葡萄舎だより

海峡の街・下関の、葡萄舎の住人・洒人 (しゃじん) が身の周りの些事片々を書き綴ります。
本人は日記のつもりです。

酒友、K

2007年03月31日 15時33分06秒 | 日記 ・ 雑記録
ここ数日の暖かさで、桜は一気に開花した。
場所により、樹により、気の早い花見の宴が開かれている。
今日は朝のうち薄日が射したが、
予報どおり午後からはいつ降りだしても不思議はない空模様だ。 これが <花曇り> ? 
気温も上がらない。 これが <花冷え> ?
今日明日は天気が崩れるが、花は咲き始めたばかりだから、散る心配は要らない。
週半ばにでも咲き揃えば花見に出かけよう。

宇部で散髪した帰りに日産レンタカーに立ち寄り、電話予約の内容を確認した。
間違いなく手配されていたので、北海道での足は保障された。

問題は、北海道を全周する道順だ。
千歳空港から石狩に出て、北(宗谷岬)に向かうか。
千歳空港から苫小牧に出て、比較的暖かい渡島半島に向かうか。
車で寝泊りするのが基本だから、どんな旅程を採るのもフリーハンドだが、
道北~道東から回るか、道南から回るかで、
洞爺に眠る酒友Kの墓参日時がまるっきり変ってくる。
そろそろ、(先方に)墓参をしたい旨の連絡をして、
先方のご都合を伺うタイミングだろうから、肝心な行程を決めなければなるまい。

千歳空港から北に向かうも、南に向かうも走行距離は変らない。
早く北に向かえば、たとえ3日でも道東で発生する霧に遭遇する確率は下がる。
しかし、旅を始めてしまえば、洞爺にたどり着く日時は二転三転するだろう。
旅を続けながら進捗状況を逐一報告するにしても、酒友K宅の安穏な生活を乱す。
ならば、空港に着いたらチキウ岬灯台だけを訪ねて、その足で洞爺に向かうか。
墓参を済ませてしまえば、あとはどうにでもなる。 これがベストかも知れない。

北海道に、何度も行く事は出来まい。
酒友Kの墓参。 これが最初で最後かも知れない。

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4月、まず家業

2007年03月30日 12時00分25秒 | 日記 ・ 雑記録
1月、2月、3月と、月日が経つのは早いが、その中でも2月が早い。
2月が早いと感じるのは、
前後の月と比べて日数が3日少ないという単純な理由からだろうが、
それでも、あれよあれよという間に1/4年が過ぎる。
この90日、振り返れば折々に何がしかの出来事があったのだろうが、
私の年譜に残すような <特筆モノ> はなかった。

3月は何かと飲む機会が多かった。 この流れは4月にも引き継がれて、
花見、ワイン会、花見、婚礼、ワイン会、ワイン会、還暦祭‥‥、
目白押しで飲兵衛には嬉しい限りだが、
4月は家業の活況と重なるから、その兼ね合いが厄介だ。

私がワインにウツツを抜かして居られるのは、家業があっての話で
目いっぱいの活況が続けば、<ワインは二の次> となる。 当然だ。
4月の第2週からGW明けまで、家業はチャンガラだから、
美味しい料理といいワインがあるH氏宅の花見はご辞退した。
二つ目のワイン会は欠席する。
三つ目のワイン会は還暦祭の前日で、前日から長門に乗り込む予定もあり欠席。

5月、GWが明けるまで、まずは家業。
これは決断でもなんでもない。 美味しくワインを飲もうと思えば至極当然のこと。
実は、北海道の灯台めぐりを5月の中旬からに設定したのも、
家業の忙しさが一段落するタイミングをにらんでのことだった。

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春の Adieu

2007年03月29日 15時36分02秒 | 日記 ・ 雑記録
この季節、中国の天空を覆った黄色の砂塵・黄沙(黄砂)が日本まで運ばれてくる。
昨日は関門海峡で遠景に霧か靄がかかったような黄沙が見られた。
黄沙の現象を、空中の水滴で生じる霧や靄にたとえるのは不適切だが
好天に誘われて灯台を訪ねてもいい写真が撮れないのは、どれも同じだ。
ちなみに、霧(きり)も、霞(かすみ)も、靄(もや)も似たようなものだが、
気象観測で水平視程が1km以上を靄といい、1km未満を霞・霧という。
春は霞、秋は霧と使い分けるのだそうだ。

黄沙が現れると春も本番。
国道2号沿いの桜もチラホラし始めた。 ところどころにボンボリが吊るされた。
この桜、2km以上にわたって連なる桜並木で、咲きそろえば絶景なのだが、
ドライバーがチラッと眺めやるだけで、花の下をそぞろ歩く人も見かけない。
人見るもよし見ざるもよし、我は咲くなり、とはいうけれど <不遇の桜> だ。
国道の桜が散り始めたら、一年に一度は端から端まで花の下を歩く事にしている。
せっかく咲いた桜に、今年も見てやったぞ、と。

毎年、この時期には Castello di Ama のロゼを買う。
今年も1ケース仕入れた。 失敗した。
ネットとそれほどの差はあるまい、と価格も確認しないで地元の酒屋に注文したら、
とんでもない高値をつかまされた。 安価なワインで 500円/1本 の差は大きい。
最近はトンとご無沙汰とはいえ、この店とも思えば長い付き合いだった。
あれこれ気持ちを整理するうえで、フンギリはついた。 Adieu ! だ。

宇部商業がセンバツで敗退した。
相手が室戸高校だから、どちらが勝ってもよかったのだが、ま、仕方ないか。
気持ちの上では、県勢がいない春の甲子園とも Adieu ! だ。


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植木等、‥嗚呼

2007年03月28日 09時37分35秒 | 日記 ・ 雑記録
「かの有名な、(二呼吸おいて)植木等は言った。人生で大事なものは‥‥」
中学2年のとき(だったと思う)、
校内の弁論大会でクラスの代表として登壇した私が、開口一番発した言葉だ。
この後、どんな内容を論じたかは覚えていない。
テーマがなんだったかも覚えていない。

45年昔の、田舎の中学生としては意表をついた切り出し方だったろう。
(賞状らしいものはないから) 私の弁論は表彰の対象にならなかった、という事だ。
ただ、企んだ訳ではないが、ユニークな人物として周囲に印象付けたのは確かだ。
私の発想や思考に、ちょっと違う独自性があるとすれば、端緒はこのときからだ。

植木等が亡くなった。 享年80歳。
1960年代の、コメディアンとしての彼が好きだった。
11年間、日曜の夕方は 「シャボン玉ホリデー」 を欠かさず観た。
その11年間は、私の中学~大学の学生生活と完全に重なる。

先般、01文化戦略会議でナベプロの渡辺美佐女史と同席したときに、
「私の青春は、シャボン玉――と重なる」 とお話したばかりだったが、
その、植木等が死んだ。
いろんな想いを込めて、合掌

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今年は覚苑寺?

2007年03月27日 13時41分14秒 | 日記 ・ 雑記録
下関でも、人が集まれば花見の話題が出る季節になった。
この分では、4月の7日、8日の土日が今年のピークになりそうだ。
私の花見は毎年 <一人の花見> だから、だれかれの都合を気にする事もない。
その日の天候を見て、雨に降られず、風が吹いてなければ、フラッと出かける。
アマのロゼとワイングラスは専用バッグに納まっているから、
あとは、道々、スーパーや総菜屋に寄って買いこんで行けばいい。

ところで、功山寺の花見も4年続いたから、今年は覚苑寺に場所を変えてみようか。
覚苑寺は、功山寺、笑山寺と並んで、長府毛利家の菩提寺だ。
堂宇は明の黄檗流の様式を備えた重厚な造り。
境内には、長府で生まれた画家・狩野芳崖の坐像や乃木希典の像がある。
わが国最初の金属貨幣「和同開珎」を鋳造した長門国鋳銭所の跡地も境内だ。
観光コースから外れていて訪れる人も少ない。 静かに花を愛でるならこちらだ。
もっとも、私の場合は <花よりワイン> だから、どちらでもいいのだが。

花見の時期が北海道へ出発する1ヶ月前。
その頃までに、準備のあらかたを整えておこう。
しかし、稚内も網走も未だ氷点下だ。 50日先の北海道ってどんなんだろう。
心配しても始まらないが‥‥。

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球春

2007年03月26日 10時46分35秒 | 日記 ・ 雑記録
センバツが始まった。
汚泥にまみれたプロ野球の開幕もあるが、次第に面白くなくなりつつあるから、
高校野球の裏の裏は知らないけれど、
<純真な> 高校生が競うセンバツを以って私は <球春> を感じる事にしている。

私の高校には硬式野球部はなく、軟式野球部しかなかった。
同世代では、池永投手を擁した下関商業が一世を風靡するのを眺めていた。
春の優勝へ、夏の準優勝へと、下商が勝ち進むたびに下商の校歌がながれ、
大げさに言えば、私は自分の高校の校歌よりも下商の校歌を先に覚えたほどだ。
真っ白いユニフォームの胸には大きい 「S」 の一文字。
高校時代の私が憬れた他校は、後にも先にも下商だけだ。

短い教師生活で、柳井高校の教壇に立った年の夏に、柳井高校が準優勝した。
2回戦から優勝戦まで、十日近く大坂に滞在し甲子園に通った。
私が高校野球とかかわった貴重な一年だ。
その後は、ひたすら県勢を応援するのだが、優勝戦までは駒が進まない。
出場の頻度からいって期待が託せるのは、今春センバツに出場している宇部商業だ。

田舎の公立高校としては出来すぎの感はあるが、昨日は派手なサヨナラ劇を演じてくれた。
2回戦の相手は高知の室戸高校だという。
宇部商が出場しなければ応援したい高校の一つだったから気分は複雑だが
いい試合を展開してくれれば、それでいい。
高校野球は、田舎の、前評判では低い評価の公立高校が勝ち進むのがいい。

田舎で生まれ、育ち、暮らしている田舎者の私は、
都会の高校球児がハンカチを手に脚光を浴び、頂点を極めても面白くない。

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バルク館

2007年03月25日 12時13分51秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜は治りきっていない風邪を押して、海を渡ってワイン会へ。
32回目の葡萄舎騎士の会だ。

ワイン会の会場は門司港の 「バルク館」 。 目立たないが、いい店だ。

4度目の利用ともなれば <おなじみ感> も漂い始める。
ここは3階のワン・フロアを貸切で使わせてくれる。
アンティークな雰囲気を、ピアノの生演奏が更に盛り上げてくれる。
窓から見える、海峡の夜景もいい。
肝心の料理は、頑張って作った、という感じで好感が持てる。
ソースに味噌を使ったり、サワラ(鰆)を焼き魚感覚で盛ったり、冒険心もある。
門司港にこの店があれば、新規開拓の要を感じない。

サービスのスタッフに可愛い嬢ちゃんがいて、
我が愛息が付き合う娘さんも、こんな感じならいいのだが‥‥と思いながら帰宅したら、
愛息はいつものように、男友達とショーもないゲームをしている。
何を考えているんだか。

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よぅ行くよ!

2007年03月24日 11時22分16秒 | 日記 ・ 雑記録
私の風邪のパターンは、クシャミ→鼻水→咳と症状が変化する。
昨日夕方から鼻水よりも咳の方が苦しかった。
今日の午前中で咳の方も落ち着いてきたから、そろそろ下り坂だろう。

昨夜愛息が帰ってきた。
食べきれないほどの <サザエのつぼ焼き> を食べた。 友人Mから貰ったサザエだ。
今日の昼は <瓦そば> を作ってやる。 帰省した息子の定番だ。

夕方は海を渡って門司港で葡萄舎騎士の会だ。
風邪も完治しないのに、よぅ行くよ!

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鼻水、鼻髭、呵呵大笑

2007年03月23日 10時23分23秒 | 日記 ・ 雑記録
風邪をひくのは、基本的な生活態度に問題があるからだ。 これが私の持論だ。
風邪をひいた人を見れば 「お気の毒に」 とは思うが、それ以上の同情はしない。
きっと、精神が弛んでいたのだろう、程度に思うのが関の山だから、
私の持論からすれば、滝に打たれて禊をする人は厳冬期でも風邪をひかないはずだ。
精神が張りつめているはずだから。
(実際は、滝に打たれて風邪をひく人がいるのだろうか? 少し興味がある)

私にも風邪をひきそうな前兆は何度もある。 その都度、未然に防いできた。
その際、頼りにするのは鼻炎カプセルで、ずいぶん世話になった。
ところが、今回はドジを踏んだ。
思い当たるのは4日前、寝ていてべっとりと汗をかいた。
いつもだったら寝巻きを着替えるのに、そのときはしなかった。 テキメンダだ。
そういえば、最近、寝る前のうがいも忘れがちだった。
朝晩の鼻炎カプセルで鼻水とクシャミは止まっているが、気分は優れない。

やはり、基本的な生活態度の乱れは風邪に直結する。
人様の風邪に同情しないのだから、私がひいた風邪に同情はいらないが、
気が弛んでいた事を反省している。
鼻をかむとき、
鼻髭の上で鼻水を始末するのはなんとも様にならない。
但し、鼻髭のおかげで、いくらティッシュを使っても肌がただれないのは嬉しい。
鼻髭を伸ばそうと思ったとき、こんなブザマな場面は想定外だったけど(呵呵大笑)。

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歯科医の宣告

2007年03月22日 14時12分56秒 | 日記 ・ 雑記録
昨夜はキャプテンに誘われて宇部市まで夕食会に出かけた。

  「美酒夜光」 に記事があります。 こちら です。

今日は、郷里からMが来た。
自宅前の魚市場で仕入れたというイサキ、烏賊、サザエをしこたま持って。
イサキは塩焼きに、烏賊は煮付けて、サザエは壺焼きにしよう。
サザエは刺身で食べるのが大好物だったが両方の奥歯が歯周病で使い物にならない。
壺焼なら前歯で噛める。 涙を呑んで壺焼きにするのだが、なんとも情けない。
人間、歯が駄目になったらオシマイだ。
食べる喜びを失って、人生になんの喜びがあろう!

昔お世話になっていた歯科医は、歯に不具合があるとすぐに抜歯した。
それが厭で、今回は歯科医院を代えたのだが、
評判どおりに抜歯せずに根気よく治療してくださる。
しかし、評判のいい歯科医から宣告は受けている。
「現段階で治療できるだけ治療した。 使えるまで使いなさい。 保証はしません」
希望を持てなくする宣告だが、偽りのないところだろう。
抜くのはイヤ、歯茎を切開するのもイヤ、インプラントもイヤ、
となれば歯科医の宣告のとおりとなる。 歯を大事にしなかった罰だ。 嗚呼。

歯科医院から渡されたメモには書いてある。
「歯を、<磨いている> のではなく <磨けている> のが大切です」
そのとおり。 恐れ入りました。
幸いにも前歯は健在だ。 残された歯は全力を挙げて守り抜こう。

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ワイン考

2007年03月21日 11時00分53秒 | 日記 ・ 雑記録
長く厳しい冬場を抜け出し、やっとお彼岸にたどり着いた。
という書き出しが今年は使えない。
異常気象は2月と3月を間違えたらしい。 とはいっても今日はお彼岸。
太陽は真東から昇った。 そして真西に沈むだろう。

  「季節のつぶやき」 に <春分の日> の記事があります。 こちら です。

新聞の報道を見ると、ワインの消費について国別の統計が載っていた。
トップ3は仏、伊、米の順で、これは驚くに当たらない。
問題は (さして問題でもないが) 9位、10位で、ロシアと中国だという。
近年とみに力をつけた裕福層が、
その地位を誇示するために高級ワインをスポンスポン抜栓しているらしい。
なんと軽薄な姿よ、と嘲笑したり嘆いたりしてはいけない。
あの、バブルがはじけるまで、何度目かのワインブームに沸いた我が日本でも、
(高級)ワインを買いあさり、買占め、飲み呆けたじゃないか。
日本人が飲む (高級)ワインの量などタカが知れているけど、
(高級)ワインの値を吊り上げるお先棒を担いだのは日本人じゃないか。

今、私の周囲に (高級)ワインの高騰を嘆き、ため息をつく人は多い。
私は不思議で仕方がない。
ワインって、購入するときに苦痛を伴ないながら買って、飲んで、楽しむものじゃない。
高くて手が届かないワインなら買わなければいい。 飲もうとしなければいい。
ワインとしての資質を充分に備えたワインで、
ほぼ常識的と思える価格で売られているワインは身の周りにゴマンとある。
それらのワインから、日常飲むワイン、改まった席で飲むワインを見つけ出せばいい。

私は月に1本、(高級)ワインを買うか、在庫から捻出する。 お付き合いで。
月に1本、(高級)ワインに準ずるワインを買うか在庫から捻出する。
これも、お付き合いだ。
そろそろ、お付き合いの苦痛から卒業するタイミングにさしかかっている。
ワインは under 3000 でいい。 日頃飲むなら、1200円でいい。
これが私の <ワインがある暮らし> の原点だったのに、しばらく浮かれ過ぎた。

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仕方ないか

2007年03月20日 10時19分15秒 | 日記 ・ 雑記録
福岡→札幌/千歳 の航空券を購入したら、もう北海道行は確定だ。
で、予め下話をしておいたレンタカーを正式に予約した。
日産レンタカーのX-トレイル。
レンタカーの会社も料金体系も多種多様だろうが、日産を選んだ。 相見積もとらずに。

大型免許を持っている私だから、運転が上手い下手は別にして
どこのメーカーのどんな車種でも抵抗はないはずだけど、
やはり、日頃乗り慣れている車がいい。
理想は、一週間程度の生活用具を積み込んでいる愛車で北海道まで乗り込むことだがが、
北海道に渡るために本州の西端から北端まで、車ではとても往復できない。
車での野宿を想定して、衣装ケース3箱程度を、千歳の営業所まで宅配便で届けよう。

レンタカーを10日間借りてガソリン代をプラスすれば、馬鹿にならない金額だ。
私の旅は単独行だから、やたら割高感の漂う旅になる。
相棒の一人か二人欲しいところだが <灯台めぐり> なんてマイナーな趣味だから
ま、仕方ないか。
10日間の車中の慰めに、CDを選んだ。 北海道だから東京ロマンチカははずせない。
他には、鳥羽一郎、大川栄策、長山洋子、香西かおり‥‥。 私も古い!
私の人生は演歌だから、これも仕方ないか。
灯台の傍らで夜を明かすとき、灯台、光芒、潮騒、缶ビールとワイン、演歌、
取り合わせがイマイチだが、これもまた仕方ないか。 これが私の旅、だ。

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彼岸、墓地にて

2007年03月19日 15時24分37秒 | 日記 ・ 雑記録
お彼岸だからお墓の掃除に行った。
お墓は市の公募に応じて抽選で当たった墓地で、畳一枚あるかないか。
お墓は狭小だが高杉晋作が挙兵した功山寺の、国宝の仏殿の真後ろにある。
入口に近く、水場も近い。 一等地、と言ってよかろう。

墓場にて、いつも思う事。
墓地の少し奥まったところに大内義長の墓がある。
大内文化は最後の当主・大内義隆の代に栄華を極めたが、
家臣の陶晴賢に追われて私の郷里の大寧寺で自害し、墓もそこにある。
大寧寺は私が育った家からから1km。 寺も墓所もよく訪れたものだ。
大内義長は、陶晴賢の傀儡政権だが、毛利元就に負けて大内氏は滅亡した。
義長は功山寺で自害し、我が家の墓と同じ墓地に眠っている。
大内氏の栄枯盛衰を物語る二人の人物。
二人の墓と、私はなんと縁が深いことか。

母校の大先輩に、童謡詩人・金子みすゞさんが居る。
長門の仙崎で生まれ育ち、下関に嫁いだが薄幸で、自ら若い命を絶った。
長門で生まれ育ち、下関に移り住んで下関で人生を終える。
これは何も私だけではなくて、世の中にゴマンとあるパターンだが、
何か、チラッと心を過るものがある。
下関という土地での金子みすゞさんと私とが決定的に違うのは、
彼女が人生に幸せと希望を見失ったのに対して、
私には多くの方の支えがあり、思いつめるほどの困難がない事か。

お彼岸前にお墓を掃除するときはいつもそうだが、今年も鶯が鳴いていた。
空気は少し冷たいが、長閑な陽射しは間もなくだろう。
息子の成長に心配がないこと、月末から家業が繁忙すること、
残された家族が元気なこと、5月には北海道に行くこと、
などを報告して合掌。
暑さ寒さも彼岸まで。 もう、春だ。

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同期の芋づる

2007年03月19日 10時13分18秒 | 日記 ・ 雑記録
♪貴様と俺とは同期の桜‥‥
予科練の同期生を桜にたとえて歌った軍歌で、
転じて、「同期の桜」 は同期生のことを指すという。
私の郷里では、何かというと同期生が集まって、飲んで親交を深める傾向が強い、
と何度も述べてきた。

一昨日の 「大津高校四一会」 は、前回から1年余も間隔があいていたらしいが、
歳をとってからは月日の経つのが早くて、半年か一年の経過と錯覚していた。
高校の同期生は7クラス350人で、その一割が集まった。
郷里に留まっている者が主体だが、
定年や定年前で退職したUターン組がチラホラしたのも社会を反映している。

下関から参加すると、懐かしい顔ぶれの話は新鮮で面白い。
同期生同士の結婚は少ないが、驚いたのは、
「アイツの嫁さんはオレの妹」 とか、その逆のケース、
「オレの息子はあいつの娘を貰った」 とか、その逆のケース
そういった身近な間柄での姻戚関係がやたらと多い。
生まれたときから親戚、という <いとこ> の組み合わせも当然居るから
一つの芋を掘り出すと、芋づるみたいにつながって出てくるわ出てくるわ。
これでは 「同期の桜」 ではなくて 「同期の芋づる」 だ。
私の <口が悪い> のは知れ渡っているから少々の事は勘弁してもらうのだが、
うかつに悪口を言おうものなら大変な事になる。
改めて、閉塞された地域社会なんだ、との感を強くした。

Mとは20年ぶりに会った。
会えなかった20年間に相当な苦労をしたと聞かされたが、変っていなかった。
彼とは <竹馬の友> ではない。 <無二の親友> という表現も適当ではない。
しかし、20年間会わなくても、私の気持ちの中心に彼は常に居続けた。
私への弔辞をお願いするとすれば、彼をおいて他に居ない。
彼が帰って来たと知ったとき、飛んで会いに行かなかった悔いを残しているが。

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おふくろロード

2007年03月18日 14時13分30秒 | 日記 ・ 雑記録
下関に住む私が郷里の長門に向かうとき、使う道は二通りある。
Aコースは、東に向かって走り小月で左折、山を越えて俵山温泉、湯本温泉と辿る道。
時間的にも距離的にも最短で、1年前まではもっぱらこのルートを採った。
Bコースは響灘に沿って北上、角島灯台、俵島灯台を巡回しながら進む海沿いの道。
1年前に灯台ファンになってからはこのルートがお決まりになった。

昨日、長門に向かったが時間的な余裕がなかった。
しかし、長門二見の駅前にある 「二見饅頭」 に立ち寄る必要があったのでBコースだ。
すぐ先には角島灯台があるのだが、今回は巡回を割愛しなければならない。
長門二見、特牛 (これを <こっとい> と読める人は偉い)、粟野は直角三角形で、
三角形の2辺を通らないショートカットの道がある。
二見で海と分かれてJRの線路に沿って粟野に至る道で、このルートを採った。
友人Mと約束した時間に間に合わせるために採った窮余のルートだ。

走りながら、ふと思い出した事がある。
下関市安岡の病院で亡くなった母の遺体を長門市の葬儀社が搬送に来た。
私と次兄が病院で見送り、長兄が長門市で迎える、という段取りだったが、
夜道を長門に向けて走る霊柩車に、母を一人乗せて行かせるのは忍びなかった。
私が霊柩車の後ろを追走する事にした。
そのとき走ったのが二見から粟野までショートカットするこの道だった。
8年前の、あのときの夜道と、昼間の昨日は様子が違うけど
運転しながら、母のことばかりを思い出した。

これから、時折この道を走ろう。
この道に 「おふくろロード」 と名前を付けた。
私が母を呼んでいたときの言葉で言えば「母ちゃんロード」 だ。

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