家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

薪ストーブで宿泊

2013-02-24 08:33:13 | Weblog
春野に一人で宿泊してみた。

以前と違うのは薪ストーブで一晩過ごすということだ。

薪の量は、どの程度必要なのか朝を暖かく迎えられるのだろうか。

当日午前11時半ころ薪ストーブに点火した。

室温は6.4℃で湿度は54%だった。

午後から少し作業をしたり散歩した後,公営の風呂に入ったりして戻ってくると室温は22.5℃で湿度50%だった。

風呂上りで、しかも部屋の中が暖かいので、すぐにビールを飲んだ。

特別美味しく感じた。

ところが、その快適さ故にビールが進んでしまった。

早めの夕食をとりながら、さらにビールを飲む。

そうなると、もう読書をするのは面倒になりテレビを見てビールを飲むしか楽しみはなくなってしまった。

用意した350mlの缶ビールはなくなり芋焼酎にも手を出した。

11時までテレビを見て、さて寝ようかというときには室温20.6℃で湿度42%だった。

寝る前に薪を足そうと思ったが炉の中には灰がうず高く積もっていて大きな薪を入れられない。

「まぁしかたない」

部屋は暖かいので小さな薪を入れて寝ることにした。

途中覚醒したが、そのまま眠り午前5時半になる少し前に起床した。

室温は8.6℃で湿度は49%だった。

薪ストーブは、まだ50℃ほどの温度を保っていた。

火をつけようと炉の中の灰を出そうとした。

すると灰の下から、まだ赤々と燃える熾き火がゴロゴロ出てきた。

再び狭い炉の中に小さな薪を投入して朝の暖を取った。

準備した大きな薪は少し残り小さな薪はバケツにして3杯分使用しきった。

薪ストーブの暖かさを感じたし薪が無料だということで節約できるありがたさも実感した。

しかし定期的に炉の中に薪を投入しなくてはいけないし、ある程度の火を使うための管理注意も必要だ。

手間が掛かることは楽しみということでもある。

高い室温の中で風呂上りのビールを飲みすぎないということさえ守れば用意していった本も読めたであろう。

次は上手に薪ストーブの夜を楽しめることと思う。


トイレ掃除

2013-02-20 07:32:59 | Weblog
トイレ掃除をした。

男子用のトイレの尿石が気になっていたのだ。

全く使用しない妻にやらせるのは気が引ける。

歯ブラシで擦ってみたがダメだ。

歯ブラシとくれば歯磨きペーストだと思い、やってみた。

ペーストを小便器の上から垂らして落とす。

まるで歯磨きのような音でシャカシャカと磨く。

しかしほとんど効果なし。

じゃぁサンドペーパーで擦るか。

水を流してはザザザザと丁寧に擦る。

今度は手ごたえがあって、きれいになった。

ついでに大便器も洗う。

床に座り込み細かい部分まで洗う。

よし今度はお尻を洗うノズルだ。

スイッチを押しても出てこない。

どうやら座っていることが前提らしいと気づき膝で便座を抑えてからスイッチを押した。

今度は出てきた。

左手でシャワーの温水を受け右手に持った便器用タワシで擦る。

この暖かさを手で受けるのは初めてだ。

「よし」

スイッチを切ると元の位置まで戻っていった。

床は少し水が垂れたが、これは時間が経てば乾く。

この掃除を終わって感じたのだが尿石というカルシウムを中心とした物体が、けっこう硬く付着していることだ。

しかしこんなに硬く固まっているのに膀胱や尿道には溜まらないのだろうか。

結石は聞くが壁に固着したという話は聞いたことがない。

ちょっと調べてみたくなった。「尿中に溶けていたカルシウム塩類は体外に排出されると、水に溶けないカルシウム塩類に変化し便器に付着したり、排水管の目詰まりを起こします」
と出ていた。

ナルホド!



雨と家内作業

2013-02-19 07:38:04 | Weblog
雨なので春野に行ってもやることがない。

それでは自宅で何かする。

妻が午前中留守にする。

この時とばかりに、やりたいことを進めた。

天窓に取り付けた自作の網戸の掃除。

なぜ妻が居ない時にかというとテーブルの上のものを片付けたり、その上に乗ったりするので「あーだこうだ」言われたくない。

テーブルの上の物をずらす。

あくまで妻の物を移動させず自分の物だけをどける。

テーブルをジュウタンごとずらして天窓の下に移動させる。

テーブルの上に小さな脚立を乗せる。

その時テーブルに傷をつけないようにダンボールを敷く。

そーっと脚立に登り電ドルでビスを外す。

高い位置にあるので少し怖い。

ビスが抜けてコロコロと床に転がる音がした。

もう片方のビスが外れると同時に頭の上に網戸が落ちてきた。

片手に電ドルを持っているので空いている手と頭で一旦受けた。

軽いから痛くもないし怪我などありえない。

うまいこと網戸が斜めになり壁に挟まって止まったので電ドルを置いてから両手で外した。

風呂場に持ち込みシャワーで洗う。

綿埃と土埃そして濁り酒の吹き上げたシミを洗い流した。

このシミは掃除機では取れないから洗うしかないと思っていた。

シャワーの温水をかけると土埃が泥っぽい水になって流れていく。

雑巾でやさしく擦って、また温水をかける。

何度かやった後に水気をふき取りストーブの近くに置いて乾かす。

取り付けは妻の帰宅を待った。

網戸を押さえながらビスを取り付ける必要があるからだ。

妻が帰宅して部屋の有様を見て目を丸くする前に言った。

「ちょっと手伝って。網戸を洗ったから。取り付けは二人の方がうまくいくから」

妻は「いいよ」と答える。

やはり二人の方が安全でスムーズだ。

実は全てを一人でやり終えた後に妻を驚かそうと留守を狙ったが、それは出来なかった。

だが二人でやると片付けも早くすぐに終わった。

飲み食いジャズライブ

2013-02-18 08:35:46 | Weblog
ジャズライブに行った。

チケット代金の中にワンドリンク付いていると聞いていた。

テーブルに着くとなぜか箸が置いてある。

ドリンクはビールを頼んだ。

仲間内で乾杯してピアノとベースのジャズの演奏を心地よく聴いていた。

するとサラミ チーズ パン 裂きイカの乗った皿が出された。

さらにイチゴを厚いチョコレートでコーティングしたものが出てきて、そのうえ パウンドケーキが配られた。

もうビールは飲み干した。

赤ワインを頼んだ。

ジャズは女性ボーカルが加わっていた。

豊かな低音域から「ラビン ユー」で有名なミニーリパートンやクリスマスソングで必ず聞くマライヤキャリーのような超高音まで気持ちよく唄う。

客層を見てからか「北の宿から」を唄う。

ジャズバージョンではなく、まんま演歌そのもの。

果たして客には大うけ。

少し違う発音は、それはそれで魅力を増している気がする。

司会もそのボーカリストが行う。

流暢だが少し怪しい日本語と彼女の伝えにくい部分を英語で補うやりかただ。

しかし英語となるとこちらの理解力が怪しくなる。

結局「まぁいいか」とアルコールも適度に手伝い快適な音楽ライブに浸った。

休憩時トイレに立つと通路にボーカリストが座っていた。

私に「ハーフですか?」と聞く。

「どこと?メキシカン?」と聞いてみた。

「ノー。アメリカン」と言う。

人によって見方はいろいろだなと感じた。

第二部は、もっと家族的だった。

無料でワインが提供されて益々楽しく感じた。

歌にあわせて踊る人が続出した。

ブラジル人は、もう体が自然に動いてしまうし男性老人は嬉しさのあまり前に出て行って踊った。

何度考えてみても元の取れないチケット代だ。

終了時刻を大幅に超えて終わった。

次の開催も予告された。

もちろん再び「来る」と誓って店を出た。

掃くY爺さん

2013-02-17 08:52:43 | Weblog
春野で散歩に出た。

いつものように日陰の山を下り橋を渡り川の対岸を歩く。

再び橋を渡って、こちら側に戻ってくる。

猫屋敷を通過すると、あとは上り道15分で約1時間歩行したことになる。

坂を上り始めると道路の両側が心なしかきれいになっているような気がする。

よく見るとホウキで掃いた跡が着いている。

道路から大きな枝を掃き捨ててある。

杉の枯葉など細かい物は残っている。

あと1分で我が家というところまで上ってくるとY爺さんが居た。

やはりそうであった。

これはY爺さんが掃いた跡だ。

「こんにちは。ご苦労さまです」と声をかけた。

Y爺さんは手を休めてこちらを見た。

「下から上ってくる時掃いた跡があったからY爺さんだと思いましたよ」と言った。

Y爺さんは「大きい枝だけでも掃いておきゃーええと思ってのぅ」と言う。

軽トラで走るときに床下に枝が「ぼこっ」と当たってしまうというのだ。

Y爺さんは腕時計を見て「もう2時間だぇ」とこともなげに言った。

私が歩き始める1時間前からやっていたのだ。

我が家の前から道路の左側を掃き進み最下部まで到達した後に、今度は向きを変えて上ってきたのだ。

2時間もホウキで掃き続けたことはないが、たぶん翌日は筋肉痛で起きられないと思う。

あらためて「ご苦労さま」と出てしまう。

「もう3回目だぇ。今年になってから。奉仕作業だよ」と少しもかっこつけずに言う。

これが本当の奉仕の精神だなと感じた。

「これをやっておくと、よく眠れるもんでな。年寄りにゃ特にいいだぇ」と笑って言う。

自分の運動不足を補っているのだと。

私も自分の所有地の周りだけは、きれいにする。

それだけでも腰が痛くなるのに、その4倍も5倍もある距離を一人でもくもくと作業する。

本当にカッコいい爺さんだと尊敬できる。

「さぁ終わるだ」と言って引き上げていった。

しばらくすると今度は犬のソラ君を連れて歩いていった。

香りと燗酒

2013-02-16 08:07:54 | Weblog
昼時に感じた他人の飲む燗酒の香り。

この香りが私の脳に貼りついていた。

妻と二人で夕方飲み屋に入った。

まだオープンまで15分あった。

入り口の脇に置かれた椅子に座って待つ。

登山のような装束をした人たちがやってきて店に入っていった。

「あれ、開いてる?」と思って腰を上げたら彼らがゾロゾロと戻ってきた。

「この人たちは、それだもんで座って待っているだな」と言いながら私たちの横の椅子にリュックを下ろしはじめた。

「歩こう会」というウォーキングを楽しんでいる人たちだった。

私たちより少し年配の集団だ。

「今日は、どのくらい歩いたのですか?」と妻が聞く。

「28Km」と即答した。

チラシをくれた。

それには日付や行く先や距離数が書かれている。

だから今日の歩行距離が即答できるのだ。

「岩水寺まで行って来た」と聞いて驚いた。

私にとって絶対に歩く距離ではないからだ。

でも彼らに言わせると、もっともっと多い距離を歩くそうだ。

その打ち上げに寄ったようだ。

良い刺激を受けてオープンしたての店に入った。

店のスタッフは、まばらな客にもかかわらず大忙しの目つきになっている。

「まず飲み物を伺ってよろしいでしょうか」というので「生ビールふたつ」と言った。

その後落ち着いた段階で「燗酒」を頼んだ。

2合入る大徳利は、いかにも燗酒を飲む感じで嬉しかった。

居酒屋で侍の飲む時代劇のシーンを思い浮かべたが妻が「どうぞ」と言って徳利を持ち上げたとたんに、もっとおしゃれな酒のように感じた。

妻の猪口にも酌をして二度目の乾杯になった。

少ししか受け付けない猪口。

すぐにこぼれそうになるから気をつけて酌をする。

これが日本的だなぁと感じる。

でかいグラスで「グィー」とやるのも良いがチビチビやる趣がまた良い。

「歩こう会」の人たちが盛り上がっているのが見えた。

自分の歩きとは違うが今年は私も少し変えてみるかと思いついた。

温かい飲み物は喉から胃袋を介して精神に染み込んでいった。

院展を観に行った

2013-02-15 08:33:33 | Weblog
院展を観に行った。

会場は思ったよりも空いていた。

作品は、どれも大きい。

本やA4の用紙や、もっと大きな新聞を読むし30インチのテレビも見る。

だがその程度の大きさのものに見慣れていて、あとは実際の風景だ。

作品の大きさは私の尺度の想定外のようなものだ。

その手ごわさを少しでも緩和するべく、まず解説を読んでから観ることにした。

「ふむふむ。なるほど」

分かったような気になって作品を観る。

近寄りすぎると一部分しか見えないし離れすぎると細かい部分が分からない。

画は画家の頭の中の風景なのだが私の見た実際の風景が浮かんでくることもあり、さらに浮かんだ風景に集中してしまうこともある。

そして連想に連想を重ねる。

こうなると画家の頭の中と私の頭の中が全く別のものを観ているということになる。

それにしても画家の卓越した技法は素晴らしい。

老眼鏡をかけて細部を見つめる。

暗い全体のグレーの中で、ほんの一ミリほどの青い点を複数見つけたときには嬉しくなった。

画家の見た極細部を私も見つけた気になったからだ。

実験的に少しずつ、その場から放れてみる。

2メートルでは見えているが3メートル離れると、もう見えない。

だが画家は、どうしてもその輝く青の点が必要だったのだろう。

物は、いろいろな色を発光したり反射したりしているはずだ。

それが見えるのは、その時間その空気の中で、その場に居合わせることが必要だ。

こうして画になったものを見ると見逃している光の多いこと。

森の画などは、普段の生活から、どうしてもじっくり観てしまう。

「こんな風景あるなぁ」と同調したり「もっとすごい時があるんだけどなぁ」と優越感的な感情が浮かんできたりする。

作品の横に何何賞という札が貼ってある。

「そうだよな」と思うこともあれば「こんなんが?」と疑問を持つこともある。

素人の楽しみとは、他愛もないが今この場に居る自分がシアワセだと感じることは確かだ。



年寄り優先と生活

2013-02-14 08:25:07 | Weblog
1本の電話で予定が大幅に変更になった。

のんびり歩いて病院見舞いに行く予定にしてあった。

ところが「すぐおいで」という連絡が入った。

病院の見舞いも年寄りだが電話の相手も年配者だ。

とりあえず病人は寝て待っているから電話の相手を優先した。

コンテナに入れられたミカンが我々を待っていた。

コンテナからゴミ袋に移し、それを車に乗せた。

やっと帰宅して予定していた行動に戻そうとしたら午後になっていた。

のんびりでもなく急ぐこともせず歩きはじめた。

歩道のある道を選び、ない場合は路地を選んで歩いた。

橋に続く道の工事をしていた。

通行止めになっていたがフェンスを掴んでフェンスの基礎コンクリートの上を歩けば安全に橋まで到達できる。

私が、やってみて妻に「来れるか?」と聞くと

「うん」と言ってついて来た。

途中荷物を預かり手を貸して安全を補強したが、後から同じ場に出会わした女性は見回してから戻っていった。

回り道すら分からないほど、かなり遠くまで戻る必要があるようだ。

優に1時間は過ぎていたが思っていたより早く病院に到着した。

部屋番号は分かっていたので、そのまま病室へ。

病人は口を開けて眠っていたが妻が声をかけると、すぐに目覚めた。

5秒程度の時間の経過があって病人の頭が回転し始めた。

年寄りの病人にしては再起動が素早い。

目がマトモだし言葉もはっきりしている。

耳が遠いうえ何度も同じことを繰り返すが正常だ。

日中はリハビリに行き夜には点滴をするとのことだ。

妻が元気の出る言葉を告げた。

嬉しくなるだけでなく本人の努力も必要な言葉だ。

これでがんばれるなと思った。

妻を「えらい」と感じた。

病人が時間の経過を気にし始めたので少し早い気がしたが、お暇してきた。

あちらのベッドでも、こちらのベッドでもオムツの交換が始まったので、ちょうどよいタイミングだった。


放置自転車

2013-02-13 08:24:35 | Weblog
我が家の駐車場に放置自転車があった。

我が家は隣が小学校なので誰かが乗ってきて、そのまま置いていかなくてはならない状況になったのかもしれない。

私の知り合いだったら声を掛けていくに違いない。

3日間は、そのままにしておいた。

グレーの車体に黒い買い物籠。

どこにでもある一般的な物で、まだ真新しい婦人乗り自転車だ。

以前もこういうことがあったな、と思い出し手帳を繰ると去年の11月1日に警察に来てもらい持っていってもらった。

3ヶ月しか経っていない。

今回も近所の派出所に電話した。

盗難車であれば持っていくし、そうでなければ所有者を探して連絡してくれるとのことだった。

結局警察が持って行ってくれたようだ。

自転車は私の車と物置の間に置かれ道路を通る人たちからは見えにくい。

また見えたとしても不自然さはない。

3ヶ月前の場合も同じ場所に置いてあった。

そして今回もそうなのだが鍵が掛かっている。

乗り捨てとは考えにくくなる状況を作っているようだ。

この場所が乗り捨てるのに好都合だという理由を知りたい。

我が家から近い場所に用事があるか家があるか部屋があるか。

浜松駅あたりで盗み、ここまで乗ってきたというところだろうと想像する。

自転車を長い間乗り回すわけではないので、その間に警察に捕まるという危険は少ない。

また、すぐに手放すので窃盗という意識は少なくて済むのかもしれない。

あきらかな犯罪であり「君の先祖は空から見ているぞ」と言ってやりたい。


カワハギの煮物

2013-02-12 09:41:16 | Weblog
カワハギの煮物を注文した。

浜菜坊という店はJR弁天島駅からガードを潜り抜け少し浜名湖の中に入り込むような場所に位置している。

JR東海道本線は浜名湖に浮かぶ島を伝って向こう岸にたどり着く。

その島にある駅が弁天島だ。

店の近所まで来る機会があったので浜菜坊でランチすることにした。

入店すると席を待つ人たちが複数居たが私たちは予約してあったので、すぐに案内された。

大きなメニューを見ていると「本日のおすすめ」という小さなメニューとお茶が出された。

煮物の欄をまず見る。

最近煮魚が好きになった。

還暦という漠然としているものより味というしっかりしたものの変化で「年食った」と感じる。

地魚を選んだ。

中学生の頃通っていた塾のキャンプ合宿で浜名湖に来たときに釣ったカワハギ。

皆の釣ったものを全て味噌汁に入れて食べた。

先生が「カワハギはなぁ、こういうふうに皮が剥がれるのだ」と身と皮をベリベリと剥がして見せた。

そのカワハギが私の紙製の椀の中に入っていた。

骨と身が「サクッ」と外れて白身のあっさりとした、コリコリとした味が忘れられない。

妻はチョーカの煮物定食だ。

私は単品と、ご飯と味噌汁と漬物のご飯セット。

茶碗蒸しと簡単なデザートがついていない。

出てきたカワハギは腹が盛り上がった筋肉質で25センチほどのものだった。

頭にある身もコロッと取れる。

体全体が、これほど食べやすく取れてくる魚もめずらしい。

小骨は一切ないから気を使わない。

醤油と甘さのバランスの良い好みの味だ。

カワハギを食べてご飯を食べ時々アサリの味噌汁で味を一旦ご破算にする。

そんなことを繰り返していたら、あっという間にカワハギもご飯も平らげた。

これでカワハギが600円ご飯セットが400円。

安いとしか言いようのない満足感と満腹感。

ただし後ろの席から漂ってきていた燗酒の香りが気になった。

お年寄り夫婦が二人で昼からイッパイやっていた。

次は私も昼に来てアルコールを楽しみながら煮魚をつつこうと決めた。