家訓は「遊」

幸せの瞬間を見逃さない今昔事件簿

温暖だから歩行

2020-02-15 10:20:41 | Weblog
徒歩計画は続いている。

温暖なので一時休止もしなくて済む。

1月には弁天島から舘山寺まで歩いた。

いままで通りお金をかけずに妻に迷惑をかけずに行った。

といっても妻の用事に便乗して弁天島までは妻の車に乗せていってもらった。

車に乗り込むとき陽が眩しく毛糸の帽子だけでなく一旦家に戻りヒサシのある帽子も持っていった。

いよいよ目的地の出発地点に到着して歩き出した。

すぐに猛烈の風が吹き始めヒサシのある帽子から毛糸の帽子に変更し、念の為に持ってきたウインドブレーカーを着た。

この格好は、とうとう最後まで続いた。

弁天島からは浜名湖の中を突き抜けるような弁天島舘山寺線を歩く。

道路脇には舗装が完備されていて安心して歩ける。

途中のガーデンパークでトイレを借りる。

車も海岸線を見ながら走るのだが実は歩きの場合は渚沿いを歩けるのだ。

風が強くて波のしぶきがかかりそうな道だ。

北に向かって歩くと私の顔の左側は波の音や風にさらされる。

単純な景色の中にも時々海の中にウインドサーファーが走り抜けるし右側の陸地に興味をそそられることもある。

グーグルマップであらかじめ調べると所要時間は2時間10分程度なのだが実際には3時間15分だった。

いかに自分の足が短いかということを時間で知ることになった。

舘山寺からは路線バスで帰宅した。

4時間29分 31296歩 23.1Kmの歩行であった。

2月になっても、ちょっとした歩行を楽しんでいる。

竜洋町にある友人宅で夕食を共にすることになった。

私だけ早めに家を出て歩くことにした。

自宅を真っ直ぐに東に行くと天竜川に突き当たる。

そしたら堤防に上がり、さらに下に降りて河川敷を歩く。

河川敷には自転車道が完備していて舗装された安全な道を歩ける。

この時期アオジやツグミがたくさん見られる。

掛塚橋を超えると自転車道が途絶え砂利と草の昔からの道を歩く。

天竜川では一番下に架かる遠州大橋を渡る。

風が強くてバッグの中のウインドブレーカーを着たいと考えるも橋の上でバッグを開けたくないため渡りきって少し坂を下りて風が落ち着いてから着た。

しおさい竜洋という施設で妻と待ち合わせをした。

私が先に到着して缶ビールでも飲んで妻を待つのかと思いきや遠州大橋を渡る時に出発した妻が既に到着していた。

2時間51分 19317歩 14.2Kmの歩行であった。


助っ人2回目

2020-02-03 16:11:02 | Weblog
とうとう2月になって助っ人は自動車学校に入学した。

すると日曜日しか空いていない。

さっそく助っ人に予約して働いてもらった。

私がやってもらいたい事を書き出しておいたのだが現場は少し違う行動になった。

妻がカマドを使って染めの準備をする。

そのカマドの火の番を頼んだ。

考えてみれば30センチの大きさの炎は彼の生活の中には存在しない。

せいぜいガス台の1~2センチほどの炎が見られるのみだ。

だが薪に火をつけるために初めは枯葉を燃すから炎は大きく揺れながら心配になるほど立ち上る。

寸胴鍋をカマドにセットしたあとは火を絶やさないだけだ。

彼の手が空いたので枯葉踏みをやってもらった。

私も一緒になって4畳ほどの広さの腐葉土所の中を歩き回る。

ただ歩いているだけなのだが、けっこう汗が出るものだ。

枯葉の量が当初の半分ほどになって満足した。

だが二人共出てすぐに靴を脱いで靴の中や靴下についた枯葉を捨てた。

この時期だから虫などが付いていないことが幸いだった。

午後からは先日倒したコナラの玉切りおよび、その運搬だ。

私が一番やって欲しかったことだ。

段々畑を林にしてありシイタケの寝かしておく場所は一段上にある。

コナラを肩に担いで滑りやすい道を登るのはきつい。

今回は私のスパイク付き地下足袋で働いてもらった。

彼の、ほぼパターンの尽きてしまったスニーカーの底では上がれなかったかもしれない。

私も肩に担いだのだが空いている左肩に1本乗せてもらうだけでも大助かりだった。

重いものは主に助っ人が担当してくれた。

彼には肩峰を痛めないように私の特性肩当てをしてもらった。

我が家の猫が寝ていた毛布を利用したものだ。

私は小さな座布団をベストの肩に挟んだ。

チェーンソーにも取り組んでもらった。

やはり腰が入っていない。

先日妻が撮ってくれた私のチェーンソーを使っている姿と同じだった。

その上いつまでもチェーンソーの音が激しいままなので素人が使っていることが近所に筒抜けであった。