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パウロ教

2011-12-02 05:24:52 | 聖書


キリスト教の歴史はほぼ5世紀を境に旧約時代/新約時代に大別することができる。

「神との古い約束(旧約)は無効になりイエスを信じるのみで良くなった」とする現在の一般認識は正確にはローマ帝国が行った線引きであり4世紀以前の教会にとっての聖典は間違いなく旧約聖書だった聖書は全て神の霊感で書かれており…」とあればほぼ旧約聖書のことである。そして"契約"と"神"を作り変えた張本人であるパウロが初めから現在の名声を得ていたと考えるのは、現実からかけ離れている。




「三位一体の神の御名において、売れる奴隷という奴隷をどんどん送り続けよう」 「彼らは立派な召し使いになるだろう。手勢50人もあれば、彼らを一人残らず服従させられるし、望むことを何でもやらせることができるだろう」
(コロンブス)

コロンブスが上陸した時に約800万人だった西インド諸島の人口は、約20年後の1514年には、約2万8000人しか残っていなかった。


日本は略奪国家アメリカを棄てよ コロンブスに見る「悪魔の精神」 - 株式日記




キリスト教は何故史上最多の人間を殺しイエスに反する暴虐行為を繰り返したのか。

―パウロ教だから

何故キリスト教徒は黒人奴隷をコーヒー農園・製糖工場で使役し優雅にコーヒータイムに浸っていたのか。
―マルキオン教だから



キリスト教は良くパウロ教だと揶揄される。イエスと面識がなくかつてそれのみでは異端視された男の書簡への聖書の比重の重さからそれは納得できるだろう。

パウロとは何だったのか
考察価値もないパウロ書簡の概要はイエスの言動に一切触れないまま、著述家パウロも承知していたローマ周辺世界では珍しくなかった復活神話を何やら迫真の演技で語っている。その救済論がユダヤ人相手に通用しない内容である点、煩雑なユダヤの規則を一掃して入信のハードルを下げている点、以上から無知
な異邦人を対象とした宣教文書である事が推察できる。

「そして、キリストが復活されなかったなら、私たちの宣教は実質のないものになり、あなた方の信仰も実質のないものになるのです。それどころか、私たちは神について偽証した者ということになります。なぜなら、もしも仮に、死者の復活はないとしたら、神はキリストを甦らせなかったはずですが、私たちは、神がキリストを甦らせた、と言って神に逆らう証言をしたからです」 (第一コリント15:14-15)


当時のローマ帝国は多神教で、ローマ・ギリシャ・エジプト・オリエントの神々が縁日の屋台のごとく出店していた。その中で改宗者を得ようと思えば、強引に神を独占する一神教的教義、力作を捻り出して行かねばならなかった状況も想像できる。

キリスト教がご都合主義の解釈しかできず矢鱈と“唯一の真実”を他へ投げつけたがるのも
神の独り子という神の愛を限定する排他思想に傾倒するゆえなのだろうが、これはまるでローマの多神教に向けたアンチテーゼのような発想なのである。(ユダヤ教の許諾も得ず聖書を使い回している不正集団が「唯一の正統な子」を主張するとは何とも笑止な話だが)

興味深い事にパウロの真正書簡を時系列で並べると初めの2つ(『テサロニケ人への手紙一』『ガラテヤ人への手紙』)にはあのくどい
原罪思想(イエスを信じない者は地獄へ落ちる)が全く登場しない。この例からも“キリスト教理”は原始教会の了承を得ないまま、ギリシャ語を母語とする者達の無用な対外宣教の過程で膨張した可能性が高い(当時の帝国は西側がラテン語圏、東側がギリシャ語圏だった)。

元々のイエスとはユダヤ教の一派(エッセネ派の特徴が見られた)に対する限定的救世主に過ぎず救済範囲を取り替えながら布教されるべき対象ではなかったのだ。そして1世紀の大地に人類の救世主が来現した形跡は全くない。
キリスト教の歴史 - Wikipedia
アンティオキア教会の後援で宣教活動をしたパウロは、異邦人改宗者に対して割礼、食物禁忌、律法遵守を免除したため、エルサレム教会から猛反発を受け、各地のキリスト教共同体で論争や分裂が起きた。



世界の言語地図にはかつて吹き荒れた問答無用の異教文化破壊の傷跡がくっきりと映し出されている。

布教を伴う異教徒殺戮で数千万人という世界大戦級の死者が出ていようとも、
「結果的にキリスト教の大地になったのだから良かったではないかと擁護するキリスト教徒も実は少なくない。このアルコール以上に善心と人間性を麻痺させ容易に犯罪者の壁を乗り越えさせる独善キリスト教の麻薬的一面は、いくら強調してもし過ぎることはない。キリスト教の形をしたパウロ教団の特徴の最たる物は、イエスと何の関連性も持っていない点である。


「ユダヤ教はなぜ真の救世主を受け入れないのか」
キリストの正統性を否定するユダヤ教の姿勢が理解できなかった中世以降のキリスト教徒は、事あるごとにユダヤ教徒も迫害・虐殺した。しかし中立の立場からつぶさに事を検証すれば、実際はユダヤ教に分があったと考えざるを得ない。

キリスト教がイスラエルを崇め、聖書に触りたいのであれば、先ずユダヤ教の了承を取り付ける必要があるだろう。彼らは2千年間神の流用者、旧約聖書泥棒を追う原告だ。新約聖書の方も異教の神々の為の著作権である可能性がある。

以上の問題を解消できないのであれば、キリスト教は長年のペテン、裸の王様、違法かつ空虚な伝道の非の謗りを免れまい。

画像出典:Technical Translation Services






 

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5 コメント

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Unknown (クッキングホイル)
2011-12-03 08:06:44
パウロの早とちりと独断がキリスト教を歪めてしまったわけですね。パウロが居なかったらキリスト教の様子も変わっていたのでしょうか。存在しなかったかもしれませんね。

現在のキリスト教が表出しているいることは、伝言ゲームの結果のようなものですよね。
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Re: (秀和)
2011-12-03 21:44:59
コメント有難うございます。マルキオン派はパウロの効力で無視できない勢力になっていたようで俗受けするパウロの文書がなければ、言われる通りキリスト教はとうに存在しなかったかも知れませんね。

異邦人信徒の割合が増したパウロ以後はユダヤ的・イエス的な部分は隅に追われ、原始教会の流れを汲んだと思われる集団も(下記参照)イエスを"人間"として扱いパウロを拒絶したために異端視され、やがて消滅したようです。現在続いているのは本当に伝言ゲームの末端だと思います。

http://ha3.seikyou.ne.jp/home/tenryo/Acts12.htm
>割礼を含むユダヤ教律法の順守にこだわり、パウロを律法からの逸脱者として批判してパウロ書簡を拒否、マタイ福音書だけを用い、処女降誕を否定する異端的な分派だとしています。
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洗礼辞退 (はじめ)
2011-12-04 18:57:53
こんにちは。私は洗礼の直前でやめた者ですが周りの方々の熱心な賛美についていけないと感じたのが理由です。両手を挙げて神に感謝できない自分は信仰が薄いのでは…と悩んでいました。しかし教団教理の舞台裏を知りますと少なくとも「熱烈系」の教派を辞められたのは良かったと思っています。
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Re:洗礼辞退 (秀和)
2011-12-04 22:40:58
こんにちは。洗礼を受けると冠婚葬祭に制限を生じる事もあるようなので良かったのではないでしょうか。日本の宗教と基督教はパラダイムも全く違いますから。

熱狂的賛美をする人は聖書に酔っているのでしょうね。都合良く書かれたほら吹き達の紙芝居が神の言葉とは笑わせます。
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Unknown (Q)
2011-12-25 22:42:29
肉を否定した十字架の意義からして,血縁や民族,領土またこれらに基く国家普遍のための戦争,聖地聖遺物,教義律法による救済は,すべてキリストに反する.

パウロはこの点を正しく理解していた.

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