国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

新潟闘争その後、新潟地方労組の発足と鉄労誕生までを駆け足で振り返る

2023-08-17 16:18:41 | JRと労働問題

新潟闘争その後、新潟地方労組の発足と鉄労誕生までを駆け足で振り返る

非常に地味な内容では有りますが、歴史を知ると言うことは非常に重要なことであると考えております。
多少なりとも皆さまのお役に立てば幸いです。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへにほんブログ村

応援よろしくお願いします。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第一〇話 103系改造、105系

2022-04-12 17:11:19 | JRと労働問題

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第一〇話 103系改造、105系

 

103系のお話し第一〇話、今回は103系1000番台から改造された、105系を取り上げます。
元々ローカル線用に開発された105系。和歌山線・奈良線電化用にも新車での導入が検討されたものの、当時の国鉄財政では新車の導入が許されるはずもなく、203系で余剰となる103系1000番台を活用して、105系に改造する工事が行われることとなりました。
MM'ユニットを解体して、Mc車、T'c車に改造する工事でということで、かなり大がかりな改造工事となりました。
特にM車からの改造工事ではユニット運転台を別途新製して接続する工法が取られましたが、Tc車を改造したものは、そのまま既存の運転台を活用したため、前後で顔が違う編成が出現しました。
改造後も数年で消えるかと思いましたが、103系時代よりも遙かに長い期間105系として活躍することとなりました。


今回は、鉄道ファン1984年8月号を参考に作成させていただきました。

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第九話 103系1500番台

2022-04-04 17:08:04 | JRと労働問題

国鉄形電車の代表?103系電車物語 第九話 103系1500番台

今回は九州に投入された103系、1500番台のお話です。
103系と名乗りながらも全くの別人と言って良いほどスタイルが違うわけで、モーター・台車・制御器などが共通という点を除けば別形式でも良かったのでは思ってしまいます。
車体断面は201系以降に採用された断面で、シンプルな円弧となっているのが特徴です。
車内の内装も201系に準じたものでした。

103系のお話し第九話、今回は福岡市地下鉄への乗入れ用電車として誕生した103系1500番台を取り上げます。
福岡市地下鉄に乗り入れを開始した1982年、すでに201系が量産され、千代田線乗入れには203系と同じタイミングで103系1500番台が誕生することとなりました。
国鉄の台所事情もあったかもしれませんが、105系の外観と201系の内装を持った103系の地下鉄仕様として誕生したのが1500番台でした。
福岡市地下鉄がチョッパ制御の1000系をふぉうにゅうしたのに対し国鉄では筑肥線区間の列車本数の少なさなどを考慮して、103系の導入としたわけですが、制御器についても地上形と同じCS20Dを採用するなど異なる点もいくつかありました。
しかし、内装については201系を踏襲するなど、サービス面では進歩したと言えました。

今回は、鉄道ファン1982年10月号等も参考にさせていただきました。

よろしければお願いします、資料の購入費用に充てさせていただきます。
https://ofuse.me/blackcat0610

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

 

#国鉄 #昭和 #技術発達史 #交通 #JR #blackcat(加藤)#鉄道技術 #昭和 #トリビア #103系 #模型で再現 #模型 #通勤形 #ATC #通勤用 #MT55形電動機 #福岡市地下鉄 #空港線 #筑肥線 #呼子線 #JR九州 #直流 #103系チャンネル  #昭和時代 #昭和レトロ #1000系

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

aaa

2022-04-03 01:24:45 | JRと労働問題

http://jnrera.starfree.jp/

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リニア鉄道館に行ってきました。第3話 キハ181系と381系電車の話

2022-03-28 10:01:23 | JRと労働問題

リニア鉄道館に行ってきました。第3話 キハ181系と381系電車の話

JR東海の鉄道車両展示施設、リニア鉄道館に行ってきたのですが、本日はそのレポートの3回目、今回は特急しなのの歴史と言うことで、振り返ってみたいと思います。

よろしければお願いします、資料の購入費用に充てさせていただきます。
https://ofuse.me/blackcat0610

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

偉人伝 石田礼助総裁物語 第13話 武士の情け、急行停車と荒舩清十郎

2022-01-09 22:40:14 | JRと労働問題

世間を騒がせた、荒舩運輸大臣

昭和41年9月4日付けの新聞で、荒舩清十郎が運輸大臣に就任、選挙区で高崎線の深谷駅に急行列車を停車させたとして、問題になりました。
9月12日の参議院運輸委員会では、急行が上下四本停車することになった点について追求されることとなりました。
そのときのやり取りに関しては、別途blogに、やり取りをアップさせていただきますが、当時の世論は荒舩大臣には否定的であり、就任後三ヶ月弱で辞任に追い込まれています。

深谷駅は、当時急行列車は停車して居らず、運輸大臣の職権で停車させたと言うことで世間から非難を浴びたとされています。
当時の時刻表を確認しますと、確かに10月の改正で深谷駅に停車するようになっています。

上が、昭和41年1月号、下段は昭和41年10月の時刻表です。

上が、昭和41年1月時刻表/下が、昭和41年10月時刻表

この話で、石田禮介総裁が、武士の情けじゃと言ったことで、新聞にも大きく話題となったわけですが、その概要を簡単に記してみたいと思います。

荒舩清十郎運輸大臣が選挙区に帰った際、

「みなさまにお土産を持って帰りました」

と報告したことから、大臣の職権を利用した政治駅であるとして騒がれることとなったわけですが、当時の議事録から少し抜粋して見たいと思います。

以下は議事録からの抜粋になります。

○国務大臣(荒舩清十郎君) この問題は、もちろん国鉄自身がきめる問題でございます。・・・・中略・・・・、それが昭和三十六年の二月ごろから、これが出なくなりました。ストップしなくなり、あるいは出なくなりました。私も埼玉県でございますから、しばしば、国鉄に何回も陳情をして、ぜひ、隣の本庄市は相当多数の急行がとまる、上りも下りもとまると、しかも本庄市は、四万六、七千の人口であり、深谷は五万七、八千でございまして、なお首都圏整備法による工場団地が設定されておる現状から見まして、ぜひ何本か、ひとつ急行もとめてもらうし、始発電軍も出してもらいたいということで、数回にわたりまして実は国鉄に陳情に代議士当時参りました。・・・・中略・・・・、、たまたま、六月の下旬か七月初旬かと思いますが、もちろん運輸大臣になるとも私は存じてない、想像もしておりませんでした。陳情に参りましたところが、まあそれは昭和三十一年ごろからそういう陳情もあるので、今度はダイヤ改正のときにはまあ前向きで何本か相談いたしますよ、前向きで考えますよと、そのことばははっきりいたしませんが、そういう返事でございました。したがって、これはもちろん運輸大臣がどうするというわけではございませんし、また代議士である荒舩がどうするという問題でもございません。したがって、私は六月の下旬か七月には、これはもう何本かとまるものだろうという想像はしておりました。
 新聞等によりますと、何か一つくらいおれの言うことを聞いてもいいじゃないかと言ったように新聞には出ておりますが、全くそういうことではございません。・・・・・中略・・・・、たまたま私が運輸大臣になったからということでありまして、決して強圧をしたとか私がきめたとかという考えはございません。ことばのニュアンスにはいろいろ違いもございますし、私が運輸大臣になって埼玉県に帰ったときの発言したことに誤解があったようでございますが、いま考えても、深谷駅に急行が何本かとまるというようなことは国鉄自身がおきめになったことであって、私の代議士中に陳情したことがあるいはは功を奏したかしないかそれはわかりませんが、そういうことであって、誤解を生じたという点については私は遺憾千万だと考えております。
 以上私の考えを申し上げて答弁といたします。

と有るように、本人は最終的に国鉄が決めたことであり、決して運輸大臣になって圧力を掛けたわけではないと発言しているのですが、これに対して、石田総裁は以下のように発言しています。


○説明員(石田禮助君) 深谷の駅に急行列車をとめることにつきましては、これは運輸大臣からもただいま御説明がありましたが、要するにこれは運輸大臣から私に向かっての指示でもなければ命令でもない。国鉄総裁といたしましては、その希望に従って私の責任において決定したのであります。

深谷というものは、これはただいま運輸大臣からも御説明ありましたが、人口においても相当のものであるし、その将来性から考えても相当のものだということは、国鉄としても承知しておったのであります。ただ問題は、これまでとめた駅と深谷との間の距離があまり短過ぎるというその他の点から考えまして、実はダイヤを編成するときに左すべきか右すべきかちゅうちょしておった。

そこへ運輸大臣からの御希望があったのであります。実はこれまでに、これは新聞に出ておることでありまするが、もうすでに私のほうの今村常務が新聞に説明しておるのでありまするが、それまでに運輸大臣から四つか五つのいろいろ御希望があった。でもこれは国鉄としてははなはだ困ろということで実はお断わりした。そこでそのあとに深谷の問題が出てきた次第。これは理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した、こういうことでありまして、もしも責任を問われるならば国鉄総裁であって運輸大臣ではないということを私はこの際はっきり申し上げる。ということは、これは新聞にありまするように、運輸大臣の命令であるとかあるいは指示だとかいうようなことは絶対ないのでありまして、その点は私はこの際はっきり申し上げておきたいと存じます。

ここで、石田総裁らしいと言えるのは、最終的な判断は石田総裁自身がその責任において決めたと明言しているところでしょうか。
特に、

「運輸大臣から四つか五つのいろいろ御希望があった。でもこれは国鉄としてははなはだ困ろということで実はお断わりした。そこでそのあとに深谷の問題が出てきた次第。これは理屈詰めにいけば断わるのがしかるべきだと思うのでありまするが、実はこれは情に流れて、私の責任においてこれを決定した、こういうことでありまして、もしも責任を問われるならば国鉄総裁であって運輸大臣ではないということを私はこの際はっきり申し上げる。」

このような発言は中々出来ない人が多いのではないでしょうか。

これが後に、有名になる「武士の情け発言」と言えそうです。

粗にして野だが卑ではないからこの時の事情が詳しく書かれていますので少し引用してみたいと思います。

この委員会でのやろとりを「サンデー毎日」【昭和41年10月2日号】が克明に記録しているが、それによると石田白地ぶるをぐっと噛みしめるようにして言い、その石田の発言に対して野党席からは「正直だ」「正直すぎるぞ」の声が出た、という。

と書かれています。

その後も少し続くのですが、石田総裁にしてみれば、荒舩運輸大臣からの要望は以下の内容であったそうで、その中で一番問題が少ないのが、急行列車の一部を停車させることだろうと意言うことで、決定したとされています。

その条件とは、急行列車の停車以外にも以下のようなものがあったと書かれています。

  • 深谷駅からの始発列車を設けること
  • 深谷駅に裏口を設けること
  • 八高線の輸送力を増強すること
  • 新駅を作ること

等であり、予算等がが伴わず最も実現可能と思われたのは、急行列車の一部停車であるから、それを総裁の権限で認めたというものでした。
議事録全体は、別途下記のblogに掲載しておきますので、併せて当時のやり取りをご覧いただければ幸いです。

第52回国会 参議院 運輸委員会 閉会後第1号 昭和41年9月12日

石田総裁にしてみれば、大変心苦しかったであろうことはよくわかる内容であります。
更にこの辺の事情について、国鉄部内紙「国鉄線 1966年11月号」では以下のような記述を認めることが出来ます。

 九月三日から四国、山陰方面出張中の総裁も、行く先々で記者団からこの問題を尋ねられ、「一般的に は国民に対して申し訳ない気持だが、民主主義社会では多少のポリティックス」が介入するのはやむを得ない。
 彼も政治家だし、私も最近ぐっとものわかりがよくなってきたし、いわば武士の情けといったところだ」という趣旨の発言をした。この総裁談話も投書をはじめとし、問題を践す事となったが、つくづくマスコミのこわさを実感すると同時に、現職大臣にかくもはなばなしい論陣をはった言論界の勇気をたたえたい。

1966年11月 国鉄線 

結果的にマスコミが、忖度せずに政治家に対して厳しく迫った結果、辞任に追い込まれることになるわけですが、この時の「武士の情け」発言は、一部国民からは石田総裁に失望したという投書もあったそうですが、ここまで世論が沸騰した背景には、この問題が発覚する前の8月5日に、自民党政界を揺るがした田中事件で国民の怒りが高まっていたこともその背景にありました。

代議士の田中彰治衆議院議員による詐欺や恐喝を行ったといわれるもので、これ以外にも公私混同と言われるような事例が、この深谷駅急行停車以外にも事件とした有ったわけで、こうした連続して起こった不祥事を指して、政界の「黒い霧事件」と言われたそうです。

そうした中での急行停車に関する事件だったわけですが、荒舩大臣が自身の弁明に終始しているのに対して、堂々としている石田総裁の態度は尊敬に値するものが有ると言えます。

よろしければお願いします、資料の購入費用に充てさせていただきます。 https://ofuse.me/blackcat0610

 

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知鉄話 日本国有鉄道史 第13話 復旧から発展 当時の世相概略

2021-10-31 19:41:19 | JRと労働問題

知鉄話 日本国有鉄道史 第13話 復旧から発展 当時の世相概略

戦後開発が進められた、大形ディーゼル機関車ですが、純国産形といえるDD51形が安定するまでは、外国からの輸入エンジンを使用されましたが、重量面などの問題もあり、当時の貧弱な軌道に馴染む機関車の開発がい急がれていました。 本稿では、戦前の気動車キハ43000と同時期に開発されたDB10形、更にはキハ43000のエンジンをベースに新設計されたDMF31が、その後のDD51のベースとなったこと、更に戦後のDD50~DF50までのお話しを中心にさせていただきました。 別途機会を見つけて技術発達史として、DD13~DD51迄と言うことで記述をしたいと思います。
 
関連blogも併せてご覧ください。
国鉄があった時代、日本国有鉄道史 https://jp.bloguru.com/jnrerablackcat...
 
よろしければお願いします、資料の購入費用に充てさせていただきます。 https://ofuse.me/blackcat0610

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知ってた? キハ82が日本全国を9日間かけて試運転した話

2021-10-23 18:50:38 | JRと労働問題

知ってた? キハ82が日本全国を9日間かけて試運転した話

キハ82形気動車は、キハ81系の運用を経て改良が図られた気動車で、前面貫通形のスタイルとともに、名車として長く記憶に残る車両として活躍しました。

そんな、キハ82系気動車ですが、落成後基礎試験を経た後、PRを兼ねて日本全国(北海道・四国は除く)を走破しました。
当時の資料などを参照しながら、振り返ってみたいと思います。


よろしければお願いします、資料の購入に充てさせていただきます。
https://ofuse.me/blackcat0610

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

 

 

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸本線を走った車両たちシリーズ 知ってる?EF81形電気機関車 詳細解説

2021-09-23 14:34:38 | JRと労働問題

北陸本線を走った車両たちシリーズ 知ってる?EF81形電気機関車 詳細解説

今回は、北陸本線を走った機関車たちということで、EF81に関する徹底解説。
EF81がベースとした機関車は何?
EF81はEF66に似ている点が有る?
何故、サイリスタチョッパを採用しなかったのか?
似ているEF65とEF81ですが、大きな違う点が足回りにあった!判りますか。

#通信障害 #電化方式 #交流電化 #商用周波数 #国鉄 #機関車 #交通 #JR #blackcat(加藤)#鉄道技術 #昭和 #トリビア #交直両用 #北陸本線 #EF81 #EF65#EF66 #羽越本線 #直江津 #信越本線 #直流電化 #模型で再現 #模型 #学び #社会 #チョッパ制御 #抵抗制御 #EF80

 

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

*******************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

かつて和歌山駅裏に、貨物駅を設置する計画が有った?

2021-08-31 21:35:57 | JRと労働問題

かつて和歌山駅裏に、貨物駅を設置する計画が有った?

和歌山駅は、現在和歌山市のJR側窓口として長らく発展してきましたが、実は和歌山駅東口側に当初の予定では、貨物操車場が広がる予定となっていました。 しかし、その計画はその後再度見直されることとなるのですが、今回は当初の和歌山駅改修計画と言うことで、その当時の計画をアップしようと思います。
 

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 日本国有鉄道史 国労の誕生

2021-08-17 08:30:20 | JRと労働問題

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 日本国有鉄道史 国労の誕生

日本国有鉄道史、国労の誕生の背景などについて動画に纏めさせていただきました。
戦後は、GHQの指示により民主化の一環で労働組合の設立が指示され、国鉄としては戦前の官制の組合(鉄道連絡会)を設立することを画策しますが、国鉄部内からも不満の声が出て、この案は立ち消えとなります。
その後、職場単位で、更には地方単位で結集した労働組合はやがて、全国単位への組合へと統合していくのでした。

 

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへにほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 鉄道公安官制度を廃止しよう!

2021-08-08 07:15:21 | JRと労働問題

鉄道歴史探求シリーズ!知鉄話 鉄道公安官の歴史 鉄道公安官制度を廃止しよう!

今回も鉄道公安官に関するお話し、第2回目になります。 鉄道公安官制度を廃止しようという運動が昭和34年頃から国会などで議論されました。 その理由は、動労など総評系の組合が、交通網を麻痺させることに対して当局は、公安官を活用したのでした。 鉄道公安職員を廃止するための法案なる上程されますが、十分な審議もされないまま廃案となっています。 
 

 

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへにほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鉄道郵便に関するお話、第2話 知ってる?護送便ってなんだろう

2021-07-11 09:17:02 | JRと労働問題

鉄道郵便に関するお話、第2話 知ってる?護送便ってなんだろう

国鉄時代の鉄道郵便に関するお話、通信日付印の話や、護送便の話など。
徒然なるままに語ってみました。

昭和59年に大幅なシステムチェンジで、鉄道郵便輸送の大半が廃止され、最後まで残った護送便も昭和61年には廃止となり、ここに郵政省における鉄道便輸送は、コンテナによる輸送を除いて全廃されることになりました。
これに伴い、多くの夜行普通列車も廃止されていくことになりました。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへにほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

南海電車と南紀観光 、緑色の客車が走っていた頃

2021-07-10 08:00:15 | JRと労働問題

南海電車と南紀観光 、緑色の客車が走っていた頃

今回は、南海電車と南紀観光と言うことで、サハ4801と呼ばれた、緑色の客車のお話をさせていただこうと思います。
この車両は、南海電鉄で南紀への乗入れ専用客車として1両だけ製造されたもので、主に夜行列車に使用されていました。
昭和29年に誕生し、昭和47年まで使用されて廃車になっています。
そんな、サハ4801のお話を中心にさせていただきます。
南海電車が好きな方もそうでない方も、どうかお楽しみくださいませ。

 

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へにほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへにほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北陸本線を走った機関車たち 米原~田村間を中心に

2021-07-08 21:58:26 | JRと労働問題

北陸本線を走った機関車たち 米原~田村間を中心に

北陸本線を走った機関車たち、北陸本線のパイオニア的機関車、ED70や珍車ED30のお話など、北陸電化開業当初のお話など、昭和30年代から昭和40年代初めまでに特化したお話。 出来るだけ、集約しようと思ったのですが、色々と書いているとどんどん広がってしまって・・・。 米原~田村間が非電化であった理由、直流電化で決まっていたのに古流電化にした理由とその決定権者、北陸線の交流電化に反対したのは、あの作家だった・・・等々、気になる話題が満載
 
 

にほんブログ村

にほんブログ村 鉄道ブログへにほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール またはメッセージ、
コメントにて お待ちしております。
国鉄があった時代 JNR-era

********************************************************

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする