葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

中締め

2007年07月15日 22時11分42秒 | 日記 ・ 雑記録
気分を一新するために、今日付けで日記・雑記録を変更しました。

「葡萄舎だより」 → 「洒人・些事片々」 です。

ついでに、いつものビョーキでHPの表紙を模様替えしました。
こちらの方は、
模様替えに没頭していると、あれやこれやの雑念から逃避できる、
という一種の 「逃げ」 の要素が強いかも知れません。

この記事を最後に、しばらく 「葡萄舎日記」 を更新しません。
ブログ自体は残しますから、過去記事はいつでもご覧いただけます。

どうも、ありがとうございました。


黒いコウモリ

2007年07月14日 15時09分12秒 | 日記 ・ 雑記録
7月11日、我が家に蝙蝠が舞い込んだ。 (葡萄舎だより7月12日
蝙蝠は、中国では縁起がよいとされるらしいが、
私は子供の頃、「黒いコウモリは不吉の前兆」 と言う母の言葉を聞いて育った。

11日に、
私に関わる不快な一つの動きが露見したが、当面は推移を見守る事にした。

昨夕、
信じられない、夢想だにしなかった事態が起きた。
辛い、厳しい現実を突きつけられた。
数年先までかかりそうだが、厳しい試練を家族みんなで乗り越えようと思う。

私はお茶を飲まないから 「茶断ち」 は意味がない。
そこで、前途に光明を見出すまで、「酒(ワイン)断ち」 を始める。
今月に予定されている3つのワイン会には顔を出す。
今月末の三八会、来月の四一会にも顔を出す。
そうなると、今年の盆明けが 「酒(ワイン)断ち」 の始まりだ。
あの蝙蝠は、並外れて大きい不吉の前兆の 「黒いコウモリ」 だったのか!

「灯台めぐり」 は続ける。
岬の先端に立つ灯台には、
吹き付ける風、激しい雨、雪も霧も似合う。 勿論、陽射しがあってもいい。
これからの私が佇む場所として、
厳しい自然に立ち向かう灯台は最も似つかわしいだろうから。

この 「葡萄舎だより」 は
近々にタイトルが変り、使用するブログが変わるけど、書き続ける。
ただ、昨日までと明日からと、同じブログで書き続けるのは辛い。
それと、ノー天気に書きなぐり、書き散らした、これまでの勢いはなくなるだろう。
自戒や反省を込めて、悦に入っていた鼻髭を剃り落としたくらいだから。

           ‥‥‥‥‥‥

日頃より、「葡萄舎だより」 にお立ち寄りくださいまして、心からお礼を申し上げます。
皆様には、ご多幸とご健康が続きますよう、切に祈念いたします。
ありがとうございました。

私流の義理

2007年07月13日 08時51分59秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎における私の居住区域を2階から1階に下ろして2年経つ。
不便なのは、電話を2階に残したままだった事で、
ケータイがもっぱらの最近は滅多に使わないが、受信した FAX は見落としがちだ。
子器が不調になってからは、基本料金を払うだけの電話になってしまった。

そもそも私は、電電公社の時代から NTT の機器とは相性が悪い。
私が嫌うから、機器もソッポを向くのか。 トラブル続きだ。
そんな NTT との付き合いを、切ろうにも切れなくしているのは Y の存在だ。
30年前、下関に移り住んだとき、Y は電電公社の職員としてすでに下関の人だった。
高校在学中よりも、下関に移り住んでから親交が深まった男だが、コイツがいい男だ。
当初、葡萄舎に電話はなかったのだが
設置したのは、キャンペーン中の彼のポイントを上げるためだった。
勿論、葡萄舎に電話を、という機運はあったのだが。
先般の下関四一会で Y と会って、電話の移設を依頼した。 今日、担当者が下見に来る。

Y との関係を思うとき、必ず思い出すのは M が絡んだ一件だ。
M の結婚式が先で披露宴は私が司会をし、私の披露宴で彼は友人代表だった。
彼の会社は、現在の大塚食品。 メイン商品は昔も今も 「ボンカレー」。
結婚して間がない頃、カレーを食べたいという私に、家人が買ってきたのはハウスの商品。
私は激怒した (ちょっとオーバー)。
「披露宴に M が列席したのを覚えているだろう。 M の会社がボンカレーを造って売っているのは話しただろう」 てな調子だ。
以来、我が家のレトルト・カレーはボンカレー一本。

その M は定年を1年前倒ししてリタイアした。 Y も来年は定年だ。
一応、M と Y に対する 「私流の義理」 を果たした。

蝙蝠 (こうもり)

2007年07月12日 10時18分35秒 | 日記 ・ 雑記録
蝙蝠が、家業を営む母屋の廊下に舞いこんだ (迷いこんだ?)。
翼を広げて廊下で伸びているのを見ると20cm はある。
最初は死んでいると思ったが、見る度ごとに移動している。
ということは生きている。
吸血蝙蝠ではなかろうから、危害は加えないだろうが
見るのも、触るのも気持ちのいい動物ではない。
臆病な私は、背後から魚とりの小網を蝙蝠にかぶせた。
小さく、ギィエと叫んだが抵抗はしない。
そのまま玄関先に網を立てかけた。
蝙蝠は網にしがみついて翼をたたんでいる。 翼をたためば小さいものだ。
それにしても、コウモリ傘とは、良くぞ名づけたものだ。
梅雨空とはいっても昼間の明るさに蝙蝠は動かない。
夕方にはどこかに飛んで行くだろう、と思っていたら
1時間も経たないうちに姿を消していた。

蝙蝠という文字は福につながるから、という理由で中国では縁起のいい動物だ。
でも、ここは日本だ。
子供の頃、正月にご近所で不幸があった。 その年は何かと悪いことが続いた。
母は 「正月から黒い蝙蝠が舞い込んだからだ」 といつまでも言い続けた。
だから、私にとって蝙蝠は不吉な動物だ。

昨日は、なんで突然に蝙蝠が !? といぶかしく思ったものだが、
蝙蝠が舞いこんだ 2007年7月11日 を記憶にとどめよう。
縁起がよいのか、不吉の前兆か、見極めよう。

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名刺

2007年07月11日 08時23分31秒 | 日記 ・ 雑記録
下関東部職域防犯組合連合会、というのがあるらしい。 いや、実際にある。
私が会計を務める我が同業組合もメンバーで、毎年、分担金を拠出している。
今年度の総会が今日開催されるのだが、今年は我が同業組合が 「引き受け」 だ。
毎年、組合長が組合を代表して出席なさっていたが、
今年は 「引き受け」 だから、賑わしに、私も参加しないか、となった。
そういうことなら、と出席に応じたまではよかったが‥‥。

1時間の総会は、話を聞くだけで、次に懇親会がある。
私に致命的なのは、初対面に弱い、ことだ。
「人見知り」 をするのだから、未だ子供、だ。
サービス業にあるまじく、顔と名前を覚えるのが大の苦手、と来ている。
顔見知りになれば、私はそれなりに面白い男だ(ろう)が、
初対面で、名刺を交換して、さりげなく話す、というのが出来ない。

そもそも、この十年間、名刺を持ったことすらない。
で、急いで名刺を作った。
屋号と、名前と、住所と電話だけのシンプルな名刺が出来上がった。
肩書きは、ない。
家人と二人で営む家業に、代表も社長もヘッタクレもないから。

酒を伴う懇親会は大好きだけど、
初対面の方々の中で、間に合わせに作った名刺を持って、
所在なげに座っている私の姿が水晶玉の中に見えるじゃないか。
総会は長府の老舗 ・ 古串屋さん。 懇親会は古串屋さん直営の十楽さん。
古串屋の大旦那も出席なさる会合だから、素晴らしい料理が用意されるだろう。
気の置けない仲間と飲んで食べれば美味しかろうに
あ~ぁ、もったいない。

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家業

2007年07月10日 14時36分00秒 | 日記 ・ 雑記録
午前中、甥っ子の訪問を受けた。
小学生の頃、家業が倒産の憂き目に会い、何度も辛酸を舐めてきた子だ。
不憫だけど、私にできる事は今回を含めて二度目の身元保証人になることくらいだ。
考え方がシッカリした子だから、間違いはあるまいが、
身元保証人になる以上、相応の覚悟はしている。
それにしても、よほど私が頼り甲斐があるのか、はたまた頼み易いのか。
真っ先に私のところに来るのは、嬉しいような、‥‥‥ような。
ま、甥っ子がシッカリ生きてくれることを信じて、兄貴の代わりに見守ろう。

遠い昔の兄貴の家業どころではなく、最近の我が家業が低迷している。
積極的に営業に打って出る業種業態ではないから、
ひたすら 「待ち」 の姿勢を続けているのだが、
まとまった数字が期待できる成約に漕ぎつけて、どうにか、お盆を迎えることが出来そうだ。
いつまでも、こんな綱渡りを続けるものじゃない、と思っていたら、
最近の嬉しいニュースで、長府に新設される関門医療センターの着工が決まった。
工事が2年は続くだろうから、いくばくかの余禄にありつけるだろう。
その工事が終わる頃、家業の行く末を見極めなければなるまい。
3年先、さぁーなにをしようか。

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2007年07月09日 08時51分30秒 | 日記 ・ 雑記録
今年の梅雨は 「暴れ梅雨」 とまでは行かないが、いくつかの被災地を出した。
土砂崩れや床上浸水の被害に遭った方にはお気の毒だが、
一つの気象が、均等に満遍なく、などはあり得ないのだから
こればかりは 「しょうがない」 がまかり通る分野だろう。
被害を軽減させるには、さして役に立つと思えない最新鋭の戦闘機を1機減らせば、
その分、治山治水に予算が回せるだろうに、と単純素朴な思いは残るが。

各地点で年間降水量を計る事は出来ても、年間平均降水量は単なるデータで、
大まかな傾向を知る事しか出来ない。
ましてや、都道府県単位で平均値を出すなど、暇な人の遊びだ。
それでもデータとしては面白い。
昨年の、県庁所在地の降水量を見ると、山口市は堂々の第10位だ。
これといった産業もない、経済的な求心力もない我が県都が、
全国規模で上位に顔を出すのは降水量だけ、と言えば言い過ぎか。

下関地方の年間降水量は2000mmを超える。
全国の平均が1800mm前後とすれば、多い方だが、
全国の平均は4000mmを超える三重県尾鷲、800mmに届かない北海道網走など、
種種雑多な計測地点の平均だから、あまり意味を持つ数値でもない。
ま、思ったよりもよく降る地方、と再認識はさせてもらった。

ご近所に、潰れかかった納屋がある。
降り続く雨に屋根瓦が10枚程度崩れ落ちて道路に散乱した。
納屋を取り壊せないのは屋根全面を藤の樹が覆っているから。
5月には見事な花を咲かせる藤なのだ、これが。
ご近所さんは、納屋をとるか、藤の樹をとるか、ハムレットの心境?

  参照 葡萄舎だより 「藤の花

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下関四一会 始末

2007年07月08日 10時40分32秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜は、下関在住の同期生が10人集まって、メンバーのご自宅でBBQ。
会場を提供してくれたのは女性だが、
彼女の旦那さんが、実にこまめに、てきぱきと動き回ってお世話してくださった。
定刻前に着いたときには、既に炭火が真っ赤になっていて、
旦那さんは慣れた手つきで、動きに無駄がない。
市内の中学校の校長先生だが、
とても校長先生に思えないし、校長先生にしておくのはもったいない。
昔も今もサービス業の私がそう思うのだから、その姿たるや推して知るべし。
さんざ、食べて飲んで、会費は2500円!
どう考えても、その金額では申し訳ないので3千円を集めたが、
すると、「自家製無農薬野菜、無制限持ち帰り」 の土産つき。
裕福なご家庭だから、まぁ。いいか。

集まった10人のうち6人は男性で、そのうち5人は同じクラスという異常現象。
その5人が土産の野菜をぶら下げて、下関一の夜の街 ・ 豊前田に繰り出した。
酔った一人がスナックのママに野菜を渡そうとすると、
だれかれとなく 「せっかくの彼女の厚意なのに。持って帰れ」 と言い出す。
結局、二次会、三次会、最後のうどん屋まで、野菜ブラブラの珍道中が続いた。
下関は、やはり田舎町だ。

決めた事一つ。
これから、2~3ヶ月に一度、5人で飲もう。
卒業するとき、3年4組だった、という単純な発想から
酔った頭で考えた名前は 「三四会」。‥‥嗚呼。

3つのワイン会、三五会、三八会、四一会、下関四一会、新たに三四会。
どこまで増えるんだろう。 ‥‥嗚呼。
それと、会の命名に、もっと芸はないのか。

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すゞめを叱る

2007年07月07日 09時37分10秒 | 日記 ・ 雑記録
■ 「チュン太郎」 「チュン子」 「チュンちゃん」 。
葡萄舎に集まるすゞめたちの呼称だ。
私には雄雌の区別はつかないし、顔はみんな似ているから、そのときの気分で使い分ける。
最近では残ったご飯ではなく、すゞめが食べる量を計算に入れてご飯を炊くから
断じて残飯ではないのだが、
「このご飯、チュンちゃんに持っていくゾ」 といった使い方だ。

昨夕は、量が多すぎたのか、餌皿に残したらしい。
餌皿といっても、梅雨に入ってからは水切りを考えて竹かごの皿に代えたから過保護だ。
餌皿の位置も軒下に移動した。 いよいよ過保護だ。
夜通しの雨は強かったのだろう。 ご飯粒をそこらじゅうに散乱させていた。
が、その様を今朝見た私には、それが我慢できない。
(私は心の狭い人間、なのだ)
これ見よがしに、竹かごの皿にこびりついたご飯粒を地面に叩きつけてふるい落とした。
葡萄舎や、ご近所の軒先ではすゞめたちが餌を待って見守っている。
だから、言い放った。
「きれいに片付けるまで、餌をやらないッ!」

小一時間して葡萄舎に戻ると、
餌皿の周辺に散乱したご飯粒も、地面にふるい落としたご飯粒もきれいになっている。
私も機嫌を直して、今朝の餌を置いた。
すると、親分格のすゞめが舞い降りてきて、言った。
「どうも、チュンませんでした」

  (最後までお読みいただいてありがとうございます。 終りの部分だけ創作です)

■ 今夕は、下関在住の長門 ・ 大津の同期生10人が集まる。
北海道を旅行中の私にケータイをかけてきた女性宅でBBQだ。
私は、箸休めに 「雲白肉片」 を造って持参する。
同期の仲間はいい。 同郷の仲間はいい。
そういえば、我が家の墓は、期せずして、北北東を向いている。
長門 ・ 大津の方角だ。

ここまで書いて、
下関から北北東の方角に長門があるか正確を期すために地図を開いた。
確かに、北北東の方角に間違いはない。
驚いた事に、その延長線上に北海道がある!
もっと驚いた事に、
その延長線は積丹半島をかすめ、その先には、
長門の仙崎港と 「青灯台の縁(えにし)」 で結ばれた北海道の留萌港がある!
見落としそうな留萌港の青灯台の記念碑を、私は、訪れるべくして訪れたのだ!
『偶然で、かつ必然であることを運命という』 と書いたのは亀井勝一郎だったっけ。

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風の旅日記 「縁(えにし) の灯台
葡萄舎だより 「仙崎港 ・ 留萌港 ・ 青灯台
葡萄舎だより 「仙崎港 幻の青灯台



歌謡曲二題

2007年07月06日 12時57分45秒 | 日記 ・ 雑記録
■ 近くのスナックは私のカラオケ道場だが、
時に、ご年配の演歌上手の女性とお会いする。 私のカラオケのお師匠さんだ。
モニター画面の字幕などは無視して唄うが、情感たっぷりで上手い。
北海道に出かける前に、香西かおりの 「最北航路」 を勧めたら、
(10日後に) 北海道から帰ってきた時には完全にマスターしていた。

歌詞に、「利尻」 「礼文」 「クィーン宗谷」 などが織り込まれ、
利尻・礼文を含めて灯台めぐりをしてきた私には、それなりに意味のある歌だ。
撮ってきた写真に、利尻島の鴛泊灯台やクィーン宗谷が写った写真(↑)があるので、
A4サイズの上半分に写真、下半分に歌詞を印刷して額装して、
お師匠さんにプレゼントすることにした。
写真を眺めながら唄えば、またイメージが膨らむだろう。
プレゼントは、昨夜、スナックのママさんに預けてきた。

■ ホームセンターは何でも扱っている店で、
片隅に、懐かしい歌手のCDなどが並べられている。
最新の楽曲を追いかけるCDショップにはない品揃えだ。
昨日、別の用件でホームセンターに行って、
懐かしい歌手のCDをあれこれ見ていたら40年前にタイムスリップした。

40年前といえば当然ドーナツ盤だが、
あの頃の私は西田佐知子の大ファンで、レコードを買いまくった。
金のない学生だったから、買えるのはジュークボックス流れの1枚50円のヤツ。
でも、手間ひまかけて探したから相当な数のコレクションだ。
数はあってもプレイヤーがない。 なければ聴けない
その、西田佐知子のCDをホームセンターで売っていた!
16曲入り、1585円。 1曲100円以下だ。
買っておかないと悔いを残すから、買った。 懐かしい。 実に懐かしい。
ボリュームを絞って、リピートにして寝た。
6曲目あたりで眠ってしまったみたいだ。
40年前の西田佐知子の歌声‥‥。 今も、私の子守唄、だ。





mixi フォトアルバム

2007年07月05日 10時25分50秒 | 日記 ・ 雑記録
葡萄舎で唯一の緑、ムクゲが今年も咲いています。


1ヶ月前に mixi に登録した。
難しい事は何も分からないが、ソーシャル・ネットワーキングサービス というらしい。
mixi 内での友人知人を マイミクシィ(マイミク) と呼んでいるが、
私の場合、積極的にマイミクを増やしていないので、現在6人だ。
6人の方は折に触れて足跡を残してくれるが、訪問者数はマイミクの数に比例する。
ということは、現状、開店休日状態にある。

mixi への登録は私の意向だから訪問者数はどうでもいいのだが、
結構面白いサービスがあって、このたび 「フォトアルバム」 を造ってみたので、
時間の許す方で mixi に登録なさっている方は覗いて欲しいと思った次第。

「検索」 の 「ニックネーム ・ 洒人」 で該当するのは私1件だけだ。
で、「フォト」 をクリックすれば、私のフォトアルバムをご覧いただける。

フォトアルバムでは、
北海道の灯台めぐり57基のほとんどについて130枚の写真を収録している。
HP版 「北の潮彩」 のダイジェストといったところだ。
私のくどくどしい文章が目障りな方にはうってつけ?

北海道を7日で全周して、観光地は素通りし、名物料理には目もくれず、
ひたすら灯台を目指した風変わりな男に残ったものは、
いつかは薄れていく記憶のほかには、HPと、ブログと、フォトアルバムしかない。
悪戦苦闘とか、血と汗と涙の結晶とは言わないが、
天候が快復しない事を恨み、二度も JAF の世話になりながら得た
5月の7日間の記録だ。
是非、ご覧ください。 (と、ここで語調を変えるところが軽薄だが)

mixi に登録できたのは、とも~る さんのご紹介があったからで、
フォトアルバムの先鞭をつけたのも とも~る さんだ。
この場を借りてお礼を申し上げる。 謝々。

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九回忌

2007年07月04日 15時46分17秒 | 日記 ・ 雑記録
平成11年の今日、父が他界した。
七回忌は賑やかに行ったが、九回忌ともなるとお寺さんも呼ばない。
母も、サークルだ、なんだと飛び回っているが墓参りに行く気配はない。
それでは父も寂しかろうと、
午後2時、いつ降り出してもおかしくない暗い空だが、墓参りに行った。
いつもの花屋で花を買い、いつもの酒屋で缶ビールとワンカップを買った。
やぶ蚊が多いのには閉口したが、
「正義は勝つ」 から、刺される事もなく、傘をひらく事もなく墓参りを終えた。
私は75歳で死にたいと常々思っているが、
死んで7年も経てば誰も墓参りに来てくれなくなるのだろうか。
死んだら、もう、どうでもいいけど。

私は、2ヶ月に1回か、それ以上の頻度で郷里の長門市に出かけるが、
その際は、いつも親父とおふくろが眠る墓にお参りをする。
先般、すゞめの餌皿を蔓で取り巻いてやったらすゞめが喜んだので
もう一本止まり木を取り付けてやろう、と思っていたら、
郷里の墓地に手ごろな木切れが転がっていた。
山に分け入る事を覚悟していたのに、労せずして木切れが手に入った。
やはり、殊勝な心がけは絶えず持つべきだ。
その止まり木もすゞめに好評で、多いときは5羽が列を作っている。
すゞめは愛想のない鳥だが、すゞめにそれ以上は求めまい。

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下関狂騒曲

2007年07月03日 12時09分05秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日は朝から晩までよく降った。
下関の水がめは豊田湖と内日の貯水池だが、この分なら夏の水不足は解消か?

想定外の雨量に水浸しの被害も出た。
水浸しといえば1階、と相場は決まっているが、下関市役所は上層階が水浸し。
排水管が壊れて配水管になった、という笑うに笑えないお話だ。
老朽化した建物だから多少の雨漏りは覚悟の上だったろうが‥‥。
あの建物には我が酒友が勤務しているが、大変な思いをしたのかも知れない。

今回の水浸しを機に、市役所の改築移転が動き出すかも。
候補地としては、JR新下関駅周辺が第一候補らしい。
豊浦郡4町と合併する折に、新市役所を交通至便の地に建てるなどと
玉虫色の付帯事項をちらつかせたのが運の尽きで、
現在地の唐戸地区や、JR幡生駅のヤード跡地などが名乗りを上げて
収拾がつかない、というから下関らしい。

収拾がつかないといえば、水族館に隣接するアルカポート再開発も暗礁に乗り上げたまま。
下関らしい堂々巡りをしている。
長府臨海地区へ関門医療センター (旧国立下関病院) を新築移転させる話も
着工は延期に次ぐ延期で、これもまた下関らしい。
下関らしい、という馬鹿馬鹿しさの元凶は、馬鹿な市長のせいだ。
自分の事しか考えない市長だから、利権と、そこから得る○○を画策しているのだろう。
これまでの市長選は白紙で投票したが、次回は必ず記入しなければ。

馬鹿な下関市長のことを書いていたら、もう一人、馬鹿な防衛大臣が辞めた。
あれほど認識錯誤の発言をした男だから、辞任の弁もアイツらしい。
記者団に語った言葉は
「今日昼ごはんを食べながら自分で(辞任を)決めた。参院選への影響も懸念して決めた」
一晩眠らずに考えて決めた、と言うなら、まだ可愛い。
大問題を、昼飯を食いながら考えるような馬鹿を大臣に任命した馬鹿な首相は
どこの選挙区から選ばれた代議士だっけ。
オッ、下関市と我が郷里・長門市が選挙区だ。

洗濯物

2007年07月02日 11時41分47秒 | 日記 ・ 雑記録
昨日、洗濯をして、夕方、取り込むのを忘れた。
夜、気がついたけれど面倒だからそのままに放置しておいたら、
昨夜から今朝は最近にないまとまった雨!
日頃から 「降るならまとまって降れ、降らないなら降るな」 と言っている手前、
夜来の雨に文句も言えない。
因みに、私は自分の衣類は自分で洗濯機に放り込み、干して、取り込み、たたむ。
私と比べて、家人の仕事量のほうが圧倒的に多いから、だ。

物干しで、干すときよりも重くなって情けなくぶら下がっている洗濯物は、
A型の私に似つかわしくない光景だ。

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無題

2007年07月01日 09時17分57秒 | 日記 ・ 雑記録
■ 今日は昼過ぎにアロマさんが来る。
長府駅で落ち合って、角島に向かう。
2週間先に角島でBBQを行うので、その下見らしい。
角島の案内に私を引っ張り出すなど、小憎らしい策士だ。
策士という言葉が悪ければ、山本勘助みたいだ、と書き直そう。
「状況判断が出来る」 ということか。

■ 8月と12月は3つのワイン会の内2つはお休みだ。
何かと行事が立て混むし、出費多端だから。
ならば、なおさら7月の例会はキチッとやっておきたいのだが、拙い事になった。
家人の会合とかち合ってしまった。
結論は明快だ。
家人の会合は、年に1回か2回あるかないか。
それに比べて、私のワイン会は年に32回。 そのほかに三八会だ、四一会だ‥‥。
7月の例会について、幹事さんからの連絡は未だだが、
申し訳ないと言うしかなかろう。 嗚呼。

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