飛行中年

空を飛ぶことに薪ストーブ、そして、旅をこよなく愛する一人の中年のブログです。





サーマルソアリングは、大戦時既に日本で行われていた!

2017-02-18 13:59:15 | ハング
サーマルソアリングとは、太陽の熱で発生した上昇気流を捕まえて、グライダーが上昇、あるいは、長時間飛び続けることを言います。

このサーマルソアリング。この方法で本格的にグライダーが飛ぶようになったのは戦後の話…。と、されているのですが…。

どう考えても、それ以前の大戦中に既に日本でサーマルソアリングが行われていたと考えざるを得ない出来事があるのです…。

今回はそのお話をいたしましょう!


私が住む茨城県の南部は、太平洋戦争中、海軍の様々な施設が存在していました。

鹿島には海軍の飛行場、土浦には修理工場に予科練の学校などがあり、この予科練の友部分校は、映画「永遠のゼロ」でも1シーンとして紹介されていました。

そして、石岡市にはロケット戦闘機「秋水」の格納庫が建設され、そこから3キロほど離れた場所には、「大日本滑空協会中央訓練所」があ

り、この滑空所で飛行士の訓練や、世間に対する海軍飛行隊のデモンスチレーションなどが行われていました。

さて、以前私はこのブログの中で、特攻グライダー「神竜」について紹介させていただきました。

この神竜、固体ロケットエンジンのあるグライダーで、爆弾ともども敵に体当たりするという非人道的兵器なのですが、これについて個人的に

調べているうちに屋口正一氏にお会いすることが出来ました。



屋口氏は、特攻グライダー神竜についてのご記憶があり、私はこの方のおかげで、更に神竜についてその詳細を知ることが出来たと皆さんにお伝えしたのですが…。

実は、この屋口氏との話の中で、どう考えても当時のグライダーがサーマルソアリングしていたと考えざる

を得ない証言があったのです!


で、その証言とは…。

大日本滑空協会中央訓練場の近くの龍神山の風が良くてね…。グライダーがずいぶん長く飛んでたんだよ…。と、言わ

れていたのです。

龍神山とは石岡市にある海抜100メートルほどの小山。

大戦中は上でご紹介したロケット戦闘機「秋水」の格納庫が建設されていた山でもあるのですが、この龍神山の上でグライダーがソアリング

(グライダーが上昇気流を使い長時間飛行すること)をしていたと証言されているのです。

ちなみに…。

この当時、既にグライダーでソアリングは行われていたのですが、その方法は「リッジソアリング」という方法のみでした。

リッジソアリングとは、山の斜面を駆け上がる上昇気流を使ってグライダーを長時間飛行させる方法です。

この方法は、山の形に上昇風が吹くので、サーマルソアリングよりも容易に行うことが出来るのです。

しかし…。

龍神山と大日本滑空協会中央訓練場との距離は3キロほど離れています。

で、

当時、龍神山の上を飛んでいたグライダーはドイツのオリンピアマイゼン。世界第一級の性能を誇り、滑空比は30対1ほどだと思

います。


このオリンピアマイゼンだけは他の訓練用のグライダーと違い、飛行機で曳航されて高い高度まで上がり、(このころ、グライダー

と言えば練習機ばかりで、その飛ばし方はゴム索で打ち出すという方法だった。)そこから広い範囲を飛び回っていたのですが…。


もし、オリンピアマイゼンが龍神山でリッジソアリングをしていたとすると、山が低すぎて、いざというと

き滑空所まで帰れなくなってしまうはずなのです。


で、もっとも可能性が高いのは、当時既に龍神山から出るサーマル(熱上昇気流)を使ってかなり高い高度まで上昇していたことです。

この山で高度を上げられれば、楽に滑空所まで帰ることが出来ます。

実は、私はこの龍神山をハンググライダーで何度か上空を通過したことがあるのですが…。

かなり高い確率で、いつもこの龍神山にはサーマルが発生しており、しばしば雲底(積雲の下)高度まで上昇できています。

つまり、当時も当然同じ風は吹いていたはずであり…。

どう考えても、当時のオリンピアマイゼンはサーマルソアリングを行っていたと考えざるを得ないのです。

グライダーの歴史を分かる範囲で調べてみたのですが、当時はまだサーマルソアリングって出来るだろうなどと言われながらも、まだまだ得体のしれないものだったと思うのです。

おそらく、グライダーの聖地と言われる、ドイツのワッサークッペの丘くらいで、それっぽいことはしていたのでは?というくらいです。

私は当時この場所で、世界でも最先端のサーマルソアリングという滑空技術が存在していた!と考えても良いように思えるのです。

ちなみに現在の龍神山の様子です。



砂利をとるために当時と比べ中央部分がかなり削られてしまいましたが、真ん中に見える山の左下くらいに「秋水」の格納庫があったと聞いていますが、現在は削られてしまい残っていません。




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秋田幸宏氏 逝く…。

2017-02-14 18:27:41 | ハング


秋田幸宏氏…。

この方を知るハングフライヤーは、かなりのキャリアの持ち主だろう…。

秋田氏は、ハンググライダー創世記から活躍されていた方で、とりわけ、岩木山エリアの管理に尽力いただいていた方だ。

その秋田氏がとうとう逝ってしまった。

これも時代の流れ。仕方がないことなのかもしれない…。 が、しかし、とてもさみしい…。



今では大会も開催されなくなったが、昔は決まって岩木山では毎年のように大きな競技会が開催されていた。

そんなとき、秋田氏はフライヤーの人たちの面倒をずいぶん親身になってみてくれていた方という印象を私は持っている。

秋田氏は岩木山をこよなく愛されていた方で、その中腹にブナコという宿を経営されていた。

私なんて、いつも秋田氏の行為に甘えてしまい、このブナコの宿の露天風呂に、泊り客でもないのにタダで入らせていただいていたものだ。

それだけこの方は、フライヤーみんなを愛されていた方なのだ。

秋田氏の素晴らしさはそれだけにとどまらず、写真家として多くの美しい岩木山の写真も残されている。





今までの紹介でも分かるように、秋田氏はフライヤーと岩木山の自然をこよなく愛されていた方なのだ。


私は岩木山は大好きなエリアだ!

美しい自然に温かい地元の方々…。

毎年毎年私は岩木山に飛びに行くのをとても楽しみにしていたものだ。

行けば必ず秋田氏をはじめ、青森の多くのフライヤーの笑顔に逢える…。

そんな愛すべき気さくな方々と、飛び終わった後はいつも酒を酌み交わしながら、お互いの夢やハング界の将来についての話を楽しくしたものだ。

しかし、現在のハンググライダー界はそんな地方の方と気さくに交わえる大会がほとんどなくなってしまった…。

個人的にはとてもさみしい…。


秋田氏が愛した岩木山の様に、みんなが憩い、そして、楽しく過ごせるフライトエリアは、もうこの日本にはこれから現れないのであろうか…。




また一つ大切なものを失った気がする…。



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薪の雨ざらしの期間って?

2017-02-13 09:15:23 | 薪ストーブってどんなもの?


薪ストーブで欠かせないことの一つに「薪作り」があります。

この薪作りの中で、「薪のアク抜き」という工程があります。

このアク抜きって、分かりやすく言うと「樹脂を雨で洗い流して薪を乾きやすい状態にする」ことを言います。

木には樹脂が含まれており、この樹脂がある状態だと、薪が乾燥しにくくなってしまうのでこのような工程を設けるのですが…。

さて、それではそのアク抜きってどのくらいの期間が適当なのか…。実はこれについては人によって千差万別!まったく意見が違っていてるのです。

人によってはなるべく濡らした方がいいとか、私は一雨だけという人や、あるいは、アク抜きは不要で私はまったく濡らさない!なんて人もいたりします。

今回は、私なりに考えてみたこの「アク抜き」について意見を述べてみたいと思います!



上記のアク抜きの期間の問題なのですが、結論を申しますと、薪にした時期でまるで違ってくるのではないか?と、最近私は思うようになったんです!

と、言いますのは…。

気温が高い中で薪のアク抜きという雨ざらしを長く続けてしまうと、薪が腐りはじめてしまいます。

最初は薪が黒ずみ、やがて水を吸って柔らかくなり、しまいにはキノコが生え始めて、最後には薪として使い物にならなくなってしまいます。

気温が高い状態、つまり、具体的には春になって暖かくなってからのアク抜きは、できる限りしない方が良い!のではないか?と思えるのです。

逆に、寒い時期でのアク抜き…。

今まで私はいろいろな時期での薪作りをしてきましたが、寒い時期では薪は雨に当てても腐らないのでは?感じています。


それを確かめるため、このシーズンは試しに落葉してすぐの12月くらいから、アク抜きの工程に入れ薪を雨ざらしにし続けてみたのですが、薪は黒ずんでくることもなく、とても良好な状態で

樹脂がとれてアク抜きが進んでいったのです。


以上のことから、このアク抜きの適当な期間についてなんですが…。

気温が高いときは、アク抜きはかえって薪の状態を悪くしてしまう…。でも、気温が低いときは、適切に薪の樹脂をとってくれアク抜きはうまく進んでくれる…。

そんなことが言えるんじゃないか?なんて最近思うようになったんです。

このことから、私の考えた理想の薪作りなんですが…。

・木が落葉し、木の水分が抜ける季節になったら伐採をする。

・伐採したらなるべく早く薪にまでしてしまい、その後の冬の期間はずっと雨ざらしにして、アク抜きを続ける

・春になって暖かくなる前に、アク抜きしていた薪は、薪棚に移し替えて、その後は一切雨には当てないようにして乾燥工程に入れる。

最近、この工程で作る薪がベストなんじゃないか?と思うようになりました。

この工程にて、このシーズンは薪を作ってみましたが、この結果が出るのは、乾燥が進んで薪が焚ける状態になる2年後になると思います。

果たして2年後、どんな薪が出来ているか…。楽しみです!



ただし…。

私が住んでいるのは太平洋側の寒い時期はあまり雨が降らない土地…。

これが、冬の間雪が降る日本海側などの土地だと、また事情が変わってくるかもしれません。

雪国の方はどのような薪作りをされているのでしょうか?

是非ご意見を聞きたいのでコメント待ちしております!

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火事だ!!

2017-02-04 16:30:56 | うんちく・小ネタ
それは深夜1時のこと…。

妙に外がバチバチ騒がしいので目が覚めました…。

こんな深夜に荷物でも降ろしてるのか?

眠気まなこで窓を見ると、外が妙に明るい!

おや! これは!!

慌ててカーテンを開けてみると…。

火事だ!!

200mくらい先で、ものすごい火柱があがっています!!

とにかくまずは119番…。

もう誰かが連絡してくれていたようです!

さあ、次は何をすべきか。

私はウチに消火器が2台あったことを思い出し、それをもって現地に走ります。

しかし、火事の現場がよく分からない…。

てっきり近所のKさん宅だと思っていたら、火柱はそのKさん宅のちょっと向こう側…。

Kさん宅は高さ20mくらいの小山のわきにあり、火はその小山の向こう側のようです。

私は急いで小山の向こう側に向かいますが、現地についてみると、そこでも、火柱は小山の向こうに見えます…。

小山の中心ってことか!

現地に出来るだけ近づいてみると、やはり、火事の現場は人家ではなく、小山の中心くらいでした。

しかし、風向きからいうと、やはり、Kさん宅が一番危ない!

そのとき、強い西風が吹いており、Kさん宅はその風下にあったのです。

再度、Kさん宅に走ります。

火は既にKさん宅の際まで移動していました。

Kさん宅についてみると、家に明かりがついています。

玄関に手をかけると、

鍵がかかっています…。

急いでKさんを呼び出すと、中からオロオロとしながらお母さんが…。

火事には気が付いていたけど、どうしていいかわからない様子でした…。

「お母さん、そこまで火が来てるから、とりあえず逃げた方がいいよ!」

一言声をかけて、私はすぐ火事の現場へと走ります。

火事の様子を落ち着いて見てみると、先ほどよりもだいぶ火の勢いが弱まっています。

これならある程度は安全に近づける!

そう判断し、消火器2台をもって現地に行ってみます。

それほど勢いのある火ではありませんでしたが、やはり、Kさん宅の際まで火は来ています。

消火するならここが最優先!

私はそう決断し、消火器2台でKさん宅に一番近い火を消火しました。

ちょっとはKさん宅への延焼の時間が稼げました!

そのころ、ようやく消防車が到着しました。

でも、やはり、どうやって現地に行っていいかわからない様子です…。

今度は消防車まで走ります!

息をきらせながら現状を消防士の方に報告し、Kさん宅までの道を案内します。

現地についた消防士の方は、手際よく一番近くの消火栓にホースをつなぎ、Kさん宅へと向かいました…。

火は無事鎮火!

Kさん宅は間際まで火が来ながらも無事でした…。






やっぱり、こんなとき焦りますね!

なかなか落ち着て行動できないものです。

後で振り返ってみると、反省点がいくつかあります。

まずは、火元の特定に時間がかかりすぎたこと…。

私は「思い込み」で、Kさん宅の小山の向こう側で火が燃えていると判断しましたが、実際は、Kさん宅のすぐわきで、手前に木が生い茂っていたため、山向こうと勘違いしたことです。

二番目に、私は消火活動の時、急いでいたので、火の風下側から近づいてしまいました。

現地は林の中で、風下以外から近づくにはかなり遠回りしなければいけなかったのですが、それでも火の勢いがだいぶ落ちていたので、少し時間をかけても良い余裕はあったはずです。

そして、消火器を火の風下からかけてしまったこと…。

持って行ったのは粉末消火器ですから、風下からでは効果が薄れます。

これは時間をかけても、せめて火の横くらいまでは移動して消火器を使用すべきでした…。


とまあ、いろいろと反省すべきところがあります…。



反対に良かったところ…。

以前私は消化器使用のシミュレーションをしていました。

そのため、暗闇の中でも即座に消火器が使用出来ました。

これがもし、消火器を全く使った事が無かったとしたら…。

暗闇で、消火器の横に書かれている取り扱い説明も読むこともできず…。

実際に使うまで時間がかかったかも知れません…。


 

で、ただいま私は久々に走り回り過ぎて足の筋肉痛がきています…。

使った消火器2台は、両方とも使用期限切れだったことも反省点です…。


なんだかんだ言っても、やっぱり火事は怖いですね…。

その日のうちに、新しい消火器を買ってきました…。









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どんな形の飛行機でも飛ぶんです! その12

2017-02-01 21:03:43 | 自作飛行機
軽飛行機の代名詞ともなっているセスナ…。



この飛行機…。

通常型の飛行機で

アルミ合金を主材として

一般的な軽飛行機のエンジンを積んで…。

という条件の中では、とても完成度が高い飛行機で、生産が中止された現在でも、その使いやすさから世界中で愛されて、今なお多くの機体が飛んでいます。

しかし…。

上記の条件のうち、赤字の部分。

つまり…。

通常型の飛行機で

アルミ合金を主材として

の部分にこだわらずに、自由な発想で飛行機を作ってみると…。



こんな飛行機になってしまうんです!

この飛行機、エンジンはセスナとほぼ同型のものを積みながら、その巡航速度はセスナより100キロも早い高性能機なんです。

その形を、より効率の高い先尾翼機にすることにより、そして、アルミ合金を使わずにカーボンコンポジットという外皮構造を使うことにより軽量化を行い、大幅に翼面

積を減らした結果、抵抗が減りこのような常識を破るような高性能機が実現したんです!


そして、こんな高性能機を設計した方がバート ルータンという方で、今回ご紹介したい方なんです。

バート ルータンは、固定概念にとらわれない自由な発想で、多くの高性能機を生み出しています。

彼の代表作には、無着陸、無給油で世界一周を成功させたボイジャーがあります。



変わった形の飛行機ですが、先尾翼にすることにより、翼の効率を最大限にまで引き出し、左右に胴体を追加することにより、機体の強度を損なわずにより多くの燃料を積むことが可能となりました。

ユニークな形なんですが、大変考えられており、無給油にて地球一周できるという、それまでの飛行機では不可能だったことを可能にしてしまいました。

彼はこんな飛行機も制作しています。



ホワイトナイトという飛行機ですが、この飛行機、宇宙船を抱いて高い高度まで飛行し、そこから宇宙船を発射させるために開発されました。

非常にユニークな形をしていますが、これもやはりよく考えられた形をしており、その使用目的に対しとても理にかなった形状をしていると思います…。

バート ルータンは、ご紹介したようなユニークな形状ながらも、大変高性能な飛行機を、今まで多く作り出しています。

彼の発想の根源には、固定概念にとらわれるのではなく、最も優れた形を追及することにより、今までの常識を破ることのできる高性能機を生み出す。とうものがあります。

それではなぜ、他の飛行機メーカーは彼が生み出したようなユニークな形のものが少ないのか…。

この理由は、バート ルータンの会社が適度に小さく、小回りが効くため、バート ルータンの独創的なアイデアが現実になりやすい!というものがあると私は思います。

大きな会社では、確実に利益をもたらせなければならないため、とてもこんな冒険的なデザインの飛行機は作れないと思います。

バート ルータンの作った飛行機の中には、高性能ながら営業的に失敗してしまったものもいくつかあるのですが、しかし、その高性能が世間で認められているため、多くの人を引き付けて、彼の作る飛行機の多くが売れて、会社の経営が

成り立っているのです。


実は、小さな航空機メーカーであるはずのバート ルータンの会社の存在を、世界中の大きな航空機メーカーが本気で恐れたこともありました。

「バート ルータン」で調べてみると、もっとたくさんの変わった形の飛行機が見られるので、皆さんも調べてみると面白いと思いますよ!






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