売れない作家 高村裕樹の部屋

まだ駆け出しの作家ですが、作品の情報や、内容に関連する写真(作品の舞台)など、掲載していきたいと思います

『地球最後の男――永遠の命』 第15回

2015-09-19 12:14:10 | 小説
 秋の大型連休が今日から始まります。ニュースなどを見ていると、旅行に出かける人も多いのですが、私は特に予定はありません。岡山県の彼女とは、涼しくなったら会おう、という話をしています。今度はアニメ『たまゆら』の舞台となっている竹原市に行くことにしています。

 今週の月曜日、『幻影3』の続きを執筆しようとパソコンに電源を入れたところ、Windows7が全く起動しませんでした。最近時々、突然フリーズしたり、ブルースクリーンになることがあり、Windows7が不安定になっているかな、と思っていました。
 しかし全く立ち上がらなくなったので、新規インストールをすることにしました。
 最初は当分7を使い続けるつもりでしたが、新しくインストールし直すなら、最新のWindows10を一度試してみることにしました。
 インストールは無事終了しました。最初は新しいOSで、使い勝手がよくわからず、戸惑うことが多かったのですが、最近ようやく慣れてきました

 今回は『地球最後の男――永遠の命』第15回目、次回がいよいよ最終回です。



        4 終末


 田上が閉じ込められていた頑丈な地下牢が、核攻撃で破壊され、田上は何年ぶりかで地上に出た。そしてその惨状を目にして驚いた。帝国の首都は核戦争の放射能に覆われ、完全に廃墟と化していた。田上は生き残った人たちを求めて、大陸を放浪した。何年も広い大陸を歩き、ようやく人の住む村にたどり着くことができた。
 村人たちは田上を歓迎してくれた。言葉は帝国語が通じる人が多く、それほど不自由はしなかった。帝国では宗教を禁止していたが、そこでは仏教に似た宗教が流布されていた。かつて日本で仏教に触れたことがある田上には、その教えがよく理解できた。
 田上は若いころ――といっても今も外見上は二〇代の若さではあるが――、宗教とは弱者が架空の神仏を信仰するものだという、軽蔑の気持ちを持っていた。けれども今は村人たちから仏陀の教えを聞かされ、安らぎを覚えた。それは日本で聞いた、南無妙法蓮華経でも南無阿弥陀仏でもない、また禅とも密教とも違う、釈尊直々の教えに近いものだった。
 人間は自分自身が持っている業(ごう)に流されて生きている。幸せな人生を送るのも、不幸になるのもすべてその業による。幸せになるためには、その原因となる悪い業を消滅させなければならない。
 悪魔と契約した田上は、不老不死の身体を使い、いろいろなことをやってきた。ものの弾みとはいえ、亜由美を殺してしまってから、多くの人の命を奪ってきた。もちろんできるだけ殺さないように気を配ってはいたが、帝国でのレジスタンス闘争では、多くの解放軍の兵士の命を奪った。
 それは帝国に虐げられている世界中の人々を救うためだと自分に言い聞かせてきた。しかし結局人々を救うことはできず、それどころか、核戦争による世界の壊滅を早めることにつながってしまったのかもしれない。
そんな自分が許されるのだろうか? いや、それより自分は死ぬことができるのだろうか? その宗教では、悪業(あくごう)を消滅させた後の死は、究極の救いであると説く。悪業を残したまま死ねば、地獄に堕ちた末、またこの世に苦しむべき存在として生まれてこなければならない。悪業が尽きるまで、何度でも生まれ変わりを繰り返す。田上が知っている言葉でいえば、六道輪廻(ろくどうりんね)だ。
 けれどもその悪業さえ精算できれば、死後は安穏な霊界に行け、生まれ変わっても幸せな一生を送ることができる。完全に業がなくなれば、死後輝くばかりの天上の世界に行け、もう二度と苦しい現世に生まれてくることはない。これこそが究極の救いなのだ。
 そして、その宗教では悪業を消滅させるための、瞑想を主体とした修行法を説いていた。田上も師について、その教えを一心に修行した。
 しかし不老不死を得た田上は、死ぬことがなく、究極の世界に行くことができない。この肉体を持ったまま、苦しい娑婆(しゃば)の世界で永遠に生き続けなければならないのだ。
 そうか、悪魔が言っていたのはこのことだったのか。田上は今にして初めて気がついた。だから悪魔は、不老不死だけは願うのをやめろ、と忠告したのだ。今になって田上は不老不死を得たことを悔やんだ。そして田上はその村を離れ、放浪の旅に出た。その宗教を熱心に信仰する村人たちを見ているのが辛くなったのだ。

 田上は世界中を流浪した。ときには人がいる集落に立ち寄り、そこでしばしの安息を得た。一つどころで何十年もとどまり、その地で一番の長老となった。長く住み着いているので、あまり若く見えるのもおかしいと思い、髪や髭を長く伸ばすなど、できるだけ老けているように装った。長いこと生きているおかげで、彼の知識は膨大だった。今はもう科学的な知識は風化してしまい、人々は生きることに精一杯だった。田上はそんな人々に生きるための知恵を与えた。そしてかつて聞き覚えた、仏陀の教えを説いた。
 以前はその教えから逃げ出した田上ではあったが、その教えを説くことで村の人々は悦(よろこ)び、おおいに満足した。その地では別の教えもあったが、田上の教えを聞くと、皆田上の教えの偉大さに敬服し、田上に帰依するのだった。そんな村人たちを見ることが、田上には嬉しかった。村人たちは田上を尊敬し、ブッダと呼んだ。
 自分が説く教えで多くの人を救えても、自分だけは救われないのだ。それでも人々が喜ぶ顔を見るのは、嬉しかった。
 しかし何百年も同じところにはとどまれなかった。齢(よわい)数百歳の人間など、あり得ないことだ。田上は後継者を指名し、やがて誰にも告げずに村をあとにした。
 何年も旅をして、居心地がいい集落を見つけると、田上はそこに居着いた。そして同じ教えを説いた。ときには別の教えを信じている人たちからひどい迫害を受け、他の地に移らざるを得ないこともあった。それでも多くの地で田上の教えは歓迎された。その場合はそこで数十年を過ごした。そして後継者を指名すると、どこへともなく姿を消した。
 せめて子供を作れる身体なら、家族に安らぎを求めることができるのに。だが、最近は流産が多くなってきた。無事出産できても、奇形児が生まれることが多い。妊娠することもまれになってきた。癌と思われる病気で亡くなる人も、異常に増えてきた。これも核戦争などによる、放射能の影響かもしれない。人々は神、仏による救いをひたすら求めるのだった。
 田上はユーラシア大陸やアフリカ大陸を歩き回った。日本にも渡航した。しかしそこはかつて田上が知っていた祖国とは、大きくかけ離れた土地だった。田上はわずかに生き残った祖国の人々に仏陀の教えを説いた。日本にはもともと仏教の素地があったので、田上の教えは歓迎された。

 もう何千年が経ったであろうか。田上は人に会うことがなくなった。あるいは人類はすでに滅亡してしまったのかもしれない。大規模な核戦争でまき散らされた放射能の脅威は、徐々に人類の身体をむしばんでいるようだった。

 あるとき悪魔が現れた。
 「あ、おまえはあのときの悪魔か?」
 しかし悪魔も年を取り、見る影もなかった。
 「そうだ。私はおまえに不老不死を授けた悪魔だ」
 「頼む、何とかしてくれ。俺を死なせてくれ。このままひとりぼっちで永遠に生きるのはたまらないんだ。結局宗教でさえ、俺を救うことはできないのだ」
 「だからあのとき言ったはずだ。不老不死だけはやめろと。それをおまえは拒んだのだ。もうどうにもならん。これからどうなるかは私にもわからない。この宇宙に物質が存在するうちは、おまえの身体はその物質をどんどん吸収し、いくらでも再生して若返る。食べ物も水も、空気も不要だ。宇宙から物質がなくなるのを待つしかないだろう。それは気が遠くなるほどのはるかな未来のことだがな」
 「そんなばかな。そんなことはあり得ない。死ねないのなら、せめて悪魔がいる魔界に連れて行ってくれ。魔界でも地獄でも、誰もいない地球に独りぼっちでいるよりはましだ」
 「残念だが、魔界は次元が違うので、人間が生きたままで行くことはできない。死んで魂だけの存在となれば、行くことも可能なのだがな。私はもうすぐこの肉体が消滅する。悪魔でも肉体の死は避けられないことなのだ。その真理、世の理(ことわり)に逆らっているのは、この宇宙でおまえ一人だ。おまえに会うのは、これが最後だ。おまえ以外の人間はもうこの地球に残っていない。愚かな核戦争の放射能により、すべて死に絶えたのだ。悪魔より、むしろ人間こそ本当の意味で悪魔だった。それじゃあな、グッドラック」
 そう言って悪魔は消えた。
 「何がグッドラックだ、何とかしてくれ。俺は死ぬことさえできないのか?」
 何ということだ。もう地球上で生きている人間は俺一人なのか? 永遠の命は、永遠の不幸なのか? 死ぬことはある意味では究極の救いなのか?
田上は頭を抱えてへたり込んだ。

 それから何万年、何百万年という気が遠くなるほどの年月が過ぎ去った。人類はとうに滅亡していた。ほ乳類や鳥類などの高等動物も見かけなくなり、いるのは昆虫やミミズのような動物ばかりだった。はるか以前の核戦争による放射能の影響で、人間だけではなく、高等動物も絶滅したのかもしれない。水の中にはまだ魚が泳いでいる。森や草原には、昆虫などが進化した、見たことがないような種類の生き物があふれていた。中には多少の知能を持ったものも現れた。
 田上は孤独だった。人間がいなくても、せめて犬か猫のような、人間と意思の疎通ができる動物でもいれば、よほど慰めになるだろう。いや、ネズミでも、トカゲでもカエルでもよい。自分を捕食しようとするワニでも、いないよりはずっとましだ。けれども地上に生存しているのは、昆虫の化け物のような生物ばかりだった。その生物たちと心を通わせることはできなかった。
 田上は虫や魚などを獲って食べた。食べなくても空腹感にはさいなまれるものの、餓死することはない。しかし動物を捕まえて調理することは、わずかに残った楽しみでもあった。また、美しい花を咲かせる植物が残っているのは、幸いだった。ときには甘い果実などを見つけることもある。世界を放浪しているうちに学んだ酒造りの方法で、いろいろな果実や穀物で酒を造った。酔いはほんの一瞬、孤独を忘れさせた。
 宇宙人でも地球に来てくれればおもしろくなるのだが。この宇宙のどこかには、きっと恒星間旅行ができるほどの高い文明を持つ生命体が存在しているだろうと田上は信じている。地球はまだまだ生命にあふれている。二〇世紀、二一世紀のころのような公害もなく、放射能汚染もとうに消えていると思われる。地球は宇宙人にとっても魅力があるはずだ。子供のころにテレビで観たような、地球征服をもくろむ宇宙人が来れば、地球をくれてやるつもりだ。その代わり、俺を同胞として受け入れてほしい。
 ときには孤独に耐えられなくなり、死んでしまいたくなる。田上はあるとき、溶岩がどろどろと煮えたぎる火山の噴火口に身を投げた。溶岩の熱で骨まで溶けてしまえば、死ねるのではないかと考えた。だが、高温の溶岩に身を焼かれながらも、彼は生き続けた。いくら皮膚が焼けただれても、どんどん再生した。あまりの熱さに耐えきれず、田上は苦労して溶岩の外に脱出した。
 大地震で山が崩れて生き埋めになっても、大津波にさらわれても、雷に打たれても死ぬことはできなかった。
 田上はなるべくものを考えないようにした。そのため一日の大部分は眠っていた。眠れないときには、思いっきり身体を動かした。疲れ切って眠ってしまえば、いやなことを考えずにすむ。しかし、ときには夢の世界で辛い思いをした。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿