華氏451度

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麗子と玲奈の「手探りで死刑を考える」4軒目

2006-09-28 05:58:28 | 死刑廃止/刑罰

luxemburgさんの所に死刑廃止に関するロベール・バダンテールの演説の翻訳が送られたことに端を発し、何となくの雰囲気でブロガーの間に連載エントリが生まれた。おみゃーもやってみろよ、と言われ、腰軽く乗った結果がこれである。

◇◇◇◇開幕――

 西園寺邸から始まって、お玉屋敷とむ丸邸と続いた「死刑廃止論行脚」4軒目。麗子、玲奈、ばあやの3人組は、今回は東京都のはずれにやって来た。さびれた商店街を抜けると雪国……じゃなかった、殺風景な灰色っぽいマンションが建っている。そのエントランスに足を踏み入れかけながら――

ばあや:(レースのハンカチで汗を拭きながら)お嬢さま、玲奈さま。いろいろな方のお宅を訪問して死刑廃止の問題をお考えになる、というのは結構でございますよ。ばあやも大賛成でございますけれども、何もこんな所まで足を運ばれなくても……。お玉さんやとむ丸ちゃんのママと、もう充分にいいお話ができたことですし。

麗子:でも、お約束してしまったんですもの。疲れていたら、今日はばあやはご遠慮する?

ばあや:そんなわけには参りません! 特に華氏さんとやらは、例の下品な猫の友達だそうじゃございませんか。お耳を汚すような言葉など口にされませんよう、私が睨みをきかせておかなければ。

玲奈:正直申しまして、今日の方とのお話は、あんまり成果は期待できません。専門的な知識など全然お持ちではありませんし、その上「いくじなし宣言」などというものをされている頼りない方ですしね。でも死刑廃止論の迷宮をたどるには、一筋のアリアドネの糸だけを頼みにしてはいけませんでしょう。存在そのものがカオス、みたいなわけのわからない人にも1度ぐらいは会ってみる価値があるかもですわ。……ささ、入りましょう……。

(などと3人が気乗りしない顔を見合わせて小さなため息をついた時、植え込みの陰から「おっ待ったせ~。ごめんごめん」という調子外れの声)

麗子&玲奈:きゃああああ

ムル:そんな変な声出さないでよお。麗子ちゃん、お久しぶり~。いつも綺麗だね~。玲奈ちゃん、初めましてッ。

(しなやかな身ごなしで飛び出した、顔見知りのノラ猫。その後ろから、一回り小柄な若い猫がはにかむような笑顔を覗かせる)

ばあや:ま、また問題猫が……。シッシッ。お嬢様、玲奈様、こんな変な猫は無視して、さっさと参りましょう。

ムル:待った待った。今日、話のお相手するのはおいらなんだぜ。

麗子&玲奈&ばあや:ええええええ~!! 華氏さんとやらはどうしたのよ。

ムル:けけけ。あいつはね、珍客を迎えるってんで朝からシャカリキで掃除始めたんだけど、柄にもないことするから持病の胃痙攣起こしやがったの。つくづくバッカだよな~。で、またおいらに代役してくれってさ。今日は相棒も連れて来たぜ。ほら、トマ、ぼーっとしてねぇで挨拶しろよ。

トマ:(目をパチパチさせながら)初めまして……僕、トマシーナといいます。華氏んちの居候で、ムル兄貴の弟分です。こんな辺鄙な所に、よくいらっしゃいました。

麗子:まぁ、可愛い~。ムルとは随分違うわね。

トマ:華氏がご用意していたお華氏……じゃなかった、お菓子を持ってきました(と、傍らのバスケットを前足で叩く)。召し上がりながら、兄貴とご歓談くださいませ。

ばあや:ご、ご歓談って……ここで?

ムル:あそこの公園で。ピクニックみたいで感じいいじゃん?

……ということで、公園の片隅の四阿に陣取り、ドドールの紙パック入りコーヒーと、3袋まとめて1000円の安物のクッキーを前に置いて3人と2匹の奇妙なお茶会が始まった。

◇◇◇◇◇◇◇

麗子:先日は、とむ丸ちゃんのママさんと有意義なお話をしましたの。ママさんはロベール・バダンテールの演説を読んで感激なさったんですって。

ムル:華氏も一応、読んでたよ。あ、玲奈ちゃん、翻訳のお礼言っておいてくれってさ。あとバダンテールの『そして、死刑は廃止された』も読んでね。あいついい加減な奴だけど、それでもしばらく考え込んでたぜ。で、おいらも付き合って一晩中、死刑廃止について話をしたんだ。あいつとおいらの意見はベクトルがだいたい一致してるから、充分に代理が務まると思うぜ。バダンテールさんって言えば、あの人、14年前に日本に来たことがあるんだよね。

玲奈:ムル、あなた、その時のことを知っているわけ?

ムル:やめてくれ~。まだおいら、生まれてるわけねぇだろ。猫の長老に聞いたのッ。その時に通訳をした鵜飼哲っていうフランス文学の研究者がね、バダンテールにこう言われたんだって。「ここ(日本)はこんなに犯罪率が低いんだから、死刑なんて、何かの間違いで放置されてるだけなんじゃないの?」。日本で死刑が存続していること自体、驚きだったみたいだね。「死刑は廃止しましょう」だけじゃなくて、「なんでまだ、死刑なんていう前時代的な変なものがあるの?」という問い掛けも大事だと思うよ。

玲奈:バダンテールさんの演説の、どの部分に感銘を受けました?

ムル:全部……というのが正確だけど、そうだなぁ、特にここんとこが印象に残ってるね。

【自由の国ではほとんどあらゆる所で、死刑廃止が規則になっております。独裁制が支配する国ではどこでも、死刑が実施されています。世界のこの色分けは単純な偶然の一致ではなく、ひとつの相関関係を表しているのです】

玲奈:続けてバダンテールはこんなことを言ってますわね。国家は市民の命を奪うところまで、市民を意のままにする権利を持っている。――死刑はそういう考え方に由来しているのであり、ここに死刑の本当の政治的な意味があるのだと。確かに、これは死刑を考える時の「核」ですね。国家に対して、命を奪う権限まで与えるのかどうか。国家は国民を誰彼かまわず殺すわけじゃないけど、国の制度が国民と国家の関係を象徴しているとしたら、死刑がある国は民主主義ではなくて全体主義、独裁制が支配していることになる、という考えには頷けますわ。

ムル:権力は限りなく肥大して、常に一人歩きする危険性を孕んでいる、ってことじゃぁねえの? だからこそ厳しく縛っとく必要があるのにさ、人間はそういうこともわかんねーのかなあ……。おいらたち猫の世界の方が、よっぽどまっとうだぜぇ。国旗・国歌もねぇし、国境もねぇし、死刑もねぇしよ。

ばあや:カンボジアが死刑を廃止したのは、ポル・ポト政権下で虐殺を経験し、国家にそういう手段を持たせてはいけないと思ったからだといわれておりますわね。

麗子:そう言えばドイツの死刑廃止(厳密に言えば死刑廃止の復活)も、背景には第二次大戦下のジェノサイドに対する反省があったと言われておりますし。

トマ:(クッキーを頬張りながら小声で)じゃあなんで、日本は死刑廃止しなかったのかなあ……。ジェノサイドはあったけど、自分の国の中でやったことじゃないから、ピンと来てないのかな?

玲奈:あ、この子、いいこと言うわね(と、トマの頭を撫でる)。

ムル:うぉっほん。死刑廃止運動を続けている安田好弘弁護士って人は、『現代思想』っていう雑誌のインタビューに答えてこう言っている(2004年3月号)。

【死刑があるかないかは、国家が何によって支配されているかということです。国家の強さの問題だとも思います。逆に言うと国家の中にいる市民がどれほど管理され統制された中で生活しているかなんです。高度に政治的な問題だと思います。】  

安田さんは死刑の廃止/存続は宗教的な背景とは関係ない、とも言ってるんだよ。国家の力があまり強くない所、武力で支配されていない国で、死刑が廃止されていく。イタリアは第二次大戦前に廃止してたんだけど、ムッソリーニが政権を取った時に復活したんだよね(現在は廃止)。ドイツの場合だってヴァイマル共和国の憲法で死刑は廃止されていたのに、第三帝国の時代にその条文が停止されたそうだしさ(現在は死刑廃止条文再生)。死刑ってのはさあ、国家が国民をひとつの方向に余念なからしめようとする時に出てくる制度、って気はするよな~。

麗子:よく、宗教の問題だという方がおられますけれど、あれは間違いなのね。

ムル:と、おいらも思う。ヨーロッパで廃止した国が多いのはキリスト教の思想との関係で、っていう人がいるけどさあ。キリスト教を背景にした死刑肯定論、てのもあるんだぜ。十字架の上でイエスは「父よ、この人達を赦してください。なぜなら彼らは自分のしていることを知らないのですから」と言った、と聖書に書いてあるそうだね。逆に言うと「自分のしていることを知っている人間」、つまり確信犯に対する赦しはない、なんて解釈する人もいるらしい。神学者とかの中にはさ。死刑は救済である、みたいなことをいう人もいるそうだよ。おいらは直接、会ったことないけどさ~。仏教徒でもイスラム教徒でも、それぞれの信仰する宗教に基づいて死刑肯定論を展開する人と、廃止論を唱える人がいるしさあ。宗教の話は切り離した方がいいと思うんだよな。純粋に政治的な問題に宗教だのを絡めるのは、フェアじゃねぇと思う。ヨーロッパで死刑を廃止した国が多いのは、国境を接した国々が血みどろの争いを繰り返し、人が人を殺すということの意味を痛切に考えさせられた果てにたどり着いた地平、って感じもする。言ってみれば、流され続けた膨大な血と涙であがなった地平、さ。世界は、その地平にもっともっと敬意払った方がいいと思うな。

玲奈:宗教以外にも、たとえば「特殊な文化的背景」論なども切り離した方がよくないかしら。「日本には、死んでお詫びするというメンタリティがあって」うんぬんとおっしゃる方がいますわねえ。あれも変ですわね。

麗子:ただ、問題は遺族感情というのですか、「加害者を許せない」と叫ぶ被害者遺族の気持ちですわね。これを強調されると、麗子はどう考えればいいのか当惑いたしますの。

玲奈:ええ、バダンテールも死刑廃止演説の中でそれに触れて「人間の自然な感情です」と言っていますね。そのうえで、「個人的報復を否定するのが歴史の流れ」と述べているわけですけど.……。

ばあや:そのことですけれど、お嬢様、原田正治さんという方が『弟を殺した彼と、僕』という本を出されています(2004年刊行、ポプラ社)。原田さんの弟さんはトラックの運転をしておられ、勤め先の社長・Hに保険金目当てで交通事故を装って殺されたのでございます。裁判では原田さんも証言台に立って「極刑を望みます」とおっしゃり、死刑が確定した時も「当然だ」と思われたそうです。でも、その後で拘置所から来たHの手紙を読んだりするうちに、会いたくなるのですね。直接、罵ってやりたいと思ったのだそうですが、彼が謝ってくれたことで気持ちが落ち着いた。許したわけではないけれど、直接謝罪の言葉を聞くことで、誰のどんな慰めよりも癒されたと原田さんは書いておられます。面会は4回にわたり、手紙のやりとりも続きました。2001年に死刑が執行された時、原田さんは「H君(と、加害者を君づけで呼んでいる。年齢は原田さんの方が少し上)の死で、僕の彼に対する憎しみや怒りは癒されるわけではない。でも、彼ともっと交流させて欲しかった」という意味のことを原田さんは書いておられます。

ムル:ばあさん、よく知ってるじゃーん。さっすが年の功。あっ、イテテ(ばあやに耳をつねられた)。ぼうりょくはんたーい。

玲奈:原田さんという方は、死刑廃止の運動をしておられますね。アムネスティの集会などで講演なさったり。死刑は被害者遺族を置き去りにするだけ。殺人を犯した人には、生きて、償って欲しいと思っておられるようですね。

麗子:愛する人を殺されたら、感情が激している時は誰だって犯人に対して「殺してやる!」と叫ぶと思いますわ。でも加害者を殺しても、被害者と共に過ごしていた生活が戻るわけではありませんわね。加害者が死刑になって溜飲が下がったというのは、関係ない他人が言うことですわねえ。対岸の火事、の感覚で。

玲奈:溜飲が下がったというのは関係ない他人が言うことって、その通りですわ。原田さんのような被害者の遺族が死刑反対の意思表示をすると、関係ない他人から「なんで死刑にしろと言わないんだ」という脅迫のような反応がくる、という話も聞いたことがあります。そういう反応、ちょっと悲しいですね。

ばあや:ただ、さっきも玲奈さんが言われました通り、人間の復讐心をどのように解決するか、という問題はありますね。ひどい目に遭ったら、恨みを晴らしたいという。身内や友人を無惨に殺された人間が苦労して仇を討つ、加害者を殺すという話は、古今東西たくさんあります。そして、喜んで受け入れられてもいるのでございます。

ムル:父親を裏切ったオフクロとその愛人に娘が復讐をする『エレクトラ』とか、愛する男を殺された女が1人ずつ復讐していくという『黒衣の花嫁』とかさ。それから世界中の神話でもお伽噺でも……たとえば……

麗子&玲奈&ばあや:ストーップ! このバカ猫!! 華氏さんの影響か知らないけど、本の題名とかをズラズラ並べるのは止めなさい!

ムル:へいへい。今日は3人もいるから分が悪いや。おいトマ、おまえ何笑ってるんだよッ。まっ、ともかく復讐譚はほんと多いし、結構いい話的に読み継がれてもいるよね。人間の中には、ひどい目に遭った時、「恨み晴らさでおくべきか」みたいな感情があるのは確かだと思う。ましてや身内とかが殺されたりしたら……。

麗子:憎悪し、殺してやりたいと思うのは当たり前?

ムル:そういう感情はあるだろうよね。それをいいとか悪いとかは言えないさ。麗子ちゃんたちも名前聞いたことがあると思うけど、池田浩士っていうドイツ文学の研究者がいてさ。この人は死刑廃止論者なんだけど、死刑廃止委員会が編集した年報とかで、いつも言ってることがあるんだよね。

【死刑廃止を考え、また口にも出すとき、そのつど逃げることの出来ない自分自身への問いがあるとすれば、それは、おまえの大切な人を無惨に殺害した犯人が死刑になる時も、おまえはそれに反対するか――という問いかも知れない】(上記年報2005年版・インパクト出版会刊行)  

ほんと……軽く答えることはできない問いだよね。おいらだって、たとえば愛している猫がおもしろ半分に人間に殺されたりしたら――と思うとゾッとするさ。随分前だけどね、おいらの友達の子供が浚われて、化粧品会社だか薬品会社だかの実験に使われて死んだことがある。その時おいらの友達は、一生許さない、(実験に携わった人間達を)殺してやりたい、と叫んで血のような涙を流し続けた……。わかるんだよ。憎悪で身を焼かれるような、その気持ち。たださあ……復讐心を心ゆくまで満足させることに合意したら、ヴァンデッタの世界になるじゃん。

玲奈:『Vフォー・ヴァンデッタ』?

ムル:それは映画!! おいらが言ってるのは、一族同士が何代もにわたって、血で血を洗う復讐を続けるというやつ。むかしコルシカ島にあったものとか聞いたことがあるけど、なーに、何処の国だって多かれ少なかれそういうものはあったと思うよ。父親を殺された息子なり娘なりが、相手を殺す。次はその子供達に殺される……。憎しみの連鎖、ってやつだよなあ。そういう連鎖を断ち切るために、人間は必死で宗教とか哲学とかをこね回してるんだと思うけどな。

麗子:個人の復讐は禁じた社会でも、「代わりに法の下で復讐してもらう」制度は残りましたのよね。永遠の報復合戦にピリオドを打つための方策、という方もおられますわね。

トマ:ねえねえ、個人的復讐の代替、って考え方はおかしくない? 復讐心は感情の問題だもん。法律にはなじまないよ……。

麗子:そうね。報復感情や憎悪や、人を差別する心や……みんな、私達がひとりひとり苦しみながら解決していかなければいけないんですわ。

玲奈:感情と言えば……とむ丸ちゃんのママさんが、「死の囲い込み」というお話をしてくださいました。カミュのお父さんがギロチンによる処刑を目撃した後、家に帰って激しく嘔吐したことなどを話され、「いま、処刑が目の前でおこなわれたら、私達の感性はどれだけ耐えられるでしょうか」って言っておられましたわ。公開されないから、私達は考えずにおれるのだと。

ムル:非公開性の問題だけど……日本でも、明治になるまでは死刑が公開されていたよね。むろん全部の死刑がじゃないけど。市中引き回しをして、河原で首斬ったりさ。キリシタンの磔なんかも公開されててさ。残虐な刑を見せることで「おまえらも犯罪を犯すと(おかみに逆らうと)こうなるぞ」と脅しつけたわけ。何処の国でも同じだけど。それを見て、カミュのお父さんみたいに耐えられない思いを抱く人もいただろうけど、その一方で、素敵な見せ物みたいに喜んでた人々もいると思うんだ。ほら、昔は村とか小さな集団の「私刑」ってのがあったじゃない。重大な犯罪じゃなくても、たとえば物を盗んだとか放火したとか姦通したとか……集団のモラルやルールに違反した人間を、生き埋めにしたり、村はずれの丘でしばり首にしたりさ。それを嬉々としてやった人々がいて、さらにその何倍何十倍も、ワクワクしながら見ていた人々がいるわけでね。彼らだって、今の麗子ちゃんたちと違う人間だってわけじゃないんだぜ。死刑を公開したとするじゃん? そしたら、それを楽しむ連中がいる……と言うよか、楽しんでしまうものが誰の心の底にも潜んでるんじゃないかとおいらは思う。実際に首を斬る役目の人は別としてさ、見ているだけの方は、自分が手を汚すわけじゃあないもん。今この瞬間だって、ネット上に残虐な写真が流され、それにアクセスして興奮する人間がいる。強姦願望を持つ人間や、単なる好奇心で人を殺してみたいという人間もいる……。

麗子:人間の中には、そういう残虐性もあるんだと言いたいわけですの?

ムル:うん。死刑の公開は、そういう残虐性をエスカレートさせてしまう危険性もないじゃない。むろん、近代以降多くの国で死刑が非公開になったのは別の理由だけどさ。とむ丸ちゃんのママも言ってるように「臭いものにフタ」って感じで隠してるわけだけどね。善良な庶民の皆さんには関係ありませんよって。市民の目から隠すのは、多くの人が近代以前のように「おかみの言われることは何でも正しい」とは思わなくなってるからかも。「おかみ絶対」じゃあない場合は、「見せしめ」のつもりで見せたものが逆の効果を生みかねないからね。ま、処刑の公開は国家の側にも市民の側にもリスクがあるということさ。ただ、さっき言った残虐性のことは、麗子ちゃんたちにも考えて欲しいんだ。自分の中のそれと向き合って、その上でひとりひとりがそれを昇華して欲しいんだよね。さもなきゃ戦争の放棄や死刑の廃止をしても、いつかまた、何かでうまく刺激されて「あいつを殺せ」の声が復活する危険性が残ると思うんだよな。

玲奈:うーん、バダンテール演説を読んで、死刑のない期間は殺人発生件数が減っていたということを知って、死刑という制度が人間の残虐性を拡大しているんじゃないかと私は思いました。

ムル:むろん、そういう面もあると思うさ。ただ、もともと存在しないものならば、刺激されも拡大されもするわきゃあない。

麗子:人間の残虐性……そんなものの存在など信じたくありませんけれど、あるんでしょうね……。

ムル:おいらみたいなご意見無用の野良猫が言うのは変だけどさ……人間てほんと、どっちに転ぶかわからない、危うーい生き物だと思うんだよな。自分の中にある衝動みたいなものをきちんと分析して、それを乗り越える哲学を持てるかどうか。それが人間が崇高な存在でいられるかどうかの境目だと思うけどね。あっ、哲学なんて言ったけどさぁ、カントが、サルトルが、ラカンが、なんてこと言ってるわけじゃあねぇよ(そうい言えばカントの死刑肯定論は有名だけどさぁ、彼の論理を突き詰めれば究極のところ、ぐるっと回って死刑否定論と重なったりするんだよな)。もっと……何というか、素朴な……生き物の倫理、みたいなものかな。そんな、むつかしく考えるようなことじゃないと思うんだよな……。

ばあや:日が傾いてまいりましたよ。お嬢様、玲奈様、そろそろお戻りになりませんと……。

麗子:そうね。じゃ、失礼しましょうか。

ムル:名残惜しいけどさー、泊まってもらうわけにもいかないし、じゃあこの辺でね。次も何処かに行くの?

麗子:ええ。ぷらさんのお宅にお邪魔しようかしらって。

ムル:ああ……あの人は感覚の鋭い人だからね。全く違う角度から、普通はなかなか気がつかないことをしゃべりまくってくれると思うぜ。華氏なんぞに会ってゴタク聞くより、ずっとおもしろいはずさ。こんなこと言うのはシャクだけどよ、華氏にしてもおいらにしても、所詮は小理屈をこね回してるだけさ。生半可な知識だの理屈なんざ弱いもんで、ひょんなことですぐコロッとひっくり返る。最後まで残るのは感性だけだって……いや、これは華氏がいつも言ってることだけどね。

トマ:(最後のクッキーのカケラを慌てて飲み込みながら)ばいばーい。また来てね。

麗子&玲奈&ばあや:(もう来るか、こんなとこ)

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