オータムリーフの部屋

残された人生で一番若い今日を生きる。

『帝国の慰安婦』朴裕河

2014-09-28 | 国際
朴 裕河(パク ユハ、1957年 - )は、ソウルで生まれ、高校卒業後来日。慶應義塾大学文学部国文科を卒業後 早稲田大学文学研究科に進み、日本文学専攻博士課程修了。現在、韓国・世宗大学日本文学科教授。女性。


さる6月16日、ナヌムの家(元日本軍慰安婦の共同生活施設)に居住している元日本軍慰安婦の方々から、昨年の夏に韓国で出版した『帝国の慰安婦――植民地支配と記憶の闘い』を名誉毀損とみなされ、販売禁止を求めて訴えられるようなことがあった。(名誉毀損の刑事裁判、2億7千万ウォンの損害賠償を求める民事裁判、そして本の販売差し止め、三つの訴状が裁判所に出され、わたしにはこのうち差し止めと民事裁判の訴状だけが届いている。)刊行直後は多数のメディアがわりあい好意的に取り上げてくれたのに、10ヶ月も経った時点でこのようなことが起こってしまったのである。
この訴訟は、実質的にはナヌムの家の所長が中心になっている。裁判所で記者会見までしながらの告発だったが、その時の報道資料によると、ナヌムの家の所長が今年の2月にナヌムの家の女性顧問弁護士に依頼し、彼女がそれを受けて漢陽大学のロースクールの学生たちと一緒に本を読んで「問題あり」と判断したようだ。
わたしは本を出したあと、面会できる元慰安婦たちに会ってきた。当事者たちが考える「謝罪と補償」の形について聞きたかったからである。ナヌムの家はわたしを警戒し、今年に入ってからナヌムの家に行っても会わせてくれないこともあった。
その中でも特に親しくなった方がいたが、その方がほかの方々とこの問題に対する考え方がかなり違っていたことも、警戒された理由のようである。食事の場で偶然相席となり、いろいろと思いを話し、家族がいないこともあってその後わたしを頼りにし、時々電話をかけてきたりもしていた。
その方は、ほかの人と異なる考え方をしているために孤独な思いをしていた。ナヌムの家や所長に対する不満もよく話していた。
そこで謝罪と補償について、支援団体とは異なる考え方をしている元慰安婦たちもいることを伝えるべく、4月に「慰安婦問題、第三の声」と題するシンポジウムを開いた。「当事者の声」を出すと同時に、今のままではいけないとする「第三者の声」を出す意味もあった。そして幸いにして、日韓のいくつかのメディアがそうした動きを注目してくれた。

受け取った訴状には、『和解のために』(2006年に日本でも出版された朴教授の著書)のような本を放置したために『帝国の慰安婦』が出た、そしてシンポジウムまでしている、このままだとさらに別の本も書くだろう、そうなると朴の悪しき認識が広まることになるので問題であり、解決に悪影響を与える、と書いてあった。そこで、シンポジウム(つまり今の運動を批判するのがわたしだけではなくなったことの可視化)が好評だったことへの警戒も、告訴につながったことが分かったのである。わたしが親しくした元慰安婦が亡くなってわずか一週間後のことであった。
告訴の際、メディアに配られた報道資料には、わたしの本が「慰安婦を売春婦と言い、日本軍の同志とした。そしてそう認めろと元慰安婦たちに促した」とまとめられていた。文脈を無視し、しかも後半では事実無根のことを書かれたために、世論の激しい非難に晒されることになった。
そこで最初の週は釈明に追われ、2週目になってようやく、落ち着いた説明ができる原稿やロングインタビューの機会があり、多読家で著名な小説家の書評も出て、騒ぎは少し落ち着いた。
3週目に弁護士を見つけ(フェイスブックで、無料で訴訟代理人をしてくれるという人が現れた)、7月9日の第1回口頭弁論に臨んだ。わたし自身は出席しなかった。しかし、そこでは結論が出ず、9月17日に第2回の弁論が開かれることになっている。
この間、ナヌムの家の所長は2度、元慰安婦数人を同伴してわたしの勤務先にデモに来ていた。「大学をクビにせよ」「拘禁せよ」などのプラカードを持参してのことだった。所長は、「日帝の汚い娼婦、道ばたで会ったら顔につばをはきかけてやりましょう」というツイートをリツイートしてもいる。
幸いにして、学者を中心に「差し止め棄却」を求める嘆願書が作られ、数日で220人(学者、作家、詩人、アーティスト、出版人、そして一般の方も)の署名を頂くことができた。フェイスブック仲間を中心にわたしを支持・応援する動きも現れた。告訴直後から、激しい非難のなかでも、新しい書評や裁判に反対する意見が次々とあがってきている。
しかし、事態が一段落したかのように見えた7月中旬、今度は『和解のために』への攻撃がはじまった。9年前に出した韓国語版は、翌年に文化観光部(政府)の「優秀教養図書」に選ばれていたが、例のナヌムの家の弁護士がその取り消しを求めていく、という記事が出たのである。そしてその記事が出た当日、文化体育部は早くも「選定経緯を調べる」とコメントを出した。この動きは、徴兵された朝鮮人日本兵の遺族ら、被害者団体と関係の深い研究者やナヌムの家の顧問弁護士が率いている。別の新聞が出したこうした記事を、朝鮮日報とハンギョレ新聞、両極の保守とリベラル系の両新聞が支え、ハンギョレ新聞は『和解のために』が「日本の右翼を代弁」しているとまで書いた。

『帝国の慰安婦』の日本語版は本当は7月に刊行予定だった。しかし、裁判が係争中に出すのは無理ということで、延期になっている。しかし、すでに韓国での書評などを都合のいいように読み違える傾向が出ているので、早く出してもらえることを願っている。

この本で、わたしはナヌムの家ではなく、元慰安婦の支援団体「韓国挺身隊問題対策協議会」(挺隊協)を再度批判している。本が出たとき、同協議会も告訴のために弁護士と相談しているので、今回のようなことを考えたのはナヌムの家だけではない。

あれから1ヶ月半、法律裁判と世論の「裁判」、両方の対応に追われる日々である。なんとか乗り越えたいと思っている。
(7月31日Facebookより 一部改稿 The Huffington Post)


韓国での日本軍慰安婦問題は「慰安婦本人の意見」が抜けており、慰安婦問題の支援団体が過度な民族主義を振りかざして日本から高額の賠償を引き出す道具になっているようだ。
『帝国の慰安婦』を読んでいないので確かなことは言えないが、著者インタビューや書評記事に引用された内容から推測すると、次のようなことが書いてあると思われる。

日本の公権力による強制連行はほとんどなかった。
挺身隊と慰安婦はまったく異なるのに混同によって20万人という慰安婦の数になった。慰安婦の大多数は20歳以上である。
慰安婦についての韓国人の常識である性奴隷にされた20万人の少女は、挺対協の作り話。
日本の朝鮮に対する法的責任は既に存在しない。その理由は1965年に補償が既に終わっているからだ。
日本の責任を問い、謝罪や賠償を受けるには、戦争の被害者ではなく、日本の植民地支配(日韓併合)の犠牲者として提訴すべきだ。
慰安婦被害者の中には、「日本の法定責任(日本の公式な謝罪)」を必要としていない人もいる。韓国で主張されている「日本国としての公式謝罪・金銭での補償」は、支援団体の主張である。当の本人は「お金さえ貰えたら良い」と言う方もいる。
 
 被害者感情に流されず、村山政権時代の対応と、「女性のためのアジア平和国民基金」の構造とその背景にも深い洞察がある。
 
 1994年(平成6年)に村山富市総理を首班とする自民、社会、さきがけの三党連立政権が誕生した。同年8月31日、村山総理は戦後50年に向けた談話の中で、「慰安婦」問題について、あらためて「心からの深い反省とお詫びの気持ち」を表明し、この気持ちを国民に分かち合ってもらうために、「幅広い国民参加の道」を探求するとした。
 この談話を受けて、与党三党は、「戦後50年問題プロジェクト」(共同座長虎島和夫=自民党、上原康助=社会党、荒井聡=新党さきがけ)をスタートさせ、「慰安婦」問題は「従軍慰安婦問題等小委員会」(武部勤委員長)で検討を進めた。これまでの日本政府は、先の大戦にかかわる賠償及び財産、並びに、請求権の問題は、サンフランシスコ平和条約、およびその他の関連する2国間条約などにのっとって対応してきたとの方針を採ってきた。そうである以上、新たに国家として個人補償を行うことはできないという立場だった。これに対して、与党の中では個人補償を行うべきだという考えが強く主張された。意見の対立は、問題の解決に早急にあたるという観点から調整され、1994年(平成6年)12月7日、この問題での「第一次報告」がとりまとめられた。政府は、この「報告」を受けて、「慰安婦」問題に関して道義的責任を認め、政府と国民が協力して、「基金」を設立し、元「慰安婦」の方々に対する全国民的な償いの気持ちをあらわす事業と、女性をめぐる今日的な問題の解決のための事業を推進することを決定した。
「女性のためのアジア平和国民年金」は自民党政権では永遠に解決しない補償問題を、政局の偶然により誕生した「自社さきがけ政権」が何とか解決しようとしたものであった。
 まず平成7年度予算に「基金」経費への補助金4億8千万円を計上し、1995年(平成7年)6月14日、五十嵐広三官房長官は、「女性のためのアジア平和国民基金」の事業内容と、政府の取り組みを以下のように説明し、合わせて「基金」の設立を呼びかける「呼びかけ人」の顔ぶれを発表した。
 (1) 元「慰安婦」の方々への国民的な償いを行うため広く国民に募金をもとめる。
 (2) 元「慰安婦」の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対して、政府資金等により支援する。
 (3) この事業を実施する折、政府は元「慰安婦」の方々に対し、国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明する。
 (4) 政府は、「慰安婦」関係の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。またこれに関連して、女性に対する暴力など今日的な問題の解決のための事業を行うものに対し、政府資金等により支援することも明らかにした。
 基金は「医療福祉対策金」7億円を含め、出費された52億円の9割近くが実は国費だった。
 歴代韓国政権はこれを国民に知らせず、被害者補償用に日本が支払った金をインフラ整備の公共事業に使ってしまった。村山政権は仕方なく賠償金は民間からの義援金で賄い、政府支出は「医療福祉」という名目にした。つまり、法的に無理でも「道義的責任」は果たそうとしたのである。こういった「基金」の性格の詳細を韓国メディアは一切報道せず、また知識人たちも「インチキで、謝罪になっていない」と批判しただけで、村山政権の苦肉の策を理解しようともしなかった。村山政権は元慰安婦の人たちが生きてるうちに最善の策として法的に可能な賠償をひねり出したと言うべきなのに・・・・
 この「基金」は結果的に自民党の譲歩と反省を引き出し、日本の最高政治責任者の署名入り「お詫びの手紙」も出させ、元・慰安婦に一人200万円の「償い金」が(希望者に)支払われた。不充分ではあっても評価されるべきだと思う・・・・
 挺対協は「日本は罪を認めずに、責任逃れのために金で解決しようとしている」「国家賠償しないためのゴマカシ、卑しい懐柔策」と猛烈に反発した。
 さらに彼女は続ける。
 「慰安婦の人たちが終戦になって解放されたにも拘わらず自分の郷里に帰れなかったのは、同胞の人たちの蔑視に耐えられなかったからだ」 
 挺対協は日本の「基金」を受け取った慰安婦七人に韓国市民が募金で集めたお金を渡さなかった。民族的なプライドを慰安婦の人権よりも優先させたのだ。そもそも「基金」を受け取ろうが受け取るまいが、元慰安婦の自由ではないか・・・・
 「日本の金を受け取るなら韓国の金はやらない」と横暴極まる態度だが、そんな権限が挺対協にあるはずがない。
 
 
 日本軍の強制があろうがなかろうが、軍が慰安所設置を立案して、朝鮮人に女性募集や管理を委託したのは事実である。殺人委託の罪があるのだから、韓国慰安婦の被害者や「挺対協」が、強制連行の有無で罪を逃れようとする安倍政権を糾弾するのは当たり前だ。
 しかし、日本が譲歩しても誤りを認めて人道的に対処しようとしても、一向に態度を軟化させない相手にどう対処すればいいのだろう。 
 朴 裕河氏は被害者意識剥き出しでナショナリズムをヒステリックに訴えるような韓国人ではない。あくまでも論理的・実証的にアプローチする姿勢には好感が持てる。しかし、彼女の学究的論理的態度は韓国で袋叩きにあっている。
 

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