環境問題スペシャリスト 小澤徳太郎のブログ

「経済」 「社会」(福祉) 「環境」、不安の根っこは同じだ!

「将来不安」の解消こそ、政治の最大のターゲットだ

東日本大震災:汚染水、建屋外に(朝日新聞 朝刊)、  汚染水 移動作戦(朝日新聞 夕刊)

2011-03-29 07:54:46 | 自然災害
私のプロフィールや主張、著書、連絡先は、ここをクリック         持続可能な国づくりの会<緑と福祉の国・日本>のブログは、ここをクリック
お問い合わせはここをクリック   アーカイブ(公開論文集)      持続可能な国づくりの会のホームページ(HP)は、ここをクリック



          
                                                                                   理念とビジョン: 「全文」   「ダイジェスト版」


   



                              第6章の目次


脱原発までの経緯

スウェーデンの反原発運動はすでに1960年代に始まっていました。この国の原発プログラムを批判したノーベル賞受賞物理学者(ハネス・アルフベン博士)と野党であった中央党の国会議員(ビルギッタ・ハンブレウス女史)が初期の反原発運動の中心でした。

 1970年代初めの頃は、他国と同様に、スウェーデンでも原子力はバラ色の時代であり、1990年までに現在の2倍の24基の原子炉を運転する計画がありました。当時、スウェーデンが悩まされていた硫黄酸化物(SOx)による大気汚染防止対策の観点からも、原発の建設は好ましいものと考えられていました。

 1972年(昭和47年)秋の国会で、ビルギッタ・ハンブレウス女史が原発から出る放射性廃棄物の処分について政府の見解をただした時、答弁に立った当時の産業大臣は「今のところ、国際的に認められた放射性廃棄物の最終処分方法はない」と答えました。同議員は「それならば」と原子炉新設の停止を求める提案を国会に提出しました。

 この提案は国会で否決されましたが、そのとき以来、原発は常に政治の重要な議題の一つになったのです。40ページの表1のように、国会の議席を分ける5大政党(社会主義陣営の社民党・共産党、非社会主義陣営の中央党・保守党・自由党)のうち、共産党と中央党が反原発の立場をとりました。その結果、原発問題はスウェーデンの政治を動かす社会主義陣営と非社会主義陣営の双方の陣営内に深い政治的亀裂を生じることになりました。



 1976年の総選挙で1932年に政権について以来、44年間政権を担当し、現在の福祉社会を築き上げてきた社民党が政権の座を降り、代わって、中央党・保守党・自由党の連立内閣が誕生しました。首相に就任した中央党の党首フェルディン氏は「原発廃棄」を公約していましたので、この連立内閣は新たに完成した原子炉を運転するかどうかをめぐって意見が対立し、1978年10月には内閣総辞職に発展しました。

 その後、自由党の単独内閣が生まれ、社民党と妥協して原子炉を12基まで認めるエネルギー政策案を国会に提出することにしていました。

 1979年3月、米国でスリーマイル島原発事故が起こりました。同年秋の総選挙を前に、社民党は「原発推進の立場」を変え、これまで消極的であった「原子力に関する国民投票」の実施を支持する姿勢を打ち出しました。政党間の交渉を経て1979年12月、国民投票を1980年3月23日に行うことが決まりました。国民投票の準備期間中は公平な投票が行われるように、原発の新たな活動を禁止し、新しく原子炉へ燃料を装荷することができなくなりました。

 1979年の総選挙で、再び、非社会主義陣営が勝ち、引き続き政権を担当することになりました。国民投票の当日まで様々なレベルで原発賛否の大キャンペーンが繰り広げられました。1980年3月23日、表6に示した3つの選択肢の中から一つを選ぶという方式で、「原子力に関する国民投票」が行われました。投票結果は表7に示した通りですが、第1案(原発容認)が18.9%、第2案(条件付き原発容認)が39.1%、第3案(原発反対)が38.7%でした。





 1980年6月、国会は、国民投票で過半数を占めた建設中の原子炉を含む12基すべてを使用するという結果を踏まえて、 「2010までに
12基の原子炉すべてを廃棄する」
という決議を行いました。

 1986年4月、ソ連でチェルノヴィリ原発事故が発生しました。

 1988年6月、国会は2基の原子炉を1995年および1996年に1基ずつ早期廃棄することを盛り込んだ政府のエネルギー政策ガイドライン(エネルギー・システムを修正するための政府の行動計画)を承認しました(表8)。


 以上のことから容易に理解できますように、スウェーデンのエネルギー政策における原発の扱いはそれを技術的な観点から否定したというよりも、むしろ、それを越えた政治的な判断でした。

 ここで注目すべきことは科学者が原発の抱える問題点を早い時期に指摘し、それを政治家が取り上げ、政治の場で議論し、政府が国民の意見を吸い上げながら、それを国の政策に反映してきたことです。 

次の項で述べますように、スリーマイル島原発事故の教訓は原子炉の安全性をいっそう高めるためにすべての原子炉に「フィルトラ・システム」という新しい放射能封じ込め装置を設置することにつながりましたし、1977年成立の「安全に関する条件法(Safety Stipulation Act) )と呼ばれる法律により原発の運転に伴って必ず排出される放射性廃棄物の処分対策も着実に進展してきました。

 しかも、原発で働く作業員の平均放射線被曝量は非常に低く抑えられています。ですから、政府も国民もスウェーデンの原子炉技術と原発の利用にはかなりの信頼をよせており、順調に稼働しているかぎりスウェーデンの原発の安全性は高いと考えています。しかし、現実問題として事故の起きる可能性は否定しきれませんし、原子力に関する国民投票では38.7%が原発反対に票を投じました。




最新の画像もっと見る

コメントを投稿