constructive monologue

エゴイストの言説遊戯

曖昧で、不透明なソフトパワー

2005年06月28日 | nazor
再度「ソフト・パワー」について。

ソフト・パワーをめぐる議論の多くが、その出自の関係から、国際政治に関わるものであり、国家がソフト・パワーを持つ意味、その行使の仕方などに焦点が当てられる傾向があった。別言するならば、ソフト・パワーの理論的位相よりも、その実践的位相に関心が向けられ、そもそもソフト・パワーとはいかなるパワー(権力)であり、それは、これまでさまざまな論者が議論し、提示してきた権力概念/論に対して、どのように位置づけられるのか、という点が十分に検討されていないのではないだろうか。

権力をめぐる区分として、権力を人間の所有物とみて、一定不変の権力の存在を考える実体概念と、人間同士の相互作用の中に権力が発現するという見方に立つ関係概念がまず思い浮かぶ(たとえば、丸山真男『増補版・現代政治の思想と行動』未来社, 1964年: 3部6章)。その後、権力論の関心は、関係概念としての権力に移り、多くの研究成果を生み出した。こうした権力論の見取り図を整理した社会学者ルークスによれば、すくなくとも3つの権力観が見出せる(スティーヴン・ルークス『現代権力論批判』未来社, 1995年)。

一次元的権力観とは、典型的にはロバート・ダールの定義「AがBに対して、そうしなければBが行わなかったことをさせたとき、AはBに対して権力を行使した」とするものである。この権力観の特徴は、明確な意図を持った二者(主体)と、二者間に争点が存在することを前提としている点にある。

こうした権力観に対する批判として提起されたのが二次元的権力観である。この見方が注目するのは、二者間に顕在化した争点をめぐる権力関係ではなく、二者が争う紛争が現出される以前、あるいは問題化する前に、無力化してしまうような、一般に「非決定権力」あるいは「決定回避権力」と呼ばれる権力である。

ルークスは、この2種類の権力観に対し、三次元的権力観を提起する。一次元的権力観に対する批判である二次元的権力観も、明確な意図を持った2つの主体という前提を共有している、つまり二者間の紛争が顕在化しているか、潜在化されているかという違いに過ぎず、そこに紛争それ自体の存在は当然視されている点で、批判される。一方ルークスが言う三次元的権力観は、「Aにとって好ましくない行動をBがしないようにする権力」であり、そこではAとBが争うべき紛争自体が欠落している。杉田敦の言葉を借りれば、三次元的権力観は「AがBを洗脳させてしまう権力」(杉田敦『権力』岩波書店, 2000年: 4頁)であり、2つの主体間の権力作用という前提からはみ出し、非人称的(impersonal)な、主体なき権力観へとつながる見方ともいえる。

以上の権力論の系譜をまとめれば、まずどのような権力資源を持っているのかという実体概念から、それら権力資源を他者に対し行使することで生じる関係性の変化に焦点が移っていった。そしてその関係性についても、2つの主体による可視的な関係における権力作用から、主体を包摂するような、不可視化され、非人称的な構造における権力作用を視野に入れる権力観が生まれてきたといえるだろう(杉田敦は、この流れを関係的権力観から空間的権力観へと整理している)。

さて、このような権力論の流れにソフト・パワーを位置づけてみたとき、どのようなことが明らかになるだろうか。おそらく第一に指摘できるのが、権力論の分類それぞれにソフト・パワー的な要素を見出すことができることだろう。そのことは、言い換えれば、ソフト・パワーが概念として十分に成熟していない、曖昧模糊としたものであることを示唆している。

たとえば、ソフト・パワーをハード・パワーと対比する際に、軍事力や経済力ではなく文化や理念の重要性を説くのがソフト・パワーであるとされるが、この言明は実体概念としての権力論である。一方、「相手を取り込む力」としてソフト・パワーが提示されるとき、言うまでもなく関係概念の側面が強調されている。また「課題設定する力」であるともいわれるが、この理解は、主体の存在を必ずしも想定していない点で、三次元的ないしは空間的権力観として捉えられる。

であるとすれば、このように複数の異なる意味内容を含んだ扱いにくい概念であるソフト・パワーを使う際にはかなりの慎重さが求められる。概念的側面に関しては、権力観の混同/混乱が付き纏う。ソフト・パワーが語られる場合、「アメリカの・・・」、「日本の・・・」というように、主体(ここでは国家)が暗黙裡に措定されていることが多い。しかしソフト・パワーには「課題設定力」という単なる主体間の関係に還元できない権力観が内包されていることを考慮したとき、主体を超えた/によって統御されていない権力作用を十分に捉えることを困難にさせてしまう可能性が排除できない。

また同じソフト・パワーを使っていても、論者によって意味するところが違っている状況が生じてくることもある。たとえば、対人地雷禁止条約締結に向けたオタワ・プロセスの推進者であったカナダ外相ロイド・アクスワージーは、頻繁にソフト・パワーを喧伝した。しかし、ソフト・パワーとハード・パワーを対抗関係に位置づけ、ソフト・パワーの優位を謳うアクスワージーに対し、提唱者であるナイ自身を含め、多くの論者から批判が出されたことは、ソフト・パワーの多義性を物語る事例だろう。

国際政治学において、ソフト・パワーとほぼ同様の意味内容を持つ概念は、スーザン・ストレンジの構造的権力(『国際政治経済学入門――国家と市場』東洋経済新報社, 1994年)、グラムシ学派のヘゲモニー概念(スティーヴン・ギル『地球政治の再構築――日米欧関係と世界秩序』朝日新聞社, 1996年)に見られるように、ソフト・パワーに先行する形でほかにも提起されているが、アカデミズムの世界を超えて、人口に膾炙するまでにはいたっていない。その意味で、概念的な不透明性を持つソフト・パワーであればこそ、そこにさまざまな意味を持たせることが可能となり、単なる学術用語としてだけでなく、政策用語として流通していく潜在力を有しているともいえるだろう。

換言すれば、その流通度の高さに比して、概念的内実は限りなく空虚に近いのがソフト・パワーであるとみなすこともできるだろう。

DNAの疼き

2005年06月27日 | hrat
楽天「長野の陣」制す、19安打16得点(『日刊スポーツ』)
楽天初の先発全員安打!2戦連続延長制し20勝到達(『サンケイスポーツ』)
楽天、連日の延長粘り勝ち(『スポーツ報知』)
楽天 記録ずくめの20勝到達(『スポーツニッポン』)

西武戦2連勝で、対戦成績が5勝5敗と互角の戦い。ほか4チーム相手にわずか4勝しかしていないことを考えると、西武戦の成績は際立っている。

80年代から90年代前半にかけて、パリーグの覇を競い合った近鉄・オリックスの遺伝子的要因が働いて、戦力以上の能力を引き出させているかもしれない。

昨日の試合でも活躍し、トレード成功例といえる沖原の加入によって、なかなか出番の回ってこない大島公一が『アエラ』の「現代の肖像」で取り上げられていた。

encounter no.1

2005年06月22日 | nazor
「ポストコロニアリズム」が注目するのが「他者との出会い損ね」によって生じるズレが遡及的かつ遂行的に関係性を固定化させ、対等な関係性の構築およびその中におけるコミュニケーションの確立を阻害してしまう作用であるといわれる(本橋哲也『ポストコロニアリズム』岩波書店, 2005年)。

そうした「他者との出会い損ね」の顕著な事例が、本橋も取り上げている「新大陸の発見」に伴う「インディオ」との邂逅である。そしてこの「出会い損ね」、あるいは「インディオ」という他者の認識/とのコミュニケーションを考察したのがツヴェタン・トドロフ『他者の記号学――アメリカ大陸の征服』(法政大学出版局, 1986年)である。

コロン(ブス)に典型的に見られるように、一方で「インディオ」を完全な権利を持つ、すなわち「ヨーロッパ人/キリスト教徒」と同等の権利をもつ対等な関係に位置づけようとする姿勢は自己の価値観の他者への投影という形で同一主義へと転化していく。他方で「インディオ」に差異を見出すとき、差異は優劣関係に翻訳されてしまう。この「差異の原理は優越感を、平等の原理は無=差異[無関心]を容易に生みだす」(86頁)態度は、トドロフによれば対他関係の二大形象である(202頁)。

ここに浮かび上がってくる「平等の要請は結果として同一性の断定をともなう」(232頁)、換言すれば、他者(性)の存在を認識することと、他者(性)と対等な関係を築くことがゼロサム関係にあるというアポリアに対して、「差異のなかの平等」が解決の糸口としてありえるが、トドロフ自身が述べているように、こうした態度を実践していくことにはかなりの困難を伴うことは容易に推察できる。

見知らぬ者、つまり他者との邂逅は、否応なく既存の解釈コードに対する揺さぶりをもたらす一方で、そうした既存のコードの中に他者を位置づけて、理解しようとする点で、いったん破綻しかけたアイデンティティーの修復過程とみなすこともできる。そしてこの過程において他者との関係性を決定付けるのが、物質的な権力資源とともに、世界観や価値観などの言説にかかわる権力資源の非対称性であることは明らかであろう。

この非対称性によって、偶発的であった他者との邂逅は、必然的な、あるいは運命付けられたかのような関係性へと書き換えられていく。また劣位に位置づけられた他者は、自身の来歴を自身の解釈コードによって表象する可能性を奪われ、優位に立つ者の解釈コードを使用せざるをえない状況に直面する。

いわば、最初の邂逅という偶発性によって作り出された関係性が重く圧し掛かっている状況にあって、ポストコロニアリズムという視座は、この状況を反転させる試みとして提起される。自らを表象する「自前の」言語/解釈コードを持たない者が、支配的地位にある言語を利用することを通して、両者の関係性を作り出した歴史性や権力関係を暴き出そうとする。その際、相手のコードに準拠しながらも、そこから意味や解釈をずらしていく戦略をとることによって、固定化された関係性の基盤自体を問題化していく。

こうしたポストコロニアリズム、あるいは他者(性)との邂逅という視座は、沼正三『家畜人ヤプー』(幻冬舎)における、ポーリーンがクララおよび麟太郎と邂逅する冒頭場面の描写にも看取できる。日本人(ヤプー)を家畜と認識する世界に生きるポーリーンが、露骨な人種主義を忌避し、人種平等を標榜する1960年代に不時着したという第1の偶発性に続いて、ポーリーンが意識を取り戻し、クララと麟太郎に邂逅したとき、乗馬服を身に着けたクララと素裸の麟太郎という光景から、クララと麟太郎の関係を、ポーリーン自身の解釈コードである主人と家畜のそれとみなす第2の偶発性が生じる。

その後の会話から、ポーリーンがいる世界が1960年代の地球であることはわかるが、それがポーリーンの認識に変更を迫ることはない。むしろ、ポーリーンは、トドロフがいうところの対他関係の二大形象に充当する態度をとっていく。つまり白人女性であるクララに対等な関係を見出し、ポーリーンが生きるイース帝国の世界および解釈コードへ同化させようとする。他方で、麟太郎を「人間」の範疇に入れることに嫌悪感・違和感を隠し切れない、換言すればどうしても麟太郎の姿形にヤプーという他者(性)を見出してしまう。

そして、こうしたポーリーンの態度に対し、反発していたクララが徐々にイース帝国の解釈コードを受容していき、麟太郎も生体改造を経てヤプー的意識に順応していく形で、一方の解釈コードによる他方の表象が成立する。この過程で、西暦3000年代の宇宙帝国イースと1960年代の地球の間に横たわる時間が作り出した物質的・技術的な非対称性が作用していることは明らかであろう。

「他者との出会い損ね」の生成過程の一例を示唆している点で、『家畜人ヤプー』をポストコロニアリズム的視座から読むことが可能である。ただポストコロニアリズムが提起するもうひとつの位相、すなわち既存の支配コードに対する反転・転覆の契機を見出すことは難しい。支配されていることを苦痛ではなく、快楽と捉えるヤプー的意識に対して、ポストコロニアリズムはどこまで有効な戦略を提示できるのだろうか。

原点回帰

2005年06月19日 | hrat
楽天4点先取も守乱で台無し…やっぱり…結局…最下位(『サンケイスポーツ』)
楽天、交流戦単独最下位 横浜に敗れ唯一の同一カード全敗(『スポーツ報知』)

予定通りというか、落ち着くところに落ち着いたというべきか、「最下位」という結果に終わった交流戦。昨日の試合も、幸先よく先制したものの、エラーをきっかけに逆転されるいつものパターン。

年間100敗ペースに逆戻りし、機を一にする形で、監督更迭報道も出てくる(「楽天『田尾更迭→野村監督就任』ウサワの出所」『週刊文春』2005年6月23日号)など、ヴィッセル神戸化現象ともいえる方向に向かう可能性もある。

list 12

2005年06月18日 | hudbeni
THE MAD CAPSULE MARKETS / CiSTm K0nFLiqT...
甲斐バンド / ラヴ・マイナス・ゼロ
SOFT BALLET / 愛と平和
FENCE OF DEFENSE / REUNITED & STARTING OVER
LED ZEPPELIN / HOUSES OF THE HOLY
北島健二 / Guitar_Pure
TOTO / MIND FIELDS
Sinead O'Connor / faith and courage
PEARL / PEARL
YES / THE YES ALBUM

北島健二色の濃い選択となった今回。

「新しい中世」(論)の現在

2005年06月14日 | knihovna
田中明彦『新しい「中世」――21世紀の世界システム』(日本経済新聞社, 1996年)

冷戦というひとつの秩序の終焉を受けて、さまざまな秩序構想が提起されてきたなかで、参照頻度の高さを誇るのが「新しい中世」というイメージである。とくに自由民主制度と市場化の達成を尺度に世界を3つの圏域に区分し、それぞれの圏域におけるルールズ・オブ・ゲームの差異を指摘した点で、単なる未来予想にとどまらない射程を持っている。

現代の世界システムが「新しい中世」と呼べる段階にあるのかという認識の背景には、(1)冷戦の終焉、(2)アメリカの覇権の衰退、(3)相互依存の進展が指摘されている。つまりこの3条件が「新しい中世」(論)の妥当性を担保するものであるといえる。

「新しい中世」(論)を評価するに当たって、2つの道筋が考えられる。第1に、これら3条件に関する認識を不問にした上で、「新しい中世」という世界把握の有効性や妥当性を検討することができるだろう。第2の道筋は、そもそも「新しい中世」の存在論的基盤ともいえる3条件に関する認識自体の妥当性を問うものである。この2つの道筋は次のように言い換えることができる。つまり問題の認識や発し方はよいが、そこから導かれる結論(「新しい中世」イメージ)には問題がある「good question/wrong answer」という見方が第1の道筋だとすれば、第2のそれは「wrong question/wrong answer」、つまり導かれた結論に孕まれている問題の原因は、条件から結論へ至る過程/論理にある(だけ)のではなく、認識や設定自体にすでに問題点が内在しているという見方である。

以下では、第2の見方に依拠して「新しい中世」(論)について考えてみたい。先に述べたように「新しい中世」という世界システムが成立する条件として、3つが指摘されているわけであるが、1996年に執筆されたという本の性格を考慮した場合、(2)アメリカの覇権の衰退を取り上げて、アメリカの覇権は衰退したどころか、いっそう強化されているのではないかという疑問を呈することは、後知恵的解釈の誹りを免れない。現在では、アメリカを「帝国」と捉える議論が盛況であるが、すくなくとも1990年代半ばにあっては、「帝国」という言葉は、マルクス主義的意味合いが濃かったこともあって、ソ連崩壊の余波を受けて、限りなく死語に近い存在であった。したがってアメリカの覇権の衰退という「予測」が外れたことをもって、「新しい中世」(論)を批判することはあまり建設的とはいえないだろう。

ただこの点に関して、アメリカの覇権が強化されたとしても、現代の世界システムは「新しい中世」だと主張することは可能である。ただしその場合、比較参照する対象として、ヨーロッパ中世ではなく、アジア中世を念頭に置くべきだろう。ヨーロッパ中世が多元的な秩序イメージを想起させるとすれば、アジア中世、具体的には中華帝国を中心とした華夷秩序に、現在のアメリカの一極支配体制と多くの共通性を見出せるだろう。あるいは山下範久が提起する「新しい近世」という見方も、アメリカの覇権が存続している現代世界を、主権国家システムとは異なる秩序イメージで語ろうとする際に有用な視座を提示しているといえる(山下範久『世界システム論で読む日本』講談社, 2003年)。

アメリカの覇権の衰退をめぐる妥当性から「新しい中世」(論)の意義を論じることがそれほど発展性のないものだとすれば、ほかの2つの条件に関してはどのようにいえるだろうか。たとえば、相互依存の進展は、現在で言うところのグローバル化の進展に充当すると理解できる。現時点から省みたとき、1990年代を「グローバル化の時代」と呼ぶことに問題は感じられないように思われる。その意味で、相互依存の進展という条件あるいは認識に問題があるため、「新しい中世」(論)の有効性が減じられるという論理を持ち出すことはほとんど不可能であろう。

一方、冷戦の終結に関しては、これも相互依存の進展と同様に、一般的に受け入れられている見方であろう。つまり1989年のベルリンの壁崩壊に象徴される東欧諸国の共産党体制の解体から、1991年のソ連崩壊に至る経過、つまり冷戦の一方の当事者が舞台から降りた点を考えると、冷戦の終結という事実に疑問を投げかける余地は乏しい。

しかし冷戦の終結、あるいは冷戦自体には一元的な理解や認識を超えた多義性があり、時間的・空間的にみれば、その影響には当然ながら濃淡が見られる。その意味で、冷戦の終結といった場合に一般的に認識されるのは、米ソ冷戦、広げてもヨーロッパを「戦場」としての東西対立だろう。冷戦の主役は米ソであり、その主戦場は分断ドイツに象徴されるヨーロッパであったことは確かである。しかし、「新しい中世」(論)とそれが提起する3つの圏域、さらに「近代圏」の海に「新中世圏」に属する日本というアジアの状況を念頭に置き、日本の役割に対する政策提言を含む本の射程に注意を向けるならば、(東)アジア地域における冷戦の現出・展開・終結が、グローバルレベルにおける米ソ冷戦や、ヨーロッパの地域冷戦とどこまで共通性・関連性をもち、どれくらい独自の冷戦ゲームが繰り広げられたのかを考えてみる必要があるだろう。

しばしば指摘されるように、世界的にみれば冷戦は終結したが、アジアでは、朝鮮半島や中台問題を例に冷戦の「遺産」が現在においてこの地域の国際関係に大きな影響を及ぼしている点から、アジアにおいて冷戦は終わっていないともいえる。一方で、アジア冷戦の特質を米中対立に求めれば、すくなくとも1970年代のニクソン訪中を契機として、冷戦的なルールズ・オブ・ゲームの成立要件が消え、別の国際関係へと移行していったと見ることもできる。日本の論壇においても高坂正堯や永井陽之助といった「現実主義者」たちが1970年代に「冷戦の終結」を口にしていたことは、アジア冷戦の特質を正確に認識していた証左ともいえるだろう。

つまりアジア地域に関しては、「冷戦は終わっていない」という見方と「冷戦は1989年以前に終わっていた」という見方、この2つが存在している。とすれば、「新しい中世」(論)が前提とする「冷戦の終結」という認識は、アジア地域を念頭に置いた場合、全面撤回とはいかないまでも、修正される必要性が生じてくると思われる。たとえば後者の見方に立つならば、アジア地域における世界システムを考えるとき、「冷戦」を重要なメルクマールに含むことはそれほど意義が大きくないといえるだろう。それよりも、戦後アジアの国際関係を見たとき、圧倒的にアメリカの覇権/存在が横たわっていたことがその底流にあり、そこに吉見俊哉が指摘するようなアメリカニズムの受容と変容をめぐる政治が介在することで、米ソ冷戦やヨーロッパ冷戦とは異なる構図が成立する空間が出現したといえる(「冷戦体制と『アメリカ』の消費――大衆文化における『戦後』の地政学」『近代日本の文化史(9)1955年以後1・冷戦体制と資本の文化』岩波書店, 2002年)。

ここにおいて、アメリカの覇権の衰退に関して述べた点が、「冷戦」認識の検討を通って、再び浮かび上がってくる。すなわちアジア地域をみたとき、そこに現出している「新しい中世」は、ヨーロッパ中世よりも華夷秩序を基調とするようなアジア的な中世に範を求められる世界システムではないだろうかという点である。「新しい中世」(論)が主権国家システムの後に到来する秩序イメージの一つとして語られている現状において、「good question/wrong answer」的な把握を超えたより内在的な考察が要請されると同時に、そうした視座によってこそ著者がいうような「西洋中心的な思考」から脱却する道が切り開かれるように思われる。

脱=指定席

2005年06月13日 | hrat
虎サマサマ!沖原効果で楽天10位浮上(『デイリースポーツ』)

残すは1カードとなった交流戦。気がつけば、最下位が指定席であるはずの楽天は、広島に連勝したことで(交流戦に限って)10位に浮上。明日からの巨人3連戦の勝敗次第では、中日を抜いて9位で交流戦を締めくくる可能性も出てきた。

ただ公式戦の順位は、5位の日ハムが11連敗したといっても、まだ8.5ゲーム差あり、こちらの指定席から抜け出せる可能性はかなり低い。

ソフト・パワー論とマゾヒズムの共鳴

2005年06月12日 | knihovna
ジョセフ・S・ナイ『ソフト・パワー――21世紀国際政治を制する見えざる力』(日本経済新聞社, 2004年)

1980年代、ポール・ケネディの『大国の興亡』の刊行が火をつける形で、アメリカ衰退論が学界や論壇を賑わせた。アメリカ発の理論・議論に過敏で、無批判に追従する傾向がある日本のアカデミズムの世界でも、ギルピンの覇権安定論やモデルスキーの覇権循環論を翻訳・紹介する「ヨコをタテに」した「輸入代理店」的な論考が溢れ、バブル前夜の楽観的雰囲気と相俟って、一部には「パクス・ニポニカ/ジャポニカ」の到来を声高に宣言する、現在から見れば視野狭窄的な論調が受け入れられる時代であった。

そのような状況に対する反論の意味合いとして提起されたのが、ジョセフ・ナイによる「ソフト・パワー」概念であった(初出は『不滅の大国アメリカ』読売新聞社, 1990年)。アメリカ衰退論の多くが、軍事力・経済力といった物質的側面に注意を向ける傾向に対し、文化など非物質的な側面を考慮に入れれば、アメリカの覇権は喧伝されているように衰退しているわけではないという主張を提起した。

それ以降、「ソフト・パワー」は単なる学術用語にとどまらず、あらゆる領域/分野で使用されるようになった。とくに、軍事力に象徴されるハード・パワーに制約が課されている日本政府にとって、殊の外「ソフト・パワー」は外交理念として魅力的に映り、とくにアニメやマンガなど「サブカルチャー」の振興・海外発信に積極的に動いている(『外交フォーラム』2004年6月号参照)。

ナイによれば「ソフト・パワーとは、自国が望む結果を他国も望むようにする力であり、他国を無理やり従わせるのではなく、味方につける力」と定義される(26頁)。したがって、「ソフト・パワー」を発揮する基盤として、軍事力よりも文化などの重要性が強調される。その意味で、現在のブッシュ政権がハード・パワーに固執することで、「ソフト・パワー」を有効に活用できていないと批判するのは当然の論理だろう。

以下、「ハード/ソフト」という形容詞が暗に醸し出すジェンダー・イメージは「サディズム/マゾヒズム」にみられる関係性との共通点を示唆しているのではないかという問題意識から、そこにセクシュアリティ/ジェンダー的解釈の余地があるように思われる「ソフト・パワー」概念に関する些か強引な議論を展開してみたい。

おそらくその外観から、サディストが支配し、マゾヒストが服従するという関係の構造が一般的にイメージされる。また人口に膾炙する両者の視覚的イメージであるマッチョなサディストと弱々しいマゾヒストという表象は、「ハード・パワー」の非対称性に基因するという解釈が成り立ちうる。

しかし、こうした表象レベルの関係性からその深層レベルへと目を向けるならば、サディスト・マゾヒストの関係性は逆転してしまう。すなわち、両者の関係において、イニシアティヴを握っているのは、攻撃しているサディストよりも、攻撃するように仕向けているマゾヒストの方であり、サディストの加虐行為は、サディストの自由意志というよりもマゾヒストが作り出した環境/構造によって規定された行為としての側面が強くなる。ナイの表現を借りれば、サディストの行為は「所有目標」に属す一方で、マゾヒストのそれは「環境目標」とみなすことが妥当だろう。

この「環境目標」の達成、あるいはアジェンダ設定において、より効果的なのが「ソフト・パワー」であるならば、マゾヒストは、被虐による快楽を得るために、サディストがマゾヒストを加虐するような環境/構造を作る「ソフト・パワー」を行使しているともいえる。言い換えれば、サディストが持つ加虐行為への衝動は、マゾヒストによる強制ではなく、その魅力(加虐を誘/挑発する仕種など)によって充足される点で、サディストとマゾヒストの関係性は、一方的な支配・従属関係に還元できない潜在性を持っている。

たとえば、映画化もされた喜国雅彦『月光の囁き』(小学館)で描かれる拓也と紗月の関係を「ソフト・パワー」論の観点から解釈することもできるだろう。「普通の」恋愛関係から出発した関係は、拓也の性癖の発覚によって、変質していく。紗月にとって忌避・唾棄すべき対象である拓也の存在が、それまで以上に紗月の中で大きくなっていき、最終的に拓也が望んでいた関係性に落ち着くストーリーは、拓也が設定した環境/構造に紗月が取り込まれていくプロセスでもあり、紗月のサディスト的性向を引き出した点で、拓也の「ソフト・パワー」が発揮された事例ともいえるだろう。

一方で、「戦後最大の奇書」とされ、マゾヒズム文学の域を越える射程をもつ沼正三『家畜人ヤプー』(幻冬舎)の場合、「ソフト・パワー」が行使される場裡は、クララと麟太郎という当事者間の関係性においてよりも、むしろ二人を取り巻く環境/構造にある。ポーリーンなどのイース帝国の人々やその社会規範が、麟太郎に対するクララの態度を恋人同士から主人と家畜の関係に変容させてしまう点で、マゾヒスト化する麟太郎による「ソフト・パワー」の行使を看取することは難しい。しかしイース帝国の規範/文化構造に社会化されていくクララにとって、そのプロセスは強制や報酬によってではなく、まさに魅了されたものであることに注意を向ければ、『月光の囁き』のそれとは別次元において「ソフト・パワー」が作用していると理解できる。

以上の点を踏まえたとき、現在のブッシュ政権が「ソフト・パワー」を軽視してしまい、ナイの批判を招いている理由の一端が見えてくるのではないだろうか。マスキュリニティを誇示し、「強いアメリカ」を体現する衝動に囚われているブッシュ政権は、「ソフト・パワー」論が含意するジェンダー的位相を無意識的に嗅ぎとっているため、自らのアイデンティティー基盤を掘り崩す可能性を秘めた「ソフト・パワー」に基づいた外交政策のオプションが先験的に排除あるいは否定的に評価されているという解釈もありえるだろう。

「環境問題」の非論争化するパワー

2005年06月10日 | nazor
年末恒例の新語・流行語大賞の候補になることが確定済みの感がある「クールビズ」に対して、当然のようにネクタイ業界から反発が出てきている(「クールビズ:ネクタイ業界が悲鳴 『ノーネクタイ』のキャッチフレーズ中止求め要望書」『毎日新聞』6月9日)。

「環境保護」・「温暖化防止」という言説を前にして、こうした業界団体の要望は、「エゴ」として一蹴されるのがオチだが、温暖化の進展度やその帰結をめぐっては、科学的見地からも疑問があるようだ(薬師院仁志「京都議定書――地球温暖化・危険論」『諸君!』2005年7月号)。そうであれば、「環境問題」も「政治的なるもの」から逃れられない事象の一つであると見るべきだろう。

いわゆる「環境問題」は、生態系、砂漠、気候、食料など自然科学的な様相が色濃い事象を対象としているため、人間の行為を対象とする学問分野(社会科学)と異なり、客観的なデータに基づく論証が可能な分野と一般に考えられている。つまり科学的知識に基づいた客観データに照らし合わせることで、どれくらい自然/環境が変化しているのかは、われわれ一人一人の主観的な判断に左右されることなく、データから一律の理解が導かれるような錯覚をもたらす。しかし、その性格上、非論争的であるはずのデータ自体が論争性を内在させている点、すなわちいかにデータを解釈するかという人間の判断に注意を向けるならば、「環境問題」がどのようにして問題化されてきたのか、われわれが「環境問題」を論じる「環境」(あるいは制度的条件と言い換えることもできよう)も視野に入れて論じていく必要があるのではないだろうか。

「環境問題」が否応なしに文化的・政治的性格を帯びることは、捕鯨やマグロ、さらには琵琶湖の生態系破壊の元凶として標的になっているブラックバスをめぐる問題を一瞥しただけでも明らかである。それは食文化や生活習慣といった領域を含むだけでなく、データを算出する「科学者」の社会的背景や思想信条をも「環境問題」が問題として認識される際に大きく影響していることを認識することが重要である。すなわち「環境問題」を論じる上で基礎となるデータを科学者たちのいわゆる「認識共同体」に依拠せざるをえないため、その高度に専門的な科学知識を一般民衆が逐一検証することができない、かつデータを先験的に信頼して行動せざるをえないのである。ギデンズの議論を借りれば、モダニティ社会は、こうした専門家集団によって提供されたデータに対して信頼するという構図によって支えられている(アンソニー・ギデンズ『近代とはいかなる時代か?――モダニティの帰結』而立書房, 1993年)。

しかし、信頼をよせる「専門家集団」がどのような認識をもっているのかを検討することは難しい。たとえば以下に挙げるような言辞が「科学者」たちによってなされるとき、そこには「専門家集団」内部におけるヘゲモニー闘争とも言うべき状況の存在を看取できよう。(金森修『サイエンス・ウォーズ』東京大学出版会, 2000年, 51頁および389頁より再引用)。

・「温室効果は常に存在したし、それがなければ地球は太陽系のほかの惑星同様不毛なものになってしまう」
・「オゾンホールの原因がフロンガスにあるという仮説は確かに興味深い。だがそれがあくまでも仮説のひとつなのだということを忘れるべきではない。それが間違っているということもありうるし、仮にそれが正しくても慌てふためいた処置はむしろ有害だ」
・「もし運命論者的な地球温暖化モデルが予測するような規模の地球温暖化が起こったとするなら、それは世界にはとてもいい効果をもたらすだろう。[中略]。科学は次のことを示唆している。つまり地球温暖化シナリオにおける温度、湿度、二酸化炭素濃度の上昇は、地球のことを、われわれがそう思い込まされているような死の密室ではなく、エデンの園に変える」

このヘゲモニー闘争が「環境外交」という場裡において国家間あるいは諸アクター間のバーゲニングと絡み合い、「環境問題」をよりいっそう複雑化し、解決の方向性があいまいなまま「出口なし」の隘路に導いている。

それでも「自然/環境」保護が差し迫った問題として認識されるとするならば、何らかの対策なり処置を講じる行動をとるべきであろう。しかし、「自然/環境保護」の立場あるいは言説が孕む問題系について考えて見るべきではないだろうか。「自然/環境保護」といってもその内実は多様であり、社会的布置によって「自然/環境」に対する認識も違ってくることは明らかである。しかし「自然/環境は保護すべし。自然/環境を大切に」といった一見中立的な言辞が内包する欺瞞に目を向けたとき、そう簡単に「自然/環境保護」を口にすることはできないのではないか。

この点に関して、たとえば西川長夫は、近年和歌山で問題となっているニホンザルとタイワンザルの混血を取り上げ、「生物の多様性」という言葉で何の異論もなく進められる「民族浄化」について次のように述べている。すなわち「エコロジーという名のファシズム。優生学の恐怖からいまだ解放されていない間に、生態学やエコロジムの名の下で、何か恐ろしい事態が発生しているのではないか」(西川長夫「国民と非国民のあいだ、あるいは『民族浄化』について」『思想』927号, 2001年, 2頁)。保護される対象と保護するわれわれという明確な二分法は、人間が「自然/環境」を管理できるという人間中心主義的な思考法に根ざしているといえる。「環境問題」を論じるにあたって、われわれは「人間」という範疇それ自体を根源的に再審する視角を持たなくてはならない。たとえば「アースファースト」という環境NGOのリーダー、D・フォアマンの次の言葉をどのように考えることができるだろうか。

「われわれがエチオピアのために行いうる最悪のことは彼らを助けてやることだ。そして最良のことは自然がそれ自身のバランスを求めるがままに放任すること、人々がそこでただ飢えるに任せることだ。[中略]。あなたがそこに駆けつけて、もはや半ば死んだようになっており、この先十分な人生を送るとはとても思えないそれらの子供たちを助けてやるというわけだ。彼らが正常に発達する道はすでに塞がれているのだ。それにそんなことをすれば、後十年もすれば、今度はいまの二倍もの人々が再び飢えて死んでいく」(金森修『サイエンス・ウォーズ』東京大学出版会, 2000年, 429頁より再引用)。

この言辞を非人間的だと感じたとするならば、それは何故だろうか。フォアマンの言辞から汲み取るべきは「人間的」という言葉が意味している内容ではないだろうか。つまり人間の生や死を最重要な価値とみなす認識をもち、そうした観点から「自然/環境」に働きかける限り、「人間」と「自然/環境」の共生関係は築きえないこと、両者の間には克服しがたい溝が存在する事実を回避する態度こそが問題とされるべきであろう。「人間」とそれ以外という境界を設定する作業がいかに反「自然/環境」的であるかを認識せずして「自然/環境」を論じること、別言すれば「人間の顔」を浮かび上がらせる行為自体に寄り添うように潜む暴力性に鈍感であることは、「自然/環境」汚染に鈍感である人々と同一地平にいること、むしろそのヒューマニズム的装いゆえに、それらの人々以上に性質が悪いとさえ思われる。真の意味で「自然/環境問題」を考えるためには、「人間」特有/固有とされている事象/理念の独占的所有の恣意性/歴史性を再検討することが不可欠であろう(「アニマルライト」運動がその例として指摘できる。例えば「ゴリラやオランウータンなど類人猿にも生存権を!」と訴えるパオラ・カヴァリエリ&ピーター・シンガー編『大型類人猿の権利宣言』昭和堂, 2001年を参照)。

以上の点を別の角度からまとめると、D・ハラウェイの書名が象徴するように「人間」が「猿・女性・サイボーグ」といった「自然」を発明することで、「人間」という移ろいやすい同一性は、確かな基盤を持ち、強化されていった(ダナ・ハラウェイ『猿と女とサイボーグ――自然の再発明』青土社, 2000年)。そうであるならば、この「人間」存在の形成過程を逆手にとって、その基盤を侵食していく戦略を紡ぎだすことも可能であろう。絶対的と思われてきた「人間」とそれ以外の動植物を含めた「自然/環境」の境界を相対化し、「人間」の特権性を放棄する方向で「自然/環境」にアプローチすることがポスト/ハイ・モダニティの今日において要請される姿勢、換言すればヒューマニズムという「専制主義」に対する戦略的橋頭堡を築くこと、それなくしては「自然/環境問題」の根源的な解は導き出されない。

「人間の安全保障」の磁場

2005年06月06日 | nazor
1994年に、国連開発計画が提起してから、ポスト冷戦の世界を象徴する重要な用語のひとつとなったのが「人間の安全保障」である。カナダ政府に続いて、日本政府も、「人間安全保障基金」を作ったり、緒方貞子とアマルティア・センが共同議長を務めた「人間の安全保障委員会」を後援したりと、外交の新しい理念として取り入れようとしているほどである(人間の安全保障委員会『安全保障の今日的課題――人間の安全保障委員会報告書』朝日新聞社, 2003年)。

1941年の「大西洋憲章」で言及された「恐怖からの自由」と「欠乏からの自由」という、これまでは軍事と開発という別々の対象領域に属していた問題群を結びつけた点で、「人間の安全保障」は一種の統合機能を有している。したがって、「人間の安全保障」をめぐる研究は、必然的に既存の学問体系に対する挑戦という側面、換言すれば「学際性」を併せ持っている。

こうして「人間の安全保障」という概念は一般的に認知されるようになってきたが、その過程で重大な変質を経験したとも言える。つまり、この概念が提唱された当初、「人間の」という形容詞からどうしても「国家安全保障」に対する対抗概念という意味合いで理解されてきた。したがって、伝統的な安全保障観に立つ論者からすれば、「国家安全保障」の役割を否定し、それに取って代わる概念ではないかという捉え方がなされた。その典型は、「人間の human 」を「個人の individual 」と読み替えて、国家という集合的存在を対象とする「国家安全保障」と、個人を対象とする「人間の安全保障」を対峙させる構図であろう。この構図によって、「国家安全保障」と「人間の安全保障」は異なる次元に属するものであるという理解が成立し、「国家安全保障」へのアンチテーゼとしての「毒」が抜かれ、中和化されることになった。

その結果、「人間の安全保障」に関する言説は、次のような定型句を伴うものとなった。すなわち「人間の安全保障」は「国家安全保障」に取って代わるものではなく、相互補完的な概念である。このような意味内容の操作を経ることによって、「人間の安全保障」を「国家」の政策として組み込むことが可能になる。

それゆえ、伝統的な安全保障研究に批判的な学派は、こうした「人間の安全保障」の変質を「国家」による「簒奪/横領」行為とみなす(たとえば武者小路公秀『人間安全保障論序説――グローバル・ファシズムに抗して』国際書院, 2004年土佐弘之『安全保障という逆説』青土社, 2003年: , 3章などを参照)。彼らは、「人間の安全保障」という普遍的ヒューマニズムが国家の外交政策として遂行されることによって、それが破綻国家や難民/移民などの問題を「封じ込める」機能を果たす点を問題にする。すなわち「人間の安全保障」が問われる対象は、常に途上国であり、人道援助から、武力を伴う人道的介入、さらには信託統治の復活ともいえる国際機構による暫定行政統治などがヒューマニズムの名で実行される。しかしグローバル化の進展に伴って、先進国でも、都市のアンダークラスの出現に見られるような「第三世界化」現象、つまり「人間の安全保障」の対象とみなされる状況が生じているにもかかわらず、これら先進国の「内側」の問題は先験的に「人間の安全保障」を講ずべき対象とはならない。

このことは、先に述べたように、「人間の安全保障」を「個人の安全保障」に置き換えることによって生じた帰結ともいえる。「人間の」という形容詞が意味するのが「個別的存在」ではなく、「集合的存在」であることは捨象されたため、本来であれば先進国の人々も途上国の人々も等しく包摂する普遍性を持っている「人間の安全保障」に境界線が引かれることになった。この境界線によって、「人間の安全保障」を実践する主体と、対象となる客体が分化し、固定化していく。

その意味で、「人間の安全保障」は、学問体系において統合機能を果たす一方で、その実践において分断を引き起こし、凍結させてしまう点で、相矛盾した概念である。言葉にどのような意味を吹き込むかについては、その言葉が生成した時代背景や文脈に規定されることはいうまでも無いが、「人間の安全保障」のような普遍性を纏った言葉は、そうした意味をめぐる政治の存在を不可視化させ、脱政治化させてしまうことも認識しておくべきだろう。

顕教/密教

2005年06月05日 | nazor
昭和天皇が「米重視」の発言 米で公文書6点見つかる(『朝日新聞』6月1日)

数日前の『朝日新聞』記事であるが、戦後日本外交の根幹にかかわる文書はアメリカで発見されるというパターンが相変わらず続いていることを印象付ける。例外的に、沖縄返還時、佐藤首相の密使を務めた若泉敬が回想録『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』(文藝春秋, 1994年)で、核持込をめぐる密約の存在を仄めかしているが、日本側の公文書で裏付けられているわけではなく、一個人の回想にすぎない。

たしかに豊下楢彦が、あらゆる状況証拠から講和条約締結過程における天皇外交の存在を指摘し(『安保条約の成立』岩波新書, 1996年)、植村秀樹も興味深い仮説として言及し、研究の発展可能性を見ている(『自衛隊は誰のものか』講談社現代新書, 2002年)。しかし、それはあくまでも「仮説」の域を出るものではないし、「正史」学派に属する研究者にとっては考慮するまでに至らない問題とされ、真剣に扱われることは少ない。

かといって、天皇制をめぐる現在の状況に変化が生じない限り、米国公文書を裏付ける日本側の史料が公開される可能性は限りなく低く、その意味で戦後の日本外交史の研究は埋め合わせることのできない欠損を抱え続けざるをえない。

外交に対する反外交(anti-diplomacy)として、ジェームズ・ダーデリアンは諜報/情報機関などが展開する活動を指摘しているが(James Der Derian, Antidiplomacy: Spies, Terror, Speed, and War, Blackwell, 1992.)、外交上のインテリジェンス組織が他国に比べて脆弱な日本の場合、天皇外交が一種の「反外交」を構成しているとも言える。

すぺしゃる・りれいしょんしっぷ

2005年06月03日 | nazor
アメリカの一極構造を特色とする現代世界において、対米関係はどの国の外交政策にとっても重要な位置を占めることは明らかであろう。

そのなかで、対米関係を「特別な関係 special relationship」と位置づけている/位置づけようとする国家、あるいはそうみなされている二国間関係として、イギリス、イスラエル、日本の3カ国が挙げられる。特に、英米関係は、ユーラシア大陸の両端にあるという地政学的な観点から、日米関係の模範とされることが多い。

しかし、ここ最近の、中国や韓国における「反日」機運の盛り上がりを見た場合、アメリカとの「特別な関係」を柱とする日本の立場は、イギリスよりも、イスラエルのそれに共通性を見出せる。つまり、中東において、アメリカとの関係を誇示するイスラエルがアラブ諸国の「敵」としての役割を演じてしまっているように、現在の日本は、アジア諸国にとって、「敵」とはいかないまでも、各国のナショナル・アイデンティティーを強化する「他者」としての機能を否応なく演じているといえる。

しかも問題は、アラブ諸国にとってイスラエルは「全き他者」である点で、可視化されやすいが、日本はすくなくとも「アジア」の一員であることにもアイデンティティーの一部を求めていることから、より錯綜した関係性が現出することになる。

戦後日本外交が第二次大戦から学んだ最大の教訓が「アングロ・サクソン」との同盟路線であったが、それが含意しているはずの、イギリスの対ヨーロッパ大陸諸国との関係という側面が十分に視野に入らず、英米関係だけに光が当てられたことが、皮肉にも「イスラエル化」ともいうべき現在の状況を作り出していると考えられる。