たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

ひきこもり考 <ひきこもり 100万人 61万人は中高年>などを読みながら

2019-03-30 | 心のやすらぎ・豊かさ

190330 ひきこもり考 <ひきこもり 100万人 61万人は中高年>などを読みながら

 

世の中に情報として現れる事象はときに理解することに窮することがあります。それぞれの個性や生まれ、経験などが違うのですから当然でしょうか。それがある種の自由社会の結果かも知れません。

 

私が理解に苦しむことは多々ありますが、他方でその状況に立てば私もそうなるかもと思うことも結構あります。ある事象を表す用語自体、ときに一方的に名付けられ定義づけられるので、その概念の適切さに疑問をもちたくなるものもあります。

 

たとえば今朝の毎日記事<ひきこもり100万人 61万人は中高年 内閣府調査>は、<ひきこもり>の問題を従来の若者という視点から中高年の視点で取り上げています。

 

で、<18年12月、全国の40~64歳の本人5000人(有効回答率65%)と家族らを対象に実施>し、その<ひきこもり>の定義について、<6カ月以上自宅から出ないなどの条件に当てはまる>として<47人>を認定したそうです。<40~64歳人口(4235万人)から推計した【阿部亮介】>結果、<61万人は中高年>ということでしょうか。

 

<ひきこもりの人の総数は100万人規模>で、<内閣府によると、年齢の内訳は、40代が38%、50代が36%、60代が26%。ひきこもりになった年齢が39歳以下の人は4割程度で6割は40歳以上。期間は「7年以上」が47%と半数近くを占めた。>とのこと。

 

年齢層については、60代まで振り分けているようですが、70代以上はどうなっているのでしょうかね。他方で、高齢者については孤独死とかを問題にする情報も最近よくみかけますが、当然70代以上も少なくないように思うのですが、それは<ひきこもり>の対象とならないということでしょうか。

 

だいたい<自宅からでない>という条件が基本にあるようですが、それをもって<ひきこもり>の必須条件とするのでしょうかね。先日のNHKの放送では、買い物にたまに出かけるという人も登場していましたが、その程度は枠内に入っていると言うことでしょうか。

 

で、そもそも<ひきこもり>がどのような問題をかかえているか、いやいや問題なのかも、あまり明確でないようにも思うのです。子どもの不登校でひきこもりといった場合、問題にされてきたかと思います。

 

たとえば今朝の毎日社説<社説児童虐待の緊急調査 予想超える深刻さに驚く>では、<厚生労働省と文部科学省が合同で行った緊急調査によると、学校や保育所を長期欠席している子どものうち、教師らが面会して「虐待の恐れがある」と判断したのは2656人に上った。面会できなかった子どものうち「虐待の可能性が否定できない」のは9889人にも上る。>と不登校の子どもについて虐待のリスクの観点から言及しています。

 

これは家庭内での虐待という視点からのアプローチのせいでしょうか、他方で学校内に問題がある場合、不登校と同時に<ひきこもり>になっている可能性が高いかもしれません。

 

ところで、不登校、さらに<ひきこもり>が必ずしも重大な問題ともいえないように思っています。集団生活になじめないというのは、子どものころはもちろん、大人になってもありうることではないかと思います。それはある種の危機回避として人間が持っている安全装置の一つではないかと思うことがあります。

 

それは集団といった大きなものでなくても、家庭内でも、小さなグループでも起こりうるのではと思います。そこにいると自分の精神的な安定が保てないというおそれがあれば、回避行動を取る方が人間としては自然かもしれません。

 

私自身、小学低学年のころ、あまり学校に行かなかったと思います。あまり集団生活になじめなかったのかもしれません。そんな古い昔のことは忘れてしまいましたので、原因はわかりません。一時的には地域の仲間とも遊ばず一人家で閉じこもっていたような記憶もあります。

 

私の友人で(もう後期高齢者の列に入っています)、小学低学年のころ、2年くらい学校を休んで(病弱で孤立していたようです)そうですが、その後強靱な精神と体となり、私と知り合った40年くらい前には、驚くほどの秀才ぶりというかリーダーとしての素養を発揮していました。

 

たしかにこの2つの例は、ここで問題となっている<ひきこもり>に該当するものとは違いますが、<ひきこもり>は多様な形態があるのだとおもっています。それぞれの背景事情に応じた対応を探っていく必要を感じています。

 

実のところ、私が仕事上、対応した中で、そういった<ひきこもり>といってよい方がいました。ある事例は30年以上前ですが、高齢者で妄想が強く、見張られているとか、自分のものを加工されるとか、さまざまな苦情を訴えていました。なぜそうなったか、家庭内の事業があったように思いますが、別居させて、アパートを借りる手配をしましたが、結局、妄想がさらに強くなり、入院することになりました。この方の場合落ち着いた状況で精神科医に相談しながら問題に対処しておればよかったなと反省が残ります。

 

そういった高齢者のひきこもりは他にもありました。他方で、<クローズアップ2019 ひきこもり高齢化、深刻 就活失敗、抜け出せず>によれば、今回の調査でとくに問題となっているような<就職活動の失敗や職場になじめなかったこと>、<長時間労働の常態化やパワハラの横行など>のようなことが引き金となったひきこもりは、私自身、直接対応したことがないので、その気持ちとかがわかるわけではありません。

 

他方で、これらの要因が本当の契機であれば、その要因自体、個々人にとって行きにくい、組織の力というか集団性の事実上の強要といったものを感じます。

 

私自身、組織に属するのが苦手ですので、裁判官や検察官の道を選びませんでした(前者は希望しても断られていたでしょうけど?)。弁護士会というのは割合、自由な組織なので、私のような者でも、結構長く弁護士会活動をすることができました。いまは高齢と病弱を理由にほとんど活動を休止していますが、それを大目にみてもらっているようです。

 

組織のあり方、社会のあり方としても、もう少し個々の自由を認める方向を目指して欲しいと思うのですが、簡単ではないですね。

 

今日もなんだかよくわからない話になりました。そろそろこのブログを休止することを暗に示唆するものとなっています。

 

ともかく明日、もう一回書いてみます。また明日。