鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

東北本線ほぼ完全制覇・第2章~終点・盛岡へ

2016-10-03 | 鉄道の旅


2 0 1 6 年 9 月 1 4 日 ( 水 )

午 後 1 2 時 3 3 分

J R 仙 台 駅 在 来 線 中 央 改 札 前



 

仙台駅でこの日最初のまともな食事をした私は、「試される大地」を目指してさらに北上します。


この日6本目となる今度の電車は、



12時45分発 東北本線 普通電車 小牛田(こごた)行きです。

私事ではありますが・・・
大学在学当時、家庭教師のバイトをしていた私は、仙台駅から電車に乗って生徒さんのご家庭へと出向いたものでしたが、このときの電車がたいてい「小牛田行き」でした。
仙台市内からだいぶ離れたところにあるご家庭を担当することとなって、知人友人は「貧乏くじを引かされた」と言っていましたが、ここのご家庭が私をよくもてなしてくださいました。
ご夕食、休憩時のおやつ、そしてたまにお土産、さらにはお父様といっしょに国分町(仙台市内の繁華街)で飲んで、あげくの果てにはキャ●●●まで連れて行ってもらうことに・・・。

・・・というわけで、そこのご家庭にちょいと立ち寄る・・・時間などなく、北上の途を急ぐこととします。



この電車は、私の学生当時には存在しなかったタイプで、E721系というそうです。
座席は、ボックスシートとロングシートが併用されています。
ボックスシート窓側の席を確保できれば、仙台平野の車窓が楽しめそうです。

車両は4両編成・・・でしたが、さすがは仙台。
すでにお立ちの乗客もいるほどですから、当然私もお立ちとなりました。
しかしながらその分、フレキシブルに車窓を楽しめそうです。




午 後 1 2 時 4 5 分

仙 台 駅 を 発 車


電車は順調に北へと進み始めました。
しばらくは仙台の市街地を進むのですが、仙台から2駅目の岩切駅を過ぎると、



田園風景が目に入るようになります。いちおうまだ仙台市内です。
田んぼの向こうに見えるのは、新幹線の高架。
岩切駅で分かれる利府支線とともに、西に行ってしまいます。
岩手県の一ノ関駅まで、新幹線とはおさらばです。

 

岩切駅からさらに2駅、国府多賀城駅です。
その名のとおり、多賀城【国指定特別史跡】の最寄駅・・・ですが、この画像は失敗ですな(T_T)
右の画像は、多賀城築城のいきさつを示す多賀城碑(壺の碑)【国指定重要文化財】が安置されているお堂があるあたりです??


仙台駅を出て以来、私は進行方向左側のドアに寄りかかっていました。
国府多賀城の次、塩釜駅を出て、

「次は、松島です。 The next station is Matsushima. 」

ぼ~っと外を眺めていた私に自動放送アナウンスが耳に入ることもなく、



あ゛あ゛っ! 松島だ!! すっかり忘れてた!!
左側を眺めていた私は、右側に見える松島湾を見逃してしまったのです。
松尾芭蕉が「おくのほそ道」で記した「扶桑第一の佳景」(日本一の光景)。
私のデジカメさんにはこの程度のものしか収まりませんでした。
東北本線から松島湾を眺めることができるのは、塩釜駅を出てから約4分後のこの間だけ。
東北本線は内陸寄りを進むため、トンネル連続区間に入ってしまうともう眺めることはできません。



松島駅に到着する手前、突如海方向へ分かれていく1本のレール。
仙石東北ラインはここから東北本線を脱し、松島湾沿いを進む仙石線に繋がります。


松島駅からは、愛宕、品井沼と続きます。
品井沼駅は、かつて利府支線との分岐駅でした。
というよりも利府支線がかつての東北本線でした。

品井沼の次は、家庭教師に出向いていた鹿島台



おお~、えらく近代化されてしまったなぁ~。
私が学生のころは、平屋の駅舎に商店(キオスク?)がついていたのですが、いまはなんと橋上駅舎になっています!
ちゃんとエレベータもついています。
ここでも、眼に見えるかたちで時の経過を思い知らされました。そういえば18年前になるのか~(T_T)




電車は、仙台平野の田園地帯をひたすら北上していきます。
まわりはひたすらに田んぼです。



鳴瀬川を越えたところで、電車は終点・小牛田駅に到着します。




午 後 1 時 3 0 分

宮 城 県 遠 田 郡 美 里 町

J R 小 牛 田 駅


ひさしぶりのこごたです。



東北本線に加え、陸羽東線、石巻線、気仙沼線が乗り入れるターミナル駅です。
ゆえに乗り鉄には有名な難読地名ともなっている田。
なぜ「ご」「牛」なのでしょう???

諸説あるようですが・・・
まずこの地は奈良時代は小田郡に属していて、その一部ということで「小小田」(こごだ)と呼ばれていたそうです。そして・・・
(1)隣りの牛飼村とが合わさって「小牛田」と記されるようになった説、
(2)隣りの牛飼村小塩村の間にあり、土地開発により田園が拡がったため、2村の頭文字に「田」をつけた「小牛田」という地名になった説、
などがあるようです。

まぁ、平成の大合併でいまでは美里町になっちゃったんですけどね。



次の電車は、13時46分発 東北本線 普通電車 一ノ関行きです。



2両編成のE701系電車ということで、座席は車窓を楽しみにくいロングシート。
睡眠時間にあてるとしますか・・・。


電車は相変わらず仙台平野の田園地帯を進みます。



田。



た。



TA!!



たまに川。



数分おきに駅。この繰り返しで進んでいきます。
駅名標しか撮れませんでしたが、石越駅の次は岩手県に入ります。


岩手県最初の駅は、油島駅



駅名標だけ・・・しかも反対方向のやつ。



油島の次は、花泉駅。今度は駅舎だけ・・・プラス駅員氏。



次は清水原駅



お次は有壁駅
ここでなんと宮城県に逆戻り。
そのため有壁駅が宮城県最北の駅ということになります。

そしてふたたび岩手県に入り、



14時32分、終点・一ノ関駅に到着。




午 後 2 時 3 5 分

岩 手 県 一 関 市

J R 一 ノ 関 駅




一ノ関駅の外に出てみました。
ひらがなで「いちのせき駅」の駅名表記の左右には、左に「ようこそ一関温泉郷」、右に「『世界遺産』浄土の風薫る“平泉”」と大書してあります。
・・・ちゃっかり平泉に便乗しています。



一ノ関駅のスタンプ。改札口の脇にありました。
ひとつは「もちの里・いわて南の玄関口」というもの。
日本有数の米どころとあって、岩手県は豊かな餅の文化を有しています。



もうひとつは「厳美渓・いわて南の玄関口」
そういえば一関には厳美渓【国指定名勝】、猊鼻(げいび)【国指定名勝】がありました。
このふたつの景勝地を差し置いて平泉をパワープレイする一ノ関駅・・・やはり「世界遺産」の称号は強いようです。



今度の電車は、14時43分発 東北本線 普通電車 盛岡行きです。



電車は2両編成、色づかいは変わっていますが同じE701系電車
またも座席は車窓の観にくいロングシートです。



電車の中にはごみ箱が備わっています。首都圏の鉄道では見られない設備です。


乗客は意外と多く、お立ちの人もそこそこいました。
しかし平泉駅で、ほとんどの乗客が降りていきました。
やはり「世界遺産」は強い・・・。


平泉からは、東北の大河・北上川とともに北へと進みます。
岩手県は都道府県で第2位の面積を誇る県ですが、その多くが山地です。
岩手県の人口は、その多くが平地のある北上川流域に分布しています。
なので一関から北に、水沢、北上、花巻、そして盛岡と、トビトビに街があります。

乗客は、徐々に増え始め、そして学校の放課後とも時間が重なり、車内は高校生でいっぱいに。
私は車窓をあきらめ、人間観察でもして時を過ごすのでした。




午 後 4 時 1 1 分

J R 盛 岡 駅 に 到 着




現在の東北本線の終点・盛岡駅に到着しました。
大宮から盛岡まで、その距離は500km超。
これにて東北本線はほぼ制覇!と言っていいでしょう。
東京・大宮間? そこは何度も利用しているから、制覇ということでいいんです!!

そして、30年ぶりの盛岡。といっても盛岡は通過しただけなので、盛岡の街中を歩くのは初めてです。
しかしながら、あまり感傷に浸っている時間はありません。
早々にコインロッカーに荷物を預け、



駅舎の外に出ました。

午後4時を過ぎて、この旅最初の城攻めが始まりました。



【今回の乗車記録】

JR東日本 仙台駅 2番線 12時45分発
東北本線 普通 小牛田行き 4両
小牛田駅 3番線 13時30分着

小牛田駅 2番線 13時46分発
東北本線 普通 一ノ関行き 2両ワンマン
一ノ関駅 1番線 14時32分着

一ノ関駅 2番線 14時43分発
東北本線 普通 盛岡行き 2両ワンマン
盛岡駅 7番線 16時11分着

*移動時間 3時間26分 (乗車時間 2時間59分  待ち時間 27分)
*移動距離 183.5km  *運賃 北海道&東日本パス使用(不使用の場合は3,350円)






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