを拒否すると宣言しただけでした。そして誰の注目も浴びませんでした。私は自分の政治的見解を非常に率直に表明していただけでしたが、それは何の問題でもありませんでした。

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こちらこそ (踊る新聞屋-)
2006-06-06 00:26:51
 こちらこそ、恐縮です。こちらでいつも、ニュースの見方を参考にさせていただいています。

 自分が行うmedia批判は、むしろ自戒の意味が強い(つもり)です。時々筆が滑ってしまうのですが。

 チョムスキー氏については、イラク戦争の当初に出たドキュメントを見てから知ったので、今回の記事は非常に参考になりました。寺島研究室も知りませんでした。

 これからは、チョムスキー氏を思い出すたび、雑記帖さんの顔が浮かびそうです^^;
返信する
世の中の何かが変容 (雑木帖@管理人)
2006-06-06 22:41:55
実はとりあげていただいた二つのエントリーは、情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士さんのブログを読んでいて多分書く気になったものです。

ヤメ記者弁護士さんは根気よく間違った報道などは批判します。思ったのですが、法廷では、反論すべきところでは反論をしないと裁判に負けてしまうのではないでしょうか。だから、物事において反論や批判が大事なことを、ヤメ記者弁護士さんはよく知っているのかもしれません。特に、「共謀罪」なんていう極悪なものに対しては、できることはやっておいたほうがいいように思います。(「共謀罪」については今週あたり、メジャーな週刊誌で総力をあげて特集を組み、ダメ押しをしてもらいたかったですが…)

ウルトラHも、麻生浪花節も、小泉ワンフレーズ劇場も、保坂議員が言うように彼ら自身にとっては重要な意味のある法案でないところからの緊張感のなさが、あのような稚拙な行動となってあらわれたのかもしれません。

では、強くこの法案をプッシュしているのはどういう連中なのか、という疑問がわくのですが。…



チョムスキー氏を僕が尊敬するのは、僕にないものをもっているからかもしれません。その明晰な頭脳、そしてどんなことを語るときにも、落ち着いた静かな態度、確乎とした信念…。少しは見習いたいと思っています。と言いますか、雲の上のような存在ですが。



ヤメ記者弁護士さんといえば、個人情報保護法案あたりのころから、ラディカルな意見を聞けるのは法律雑誌くらいという状況になっていました。斉藤貴男氏も魚住昭氏も辺見庸氏もこぞって法律雑誌で原稿を書いてました。

「個人情報保護法案」が法律だから…という理由ではないように思います。載せようと思えば、新聞でも月刊誌でも一般雑誌でもテレビでも何でも、どこででも載せられる問題であり、話題です。

でも載せる一般メディアがないのです。世の中の何かが変容しているような気がします。



踊る新聞屋さんには新聞でがんばってほしいと思っています。今回の「共謀罪」をみても、まだまだ新聞は重要なメディアです。

前にも書いたのですが、踊る新聞屋さんのようなかたが一人でも新聞にいれば、その新聞には期待がもてます。

それに、そのうち、ネットとの関係で、新聞が大きく変わり、個別部署の裁量権が大きく増す時代が突然に来ないとも限りません。

「誰のための報道か」(「報道」というのは、「もの作り」でも「政治」でも「たたかい」でも何でもいいのですが)を考えると、いったいほんとうに努力はいろんな意味で報われるのか、とも思ってしまうのですが。

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