葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

仙崎港 幻の青灯台

2007年06月29日 15時10分22秒 | 日記 ・ 雑記録
仙崎海上保安部の交通課は3階にある。
昨春に訪れて、いろんな資料を頂いた事があるから、勝手知った階段を登る。
海上保安部を訪問して嬉しいのは、たいがい、課長さんクラスが対応してくださることだ。
だから、話が早い。 今回の仙崎でも課長さんが話しを聞いてくださった。
「仙崎港に青灯台があったか? 今も塗装を変えて健在か?」 という質問をしたが、
課長さんや署員の方々の記憶にはなかった。
人事異動はしょっちゅうだろうから無理もない。
仙崎海保管内の 「灯台の過去帳」 とも言うべき分厚い資料をめくりながら調べてくれたが、
結論として、「仙崎港防波堤の青灯台」 と認定できる資料は見つからなかった。
仙崎港の場合、海岸を埋め立て、人工島を作り、防波堤は沖へ沖へと移動した経緯がある。
過去帳には廃止灯台を含めた資料があるのだが、
「青灯台(緑色塗装)」 という記載がないのだ。
ただ、現役灯台の資料中に、
防波堤移設のため、旧防波堤の灯柱を廃止し、代替の灯柱として設置
の一文はあったが、廃止灯台の塗色については触れてなかった。
課長さんの 「不完全燃焼で‥‥」 の言葉が仙崎海保訪問の全てだ。

現役の防波堤の灯台(灯柱) を全てカメラに収めていたら腹が減った。
宇部市の理容院で聞いた 「仙崎の美味い店」 を思い出し、理容院に電話して店名を聞いた。
「喜楽」 という、民宿もやっている店らしい。
イカの活き造りや雲丹丼がウリらしいが、アルコールを伴わない刺身は食べない主義だから
アラ炊き定食で我慢する。

カウンターに座って、料理を待つあいだ、
「防波堤にあったという 『青灯台』 を知らないか」 と聞いたら、
調理人が
「昔、防波堤にあった。 緑色で、途中で赤に塗り替えた。 その防波堤も灯台も今はない」
というではないか!
かつての防波堤のおおよその位置を聞いた。
かつての青灯台の役目を、今、どの灯台が果たしているかを聞いた。
最後の一口は吸い物で流し込んで、波止場にすっ飛んでいった。

写真; 手前は仙崎港弁天島防波堤北灯台 中央左が仙崎港沖防波堤北灯台。
     その中間にかつての防波堤があり、青灯台が建っていた。

仙崎港に、留萌港と同じ緑色に塗られた灯柱は確かに存在した。
留萌港の青灯台は記念碑として保存され、
仙崎港の青灯台は影も形も留めていない。 資料さえも見当たらない。
灯台には、それぞれに辿る道がある。

仙崎港の青灯台のその後を追跡した事で、留萌港青灯台との約束を果たした。

再度、海保に立ち寄って、課長さんに顛末を報告した。

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4 コメント

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執念 (フジパパ)
2007-06-29 18:13:23
推理小説を読むみたいで、とっても面白い。
防波堤の灯台(機能としては限られている小さな灯台と思われるが)の歴史やそれに関わった人々の姿まで思い浮かべられるような面白い話ですね。
想いを成し遂げられた後のお酒 格別旨かったのではないですか?
Unknown (洒人)
2007-06-29 18:40:52
「執念‥‥」 正しくそのとおりです。
昔はもっと淡白で、諦めが早かったのですが、最近、転んでもただでは起きない、って感じになりつつあります。
昨日のどんでん返しはドラマを地で行くような、主人公の気分を味わいました。
三八回を終えてから長門に出て、一人でハシゴしたのも気分が良かったのでしょうね。

しかし、海保の方々って親切ですね。どこでも。
それも、また醍醐味? (hide)
2007-06-29 18:55:40
酒人さん、こんにちは。
なかなか書き込めずにいました。

玉助さんにも話したのですが、自分はまだ灯台の姿だけにあこがれて、単純に訪ねて、感動して、写真取って・・・って感じなんです。と話すと、その時彼が、『私も最初はそうでした』と返事。
今回の記事を読んでいて、酒人さんのその時の気持ちがわかるような気がして・・・私も皆様の域に近づいたのでしょうか?
聖域無き灯台の世界に・・・笑
Unknown (洒人)
2007-06-29 21:29:51
hide さん、どうも。
私の灯台めぐりも、ベースの部分は灯台がある風景に憬れ、訪れ、写真を撮ることです。
が、灯台との付き合いが広がり、深まっていくと、時に 「放っておけない灯台」 に出くわします。
今回の、記録も残っていないような灯柱でも、私には50選の灯台たちに匹敵する価値があります。
灯台って、本当にいい、ですね。