葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

いい奴等

2007年04月30日 10時32分45秒 | 日記 ・ 雑記録
「還暦年賀延寿祭」 の神事と懇親会が終わった。

飯山八幡宮の神殿で大失態をやらかした。
3時半からの神事が始まる前、
参列者にケータイの電源を切るか、マナーモードにするよう促した。
私も電源を切った。
が、完全に切れていなかったらしくて、4時にアラームが鳴った。
(4時は、家業の仕事を始める時刻で、いつもセットしているアラームだ)
みんなに注意を促しておいて、私のケータイが鳴っては話にならない。
最前列で慌てふためき、全身から汗が噴き出した。
神事を終えてから、落ち込む私を誰もが慰めてくれたが、みんな慰め方が上手い。
いわく 「お前には、そんなミスがあってちょうどいい」
ああ、なんていい奴等だ!

失敗作あり。
タックシールの名札は、毛足が長い冬の衣服ならはがれにくいが、
この季節以降の衣服だとはがれやすい。
次に名札を作る機会があれば、別の方法を考えよう。
この失敗作にも慰めがあった。
「席に着いたときに名前が分かればいいから」
あぁ、なんていい奴等だ!

司会は、まぁ、あんなものだろう。 自己評価73点。

やはり、郷里はいい。 そこに居る奴もいい。 昨日のために帰省した奴もいい。
大失態あり、失敗作あり諸々だが、ともかく終わった。
今日から、北海道モードに切り替える。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

還暦年賀延寿祭

2007年04月29日 10時41分39秒 | 日記 ・ 雑記録
天皇誕生日、みどりの日、昭和の日と名称は変わったが
今日は朝から雲ひとつない快晴。
風がないから、日の丸が翩翻とひるがえる、とはいかないので、
せっかくの青空にもったいない気もする。
但し、今日の日章旗は、午後に行われる 「還暦年賀延寿祭」 を祝してのものだ。
だが、A級戦犯の靖国合祀を快く思わなかった昭和天皇のための旗日でもいい。

昨夜、世話人会の有志15人ばかりが長門市内の某所に集まり、
懇親会の余興で行う <だしもの> の特訓をしたそうだ。
そういえば、厄除けの懇親会の際も、連中は集まってフラダンスか何かを踊っていた。
集まるのも、飲むのも、徒党を組んで何やらを行うのも好きな連中だ。
こんな郷里が1時間の距離にあり、そこには愛すべき同期生が大勢居る。
私の価値観では <高位の至福> だ。

世話人会や事務局長が尽力して開催に至った今日の祭典と懇親会。
私は司会だけをすれば役割分担を果たすのだが、
結局、名札の作成をしてしまった。
郷里の連中に負けず劣らず、私も賑やかに騒ぐのが好きなんだ。

しかし、<司会> というと尻込みをする人が多いのはどうしてだろう。
司会にもいろいろあるが、今日のような同期生の集まりは最高に楽しくて面白い。
先ず、失敗が許される。
次に、世話人会がお膳立てしてくれた <上澄みのいいとこ取り> で懇親会を取り仕切れる。
また、素案にはなかったのだが、
事務局長・Mの労苦を称えて、彼にスポットライトを当てるのも司会者の特権だ。

400名の同期生に声をかけて、祝詞奏上では230名の氏名を読み上げるそうだ。
祭典に列席するのは140名。 懇親会への出席は108名。
司会をするには手ごろな人数だ。
今日の司会が、私が請け負う <最後の司会> と思って頑張ろう。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

額装

2007年04月28日 13時50分30秒 | 日記 ・ 雑記録
■ かれこれ1年前だろうか。 某銀行がTVCMに、空撮の灯台を使っていた。
担当者に電話したら、その灯台は 石垣御神埼灯台 だという。
灯台ファンになりたてで、当然、異常な関心を示したら、ポスターを持参してくれた。
その折に、昔のポスターだといって 角島灯台 のポスターもくれた。
さすがに、プロの写真家が撮った写真は違う。 冬の角島が寂寥感で一杯だ。
横1mを超えるポスターを額装する事にした。 下関で最大の専門店で。

出来上がりを見て、厭な予感がした。
ポスターの真ん中部分で、盛り上がっている兆しが見える。
クレームをつけないで持ち帰ったが、その盛り上がりは次第にはっきりとしてくる。
特注の額で、裏は20箇所のビスで留められていて、開ける訳にもいかない。
盛り上がった部分を手で左右に押しやっても、2日で旧の木阿弥だ。
愛着も次第に失せた。

昨夜、酔った勢いで額の裏板をはずした。
弱い糊がついていたが構わず中央まで剥がし、新しいスプレー糊で貼り付けた。
勿論 <たるみ> を延ばして。
紙には伸縮する性質があるが、1年経過していればもう大丈夫だろう。
結果がでるまでには今しばらくかかるだろうが、
こんな荒療治、酔った勢いでなければ出来るものじゃない。

■ 下関在住の同級生・U が、筍を持ってきた。 大中小8本。
3年に2回くらいのペースで、気が向いたら持ってきてくれるから、
この季節になるとアテにしてしまう。 今年は来た、今年は来なかった‥‥。
炊き込みご飯、筑前煮、青椒牛肉 etc.
筍のレパートリーは広いから、しばらくは旬の味を堪能しよう。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

息子の長電話

2007年04月27日 12時15分17秒 | 日記 ・ 雑記録
先日、初挑戦した 「雲白肉片」 が思いのほか美味しかったので、
今晩、大々的に作ることにした。
台所でソース作りに取り掛かっていたら、掃除の手伝いのAさんが
「息子さんが帰ってくるの?」
たまねぎを3つも刻んでいた時だから、私一人の昼食ではないと踏んだのだろう。
で、「息子は大型連休の後半に帰ってくる。前半は帰省する男友達と会うらしい。
女友達と会うのなら、まだマシだけど」 と私。
結婚願望が、当の息子本人よりも親の方が強い、というのもいかがなものか。

その息子だが、昨夜は長々と家人と電話で話していた。
家人が相槌を打ったり、ガス抜きに専念しているのを
私は傍らで聞くともなく聞いていたが、仕事上の不満・憤懣があるみたいだ。
入社3年目。 いろんな壁にぶち当たる頃だ。
母親に長電話をすることで、気分の転換と一新ができれば易いものだ。
ま、どうにか頑張るだろう。

24・25歳の頃の私はどうだったろう。
long long ago で記憶が薄れてしまったが、
親から遠く離れて、ケータイがなかったことだけは事実だ。
ケータイはなくても、団塊世代はたくましかったから‥‥。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

昼めし異変

2007年04月26日 09時03分15秒 | 日記 ・ 雑記録
私がすることだから、気まぐれの、一過性の状況なのだが、
このところ、昼食に異変が起きている。
自分の空腹を満たすのもさることながら、
家人に食べさせて、喜ぶ顔が見たくて、昼食時に料理を作り始めたのだ。

家人は、諸般の事情から <節食> を心がけているみたいで、
「今日の昼、なにを食べる?」 と聞いても 「今日は抜こうかしら」 てな返事だ。
そんな返事に関係なく料理を作って 「出来たゾ」 と呼べば、実によく食べる。
基本的には、食べる事に目がない人だろうけど、
最大のポイントは、私が作る料理の <美味さ> にある。(スゴイ自信!)

この数日の料理には、レシピを見ながらの初挑戦の料理、という共通項がある。
下味からソース、全てレシピにしたがって一から作る。
一昨日は 「雲白肉片」 茹で豚肉の四川風味ソースかけ
昨日は 「干焼蝦仁」 海老のチリソース煮

干焼蝦仁など、味の素の Cook Do で商品化されているけど、今の私には無用だ。
レシピどおりに作っていて楽しい事は、
あの複雑な味わいの料理が、どんな調味料と食材で成り立っているのかが分かる事。
作業の手順は料理を作り上げていくのだが、
感覚としては、一つの料理を解体していくような、楽しい気分になる。
そして、一番の喜びは、
「美味しい」 と言って喜んで食べてくれる人がいることだ。

ボディブロー

2007年04月25日 09時49分35秒 | 日記 ・ 雑記録
世は春真っ盛りに向けて移行しているというのに、
私として最後の司会役を果たそうという還暦年賀延寿祭がすぐそこだというのに、
4ヶ月間待ち望んでいた北海道の灯台めぐりへの出発が20日をきったというのに、
このところ何故かシャキッとしない。

察するに、家業に原因がある。
普通なら、7時半にはめどがつく朝の仕事が8時までずれ込む。
8時ころにはめどがつく夜の仕事なのに、片付くのは9時を回る。
この状態が1ヶ月以上続いて、更に1ヶ月先まで続く。
商売を営んでいれば、お客様があること自体を喜ばなければいけないのだが、
枠からはみ出た一人のお客様がかき乱す。
一日1時間半の延長はたいしたことではないが、
1ヶ月続くと、ボディブローのようにジワ~ッと効いてくる。
ボディブローなどとほざくのは、まだまだ商売人として修行が足りないからだろう。

シャキッとしないながらも、還暦祭の名札は作った。
あとは追加の参加者があれば、その名札を補充するだけだ。
司会に関して、祭典の式次第はあるから、それに従って進めるだけで、
懇親会については進行表もないから、台本もない。
これまで、司会をする上で台本を用意した事などないから、
臨機応変、当意即妙、自然体でやろう。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

藤の花

2007年04月24日 09時33分49秒 | 日記 ・ 雑記録
自慢にならないが、葡萄舎には樹木も草花もない。
正確には、どこから飛んできたとも知れずに根付いたムクゲと、
<葡萄舎> の名にかけて3本植えて、生き残った1本の葡萄樹以外は。

そんな、緑の潤いに欠けた葡萄舎だが、
周囲には緑がふんだんにあり、四季折々に花が咲き揃う。
斜向かいのお宅では、いま、藤の花が咲き誇っている。
倒壊しないのが不思議なほどの小屋の屋根を、藤の枝が覆い尽くして、
そのために小屋を撤去できないという、お気の毒な話もあるらしいが、
私の立場は、この季節になれば藤の花を愛でて、
季節の移ろいを感じていれば済む、気楽なものだ。

昨夜は、エキストラワイン会の月例会が催されたが、欠席した。
理由は家業の繁忙だ。
今月は忙しいところにもってきて、3度も4度も郷里に足を運んでいる。
家人の寛大さと理解に甘え過ぎる訳にもいくまい。
先週末の <騎士の会> も欠席したし、4、5月はワイン会と無縁の月だ。
15年、ワインを飲み続けていれば、こんな時期もある。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

名札

2007年04月23日 08時34分26秒 | 日記 ・ 雑記録
高校の同窓会下関支部が、事務局を葡萄舎に置いていた期間が3年ある。
サエナイ支部長に不満を持ちながら、縁の下で支えた3年間だ。
職務として、収支報告、総会資料、新聞発行に孤軍奮闘した3年間だ。
総会が近づくと、出席者の名札を作るのも私の仕事だった。

還暦年賀延寿祭でも、胸に名札をつけようと決まった。
が、名刺大の名札を入れるアクリルの名札入れがない、
とガヤガヤ騒いでいるから、私が手配しよう、と手を挙げてしまった。
200個近いアクリルの名札入れを下関支部が保管しているのを知っていたから。
しかし、
下関支部に愛想をつかして疎遠な関係になっていることを忘れていた。
頼めば貸してくれるはずだが、武士は喰わねど高楊枝、だ。
人間、いつでもどこでも、周囲とは円満な関係で居なければいけない。
自分で自分の世界を狭めてはいけない。 この歳にして痛感した次第。

そこで、すぐに代替案を考えるのが私の常だ。
タックシールを名札にしよう、と。 名札は私が作る、と申し出てしまった。
タックシールの粘着剤なら2~3時間の懇親会のあいだは剥がれない。
女性は衣服にピンを刺さずに済む。 などと利点を挙げて、これで押し通すつもりだ。

それにしても、よくよく名札と縁が切れない私だ。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

理容院

2007年04月22日 14時48分27秒 | 日記 ・ 雑記録
北海道に出かけるまでの願掛けとして、
<茶断ち> ならぬ <灯台絶ち> をしているわけでもないが、
最近、郷里への往復は角島灯台や俵島灯台がある海岸線を通らずに、
最短の山越えルートを採ることが多い。

昨日も山を越えた。
時間の余裕があったので、小月までバイパスをはずして旧山陽道を走ったら、
やたら目立つ理容院の建物が目に入った。 大人 1365円 とある。
年中無休、理美容業界で年商日本一の店 (のチェーン店) だと謳っている。
安い、という事は関心を引く。
髪を 5mm ほど刈る必要があったので、今日行ってみた。
理容椅子は10脚並んでいるから待つことはない。 カットは早い。
シャンプーなし、マッサージなし。 30分で一丁上がり。
これはこれで客が付いているのだろうし、費用対効果でこれといって不満はない。

私には、30年間通い続けた宇部市の理容院がある。
待たされる日もある。 カットにも髭剃りにも時間がかかる。
遠来の客である私には、スペシャルで30分間のマッサージ付きだ。
平均所要時間2時間、プラス往復2時間。 料金は 3500円。

私が元気なうちは、やはり、宇部市まで通うだろう。
理容技術や料金、それ以前のものがある、と思う。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

カーナビ入力

2007年04月21日 15時03分23秒 | 日記 ・ 雑記録
隔週で帰省していた息子は、今週は帰ってこなかった。
高熱と腹痛に見舞われた直後だから、社宅で静養するらしい。
帰ってこないと知って家人はガッカリした様子だ。
息子が帰ってきたときにだけ造る、私の <特製 ・ 瓦そば> にありつけなかったためだ。
そういえば、息子が持参する不二家のケーキもないし、
これまた特製の串カツ、串焼きもない。
将来は知らないが、今は、茶の間を賑わせてくれる息子なんだ。

面倒くさいので一日延ばしにしていたのだが、
そろそろ尻に火がついてきそうなので、灯台の所在地をカーナビに入力し始めた。
これが大変な作業だ。
そもそも、灯台は辺鄙な岬の先端にあるから、まず住所がない。
近くに集落も少ない。 最寄り駅ははるかな内陸だ。
手がかりの地名はあっても、北海道の地名は読みづらい。 読めなければ入力できない。
予定していた倍の時間をかけて、50基あまりの灯台の所在地を入力した。
これで、灯台の近くまではカーナビが誘導してくれるだろう。
先人が、灯台を訪ねて艱難辛苦、
やっとの思いで灯台にたどり着いた昔を考えれば、気楽な世の中になったものだ。
現地に着いてからの微調整は、緯度、経度を睨めばどうにかなるだろう。

今夜は、還暦年賀延寿祭の最終打ち合わせ。
長門市の飯山八幡宮まで出かける。
今夜の打ち合わせで、祭典と懇親会の概要が決まる。
祭典で200人、懇親会で100人を超えたら嬉しいけど。
この度の司会を最後に、司会からは足を洗うつもりでいるから、
気合を入れて有終の美を飾りたいし、そのように努力する覚悟だ。
とはいえ、ある程度の人数がいた方が <燃える> のも事実だ。
成り行きや如何。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

三国志

2007年04月20日 09時55分41秒 | 日記 ・ 雑記録
今日は、二十四節気の <穀雨> だ。
春に三日の晴れなし、というように、このところ天候はめまぐるしく変わる。
<瑞穂の国> に住む人間としては、これから降る雨は恵みの雨だ。

  関連記事を 「季節のつぶやき」 に載せました。 こちら です。

昨日、何の気はなく有線TVを観ていたら、
大昔にNHKで放映された 「人形劇 ・ 三国志」 をやっていた。 第四十八話だという。
チャンネルを切り替えるつもりが、小一時間、観てしまった。

「三国志」 といえば、私が読んだのは吉川英治版だ。
文庫本で8冊という長編だったが、とにかく読み終えた。
結婚してから4年間勤めた会社があり、そこの社長の影響だ。
その社長は山口県では立志伝中の人で、三国志が愛読書というモーレツな人物で、
話の端々に三国志を引き合いに出す人だった。
社員としての打算もあり、
読むのも鍛錬だと言い聞かせながら読むには読んだが、何も残っていない。
物語の長さもさることながら、登場人物の多さ! 地名の多さ!
結論は、私の能力(脳力?) では太刀打ちできなかった、ということ。
だから、
私はこれまで 「三国志を読んだ」 とは誰にも言っていない。 情けない。

先日、息子が私の本棚から 「歴史群像シリーズ ・ 三国志 上下」 を持ち帰ると言う。
「こいつが三国志に興味を示した!」 と、一も二もなく持ち帰らせたが、
息子と話してみると、登場人物や合戦の場面など、私よりはるかに詳しい。
息子の凄さに驚愕し、シャッポを脱いだ。
聞けば、TVゲームに三国志があるという。
ゲームだから、一つの場面が設定されればそこから先はゲームの進展になってしまうが、
登場人物個々については、文庫本よりも興味深く鮮明に把握できるわけだ。
マイッタ。
「三国志」 は、映像を伴うNHKの人形劇が分かりやすい。
若い人なら、TVゲームから三国志の世界に入るのもいい。
それが今の世の中なのかも知れない。 全編読んで消化しきれないよりは。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

高校野球

2007年04月19日 09時47分17秒 | 日記 ・ 雑記録
忌まわしいニュースが氾濫する昨今、痛快だったのは昨夜の楽天vsソフトバンク戦。
家人はソフトバンクのファンだから、あまり悪し様にはいえないが、
田中将大というルーキーの凄さを褒めるべきか、
日本一を狙おうかというソフトバンク打線の不甲斐なさに嘆息すべきか。
野球に限らず、試合は相手があってのものだから、
その両方があいまって、昨夜の彼のワンマンショーだろう。

彼とともに甲子園を沸かせ、ワセダの客寄せパンダになったハンカチ王子が、
天下の弱小チーム・東大をねじ伏せてもニュースに値しないが、
小久保を、松中をなで斬りにしたマーちゃんは凄い。

ところで、西武球団からの裏金に端を発して高校球界がもめている。
はっきりしているのは、
裏金を使ってアマの選手を釣ったのは西武と横浜だけではない、という事。
それなのに、事実の解明は深く静かに潜行したままだ。 これはいけない。
それと並行して、
汚い金にまみれたのは、専大北上と明桜(秋田経法大付)の選手だけではない。
身に覚えのある選手は戦々恐々だろう。
もう一つ。
高校野球の憲章に反して、
特待生制度で有望な中学球児ををかき集めている高校はゴマンとある。
潔く、「実は、わが校も‥‥」 と名乗り出る高校がない事の不思議。
高野連の中途半端な審査に期待して、沙汰が出るまで、知らんぷりを通すつもりか。

高校野球の憲章が厳しすぎる、との批判もあるが、
はじめに憲章ありき、じゃないのか。 極論すれば <悪法も法> だ。
高校野球に清新さを求めるなら、
憲章に則った高校と高校生だけで、細々と春夏の甲子園を続けたっていい。
総ザンゲをする時期だ。

近くで言うならば、隣のS県西部のG高校。
その高校が甲子園に出場しても、S県代表と思って応援したことは一度もない。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

長崎市長

2007年04月18日 09時09分28秒 | 日記 ・ 雑記録
長崎市長が暴力団幹部の銃弾に倒れ、死亡した。
至近の距離から、しかも背後から撃つなど、卑劣な許せない蛮行だ。

長崎の伊藤市長といえば、
被爆の街の市長として、非核と軍縮を唱える気骨のある市長と認識していた。
我が街の市長が愚にも付かない男、という側面もあるが、
人格的に尊敬するに足る市長を頂く長崎市民が羨ましくもあった。
とはいえ、遠い街の市長だから、それだけの事だったのだが、
山口新聞の記事では、伊藤市長は、私の郷里・長門市の出身だという。
私の2年先輩で、早稲田の政経に進んだというから、
同じ高校ならば、そこそこに頭のいい人だったろうけど、記憶にはない。
記憶にはないが、同郷の人間の被害と知れば身近な事件に思えてしまう。
長崎市民と世界平和のために、彼の遺志を継ぐ、高潔な人物が現れて欲しい。
合掌。

   同窓会名簿で調べたところ、
    彼は県立大津高校の卒業生ではありませんでした。
   その後の報道では
    両親が長門市の通(かよい ; 長州捕鯨発祥の地) の出身で、
    彼は疎開先の長門市で出生した、ということです。

昨夜、愛息から電話があって、家人が対応した。
朝から高熱で、腹痛を伴い、下痢をしているらしい。 今朝、病院に行っているだろう。
しかし、思えば便利な世の中で、
離れて暮していても、具合が悪ければすぐに母親の声が聞ける。
遠い昔の私と比較する事自体ナンセンスだが、
親元を離れてからの独身時代は、高熱で頭が痛かろうと、腹痛だろうと、
全て自分で処理するしかなかった。 頼る者もなかった。
隔世の感がする。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。

今後

2007年04月17日 11時52分58秒 | 日記 ・ 雑記録
結婚披露宴で長門に赴いた15日を除いて、
この一週間、午前中の過ごし方に一つのパターンが出来上がった。
朝8時に仕事を終えたら、9時頃から小一時間 <足踏み> を励行。
それからPCに向かって、その日のブログ投稿。
こうしてみれば、これまでに健康と体力を維持するために割く時間はあったのに、
漫然と時間をつぶしていた事になる。
なんとも無駄な時間を過ごしていたものだ。
75歳で人生に区切りをつけるとすれば、5629日しか残されていないというのに!

15日の結婚披露宴。
私は <新郎の父の友人> という立場での出席で、
私に課せられた務めがお祝いに歌を唄うことだけだから、気楽なものだった。
300人は収容できる広い会場の広い舞台で、大勢の列席者を前に
気持ちよく歌を唄って、私に課せられた務めを果たした。
私という人間は大勢の前に立つのが好きなのだ、とつくづく思った。

次のイベントは月末の 「還暦年賀延寿祭」 での司会で、
ここでも、(大好きな) 大勢の前に立つことになる(笑)。
状況判断を誤らず、気配り目配りをシッカリすれば済む務めで、別に心配はない。

それからいよいよ北海道に向けての準備。
5月末に旅行を終えれば、6月には白州灯台の清掃ツアーがある。
予定では、とも~るさん、玉助さんご一家に始めてお目にかかることになる。
そのあとは9月に予定の個人的な 「還暦謝恩ワイン会」 だ。
私の、一世一代のワイン会にしたいのだが、さて、何をどうしようか。
この、5月から9月が、今年の私のハイライトだ。
目先の変るイベントが折々に組まれていて、楽しい一年になることだろう。
残された5629日を有意義に過ごさなければ‥‥。

長男の嫁

2007年04月16日 09時25分22秒 | 日記 ・ 雑記録
数年振りで結婚披露宴に列席したが、世の中、変化しつつある。
昨日は、披露宴に先立って <人前結婚式> が、列席者が見つめる中で行われた。
最近の、郷里・長門での流行かも知れないが、それはそれでいい。
難をいえば、乾杯までの1時間が長い、といえば長い。

友人・Mは端正な顔つきだ。 新郎である次男坊も父親似で、男前で明るい。
花嫁は、というと、これまた綺麗で清楚で、とてもシッカリしたお嫁さんに見える。
その事をM夫人に話したら、
「そうだけど、ウチではもう、長男の嫁がシッカリしているから。 ここだけの話ヨ」
と率直な発言。
約束は守る私だから、そこだけの話で終わらせるつもりだったが、
間もなくして挨拶に来たのが長男の嫁。
「いい話があるけど、言えない」 などと気を持たせるから私も罪深い。
言えない、と言われれば聞きたいのが人情だ。 程なくして、また、長男の嫁が来た。
で、ここだけの話だよ、と前置きして一部始終を喋ってしまった。
途端に、長男の嫁の目が輝き
「これから私、お母さんに対する態度が変るかも知れない」 と、のたまう。

M夫妻は長男夫婦と同居だから、
これで、嫁と姑の間柄がより親密になればいいじゃないか。
私は嫁と姑の橋渡しだ、と一人悦に入った次第。
次男坊の嫁をダシにした形だが、こちらは幸せの絶頂だろうから勘弁してもらおう。
次男坊の嫁には、また、いつか、形を変えてフォローしよう。

当ブログの親サイト 「葡萄舎彩々」 へもお越しください。