高島通りから都営三田線の高架下をくぐった先に空中都市への入り口となる階段があります。
階段を上って振り返ったところ。左が西台駅。右のベージュの壁が都営西台アパートが立っている人工地盤です。
金網越しに三田線の線路が見えます。
人工の地盤の上にツインコリダー式のアパートが4棟並んでいます。総戸数は合わせて1,100棟を超える巨大アパート群です。
この写真で見ればここが地表のように感じますが、高架を走る電車の屋根が見える高さですので、通常の建物でいえば4階くらいの高さにいます。
人工地盤の上に上がるために、周囲にはいくつかの登り口が設けられています。
西台駅東口に最も近い階段。2枚目の写真に後付けのエレベーターが写っていますがそれができるまでは階段を上り下りするしかありませんでした。
こちらのスロープは自転車のためのもの。右手の道路とスロープ入口はガードレールで閉ざされているのでオートバイは侵入できません。
このアパートが人工地盤の上に立っている理由がようやく見えました。人工地盤の下、地上部分は都営地下鉄の車両基地と整備場だったのです。
余談ですが、2000年代中頃の週末に右に見える道路を歩いてジョイジョイ蓮根というゴルフ練習場に夫婦で通っていました。一番奥に見えるマンションがその練習場跡地です。
毎週この風景を見ながら、なんだか不思議な風景だとは思っていたのですが登って確かめてみようと考えるのはそれから20年近くの時が経ってからでした。
自転車用スロープの少し先に車とバイク用のスロープの入り口があります。こうして見るとアパートは人工地盤の上でさらに1階部分のない高床式であることが分かります。
ストリートビューで見る車両用スロープ入口。
アパート最下部。
上層階廊下。
アパートは1970年に入居が開始されたので、今年で52年。入居時に25歳の新婚だったとして今年で喜寿です。この団地でも住民の高齢化と不良外国人の増加が問題です。
この部屋の主のようにきちんとした手続きをせずに消息が不明になってしまうケースも珍しくありません。
ツインコリドーに来たらお約束の写真。高島アパートのツインコリドーを見に来たこともありました。
屋上に出る階段は閉ざされています。
遠くに新宿副都心。
足元を見れば西台駅のホーム。
5号棟から8号棟に来たところ。かつては様々なマーケットがあり日常生活はすべてこの空中都市の中だけで賄うことができました。
空中都市の北側も車両基地と整備場、洗車台などで18本もの線路が続いています。この跨線橋でそれらを超えて北側の地上とアクセスできます。
跨線橋から見える洗車台。
跨線橋の奥の突き当りから西と東にスロープがあります。右手に3棟並んでいるのは都営交通の職員が住む志村寮の1~3号棟。
実際にお住まいだった方からかつて4号棟も存在していた旨、お知らせいただきました。
確かに1980年、2002年の航空写真でブリッジの左側に同じ形の建物があることが確認できます。推測での記述をお詫びして訂正させていただきます。(2024年3月追記)
志村寮側のスロープ入口。人工地盤とは繋がっていませんがこちらも建物は長い足の上に在って、地上部分には線路が通っています。その姿はスターウォーズのAT-ATのよう。
ここまでやると、当時の人が土地をフルに活用しようという執念みたいなものを感じます。
車両基地西側。正式には志村車両検修場というようです。車両は西台のひとつ先の高島平から引き込み線で戻って基地に入ります。
跨線橋の先から振り返って西台アパート全景を見る。奥から5,6,7,8号棟。5だけデザインが違うのはなぜだろう。
人工地盤の西側は現在は広い駐車場となっています。2002年まではこの場所にアパートの子供たちが通う高島平第4小学校がありました。
最盛期は1,000人近い児童が通っていた小学校も閉校の頃には新入生わずか6名、全校生徒96名だっだという記録がありました。
Googleマップで見る空中都市の全景。これだけの規模の人工地盤は見たことがありません。
今まで見た中で一番大きいのがやはり小田急線の車両基地の上のきたみふれあい広場でした。面積はふれあい広場が2.6万㎡に対し西台は3.4万㎡と1.4倍ほど大きいです。
最後に三田線と都営西台アパート周辺の60年間の変遷をまとめてみました。
作りは1~3号等と同様。橋を挟んでぽつんと。
耐久性の観点から取り壊されています。
確かに年代別の写真で見ると1980年、2002年の写真で橋の左側に建物ありますね。
想像で「日本人的に4は除外する」などと誤ったことを書いてしまいました。
後で訂正しておきます。ご指摘ありがとうございました。