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家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

散歩と3人の女性

2025-08-19 10:14:39 | Weblog

最近妻と散歩していて3人の女性と知り合った。

一人目は以前から私とすれ違う女性だ。

日傘をさしていてスリムな女性。

私が歩いて行っても避けようともしない。

日傘が邪魔だと思っていたが、私が道の隅に移動して問題は起きなかった。

ところが妻も定期的に一緒に歩くようになったら彼女の方から声を掛けてきた。

朝の挨拶だけでなく「来ている服の色が良いとか元気が出たとか」。

次の時には手を振って、それはまるで良く知っている友人に出会った犬のしっぽのようだった。

だが妻が孫の世話とかで忙しくて、その時間は私一人で歩くようになると

「あら?今日はおひとり?寂しいですね」というから「寂しいです」と応えた。

次の日も私一人だったら言葉は減り「いってらっしゃい」と言うのみになった。

それが5日続きお盆休みとなって彼女もそこを通らなくなった。

昨日から妻も復帰し彼女も通勤するようになって再び手を振り一言二言喋るようになった。

まだ早い時間から歩いて出金していく彼女の姿には女同士の連帯感があるようで妻は会いたいから道を変えないという決心がある。

歯科には3か月ごとに通っている。

私が終わって待合室に戻っていくと少し前に終わった妻が受付嬢と話していた。

私に「散歩のときすれ違うんだって」「挨拶もするって」と言う。

散歩では、どの人にも挨拶はする。

正直記憶になかった。。

その受付嬢はポメラニアンを連れているという。

歯科から戻った翌日からポメラニアンに遭うことを願った。

妻と歩いていない時に出会った。

その服装から「ああ。この人か。記憶にある」となった。

妻と歩いてその受付嬢の姿を見つけた時私は即座に妻に教えることができた。

私たちは立ち話をしたがポメラニアンが私たちを受け付けてくれず離れていくことになった。

 もう一人の女性はあるケーキ屋さんの店員だった。

その女性から「あっおはようございます。分かります?」と言う。

私はすぐに気付かず妻が先に気が付いて喋った。

その時その女性は私たちがどういう関係の人なのだろうと思ったようだ。

「ハーレムかな」と考えたという。

私と妻と私の姉の3人連れで入店し私はすぐに席に座り、その隣に姉が座り妻がコーヒーなどを持ってきたりしていた。

私だけケーキが苦手なのでドラ焼きを頼む。

そして会計は妻が済ますというわけだ。

で、そのドラ焼きを食べるためにパッケージをハサミで開封してもらう必要があった。

その時頼んでいた人だったのだ。

私たちがハーレムを形成しているのではなくただの夫婦と姉弟なだけと知って安心して接することができて少し残念なのかもしれないと思ったりする。


道造りと水道掃除

2025-08-04 10:57:53 | Weblog

8月第一週の土曜日は春野に宿泊する。

翌日早朝から道造りという道路掃除の奉仕作業があるからだ。

毎日シャワーで過ごしていたが「すみれの湯」を独り占めで楽しんだ。

日陰で風のある33℃は決して暑くない。

喉の渇きを潤したはずのビールが同時に体の火照りに繋がる。

しかし木陰を拭き抜ける風が皮膚を涼しく保ち、明るい外の自然の景色と相まってゆっくり楽しめるビールが全てに勝つ。

暗くなってくると屋内に移動して雨戸を閉めるが一部の網戸からの風では足りないため扇風機を付ける。

室内でのんびり吞むいつもの形に戻る。

すると網戸の外側の雨戸との間に先ほど大きな声で鳴いていたヒグラシが入っていることに気付き、そして何とアブも見つけ、イエグモも見つけた。

早いうちから眠くなりヒグラシもイエグモもアブも気にならなくなって眠りに落ちた。

翌朝は奉仕作業に加わった。

いつものメンバーだけでなくはじめてお目にかかる人たちが加勢してくれた。

道路は軽トラが勢ぞろいし、ほとんどの人が空調ファン付きジャケットを着ている。

いつもより30分以上短縮して作業が終わり続いて我が集落の水道の設備点検と掃除に向かう。

涼しいところに在る取水口の掃除と中間タンク最終タンクの点検掃除だ。

私は、ほとんどやることが無い。

というのは力がないことと背が低いことで間に合わないからだ。

皆が力とバランスをフル活用している時に私が動かすのは目と口だけだ。

そして彼らの能力の高さを目の当たりにして感激できることも付いてくる。

これは今晩のアルコール摂取のおつまみとして生きてくるのだ。  

一切の電動工具を使わずバールやバケツ、デッキブラシなどで中のフィルターや砂利を山から湧き出てくる水で洗い、またこの一年間分の飲み水を確保する。

この有意義な作業に参加でき町民の世間話を聞くと、また一年間元気を続けるように気を付けようと自発的に思えるのだ。


特定検診後その二

2025-07-25 08:51:46 | Weblog

2025年7月22日聖隷浜松病院腎臓内科を受診した。

今月4日に田口内科を特定検診で受診し、その折には血圧が高く、それは

血清クレアチニン値 1.46   eGFR 38  という数値が腎臓の弱りというふうに映り、それを指し示す証拠として高血圧、ということで聖隷浜松病院腎臓内科で精密検査をということであった。

今日の病院での血圧も高く165-94-99であった。(自宅では99-63-69)病院でといっても自分で測るため、いつものように3回立て続けに測り、その最低値を提出した。

体重は60.1Kg (自宅では55.4Kg)

尿検査 エコー検査 血液検査をした後やっと腎臓内科の扉の前にたどり着く。

先生は田口先生からの紹介状を読み前もって提出しておいた問診表に目を通してあるので私の顔を見る際既にいろいろ考えてあったと思われる。

私の顔つきや腕の筋肉と色そして持ってきた資料の様子を見て「これなら大丈夫」と思われたのだと思う。

例によって血圧測定値の表を見せていつもの、そして今朝の血圧を知ってもらった。

また特定検診の結果表もファイルに入れてあるので、必要な数字は先生にサッと出せるようになっていた。実際に「何年時のクレアチニンとeGFR値はこれです」と出して見せた。

すると「まあ変わってないね。じゃあ今まで通りでいいんじゃない」と言ってくれた。

つまり平常通りの生活でOKということ。

自分の生活が「それでいいのだよ」と言われた気がした。

ただし悪くなった腎臓は、もう戻らないので塩分には気を付けてくださいねと添えられた。

まだ検査結果が出ていないものもあるし栄養指導もしたいので次は9月2日にもう一度聖隷に来て結果を聞く必要が出た。

私との雑談に近い話で若い頃の高血圧の結果かもしれませんね、ということだった。また父が人工透析をしていて、それは暴飲暴食がひどくて、そうなったのだと思うし、私はそれを反面教師として「ああはならないぞ」というつもりで生きてきたので、もしこの年になって急に悪くなったのなら遺伝というスイッチが入ってしまったのかとドキドキしていました、というと肯定も否定もせず「なるほど」という顔をしていた。

「まあ大丈夫でしょう」と太鼓判に近い言い方をしてくれた。


特定検診後その一

2025-07-23 10:15:29 | Weblog

2025年6月16日田口内科を受診した。

そしてその結果を聴くため再び7月4日同内科を訪れた。

その結果その①前立腺のPSA数値が5.241ng/mlということで「どこかの泌尿器科で検査を受けてください」と言われ昨年かかっていた泌尿器科に紹介状を書いてもらった。

翌週月曜日に訪れた泌尿器科の先生は前年度の結果を見ているので別に驚くこともなく「まああなたの場合はPSA4~5のあたりではないですかね」ということだったがこの際MRI検査を受けてくださいということになり近所の総合病院に行くことになった。

MRI検査は初めての検査であった。

近所の総合病院はかかったことは無かったが見舞いに訪れたことはあった。

オートバイで10分かからないくらいの距離だ。

私の番が来て担当技師が着替えを指図しベッドに横たわると耳栓をしてくれた。

横になると寝てしまう癖のある私は「寝ちゃったらどうします?」という質問をしてみると「全然大丈夫ですよ」と言ってくれた。

ドーム内は狭く機械に腕が当たりそうだ。

機械が作動すると初めて聞くような音が鳴り始めたが別に耳栓もしているので気にならなかった。

30分ほどで検査は終了したが意識が薄くなる程度の眠りに入ってしまった感覚が残った。

1週間ほど経過して同泌尿器科にその結果が送られていて先生の話を聴いた。

MRIレポートという形でMRI検査の解析をあちらのドクターが所見を書いてくれてあった。

臨床診断 傷病名:前立腺癌の疑い 精査にて骨盤部MRI撮影読影を

それによる診断は前立腺癌の可能性は低いと考えます。(PI―RADS2)であった。

泌尿器科の先生はこの値の示す2は五段階のうちの2なのですということと、毎年1回検査をしてきましたがこれからは年二回にしましょう、ということを話し早速次の検査の日を決めた。

私としては仮に癌が見つかってもすぐにそれを取ってしまうという結論を出さず癌と共に生きる方法を模索したい。

身体になるべく傷をつけたくないし癌と共に生きている人は沢山いる。

自分の生活の中で「これを止めなくてはいけない」ということはないし結構身体にやさしい暮らしをしていると自負している。

この泌尿器科の先生は私の言うことをちゃんと聞いてくれるので信頼がおける。

継続する検査と共に先生との関係も継続するから信頼のおける先生でないとお互いに困ることになる。

それに関しては気が楽である。


待ちに待った草取り

2025-07-19 09:40:43 | Weblog

このところ晴れ、もしくは曇りの日ばかりが続いている。
草取りをしなくてはいけないのに、それができない。

晴れた日に草取りをすると、まずは熱中症が気にかかる。

でも第一の問題は、草が抜きにくいのだ。

草刈りではなく草取りなのだから。

で、待ってました。

「雨だ」

雨嫌いの私が雨だと言ってソワソワする。

午前中は用事があって行けなかったが午後になっても降り続いていたので完璧な条件だ。

13時45分から草取りを始めた。

5分で嫌気がさしてきた。

だがこの暑くない、そして土が十分な湿り気を持った時が来たのだぞ、と自分に言い聞かせて続けた。

この場所は駐車場として2台分貸している。

だからその場所を優先的に抜き始める。

それから野生で勝手に生えてきたユリやツワブキ、ヤツデなどを残したいので除草剤を撒かずに取ることにした。

雨は私が始めてから一滴も降らなくなってしまった。

だったら、と思いレインウエアを脱ぎ帽子もとった。

途中で呑んだペットボトルのお茶が効いたのかトイレに行きたくなり近所のコンビニに行く。

そこに行くには長靴を履き替えズボンの上に履いていたレインパンツを脱いで車に残してでかける。

3時半を過ぎて再び草取りを開始した。

もうそろそろ土が乾き始めていて抜きにくくなってきた。

予定の4分の3は完了したが、あと少しが残っている。

そんな中で土に深く入り込んでいる根が「ソコっ」と取れるとスッキリ気持ち良くなる。

時刻的にも、もう5時半を過ぎて「今日は相撲が見られないな」と感じながら作業の終了を決心した。

気持ち良くはなったが残ってしまった草を見たり今から帰宅しても相撲は終わっている、と思うと少し暗い気持ちで車に乗った。

45Lのゴミ袋が4枚一杯になった。

借主の車を置いて動く範囲内はきれいになったので「まあ最低限はクリアだな」と自分で決めて満足することにした。


プールで

2025-07-06 10:45:51 | Weblog

今年のプールの第一回目は6月6日だったが、その20日後26日に2度目のプールに行った。

まずは元気がある内に100mを泳ぎ、その後は50mを何本か行っていた。

しかし今回は何度目かの50mを泳いでいる時「ゆっくり泳げるな」と感じた。

たぶん力が抜けてきたのだ。

で、疲れた後に100mを試してみたら泳げた。

しかも3本続けて。

これは良い兆候だと思ったが、その後の事が気になった。

この日はタオルを忘れてきたのだ。

水着に着替えた段階で気が付いていたが、そのまま泳ぐ方を優先し、その後の事は、その後考えることにしていたのだ。

プールから出てシャワーで頭や身体を洗い、そのままサウナに入りに行った。

そこで汗をかかない程度に体を乾かし更衣室で着替えた。

洗った水着をよく絞って、それで体を拭く。

頭はドライヤーがある。

帰宅して妻にそのことを伝えると「考えられない」と言われた。

タオルを忘れたことが発覚した段階で別のことをするという。

例えばタオルを購入するとか。

次に行ったのは7月4日だ。

先日良い感じで終わったように今日の感じも続いていた。

まずは150mを泳ぎ、その後100mずつ5本泳ぎ、また疲れた後に150m泳いだ。

同じコースで泳いでいた年寄りが上手に泳ぐので話しかけてみた。

すると彼は泳ぎの先生をやっている人だった。

彼と同じようなリラックスしたきれいなフォームで泳ぎたいので教わったように泳いでみた。

すると鼻から水が入り鼻は痛いし涙は出るし、散々な目に合った。

彼が言うには私はきれいに泳いでいるしフォームが決まっているので変えないほうがいいらしい。

150m泳げたら、そのままそのスタイルで泳ぎ続けて自分のやり方を覚えた方が良いでしょう、と教えてくれた。

トイレに行きたくなって「ちょっと失礼します」と伝えた後彼がサウナに行くと聞いていたので私もサウナに入ってコーチの続きを教わった。

年齢を聞いてみたら何と私と同じだった。

「あなたは若々しく見えますね」と言われた。

教わった通りフォームを変えずに、そのまま少しずつ距離を伸ばしていこうと思う。


またホダ木の移動

2025-06-22 16:58:09 | Weblog

5月には道路下に置いてあるホダ木をシイタケ場に移動させた。

その時には肩に担いで移動させたので肩が痛くなったのはもちろん、体中の筋肉痛がしばらくの間続いた。

さて今度もホダ木の移動だが今回は菌打ちして寝かしたあったホダ木4本を専用の単管パイプのバーに立てるだけだ。

だが結構重いので後回しにしてあったのだ。

「ああでもないこうでもない」とやる前にいろいろ考える。

今度は下り坂がある。

ホダ木を肩に乗せて歩いて下りることは不可能だ。

子供用のソリに乗せソリとホダ木をヒモで縛り付けホダ木に括りつけたロープを引っ張って下ろすことにした。

さて作業途中でソリに縛り付けるはずのヒモが切れて短くなってしまった。

まあちょっと縛って有れば問題ないでしょ、ということで作業は開始。

草の上をソリはスイスイ進む。

坂を下るにもロープさえ掴んでいれば、あっという間に下りる。

バーの横に着いたらヒモをほどいてバーに立てる。

「よし。次だ」

2本目はソリがひっくり返ってしまった。

「これひょっとしたらソリ要らないんじゃない?」と思いつきホダ木に括りつけたロープを引っ張ってみると案外簡単についてくる。

坂ではソリとは違い下り渋ったり転がり落ちたりと少し手こずった。

だが平均3分で移動してバーに立てかけることが終了する。

考えているよりも行動してみたら簡単に移動できた。

「案ずるよりも生むがやすし」というやつだなと実感した。

だがソリをうまく利用できれば少なくとも坂をうまく下ろせるね。

それからソリが転覆しないように工夫を要する。


田植えの手伝い

2025-06-01 17:06:08 | Weblog

親戚筋の友人から「梅があるから取りに来な」という連絡が入った。

彼からはいろいろ農産物の貰い物が多くて実は困っていた。

「俺に何かできることはないか?」と聞いてみると

「じゃあ田植えを手伝ってくれる?」と言うので「おお。いいよ」と二つ返事で返した。

やることは温室内にある稲の苗を農業用二輪車に4箱ずつ積み、田んぼまで持って行くというものだ。

彼の温室も田んぼの位置も知らない私は待ち合わせの前日に見に行ってみた。

すると温室と田んぼとは、さほど離れていないことが分かった。

当日現地に行ってみると、もう一部田植えをしてあった。

彼は70歳過ぎてから初めて稲を育てる。

70歳過ぎたから引退するという話は普通なのだが逆だ。

そして正に引退する人から田植え機など一式をもらい受け初めて田植えをする。

その彼を72歳の私が初めて手伝うのだ。

彼が初めて田植えをするというので彼の隣保の人が教えに来てくれたそうだ。

で、手取り足取り教えてくれた後に私が加わったのだ。

温室には箱の中に20㎝ほどの稲の苗が置いてありこれが約1Kgあるという。

それを4箱ずつ約50m以上移動させる。「楽勝だ」と直感した。

移動させた後少し伸びすぎた苗を約5㎝カットする。

そして彼の運転する田植え機が4条ずつ植え、あちら側まで行って向きを変えてこちら側まで戻ってきて、その時に苗が少な過ぎれば、そこで補充する。

その時には苗の箱を近くまで持って行かなくてはいけないからあらかじめ予想してそこに置いておく。

それらを8時45分から約3時間続けた。

物は軽くても回数が多いのと道路に置いた苗の箱をあぜ道まで下すたびに苗の箱を持って下に約50㎝幅60㎝ほど降りる。

全部終了する直前に田植え機が故障して完了の姿は見られなかった。

トータルで私の歩数は13000歩を越え距離にして10Kmくらい。

疲労困憊した私はシャワーを浴びて昼食を摂り昼寝した。

翌日は背筋の筋肉痛が必至であろうと思っていたのが左足の腿に筋肉痛が出た。

そしてそれは翌々日まで続き3日目には消えた。

苗の箱を持ち上げるより道路からあぜ道に降りる時の負荷が大きかったようだ。

翌朝彼が玉ねぎを持ってお礼を言いに来た。

妻が「彼のあんな笑顔は初めて見た」というほど嬉しそうだった。

私も彼の役に立てて嬉しかった。

こういう恩の返し方が最適だと思う。


いろいろ分かったミーティング

2025-05-27 07:28:28 | Weblog

ミーティングが行われる前に私は地元の参加人物とミーティングする。

実は彼の車に私が便乗していくということなのだが当日の天気はどうなのか、ということが最も大事な議題だ。

それによって乗っていく車が違ってくる。

オープンカーの会の集まりなので、それで行けば問題ないのだが以前大雨に降られて怖い思いをしたことが二人とも忘れられないのだ。

結局は曇りのち雨、翌日は雨のち曇り、ということでオープンカーに乗って出かけた。

そして結果は雨に降られずに、つまり恐怖を感じることなく往復できた。

今回は20周年記念であることがいつものミーティングとは違うところだ。

どう違うかというと古いメンバーが減り新しいメンバーが入ったことだ。

いつも通りであれば互いの名前や車などは熟知している。

で、私は私の車を同じ会のメンバーに売ったことなどを話す必要があった。

さて車はすこぶる元気でアイドリングがほんの少しだけ高い程度だ。

高速道路でも邪魔にならない速度で走行できるし一般道で山を登らないということもなかった。

ただブレーキの利き具合が少し鈍くて、それが不安だった。

でもそれは毎回の事だから車間距離に気を付け早めにブレーキを踏めば解決だ。

いつも通りショートツーリングの全体図と各コマ図がメールで届いた。

それを見てはグーグルマップで確認し、全体の図を出しては位置関係を確認して覚えた。

実際に走ってみると「ああこの岩がこんなに大きかったのか」とか「ここではこれが見えると思ったのに木陰で見えない」とか「こんなに気温が低いのか」とか地図に書けないことを実感した。

道の駅小淵沢を出た所で道路脇に馬に乗った人々がいた我々は珍しい道路の馬を見たが彼らもこちらを見ていた。

ラインで写真を送りたいときのやり方などをメンバーから教わった。

その方法は聞けば簡単であったが、その方法で何人かのメンバーが送り合うので膨大な写真の受け取り量となった。

写真が上がるたびに私のスマホの音が鳴るので妻が何事かと思ったようだ。

私と同室になった人からも私がイビキを何時頃から何時頃までかいていたかの証言があった。

お酒を飲み過ぎたことが、その証言で明らかになった。

そして私も同室二人のイビキを聞いたから全員がイビキをかいていたのだ。

無事帰宅できた時には、全てが上手くいった満足感を持って妻に土産話をして笑うことができた。


過酷な作業だった

2025-05-20 13:05:46 | Weblog

ホダ木を寝かしてある場所からシイタケ場と呼んでいる場所に移動させた。

この一言で作業内容を言い表しているのだが実際の作業はかなり過酷だった。

標高にして5m以上そして距離は20m以上移動した。

特に最後の1本は一番重く大きい。

多分10Kg以上はあっただろう。

それを肩に担ぎ獣道をズルズル滑りながら移動する。

獣道は急傾斜で凸凹であり大小の草が生え、枝が行く手を邪魔し担ぎ手の私も左右に揺れざるを得ない。

途中何度もホダ木を地面に落とし、その都度肩に抱え上げる行動が必要になる。

ホダ木が比較的まっすぐな物は持ちやすくて移動も楽なのだが、この1本は細い部分から急に太くなり重さの中心はかなり偏っている。

少しでも傾けると一気にそちらの方向に重さが移動して持っていられなくなり落としてしまうのだ。

妻の応援があり急に軽く感じる時もあったが、急傾斜の場所は二人で持つと危険なので地面に降ろして片方を持ち上げて反対側に倒すという行動をとったが、それは転げ落とさないようにということを最重要にして繰り返した。

途中でやはり妻は自分の足の上にホダ木を落とすという軽い事故を起こした。

一旦平らな場所に集結させて一気にシイタケ場に運び入れ、それらを単管パイプに立てかけていく。

シイタケ場はケモノ避けとして網をぐるりと1周張り巡らせてある。

軽いホダ木は網の上から投げ入れることもできるが、ほとんどは持ち抱えて入り口から歩き入れる。

妻では持てないものも多く私の出番は多い。

最後の1本を立てかけて終了。

そこから家まで30mの登り坂なのだが嬉しさもあり達成感もあるが足取りは、やはり重かった。