年末に永井荷風の生家跡(文京区春日二丁目)から偏奇館跡(港区六本木一丁目)までその間にある坂を巡りながら歩いた。断腸亭跡(新宿区余丁町)経由である。
こういった坂巡りのプランについて以前から地図を見ながら何回か考えたことはあったが、実行に移すにはいたらなかった。通常の休日午後からの予定では、時間不足になるように思えたからである。そこで、今回、休日の続く年末に実行してみた。坂とそれをつなぐ道はできるかぎり裏道を選ぶことにしたので、通常考えられるコースではなく、かなり遠回りとなった。
地上に出ると、すぐ眼の前が礫川公園である。ここのベンチに腰をかけカメラなどの準備をする。
空を見上げると、一枚目の写真のように、きょうも晴天で空は青い。北国では雪が降り止まないというのに、東京地方は雲一つない青空である。この対比が不思議である。東北の寒村生まれのわたしには、この季節は毎日が雪という記憶しかない。ときたま午前から昼頃にかけて晴れ渡ることがあるが、それも午後になると、次第に雲がふたたび空を覆って、元通りになってしまう。むかし、こちらで生活をはじめたとき、もっとも違いを感じた一つは、この季節にこの天候が続くことであった。生まれてから故郷で暮らした期間よりもずっと長くこちらに住んでしまったので、そういった感じも薄らいでしまいがちであるが、きょうのような空の青さを見つめていると、その反作用からか、むかしの雪の風景の記憶が呼び起こされてしまう。毎日が曇天で雪が降りしきる中での生活は、その雪の処理が必要で晴天の続く所よりも不便で、暗い暮らしではあるが、たまになつかしくなることもある。
ひとしきりむかしの想い出に浸ってから出発。ここからまず荷風生家跡を目指す。
公園から出ると、富坂下の交差点である。春日通りにある坂で、歩道も広い。できるだけ裏道を通るという原則からちょっと外れるが、ここは仕方がない。まっすぐに上るが、坂上側で右に少し曲がってからかなり緩やかになり、富坂上の交差点近くではほぼ平坦になる。ここを左折し、西岸寺前の道を南へ進む。ここは静かな通りである。
西岸寺前の通りを歩き、二回ほど曲がると、やがて、牛天神の裏手に出る。そこをちょっと進むと、牛坂上である。一枚目の写真のように、細い坂道がまっすぐに下っているが、近頃の工事をしたばかりの坂のようにきっちりとまっすぐでないのがよい。 天神裏のいかにも裏道といった感じで、石垣などもあり、風情のあるよい坂である。
牛坂を下りるが、途中つま先に力が入り、かなり急であることを感じる。坂下から次を右折し進むと、安藤坂下に出る。
安藤坂は坂上からまっすぐに南へ下っているが、ここで大きく西へと曲がっている。三枚目の写真は、その曲がった先を撮ったものである。横断歩道を渡り、四枚目の写真の安藤坂下から上る。ここも広い通りであるが、春日通りほど通行量は多くない。
安藤坂上の区立三中前の交差点を左折し、一枚目の写真の通りを西へ進み、クランク状に折れ曲がったところを過ぎると、緩やかな下り坂になっている。そこからちょっと下ると、二枚目の写真のように、右手に荷風生育地の標識が立っている。ここが第一の目標地点である。
そのままその緩やかな坂を進むと、金剛寺坂の中腹に突き当たる。その手前から振り返って荷風生家方面を撮ったのが三枚目の写真である。前方左手一帯が荷風の生家のあったところである。 金剛寺坂中腹で右折するが、四枚目の写真のように、うねりながら上っており、好ましい坂である。しかも車もそんなに通らない。
一枚目の写真の坂上を左折し、西へ歩くと、やがて左手がちょっと開けて、二枚目の写真のように南側の風景を眺めることができる。このあたりが、かつて鶯谷(うぐいすだに)と呼ばれたところで、谷地の森に鶯がさえずっていたという。上野の同名の地の方が駅名ともなっていて有名であるが、ここは隠れた鶯谷である。
ここから、三枚目の写真のように、細い無名の階段坂が下っている。この石垣と金網のフェンスとの間の狭い階段がなんといえないよい雰囲気をつくっており、坂上から来ても、坂下から来ても、風情のある小坂となっている。隠れた無名の名坂である。
坂下を進むと、すぐに丸の内線の上にかかる橋であるが、そこを渡ってから、東側を撮ったのが四枚目の写真である。
ここまでは、いずれも何回か通ったことがある道のため、私的にはなじんだ道順である。
(続く)