たそかれの散策

都会から田舎に移って4年経ち、周りの農地、寺、古代の雰囲気に興味を持つようになり、ランダムに書いてみようかと思う。

衣食住とお金 <60代親世代が「住宅ローンは超怖い」と言う理由>を読んで

2017-02-16 | 人の生と死、生き方

170216 衣食住とお金 <60代親世代が「住宅ローンは超怖い」と言う理由>を読んで

 

今朝も霜が凍てつき、マイナス3度も納得する寒さです。そんな早朝、隣家のおばさんがやってこられ、私が伐った竹木をブドウ畑で使わせてもらえないかと、丁寧にご挨拶がありました。この竹木、枯れているやつは燃えやすいので、どんどん燃やしてしまうのですが、青々しているのは、一部は垣根とか適当に使うつもりで、あちこちに積んでいます。とはいえ実際は、ずっと放置することになり、いつの間にか土に埋もれる状態になります。

 

そんなわけで、どうぞどうぞ使ってください、どうせ燃やすつもりですから、それにあちこちに数十本、いや合計すると百本近くはあると思いますと、遠慮なく使ってくださいと話しました。すると、おばさんは袋を差出し、なにか買ってこようと思ったんですがといいながら、お金が入ってそうな袋をどうしても渡そうとするのです。私はとんでもないと、お断りしました。寒風の中、しばらく押し問答しましたが、田舎では一旦、出したものはなかなか引っ込めないことを分かっているのと、双方寒くてかないませんので、これはお年寄りの申し出を受けるしかないと思った次第です。

 

むろん中には、黙って持って行く人、一言言って持って行く人、いろいろいますが、結構、今日のおばさんのように、お金とか、あるいは農産物をもってきてくれる人がいます。それは竹木にかぎらず、なにかしたら、その代わりみたいなものでしょうか。

 

ちょうどいま先住民の世界をいろいろな本を読みながら、学んでいますが、やはりあのイザベラ・バードの『アイヌの世界』を思い出しました。バード女史は、アイヌの人と一緒に共同生活を少しの間しますが、その中で、アイヌの人からいろいろなものをいただくのです。その多くは経済的な価値のあるもので、バード女史はお金を提供しようとします。しかし、アイヌ人はだれも受け取ろうとしません。金銭的価値をアイヌ人が知らないわけではないのです。

 

この状況について、瀬川拓郎著『アイヌと縄文』では、(実はなかなか読む時間がとれず中途半端で終わっているのですが)アイヌ人は長く縄文人の末裔として生活を送ってきて、ようやく弥生期後半?から鎌倉期にかけて(後者がただしいかもしれません)弥生人や倭人(その後の日本人)と交易をするようになり、ある種の物々交換により、日本全土にとどまらず東アジアを市場とする、豊かな交易文化を形成していったとされています。他方で、アイヌ人の同族の間では物々交換が行われず、あくまで贈与、受領、返礼という決まった儀礼が慣行として続いていたというのです。ですから、バード女史もある種仲間のごとくあつかわれたのではないでしょうか。

 

で、なぜアイヌ人、縄文人の末裔として、その慣行の一部をとりあげたかというと、弥生時代は米作と集団による共同作業、それによる支配的関係、さらに支配関係を争う紛争といった歴史認識がありますが、交易の視点が十分には解明されていないようにも思います。さらに言えば、貨幣による流通です。すでに中国ではある程度の貨幣経済が普及しつつあったのではないかと思っています。

 

で、少し飛躍しますが、近畿圏の農業においては、相当早い時期から貨幣経済が浸透していたように思うのです。江戸時代には、田畑作業などの請負作業者に対する賃金協定なども認められますから、なにか作業をするということは、経済的対価が当然のように成立していたのではないかと思います。で、最初のちょっとした近所同士の会話は、その意識がいまなお強く残っている現れの一つかなと思った次第です。

 

その金銭ですが、かなり早い時期から、金貸しも成立していましたが、これはどのような宗教思想でしょうか。ユダヤ教はベニスの商人で誇張されるように当然視されていますが、儒教も、キリスト教も微妙に変動してはいるものの、結局は排斥してこなかったのではと思っています。武士政権では徳政令など、強引な支払免除を行っていますが、それだけの合理性があったのかもしれません。

 

と前置きがどこまで続くか分かりませんでしたが、この辺で終わりにして、見出しの住宅ローンに移ります。いつ頃から、金貸しの一つ、住宅ローンが始まり、定着したのかは、調べていませんが、宅地分譲は、1920年代頃から、田園都市構想が世界中を駆け巡る中で、わが国でもたとえば、田園調布、鎌倉、国立、芦屋など、各地で高級住宅地として森林に囲まれた整然とした区画の分譲地が相次いでつくられましたが、この頃、もしかして住宅ローンも普及しだしたのではなんて思ったりしますが、広告資料を見たことがあるものの、そこまでは気づきませんでした。

 

またまた脱線しましたが、私人もバブルの前に住宅ローンで住宅を購入しましたが、その後のバブルで見事な泡で消失しています。当時は金利も高くて、見出しの記事の中でも指摘されているように、その世代の多くは借りた金額の倍返しというのが意識として強く残っているでしょう。

 

しかし、その後の超金融緩和施策で、金利がないに等しいというと誤解を招きますが、あまり意識しなくてもよい時代になったことは確かでしょう。とはいえ、この筆者が言うように、いまがチャンスで、巨額の住宅ローンで、高い物件を購入することがお勧めとまでいえるかは、それぞれの条件によって当然異なると思います。

 

たしかにわが国の地価は、バブルの猛反省で、一部を除き、現在もほとんどの地域で安定しているか、わずかに低減している状況が続いていると思います。その意味で、土地の地価もお値頃ですよといえるかもしれません。しかし、私にはそう簡単にいえないと思っています。

 

縄文人による高度の知見と高い意識の下で成立していたと思われる共同生活の平穏や安定は、いまではほとんど跡形もありません。とりわけ民主主義制、自由と平等、そして資本主義とそのグローバル化の旗頭である、アメリカは、見事にその主義を徹底してきました。

 

その結果、リーマンショックが起こったのは2008年です。その前にはブッシュJr政権による金融緩和で銀行による投資が進められ、返済能力を問わずに住宅ローンや車ローンなどを組み合わせてサブプライムローンという新商品を生み出し、さらにその価値の下落を見越してデリバティブ取引を行うこと放任した結果、天井知らずの住宅バブルと株式投資バブルが起こり、そして破裂したのですが、まだそれから10年も経過していないのに、忘れたかのような状態になっています。

 

09年に就任したオバマ大統領は、果敢に、金融規制を進め、金融規制改革法(ドッド・フランク法)や「ボルカー・ルール」を施行しました。

 

しかし、他方で、金融機関を救済するために、巨額の資金をウォール街に投じたのです。そのため、デニス・K・バーマン著「金融規制改革法見直し、危機時代の終幕告げる」によれば、<。新しい政策では、数百万人の国民が自宅を失っていた時に、銀行を直接救済するために使った7000億ドルのことがほぼ忘れられている。「ウォール街を占拠せよ」運動が定着し、ニューヨークのパークアベニューをデモ隊が行進したのはわずか6年前のことだ。あの怒りがその後のバーニー・サンダース上院議員の民主党予備選挙での大健闘を後押しし、いろいろな意味でトランプ大統領の誕生にもつながった。>というのです。

 

つまり、住宅ローンが借りやすいといって、飛びつくと、現在の金融機関(投資という名の投機をもくろむ事業体が支配しているグローバル経済の主軸)の格好の餌になるおそれは十分わきまえておく必要があると思うのです。

 

なぜバーニー・サンダース氏があれだけ熱狂的な支持を得られたのでしょうか。ウォール街の暗躍を明確に攻撃し、克服できないほどの格差をもたらした金融政策にノーいい、教育格差の象徴である大学無料化を訴えたからでしょう。

 

わが国は違うというかもしれません。しかし、巨大資本をもつアメリカに対抗できる状況にはないと思います。ウォール街の意向を反映したトランプ政権首脳は、トランプ氏が批判してきたはずのウォール街に対して、明らかに優遇策を実施しようとしています。株式バブルの再熱ではなく、すでにリーマンショック前を凌駕しています。では格差是正は見込みがあるのでしょうか。住宅バブルは回復するのでしょうか。否と言わざるを得ません。

 

でわが国に同じような住宅バブルが訪れるとは私も思いません。しかし、上記の見出し記事で指摘している、父親世代は確実な終身雇用と昇級が約束され、老後は豊かな年金生活がっかくほされていました。その子ども世代はどうでしょう。自らが自分が置かれた状況を的確に判断して、ローン管理をしっかりしていかないといけない状況です。個人個人が自立していく、その意味では一面妥当性のある部分です。逆に言えば、金利が安いから長期の住宅ローンを借り入れてもよいとはいえないわけです。東芝、シャープといった一流企業といわれた大会社ですら、将来は見通せません。その他の企業も、アメリカ流グローバル化という過剰強を押しつける状況では、雇用環境も含め、大きく変容するわけで、資金管理を含めライスサイクルは、それぞれがしっかり検討していく時代かと思います。