たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

洪水への備え <国交省 「洪水迫る」警告マップ浸水予想表示・・>を読んで

2017-05-22 | 災害と事前・事後

170522 洪水への備え <国交省 「洪水迫る」警告マップ浸水予想表示・・>を読んで

 

今朝は丑三つ時に目が覚めてしまいました。これは老人病の兆候かしらなんて思いもうっすら浮かびますが、くだらない考えが頭を駆け巡っているといつの間にか再び眠りについたようです。それでも目覚めが5時前で、少し早すぎと思いつつ、それなり体は元気そうなので、30分もしないうちに起きだしてしまいました。真夜中に鳥たちも元気なのがいるなと思いながらも、フクロウの声が聞こえてきません。昔京都に少し住んでいた頃、夜中に東山を歩いていると、よく聞こえてきました。フクロウの鳴き声はとても余韻があり、いいのですが、なかなかその後はそういう場面に遭遇しません。

 

さて今日も継続の仕事を簡単に終えて、本日のお題はなんて考えていると、もう5時になっています。最初は<女の気持ち 老前整理>という見出しに興味を抱き、方丈記の一節を頭に浮かべながら、我なりの整理状況を書いてみようかと頭をめぐらしていたのですが、ひょいと見出しの記事が目に入り、老後(死後処理)対策はもう少しのんびりやろうかと考え直し、こちらにすることにしました。

 

国交省「洪水迫る」警告マップ浸水予想表示 来年度にも>という記事からいろいろ連想ゲームのようなことになり、どのような内容になるかまだ見通しがついていませんが、とりあえず書き始めます。

 

最近の異常気象はこれまでの常識的な考えは通用しないように思うことがたびたびです。といいながら、これまでの「常識」的な時間雨量とか、連続累積雨量といった基準が、気象記録が残っているせいぜい100年か150年の間で起こったことをデータにしているに過ぎず、残念ながら地球の気候変動のダイナミズムには到底対応できませんね。

 

以前、いろいろな開発案件を取り上げて問題提起していましたが、その中でも洪水対策や土砂崩れ対策への不安が重要な要素の一つでした。というのは法的な安全基準が、政令等で決まっていて、時間雨量がたとえば60mmを前提にして(これは地域によって異なる)、集水域内の降雨量に対応できているかという設定で、公共下水道の本管や枝管まで十分受け入れるだけの排水管の敷設がなされているかといった数値基準で安全性がチェックされています。むろん十分余裕のある設計基準にしていますので、時間雨量が80mmなったら、あるいは100mmになったら直ちにあふれるということはあまりないと思いますが、降雨が継続していたり、保水力のない土地などだと、一気にあふれてしまいます。

 

現在の開発許可基準で、最近の時間雨量100mmを超えるような異常気象や、連続する大降雨量に対応できるかと言えば、相当不安な状況ではないかと思うのです。

 

これは造成地などの問題ですが、いまだ洪水や土砂崩れの予防が中心ではないかと思うのです。これに対し、河川の場合従前から水害訴訟で完全に洪水を防止できないということが行政も裁判所も明確に認めてきました。そして見出しの記事では、一定の氾濫を回避困難と受け止め、洪水発生を完全に食い止めるのではなく、その予防警報を早めに周知させ、回避させる現実策をようやくスタートさせたかと思った次第です。

 

それ自体は望ましい施策と思うのですが、いかんせん、現在整備整備されつつある情報自体、十分ではないように思うのです。たとえば<洪水マップ>がいつからでしょうか、少しずつ各地で整備されてきましたが、まだまだほんの一部の河川だけです。また、その洪水マップの精度もどの程度有効なものか、検証されてきたのでしょうか。さらにいえば、どの程度周知されているでしょうか。

 

以前fbで書いていたときに触れたように思いますが、ため池決壊によるハザードマップについて、住民説明会がありました。立派な図面ができあがっていて、それをコンサルト市役所の担当者が説明して、住民との間で意見交換が行われました。私が驚いたのは、その洪水マップは単純に地形図の標高を頼りに機械的にマップが描かれていたのです。たしかに標高は重要です。しかし、水の流れは地形の凹凸に影響しますし、狭い地域の中だと標高だけで水は高いところから低いところに流れるという公式が妥当しますが、広くなると、また人工施設などがあると、その流れが変化します。たとえば鉄道の高い法敷が下流方向に横断していると、単純な標高計算だけでシミュレーションすると大変な誤りが生じます。その意味ではAIの有効な活用が必要かもしれません。

 

と同時に、上記の予報は、一級や二級河川など主要河川について、まず行われることが予想されます。それ自体は結構なことだと思うのですが、現在の洪水マップでも、その主要河川に流入する無数の小河川は把握されていません。そして現在の異常気象はどこで局地的に発生するかまったく予想不能な状況です。しかも無数の小河川における地形データや集水量、そしてどのような氾濫状態となるか、ほとんど把握できていないのではないでしょうか。

 

こういった小河川からの流入水は、主要河川やその下流で氾濫のおそれが予想されたとき、樋門を閉じて、流入させないようにしていますが、そうなると、その流入できなくなった小河川の中で氾濫が生じ、場合によっては主要河川に溢水する危険も起こりえます。

 

自然は予想しがたいものです。それを少しでも過去のデータを踏まえて事前に危険予知して、周辺住民に回避行動をとらせることは重要な意義があると思います。それ自体はさらに徹底して、その洪水予想データの精度を現地に当てはめて合理性のあるものにしてもらいたいと思うのです。

 

ただ、そのような氾濫原の危険情報を事前に、それは土壌汚染情報のように、不動産取引の重要情報として開示する方向をもできるだけ早く検討してもらいたいと思うのです。

 

わが国の都市計画では「氾濫原」という用語が死語になったいるのではないかと思ったりします。たしかにほとんどの都市は氾濫原を埋め立てて発展してきたわけですから、いまさらそこは氾濫原だから危ないよなんて言うと、詐欺だとでも言われそうです。しかし、命の危機が生じる寸前に、危険情報を流すことも重要ですが、その土地を検討するとき、どのようなリスクがあるかを事前告知する必要性は極めて高いのではないでしょうか。

 

いや、わが国は災害列島であり、自然の災難は仕方がないと自覚している人ならば、それはいいでしょう。でも多くの人は取引情報を見て、過去の土地利用や災害の歴史なんかに関心を抱くことはあまりないでしょう。ハザードマップという言葉も、私自身90年代初め頃に知ったような気がしますが、いまだに多くの人の関心を呼ぶ対象になっていません。それは市民意識の問題かもしれませんが、行政の努力が最近までほとんど行われてこなかったこともあると思うのです。

 

今日は少し疲れたので、この辺で終わりにしますが、最後に一言あまり関係のない話題を取り上げます。

 

私が時折書いている大畑才蔵のことです。先日、ネットワークの総会が開かれ、2020年の没後300年を記念する事業を具体化すべく少しずつ進んでいます。その才蔵が手がけた事業の一つである、「小田井」の堰があります。これによって紀ノ川北岸を上流から下流まで大潅漑用水を開設し、水のない土地に大規模水田地帯として、吉宗藩主の紀州藩財政改善の一翼を担ったのです。

 

で、この小田井ですが、その手前(上流)の右岸も左岸も大きな氾濫原です。その氾濫原の下流に堰を設けると、下手をすると、さらに洪水が広がるのではと私はふと不安になりました。現在は堤防が出来、分譲地がたくさんありますが、当時は農耕地だったのでしょう。百姓にとって、冠水するとその年は不作になるわけで、相当不平不満が出てきたのではないかと思ってしまいます。そうだとすると、どうやってその不満を解消したのか、いや、なぜわざわざそんな場所に堰を設けたのか、そんな疑問が湧いてきたのです。

 

さらにこの小田井からの灌漑水は、小田井のある高野口町には一切恩恵がありません。ずっと下流の桛田荘(現在の笠田周辺)といわれた地域より下流域が受益地です。自分たちの農地を分けて(あるいは取られて)、なんの利益もないのに、彼らはよく協力したものだと、これまた不思議に思っているのです。紀州藩の絶対政権が一方的に取り上げたといった解釈は疑問です。才蔵は、この大規模事業を行う上で、いかに開削面積を少なくし、運ぶ土量を少なくし、費用対効果を効率的にするかを数値的に検討しています。そのような才蔵が百姓の気持ちを無視することは考えにくいのです。また、吉宗が少なくとも百姓に対して一方的な強制収容的な行為を行ったとは思えないのです。また、江戸時代の土地制度はそれほど単純ではなかったと思うのです。

 

中途半端ですが、この程度にして、もう少し小田井の地形的意味合いや紀ノ川の河川形状の歴史的変遷なども勉強してから、この件については後日触れてみたいと思うのです。

 

今日はこの辺で終わりにします。