鬼ヅモ同好会第3支部・改「竹に雀」

鬼ヅモ同好会会員「めい」が気ままに旅して気ままにボヤきます。

小樽運河散策・最終章~日本郵船

2017-10-04 | 教会・洋館


2 0 1 6 年 9 月 2 1 日 ( 水 )

午 後 2 時 4 8 分

北 海 道 小 樽 市

運 河 公 園



北運河(小樽運河北側)からほど近い運河公園



西日に輝く噴水の向こうにある建物は、



旧日本郵船株式会社 小樽支店【国指定重要文化財】です。
・・・・・・むむっ、タクシーがなかなかどいてくれない(T_T)

明治39年(1906年)建築、石造り2階建て。
この建物は、日本郵船株式会社が小樽支店として新築したものです。
設計は工部大学校(現在の東京大学工学部)出身の佐立七次郎工学博士で、当時としては最新の石造洋風建築でした。
新築後まもなく、ポーツマス講和条約による樺太国境画定会議がこの建物で開かれました。
昭和30年(1955年)小樽市が建物を譲り受け、小樽市博物館として使用していました。
昭和59年から62年にかけて保存修復工事を実施し、現在の姿となっています。
(小樽市の案内看板の記述を編集)


・・・・・・建物正面の画を撮りたかったのですが、このタクシーがどいてくれなかったので、仕方なくそのまま中に入りました。
入館料は、大人300円。
小樽市総合博物館「運河館」との共通券は500円でしたが、私はその存在をスルーしてしまいました(^_^;)
入口で履物をスリッパに履き替えて、入館します。



まずは1階、業務が行われていた営業室です。
外部とは木製のカウンターで仕切られていて、柱はギリシアの神殿建築に用いられたエンタシスを思わせます。
商業施設としての機能性と、会社の「顔」を担う優美性を兼ね備えた意匠は、小樽の建築物の「横綱」にふさわしいといえます。



営業室は海運資料の展示コーナーとなっています。
調度品、ブラケットライトなど、往時の会社の雰囲気が再現されているかのよう。



外来客との商談は、



応接室で行われていたのでしょう。


一般業務、一般顧客のフロアである1階から、

 

特別業務、重要顧客用のフロアであった・・・



2階へ。



階段正面の部屋は、貴賓室です。



壁紙、照明、カーテン、調度品、じゅうたん・・・1階の応接室とは比べるまでもない、豪奢な内装です。



2階で最も広い部屋、会議室です。
ここで、日露両国の代表による樺太国境画定会議が開かれました。
その結果、北緯50度を境として南側が日本領となりました。

第2次世界大戦後の日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)で、日本政府は南樺太の領有を放棄しました。
しかしこの条約では旧ソ連(現在のロシア)が締約国とはなっていないため、日本政府は「南樺太の領有権は宙に浮いている」という立場をとっています。

 

隣りの食堂室には、境界標のレプリカが展示されています。



再び1階に下りました。



玄関とは反対側の戸口から、渡り廊下でつながる附属舎へ。
会社の顧客の目が届かないこの質素なフロアは、もっぱら従業員のための空間で、宿直室倶楽部室球戯室(ビリヤード室)などもありました。

ここで無料ガイドに遭遇、しばし同行することに。



附属舎にある男性用トイレ
ですがここのタイルがなかなか凝っていて・・・と、たしかガイドさんがおっしゃっていたような???


附属舎から営業室に戻ります。
最後の部屋は、



金庫室です。



金庫です・・・・・・以上。



外に出ると、時計の針は午後4時を回っていました。



建物前に居座っていたタクシーもさすがにいなくなり、ようやく建物の全貌を目にすることができました。



隣りには旧日本郵船株式会社小樽支店 残荷倉庫【小樽市指定歴史的建築物・第54号】が建っています。
こちらは横目に眺めるにとどめ、小樽運河をめぐる街ブラはこれにて終了。






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