榎社から、天満宮とは逆方向に行くと、
天拝山という山があります。
その麓には、武蔵寺(ぶぞうじ)というお寺さんがあり、
「道真公が滝浴びをした」と言われる小さな滝があり、
道真公の和歌も残っており、
道真公が自ら彫ったと言われる、
彫像を御神体とする「御自作天満宮」があります。
そもそも論として、
「天拝山」という山名は
「道真公が、山に登って、自分の無実を天に訴えた」ところから、
来ていると言われています。(山の古名は、天判山)
その「天拝山」の由来になった道真公の故事
(天に昇って自分の無実を訴えた)とは、
鎌倉期の建久・建保年間には、
既に成立していたと考えられる天神縁起に拠っています。
天神縁起の記述としては、正確には以下。
902年に、菅原道真が自分の無実を、百余日間、
武蔵寺境内の「紫藤(しとう)の瀧」にうたれて身を清めた後、天拝山に登り、
七日七夜、岩の上に爪立って祈り続けると天から
「天満在自在天神」と書かれた尊号がとどいて、
願いが成就された(あくまで伝説としてですが)。
天拝山という山があります。
その麓には、武蔵寺(ぶぞうじ)というお寺さんがあり、
「道真公が滝浴びをした」と言われる小さな滝があり、
道真公の和歌も残っており、
道真公が自ら彫ったと言われる、
彫像を御神体とする「御自作天満宮」があります。
そもそも論として、
「天拝山」という山名は
「道真公が、山に登って、自分の無実を天に訴えた」ところから、
来ていると言われています。(山の古名は、天判山)
その「天拝山」の由来になった道真公の故事
(天に昇って自分の無実を訴えた)とは、
鎌倉期の建久・建保年間には、
既に成立していたと考えられる天神縁起に拠っています。
天神縁起の記述としては、正確には以下。
902年に、菅原道真が自分の無実を、百余日間、
武蔵寺境内の「紫藤(しとう)の瀧」にうたれて身を清めた後、天拝山に登り、
七日七夜、岩の上に爪立って祈り続けると天から
「天満在自在天神」と書かれた尊号がとどいて、
願いが成就された(あくまで伝説としてですが)。