たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

方丈記と老後 <介護保険 2割負担の1600人、特養などを退所>を読んで

2017-04-08 | 医療・介護・後見

170408 方丈記と老後 <介護保険2割負担の1600人、特養などを退所>を読んで

 

今朝も昨日からの細雨が残っているようで、どんよりした雲行きの中、目覚めました。雨を嫌う人がいるようですが、私は、自然のなすがまま、というのが好きなので、どのような気象もそれなりにいいものですと言いたいと思います。

 

神さまを信じるだけの度量がないですが、自然がさまざまな姿を見せるのは地球誕生以来、それこそ驚天動地の連続ですから、日本の歴史レベルで経験した気象変動などはとくに驚くに値しないかもしれません。といっても私のこの分野の知見は2000年代のいつ頃か始まったNHKのプラネットアースによることが大ですので、たいした内容ではありません。

 

さて本題に入る前に横道にそれる私ですが、今日も一日作業ばかりしていて、いつの間にかもう暗くなる時間となってしまいました。なにをしたかということもないのですが、庭の枯れ草を刈り取り、花の苗木を買ってきて植えたり、雑多なことばかりです。

 

苗木は60株くらい買ってきましたか。去年、まだ腱鞘炎の具合がよくなく、fbでの今のブログのような内容を日々書いていたのを休止して、あれこれ作業をしていた頃でした。気分転換に花壇づくりをはじめ、試しに苗木を100株ほど植えたのです。どうせすぐ枯れるだろうと思っていたら、結構、長生きするので、次々と買い足して行きました。すぐに枯れてしまい、それでおしまいというのもありますが、何度も何度も枯れてはしばらくして咲いてくれるのがあり、これはなかなか病みつきになります。なかにはどんどん株分けして、当初の数十倍というと大げさですが、10倍は軽く超えるほど大きくなる花もありました。マリーゴールドなんかはその一つです。

 

それで事務所でも花だらけになっていきました。事務所の花が枯れたら、庭に植え直すと、中にはやはり土壌がいいのか、菌類がいいのか、再び開花して長生きするのもあります。不思議な世界と思うのは、花のことを何も知らないからでしょう。

 

以前の英国婦人の庭造りの話しを取り上げましたが、私は以前、TVで放映された番組で紹介された日本人の男性のことを気にかけています。たしか北海道の山の中で、野草を育てる姿を見て、なんとか私もやってみたいと、心の片隅にいつも残っています。

 

一時間600字を目標にしつつ、そんなにコンパクトに物事を整理するには頭をしっかり働かせないと無理な相談で、この字数はいつか頭の切り替えができるようになったらにしておきます。

 

さて、そろそろ本題に入りたいと思います。介護保険の話しと、方丈記の話しとどう関係するか、それは私の勝手な思いから筋道がつくのだと考えています。

 

方丈記では鴨長明が、最初は大きな屋敷に住んでいたが、転居のたびに小さくなり、いまでは一丈四方(約3m四方)の家具も何もない庵を住まいとして時代の世相を写し取り、処世の有り様を綴っていますが、私は、方丈記や徒然草、西行物語など、過去の先達を遠くに見上げながら、この貧しい内容のブログを日々書き連ねています。いずれも当時としては長生きして60年、70年余の人生を全うしたように思うのです。

 

では彼らは高齢になった後どうしたのでしょう。西行については以下の歌を生前に詠んで、そのとおりに陰暦216日、大阪にある弘川寺で釈尊涅槃の日に入寂したといわれています。

 

ねかはくは 花のしたにて 春しなん そのきさらきの もちつきのころ (山家集)

 

西行さん、そのような自死に近い生きたかをしたのでしょうか。鴨長明や吉田兼好はどうしたのでしょう。

 

五木寛之著作の親鸞では、自分で生きていけなくなると、京の都では、鴨川に捨てに行く、あるいは自らそこに出かけていって死を待つという、状況を丁寧に書いています。五木親鸞では、親鸞が最後に死んだら鴨川に流してくれとか言ったという話しを作家独特の想像力で鴨川における若い時代の親鸞の感性を見事に表現していると思いました。

 

では、私のこのような疑問と介護保険制度の見直し、負担増による特養施設利用の変化とどう関係するのでしょう。関係するといえば関係するし、そうでないと思えばそうでないといえると無責任な話しです。

 

私自身、それほど特養施設に関係したことがあるわけではありませんが、知り合いが経営者であったり、後見人として担当した被後見人が施設入居者だったりして、わずかな経験ですが、入所者的立場と経営者的立場、また、よく事情を伺っていた社会福祉士の方など施設職員の立場も、垣間見てきました。そして自分の母親も90歳を過ぎ要介護度4ですので、いずれは特養にお世話になる予備軍です。

 

特養施設に入ると、おそらく非常に快適な生活というか、何も出来なくてもやってもらえるので、その人にとって安楽かもしれません。家族の人も、介護の世話でくたくただった状況から解放され、安らぎが訪れるかもしれません。

 

でもその人が自由な意思を持っていたら、果たしてそこに入所することを選ぶだろうかというと、少しクェッションがつきます。いや、社会的には望ましいシステムかもしれません。

 

しかし私は、できれば西行のように、自らの死を自分の生きたかで選べる体力と知力を持ち続けたいと思うのです。西行がそうできたか、また、空海もそうできたかは、神のみぞ知るでしょうけど、私はそういう先達を少しでも見習いたいと思っています。

 

鴨長明も、吉田兼好も、当時の時代背景からすると、そういう生き方、死に方をしたのではないかと思うのです。そしてそれは別に平安末期や鎌倉の時代だけでなく、戦後初期までは割合、普通というか、それに近い状態であったのではないかと愚考しています。

 

とはいえ、現代は国の制度として、介護制度があるわけですので、その費用負担も、世代間、世代内での公正さ、公平さが求められるでしょうから、高齢であっても一定以上の所得があれば、介護費用の負担割合が増えてもやむを得ないというのも一理でしょう。

 

しかし、それには国家全体の予算配分との関係で、本当に、介護制度を含む社会福祉に要する費用負担について、予算配分が不足する事態なのか、他の予算配分に過大に回されていないのか、その検討を改めてしっかりやってもらいたいと思うのです。

 

安倍首相は、トランプ大統領のシリア空爆を是認する立場を早々と発表し、そして北朝鮮を中心とする東アジアの緊張拡大に対処するため、防衛予算を増やし続けています。そのような力と力による対立構造を是認し、強化することが本当に日本が目指すべき道なのか、日本国憲法の精神に適合するといえるのか、改めて問いたいと思うのです。

 

一時間が過ぎました。今日はこれでおしまいです。