井財野は今

昔、ベルギーにウジェーヌ・イザイというヴァイオリニスト作曲家がいました。(英語読みでユージン・イザイ)それが語源です。

F-A-mi-S幻想曲

2019-02-24 21:33:00 | 井財野作品
ヘ・イ・ホ・変ホ(ドイツ音名でだとF-A-E-Es)の音列を5通りに並べかえ、そこから作り出した旋律を基にして作った曲である。

2本のフルートにヴァイオリン、トランペット、ピアノという、かなり特別な編成なので、まず再演されることはなさそうな曲である。

小さな会場にたくさんのお客様が詰めかけ、まずまずの盛況の中で演奏された。

作曲の時間があまりなくて、急いで間に合わせたため、後ろが少々物足りないのがたまに傷。

「書き直すより新しく作ったが良い」と、故林光氏はおっしゃっていた。

いずれにせよ、気をとりなおして、新作でも改作でも早めにとりかかろうっと。

新作初演

2019-02-22 22:00:57 | 日記
去る2月17日、井財野の新作発表が大分であった。にもかかわらず、初演に立ち会うことはできなかった。同日、北九州市で別の人の新作初演を含む演奏会に出演していたからである。

私が行った初演の方は、結構な失敗をしてしまった。共演者がまず失敗して、それで、自分も場所がわからなくなり、結局何小節も「落ちて」しまったのである。

他人の失敗に巻き込まれて自分も失敗したのは数十年ぶり。
その後は猛然と弾きまくり、お客様からはやんやの喝采だった。
が、このような失敗は素人じみた感じがして、自分としてはとても後味の悪い演奏だった。

不幸中の幸いは「落ちた」箇所が副次的声部で、極端に述べれば、無くても音楽として成立するところだったことである。

しかし、その不完全な演奏が「良かった」と言われると、胸中大変複雑である。

初演なんて、えてしてこんなものと言えばそうなのかもしれない。

すると、同時に行われていた井財野作品の初演も、そんなものだったのだろうか。

終わってから、何の噂にもなっていないので、まああまりうまくいかなかったのだろうな。

と、ここ数日沈んだ気持ちを抱えていた。

そのようなところに、お菓子が届いた。

「花より団子」とばかり、大分に届いたお菓子が転送されてきたのであった。

急いで送り主の音楽学者さんにお礼の電話をしたら、「井財野作品はどれも好きですから」とのこと。

一気に勇気百倍。初演の失敗くらい何のその、である。

実は明日も福岡市で井財野作品の新作初演。
ありがたや、ありがたや。喜び勇んで出かけよう!

エルガー:威風堂々第1番

2019-02-13 23:52:00 | オーケストラ
NHKFMの「気楽にクラシック」で威風堂々の第2~4番を取りあげていたのだが、予想より多くの方が1番以外を支持していて、正直驚いた。

それでも、一番の名曲は第1番だと司会者も一言触れていた。

それはそうでしょう、当然、と思うけど、一応「なぜ当然か」筆者の見解を整理してみよう。

まず冒頭のトランペットがキャッチー。
オクターブのユニゾンはベルリオーズのハンガリー行進曲等、前例はいろいろあるが、大抵「属音」(ハ長調ならばソ音)。
ところが、この第1番は主音の半音上!(属音の三全音上下、か?)

ニ長調の曲なのに変ホ長調のように始まり、すぐト短調、変ロ長調と転調を繰り返して行き場がなくなったら半音階で、半ば強引にニ長調の主題に滑りこむ。

しかも、アウフタクトがタイで1拍目と結ばれた音型がずっと続くものだから、どこが1拍目だかわからない。

調子も拍子も、聴き手をだます仕掛けに満ちあふれたイントロダクション。

そう、まだ序奏なのに、この複雑さ。

続く主題のジグザグぶりがまたすごい。和声的には、主和音基調であまり動かないのに、ヴァイオリンで奏でられる旋律はかなり非弦楽器的。かといって金管にも向かない。かなり野趣あふれる弦楽器特有のザクザク感(結局弦楽器的か?)。

それが終わって、いわゆるヴァイオリン的な動きがあったかと思いきや、今度は半音階の上で何調だかわからない世界に突入。

行進曲で、このように調子がわからない、拍がわからないなどという曲は、多分それまでなかっただろう。

とにかく独創的なのである。

このような独創性は2番以降には見られない。

ついでに題名の邦訳も独創的とは、昔から語られている。よくぞ威風堂々と訳した。

オーケストレーションも威風堂々たるもの。
大体は少し省略して演奏するが、楽譜の指定によればハープにオルガン、打楽器には8人必要となる。

なので、音楽鑑賞教室のオーケストラには、たまに「残念な声」が届くそうだ。曰く「ビデオと違う!」

8人の打楽器奏者は、単に四分音符をシャンシャン、じゃんじゃん、ドンドンと刻んでいるだけなのだが、8人の奏者が一斉に立ちあがり、鈴やタンブリンを振りかざして、とくれば、否が応でも盛り上がる。それにオルガンがジャーッと鳴れば宗教儀式のようなトランスが生じる。

熱心な学校は、そのような録画を見せる予習をしてから、本番を鑑賞するそうだ。
オーケストラ側からすれば「そこを期待されてもなあ」なのだが……。

まあ、そこを取りあげても、ユニークであることは確かだ。

繰り返すが、以上の特徴は第2番以降には無い。
なので、断然他を圧しての名曲と考える次第である。

沖縄和声は長七の和音で表現する

2019-02-07 14:06:25 | 琉球頌
昨夜、発車しようとしていた電車に乗ろうと、ちょっと走ったら、自分の荷物に足をとられて転んで膝を強打した。

電車には乗れたのだが、膝が痛いの何の。

何とか帰りついて一件落着と思いきや、目が覚めたら昨日より痛い。

膝を曲げると痛い。起きるのに1分以上かかる。ちょっと近所の郵便ポストへ行くのも、普段は4~5分のところが10分かかるという塩梅。

そして、息がどんどん上がってくるのだ。普段の半分以下のスピードで歩くのは、かなりの有酸素運動なのを実感した。

多くの仕事を断然して、寝ようとするが、これにまた1分以上かかる。
おまけに変な姿勢で寝ようとするから、反対側の足がつってきた。ぶつけた足は熱があるが、反対側の足は冷えているのだ。イターイ!

何かそんなに悪いことしていたっけ、とその間思いを巡らしていた時、作曲家の中村透先生の訃報が入ってきた。

そうだったか…

享年72歳、ガンで亡くなられたそうだ。まだまだこれからも活躍できる年齢だけに、早すぎる別れと言わざるを得ない。

中村透先生との出会いは、浦添市で開かれた「わらべうたコンサート」
十数名のアンサンブルで伴奏をする、その一員だった。

その時の編曲が、あまりに洒落ていて度肝を抜かれたのである。

日本の素材を和声付けする時、どうやっても違和感は生じる。
そこを違和感のままで終わるか、新しい面白さと捉えるか、の違いではなかろうか。

コンサートで驚いたり、感動したことは多々あったが、1つだけ作曲技法上のことを述べると「長七の和音」というのを堂々と使われていたことだ。
「長七の和音」とは「ドミソシ」や「ファラドミ」の類いで、ラヴェル等の近代音楽やジャズ、ボサノバ等のポップスに多様される和音だ。

そのおかげもあって、先生の編曲は極めて明るいサウンドを作るのに成功していた。

そしてその手法を真似ることができた井財野は、日本の素材を使うことが非常に自由になった。

という次第で中村透先生は井財野の師匠格に相当する方なのである。

その後、先生の代表作のオペラ「キジムナー、時を翔る」の沖縄初演、東京初演にもオーケストラの第2ヴァイオリン首席奏者として参加させてもらったし(これは先生から頼まれたのではなく別ルートである)、現在所属している九州作曲家協会にも誘っていただいた。

その後先生はシュガーホールや琉球大学でも役職者として多忙な日々をおくられていたと思う。

その中で博士号に挑戦し、見事に学術博士号をとられた。

その成果は「愛されるホールの作り方」という著書になっている。シュガーホールを通じての壮大な実験結果が一冊にまとまったような本である。私の名前もちょこっと載っていて、読むと、忘れてしまっていた楽しい思い出がよみがえってきたりしたものだ。

先生としては、みんなにこれを読んでもらって、今からの文化の在り方をそれぞれ考えてほしい、と思いながら亡くなられたのではないかと想像している。

ところが、なかなかそうはいかない「私達」に結構イライラして、それが命を縮める結果になったのかも、と推察する。
だから、最後に「バカ野郎!」とパンチを一発私に食らわせて、この世に別れを告げたに違いない、と思っている。

先人の苦労を「ご破算に願いましては…」という行動ほど馬鹿げたことはない。
本当は存命中に、そのような話をするつもりでいたのだが、ついに間に合わなかった。

でも私なりに先生の思いは受け取っているつもり。しばらく草葉の陰から見守っていただきたい。

合掌