堀江敏幸著の「正弦曲線」を読みました
そもそもこの本を買ったのは、タイトルが気になったからです。
正弦曲線って何だっけ?
どこかで聞いたことがあるが、思い出せない…
とりあえず気になったので買ってみました♪
この本は短編のエッセイ集でして、1番最初の項目に「正弦曲線」がありました。
それを読んで全てを思い出しました。
正弦曲線、またの名をサイン・カーブ。
高校の数学の時に習った、山と谷がうねうね続いていく山脈のような曲線です。
10年ぶりにこの単語を聞いたように思います。
さて、この本を読んで私が感じたのは、日常の中に潜む余分なものにたまには目を向けるべきではないかということです。
正弦曲線は単調な曲線が永遠と続く。プラスとマイナスが交互にやってきたとしても振幅が決まっている。つまりこれは日常を表している。
何をやっても一定の振幅に収まってしまうが、それをふがいなく思わず、むしろその窮屈さに可能性を見出し、夢想をゆだねてみてはどうか。
この本には数十個のエッセイが書かれていますが、基本全て日常生活の中で見落としがちな点に焦点を当てていました。
堀江さんの作品に特徴的な、何気ない物を目にしたりしてふと回想シーン(考え事)が始まる点もふんだんに盛り込まれていて、普段から相当アンテナを張り巡らしながら生きているんだなぁと感じました。
そして、あとがきには総論として、ノイズに関して一言述べられていました。
音には必ずノイズが混じっている。だが、このノイズは邪魔者として、排除される運命にある。果たしてこれはどうなのだろうか。ノイズも音のうちとして受け入れてはどうだろうか。
これを読んだ後、私は普段の通勤経路を思い返しました。
通勤経路は大きく分けて3通りあります。いつもは一番最短なルートしか通りません。
理由は単純に他のルートに行くと余計な時間がかかって無駄だからです。
でも、効率ばかりを求めていていいのだろうか、たまには遠回りをしてみてもいいのではないか。いつもとは違った風景が見られ、違った車・人を眺められるのではないか。余分な時間かもしれないが、いつもより考え事ができるのではないか。気分転換ができるのではないか。
明日はいつもとは別のルートで通ってみようと思います
そもそもこの本を買ったのは、タイトルが気になったからです。
正弦曲線って何だっけ?
どこかで聞いたことがあるが、思い出せない…
とりあえず気になったので買ってみました♪
この本は短編のエッセイ集でして、1番最初の項目に「正弦曲線」がありました。
それを読んで全てを思い出しました。
正弦曲線、またの名をサイン・カーブ。
高校の数学の時に習った、山と谷がうねうね続いていく山脈のような曲線です。
10年ぶりにこの単語を聞いたように思います。
さて、この本を読んで私が感じたのは、日常の中に潜む余分なものにたまには目を向けるべきではないかということです。
正弦曲線は単調な曲線が永遠と続く。プラスとマイナスが交互にやってきたとしても振幅が決まっている。つまりこれは日常を表している。
何をやっても一定の振幅に収まってしまうが、それをふがいなく思わず、むしろその窮屈さに可能性を見出し、夢想をゆだねてみてはどうか。
この本には数十個のエッセイが書かれていますが、基本全て日常生活の中で見落としがちな点に焦点を当てていました。
堀江さんの作品に特徴的な、何気ない物を目にしたりしてふと回想シーン(考え事)が始まる点もふんだんに盛り込まれていて、普段から相当アンテナを張り巡らしながら生きているんだなぁと感じました。
そして、あとがきには総論として、ノイズに関して一言述べられていました。
音には必ずノイズが混じっている。だが、このノイズは邪魔者として、排除される運命にある。果たしてこれはどうなのだろうか。ノイズも音のうちとして受け入れてはどうだろうか。
これを読んだ後、私は普段の通勤経路を思い返しました。
通勤経路は大きく分けて3通りあります。いつもは一番最短なルートしか通りません。
理由は単純に他のルートに行くと余計な時間がかかって無駄だからです。
でも、効率ばかりを求めていていいのだろうか、たまには遠回りをしてみてもいいのではないか。いつもとは違った風景が見られ、違った車・人を眺められるのではないか。余分な時間かもしれないが、いつもより考え事ができるのではないか。気分転換ができるのではないか。
明日はいつもとは別のルートで通ってみようと思います
日々の暮らしの中を注視するとこんなにも新しい発見があるもんだと気付かされますよね~。
音と図形を組み合わせるなんてセンスありますね♪
今別の本を読んでいるので、読み終えたら探してみます。